036. 夢の円卓・忍がつなぐ絆の夜
泉の史跡を後にした移動団は、長い下り坂を進みながら野営に入ります。
しかし、そこで明らかになったのは部品や医薬品、食料の不足。
不安を抱えるレイナたちを救ったのは、忍の神通信──そして深夜に訪れる「夢通信」でした。
荘厳な神殿ではなく、円卓に集った仲間たちの顔。
そこで語られたのは、旅を支えるための補給と、新たな拠点の始まりです。
泉の史跡と呼ばれるその場所を離れる朝、団員たちはまだ肌にひんやりと残る水気を感じながら荷をまとめていた。
澄んだ水面に揺れる木立の影は、旅立ちを惜しむかのように静かだったが、馬車の車輪が軋みを上げると、ゆっくりと動き始める一行を後押しするように小鳥の囀りが響いた。
道は次第に下りとなり、山裾から谷あいへと続いていく。
まだ若葉の色を残す木々の間を抜ける風は心地よいが、馬車を操る者たちは気を抜けなかった。下り坂は、ただ進むだけなら楽に見える。だが馬たちの足運びや車輪の負担は大きく、少しでも制御を誤れば取り返しがつかない。
御者台に座る若者の額には、昼を待たずに汗が浮かんでいた。
谷間を抜けるころには、団員たちの顔にも疲れがにじみはじめる。
木陰を見つけて馬を休ませ、樽に残した水を分け合うと、子どもたちの笑い声が一瞬だけ広がった。だがそれも、またすぐに再び歩みを重ねる号令にかき消される。
やがて、夕暮れが山の端に沈むころ、一行は川沿いの開けた場所に野営地を定めた。
焚き火の煙が立ちのぼり、煮込みの匂いが空腹を刺激する。疲れた顔をしながらも、団員たちはそれぞれ馬の世話や荷の整理に取りかかる。
その輪の中で、職人頭のコーサが渋い顔で木箱を開き、手にした小さな金具をじっと見つめていた。
「……やはり足りんな」
低くつぶやく声に気づいたレイナが歩み寄る。
「コーサ、何か問題でも?」
「ええ。部品の在庫が想定より早く減ってましてな。この先、馬車に負担がかかれば……持ちこたえられないかもしれません」
火の明かりに照らされた彼の顔は、普段の職人らしい自信よりも、不安の影を色濃く浮かべていた。
話を聞きつけた者たちが集まり、野営の場は次第に緊張を帯びていく。
修理部品だけではない。医薬品も、保存食も、残りが少なくなっている──。
誰もが胸の奥に抱えていた懸念を、コーサの一言が引き出したのだ。
レイナは深く息を吸い、周囲を見渡す。
この旅を率いる自分が、不安をそのままにしておくわけにはいかない。
「……忍に相談しましょう」
そう言うと、ざわめきの中に安堵の響きが混じった。忍──自分の子であり、神通信を通じて繋がる存在。
母としての心の奥で、どこか甘えるような思いを抱きながらも、団長としての決意を声にのせた。
焚き火の炎が揺れる中、レイナは神通信の準備に入ろうと、静かに目を閉じた。
※
夕日の残照が消え、谷あいに夜の静けさが訪れていた。
焚き火の炎はぱちぱちと小さな音を立て、草木の隙間からは虫の声が響いてくる。
団員たちは遅い夕餉を終え、徐々に各々の毛布に身を横たえ始めていた。
レイナは焚き火の前に座り、瞳を閉じる。胸の奥にある不安を、言葉に変えて届けなければならない。
──忍。母からの呼びかけを受け取って。
心でそう願い、神通信の術を編み上げる。
次の瞬間、遠いはずの存在が、すぐ傍に感じられた。
微かな揺らめきと共に、耳に届く声。
「……母様?」
かすかに息を切らすような声音に、レイナの胸が締めつけられる。
暗い夜道を進む馬車の軋み、揺れる灯り。忍は今まさに移動中だったのだ。
「ごめんなさい、今は……走っている最中?」
「うん。馬車で移動中。だから長くは話せないけど……母様、何かあった?」
母の声の奥に漂う緊張を、忍はすぐに嗅ぎ取った。
レイナは一瞬ためらったが、正直に伝えるしかないと決める。
「部品が足りなくなっているの。医薬品や食料も、思ったより残りが少なくて……」
沈黙が一拍。
続いて、忍の短く鋭い問いかけが返ってきた。
