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028. 奉仕の日

月に一度、クラズ神殿が民へ門を開く日──「奉仕の日」。

その朝、静寂を湛える石畳の広場に、ひときわ目を引く一台の馬車が現れた。

それは、移動団の医療班と技術者が心血を注いで仕上げた“動く病院”。

治癒の神殿に、もう一つの“癒しの形”が訪れるとき、

若き神官たちは何を感じ、何を受け取るのか──

新たな対話と発見が、静かに幕を開ける。


白く磨かれた神殿前の石畳に、朝の光が斜めに差し込んでいた。

その光に照らされた若き神官ナセルは、神殿前の広場に立ち、薄青の法衣の裾を風に揺らしていた。


彼は、今日という日を特別な意味で迎えていた。

神殿にとっては月に一度の「奉仕の日」。

周辺の村や集落から多くの人々が集い、祈りと癒しを求めて訪れる日。

だがナセルにとっては、それだけではなかった。


「……来るかな、ちゃんと……」


小さくつぶやいた声は、誰に届くこともなく、神殿の石柱の陰に吸い込まれていった。


そのとき、広場の向こう、ゆるやかな坂の先から低く唸るような音が響いた。

魔道機関特有の、重低音。

やがて、音に引かれるように数人の修道者たちが顔を出し、広場の方へと歩み出てくる。


「……来た!」


ナセルの目が輝いた。

その先に現れたのは、一台の巨大な移動馬車。

しかしそれは、ただの馬車ではなかった。


磨き上げられた外装、側面に刻まれた赤い十字の紋章。

荷室部分には幾つもの小窓が取り付けられ、その中では白衣を着た人影が忙しなく動いている。

馬車の後部には、魔道炉の動力を取り出すための制御管が伸びており、車輪部分にも強化された緩衝装置が施されていた。


まるで都市の診療所が、そのまま旅に出たかのような姿。

見守る修道者たちが、思わずどよめいた。


「うわ……なんだあれ……」「病院?動いてる?」


先頭から軽く跳ね降りてきたのは、小さな影だった。


「よっ、ナセル!」


外見こそ幼い少年だが、その目に宿る光は、何よりも鋭く、澄んでいた。


続いて馬車の側面ドアから現れたのは、筋骨たくましい男──作業頭のコーサ。

そしてその後ろには、白衣の医療班たちが数名、慣れた手つきで荷下ろしを始めていた。


「神殿の奉仕活動、うちの団でも手伝わせてもらうからね。ちゃんと許可は取ってあるよ」

「ふふ、もちろん。神官長も喜ばれていたよ」

「それより、これ。どう?」


忍が顎で示したのは、後ろに控える“動く病院”。

ナセルは、一瞬言葉を失ったのち、そっと声をもらした。


「……すごい……本当に……動いてるんだ……こんなもの、神殿にもない……」


「へへっ、見とれてる場合じゃないよ。今日は奉仕の日でしょ? 私たち、働きに来たんだから!」


そう言って、忍は神殿の正門に向かって一歩を踏み出した。

その背中を見つめながら、ナセルはゆっくりと頷いた。


今日という日は、神殿にとっての奉仕の日。

だが同時に、自分自身が何を学び、何を選ぶのかを試される日でもある。

ナセルは、少しだけ背筋を伸ばした。


「さあ、案内するよ。場所は広場の右手の庇下。たくさん来るから、準備は……急いだ方がいいかもしれない」


「了解!コーサ、発電チェックお願い。医療班、器具の消毒から入って!」


神殿の朝が、動き出した。



「これが……本当に、馬車なのか?」


イリアスは、思わず口元を押さえてつぶやいた。

ナセルの横を抜けて、一直線に“それ”へと駆け寄っていた。


巨大な車輪。分厚い外装。側面には魔道文字が細かく刻まれ、角張ったボディはまるで砦のようだ。

だが、その表面には赤い十字と、“医療班”と書かれた紋章が刻まれていた。


「イリアス!あんまり近寄りすぎると……って、聞いてないな」


ナセルが苦笑混じりに呟くころには、イリアスは既に馬車の側面に手を当て、目を輝かせていた。


「……これは、ただの搬送用の車じゃない。自前の魔道炉が……こ、ここに!? 馬車に!? しかも、この排気口……再循環式?」


「おぉ〜、見る目あるな、神官くん」


声をかけたのは、医療班のひとり、屈託のない笑顔が印象的な若い男性、レオンだった。

前回の訪問時にイリアスと意気投合し、医学と魔導技術の雑談で数時間を潰した張本人だ。


「レオンさん! これ、あのとき話してた“動く病院”ですか!?」


「そーそー。ハルマさんたちが徹夜で作ったやつ。コーサ親方が仕上げてくれて、昨夜ようやく完成品として納車。……あ、馬車だけど」


「は、ははっ……っはぁぁ……すごい……!」


イリアスの興奮は隠せなかった。

車体をぐるりと回り込み、外装をまじまじと観察したかと思えば、すぐに後方の炉部分に目を移す。