「足りないものを、全部挙げて」
レイナは、野営地でコーサや仲間から聞いた内容を一つひとつ語った。
金具や車輪の替え、乾燥食、薬草、保存のきく飲料水──小さな不足が重なれば、この先の旅が危うくなる。
「……わかった」
忍の声は落ち着いていたが、その裏に強い緊張が滲んでいた。
「でも、すぐには無理だよ。これを解決するには、他のみんなとも連絡を取らないと。きっと深夜になる」
焚き火の光が揺れる。レイナは沈黙し、唇を噛んだ。
忍にこれ以上の負担をかけたくはない。だが──頼れるのは、あの子しかいない。
「母様、安心して。みんなが眠った後で繋ぎ直すよ」
「眠った後……?」
「そう、『夢通信』だ。母様たちが休んでいる間に、僕が調整して、明日の朝には伝える。だから今夜は心配しないで」
夜の帳の向こう、馬車に揺られながら話す忍の姿が目に浮かぶ。
幼い体でありながら、声の調子は大人びていて、かつての戦友そのものだった。
「忍……あなたに頼りきりね」
レイナは胸の奥で、母としての痛みと団長としての責任がせめぎ合うのを感じた。
「頼ってよ、母様」
短い言葉。けれど、それだけで心がふっと軽くなる。
焚き火がはぜ、夜風が頬を撫でる。
通信の気配が静かに消えていくと、レイナは両手を膝に置き、深く息を吐いた。
やがて団員たちは寝息を立てはじめる。
その夜更け、静まり返った野営地で──忍の「夢通信」が始まることを、レイナはまだ知らない。
※
やがて闇は深まり、野営地の焚き火はほとんど灰となった。
夜風が草を揺らし、虫の声だけが遠くで響いている。
──ふと、意識が浮かび上がる感覚。
レイナは夢の中にいるのだとすぐに理解した。
しかし、ただの夢ではなかった。
気づけば、彼女は大きな円卓の前に座っていた。
磨かれた木の表面は光を帯び、どこまでも続く白い空間の中で、不思議と温かい安らぎを放っている。
その円卓には、すでに見知った顔がずらりと並んでいた。
「……え、ナセル?」
「団長……?これは……夢なのか?」
神官ナセルが驚きに目を見開き、侍女おたきは隣で息をのむ。
職人頭コーサは腕を組んで難しい顔をし、カリム、ギョーム、ヤスじい、リュカといった職人たちは口をぽかんと開けていた。
さらに視線を巡らせれば、クラズ神殿の神官長グレゴール、旅団医療長イリアス、旧師団の仲間ハルマ、レオン、アマリアまでもが座している。
そして、その中央。
師団服姿の神カグヤが椅子に腰を掛け、あろうことか片足を組み、気楽そうに手を振っていた。
「やっほー!全員、そろったね!」
その軽さに、場の全員が言葉を失った。
神殿の神官長グレゴールが小さく「御業……これは神の御業……」と呟くのをよそに、カグヤは満面の笑みを浮かべる。
「ね、どう? 全員の顔が一度に見られるように、円卓にしてみたの。ほら、本で読んだんだよね〜。こういうの、みんなで話し合うのに便利だって!」
その言葉に、忍がすかさずツッコミを入れた。
「おい、どうせ“面倒だから本にあったやつそのまま採用した”んだろ」
「うっ……」
カグヤは一瞬目を逸らし、すぐに肩をすくめて笑った。
「ま、いいじゃん!便利でしょ?」
あまりに人間臭いやりとりに、思わずレイナの口元が緩む。
神と呼ばれる存在でありながら、隣に座る気さくなお姉さんのような存在感。
そんなカグヤの姿が、場の緊張をゆっくりと溶かしていった。
※
和やかな笑いの余韻が消えると、自然に視線は円卓へと戻っていった。
レイナは小さく息を整え、口を開いた。
「……それでは。皆さんをお呼びしたのは、旅団の物資不足についてです」
その一言で場が引き締まる。
職人頭のコーサが立ち上がり、机の上に小さな金具や釘を並べて見せた。
「馬車の修理に必要な部品が、想定より早く消耗しております。このまま進めば、次の坂道で大きな支障が出るやもしれません」
コーサの言葉に、ギョームが手を挙げる。
「金具もそうだが、俺たちの道具も限界だ。研ぎ直しもできん」
「布や縫い糸も残りが少ないわ」リュカが続ける。
さらに、おたきがためらいがちに声を出す。
「食料も……干し肉と麦が、あと数日で底をつきます」
静かな波紋が広がり、皆の表情に緊張が宿る。
ナセルが立ち上がり、神官として冷静に補足した。
「医薬品も同じです。負傷者が出れば対応できません。回復薬草も乾燥分が心許なく……」
そこで、クラズ神殿の神官長グレゴールが低い声で口を開いた。
「ならば、ノヴォミの教会を補給の中継地とするのが良い。我ら神殿の名の下に物資を集め、定期的に運び込むことを約束しよう」
言葉に重みがあった。
思わず数人が顔を上げ、場に新しい光が差すような気配が広がる。
旅団医療長レオンが眼鏡を押し上げる仕草をしながら頷いた。
「その拠点化は賢明です。特に医薬品は、即応体制を敷けるようにしておかねば」
アマリアも書き留めた紙を掲げ、「医療品の優先順位を整理しました」と手短に説明する。
続いてハルマが椅子から乗り出し、口調に熱がこもる。
「修理部品については、既に他の工房に手配済みだ。船便を使えば、次の寄港で届けられるだろう」
情報が次々と積み上がり、円卓の上には不足の一覧と補給の目処が整理されていく。
その様子を見渡しながら、忍が立ち上がった。
幼い体のままなのに、かつての師団長のような声色と眼差しで言葉を紡ぐ。
「まとめるぞ。
──不足物資はノヴォミ教会を拠点に補給する。
クラズ神殿はこれを中継として協力し、工房は船便で部品を送る。
医薬品は優先順位をつけて配分、食料と飲料も同時に確保する」
短く、しかし揺るぎない口調に、円卓に集った全員が頷いた。
その姿に、レイナは胸の奥が熱くなる。
目の前にいるのは、自分の子であり──同時に、前世で仲間を率いていた師団長そのものだった。
※
議論が終わり、円卓に静寂が戻る。
誰もが深い呼吸をして、今しがた交わされた約束を胸に刻んでいた。
その沈黙を破ったのは、カグヤだった。
師団服の上着をぱたぱたと仰ぎながら、椅子の背もたれに思いきりもたれかかる。
「ふぅ〜……やっぱ円卓って便利だね! はい、みんな顔を見合わせて、ちゃんと決まったじゃん」
その飄々とした口調に、数人が思わず笑みをこぼした。
あれほど緊張感に満ちていた空気が、すっと緩んでいく。
「でもね」カグヤは目を細め、全員を見渡すように視線を巡らせた。
「本当にすごいのは、こうして全員が顔を合わせて“同じ未来を考えよう”って思えたこと。国とか神殿とか関係なく、一つの円卓に座って話す。それができた時点で、もう十分奇跡なんだよ」
その言葉に、神官長グレゴールは深く頷き、ナセルは真剣な眼差しをレイナに送った。
職人たちも、ふと誇らしげに胸を張る。
忍は母の横顔を見つめながら、そっと呟いた。
「母様を支えるのは、俺だけじゃない。これだけの仲間がいる」
レイナはふと涙が滲みそうになり、慌てて瞬きを繰り返す。
「ありがとう……みんな。本当に……ありがとう」
その小さな声に、円卓に集った面々が一斉に頷き返した。
カグヤが立ち上がり、軽くウィンクする。
「ね、いい会議だったでしょ? ちから、分けるんじゃなかったかも……って一瞬思ったけど。ま、忍とみんななら大丈夫だね!」
その屈託のない笑みに、場が柔らかな光に包まれた。
次の瞬間、円卓も仲間たちの姿もゆるやかに霞んでいき──夢通信は静かに幕を閉じた。
朝、野営地に鳥の声が響く。
目を覚ました団員たちは、はっきりとした夢を見ていた気配を互いに感じ取っていた。
「不思議と心が軽いな」「妙に安心できる」──誰もがそんな思いを抱え、再び旅路へと歩み出すのだった。
忍の力によって一堂に会した仲間たちは、不足する物資を補う方法を定め、次の道のりに繋がる支えを得ました。
神の御業のようでありながら、そこにあったのは人と人との絆。
不安な旅路はまだ続きますが、彼らの胸には「孤独ではない」という確かな温もりが灯っています。