「制御盤がある……って、魔道炉用と医療装置用で系統が分かれてる!? これ、病院レベルですよ!? 本物の……」


「よかったら中も見るかい?」


唐突に開いた側面扉から、白衣を着た女性が顔を出した。

優しげな眼差しのその人は、医療班の中堅──アマリアだった。


「アマリアさん……!」


イリアスはほとんど飛び跳ねるように駆け寄ると、白衣の裾を汚さぬよう、神官衣をさっと整えながら扉の前で深く頭を下げた。


「ぜひ、中も見せてください! 前回、救護所でお手伝いさせてもらったときからずっと……ずっと気になっていたんです!」


「ふふ、そんなに楽しみにされると、案内しがいがあるわね。じゃあ、こっちへどうぞ」


イリアスが中へ入ると、神殿からも人の気配が動き出した。

医療担当の神官や修道士たちが、興味深げに集まってくる。


「ナセル様、あれは……魔道炉ですか?」「まさか、あの車内に治療室があると?」


「ええ。……たぶん、あります。忍殿と医療班が乗ってきたんです。つまり、間違いなく“病院そのもの”です」


ナセルがそう答えるころには、馬車の周囲に人垣ができ始めていた。


中では、イリアスがすでに夢中で各部を指差していた。


「ここが処置室! そしてこっちが診察用の椅子! こっちは……あ、無影灯だ! 天井に固定してある!? すごい、ちゃんと振動吸収機構も──!」


「そこ、わたしが調整しました!」

後ろから顔を出したのはコーサ。まるで自慢の孫を紹介する祖父のような顔で、イリアスの言葉に頷いていた。


「神殿の石造りの診療室にはない工夫が、ここには詰まっているんですね……」

イリアスの声が、少しだけ沈みがちになる。


その横で、アマリアがやさしく微笑んだ。


「でも、神殿には神殿の良さがある。私たちも、ここで学ばせてもらうことがたくさんあるのよ」


「……そう言ってもらえると、救われます」


扉の外では、ナセルが忍に近づき、ぽつりと漏らした。


「イリアス、あんなに楽しそうなの、久しぶりに見ました」


忍は、外見に似合わぬ落ち着いた声音で笑う。


「彼は“医療を神の奇跡”じゃなく、“技術と努力で救える希望”だと思ってる。そういう目をしてるよ」


その言葉に、ナセルは少しだけ驚いた表情を浮かべた。


「……君、いったい何歳なんだ?」


「さぁね。たぶん、あなたたちよりは……年上、かな?」


冗談のような、冗談でないような。

忍の笑みを、ナセルはどこか神聖なものを見るような目で見つめていた。



馬車の周囲には、神殿の医療班の面々が集まりはじめていた。


その中心に立つのは、やや年配の神官女性。

落ち着いた声で、アマリアたちに話しかけてきた。


「このような設備を見たのは初めてです。まさか、野外でここまでの医療が可能になるとは……神殿の治療術も、追いつけませんね」


「いえ、私たちの方こそ、神術には到底及びません。急患で止血できないときなど、神官の治癒魔法に何度も救われました」


アマリアは丁寧に頭を下げる。

そのやり取りを聞いていたイリアスは、神官たちの後ろから顔を出して口を挟んだ。


「今回の奉仕日では、どういった患者さんが来られる予定ですか?」


「ええ、軽傷の農民や、疲労や疫病に悩む者たちが大半でしょう。問題は……たまにある重傷者や、長距離を歩けぬ者たちです」


と、そこに割って入ったのは、神殿側で実務を担う中堅神官の一人、ハイレク。

短く刈った髪に、浅黒い肌。野外活動の経験が豊富そうな顔立ちだ。


「切創や骨折など、外科処置が必要な患者が現れた場合、こちらの神術では限界があります。ですが、貴方方の“動く病院”ならば……」


「ええ、そちらで対応できます。内部に診察室、処置台、手術器具も一式あります。清潔管理も魔道炉式で安定しています」


レオンがすかさず応じた。

そして短く会釈しながら提案する。


「重症患者は、こちらの馬車に搬送。軽症や魔法治癒で間に合う方は、神殿内でお願いできますか?」


「……ふむ。合理的ですね。うまく役割を分ければ、治療の手も途切れません」


年配の神官が頷き、全体の空気がまとまりかけた、そのときだった。


「ちょっと提案、いい?」


前方の柱にもたれていた忍が、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。


「今の話、基本的にはこの神殿前に集まれる人たちの話だよね。でもさ、神殿に来られない人たちは、どうするの?」


神官たちが一斉に視線を向けた。


「例えば、寝たきりの老人とか、村外れの丘に住んでる障がい者の家族とか。

神殿までの距離が障壁になってる人って、けっこういるんじゃない?」


忍の声は穏やかだったが、その瞳には鋭さが宿っていた。


「動ける医療があるなら、コッチから“癒し”に行けばいい。移動病院なら、今日の午後にでも周辺の集落を回れるよ」


「……たしかに」

ぽつりと、イリアスがうなずいた。


「ずっと感じていたんです。神殿に来られない人々を、わたしたちは置き去りにしているのではないかって……」


「その罪悪感を抱いたままでは、癒しの奇跡も半分しか届かないよ。だったら、残りの半分は、足で届ければいいんだよね」


忍の言葉に、神殿の年配神官が少し目を見張った。

その背後で、神官長の側近であるハイレクが静かにうなずいた。


「では、午前は神殿にて。午後からは、集落を回る班を編成しよう。こちらでも移動班に協力できる神官を出します」


「ありがとう。じゃあ、手分けしてリストアップしよう。どこへ、誰を、何人で行けるか」


忍が即座に指示を出し始めると、コーサが荷馬車の方から大声を飛ばす。


「おーい! 出発前に点検入るからな! 屋根の排気弁いじった奴は後で来いよー!」


イリアスは、思わず吹き出した。


「ああ、本当に、動いてるんだな。病院が、旅をしてる」


神官たちは顔を見合わせ、どこか納得したように笑った。



神官長の私室には、香炉の煙が静かに漂っていた。


白を基調とした部屋の奥、日差しの入らぬ壁際には古い書棚と、手入れの行き届いた長机。

その机の向かいに、小さな影が腰を下ろしている。


──忍。


整った椅子にちょこんと座る姿は、まるで神殿に迷い込んだ子どものようだ。

だがその瞳は、澄んでいた。揺らぎのない、確かなものを見る眼だった。


「……つまり、お前の話では」

神官長は両手を組み、しばし目を閉じてから、静かに言葉を続けた。


「この“動く病院”が、神殿の医療を、より広く、深く、届かせる鍵になると?」


「はい」

忍は、まっすぐに答えた。


「これまでの医療は、“来る者を待つ”形でした。

でも、移動病院があれば、“こちらから行く”ことができる。

動けない人にこそ、癒しが必要なんです」


神官長のまなざしが、わずかに柔らぐ。

静かな沈黙のあと、忍はゆっくりと言葉を継いだ。


「それに……神カグヤ様から聞きました。

この世界の医療は、まだ“途中”なんだと。

神術は素晴らしいけれど、治せるものと治せないものがある。

だったら、別の形の“治す手”を、僕たちで届ければいい」


その語り口は、穏やかで、なおかつ確信に満ちていた。


「だから──僕たちは、もう一台、病院馬車を作っています。

完成したら、それを神殿に寄贈したい」


神官長の眉が、微かに動いた。


「それほどのものを……神殿に?」


「はい。ただ、お願いがひとつ」


忍は、軽く息を吸い込み、姿勢を正した。


「その病院馬車を託す相手を、決めておきたいんです。

イリアス──彼に。彼なら、きっと未来に繋げてくれる」


静かに目を閉じる神官長。

数拍の沈黙ののち、淡く声が返る。


「……だが、彼にはまだ知識も経験も足りぬ。

託すには、あまりにも早い」


「わかっています」

忍は微笑を浮かべた。


「だからこそ、これから修行の旅に出てもらいます。

旅団の中で、医療班と行動しながら、神技術による睡眠学習で知識を得て、

現場で経験を積み重ねていってもらう。……その間は、神殿の往診に、馬車を使ってもらって構いません」


「……なるほど」


神官長は、目を細める。その深く刻まれた皺の奥に、静かな驚きと納得が滲んでいた。


「そしてイリアスが戻ってきたとき、彼がその病院馬車の“院長”になると……そういう約束か」


「はい。神殿の新しい“癒しの顔”として」


窓の外、雲が切れ、わずかに陽が差した。

机の上に置かれた香炉の煙が、その光に照らされて金色に揺れる。


「……面白い子だな、お前は」

神官長の口元が、かすかにほころぶ。


「大人びた小さな体に、随分と大きな未来を詰め込んで」


「器が小さい分、詰めるには工夫が要るんですよ」

忍は、いたずらっぽく微笑んでみせた。


神官長は、ふぅ、と長く息を吐いた。


「よかろう。……その子に、未来の神殿を託すに値するかどうか、見極めさせてもらおう」


「ありがとうございます。

彼はきっと、誰よりも真っ直ぐに、“癒す”という道を歩いてくれます」


その声に、嘘はなかった。

動く病院の到着は、クラズ神殿にひとつの問いを投げかけた。

癒しとは、祈りか、技か。それともその両方か。

熱心に設備を見つめるイリアス、穏やかに提案を重ねる忍。

その姿に、神殿の面々もまた、揺れ始める。

この“奉仕の日”は、単なる施しの場ではなく──

神殿という存在が、次の時代に向けて歩み出すための、最初の一歩となったのかもしれない。


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