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027. 焚火と雲路──継がれる意志と、交わされる光

夜は静かに、その帳を下ろしていく。

レイナたちの逗留を許されたクラズの丘で、焚火の灯がまたひとつ、魂の対話の場を照らす。

技術者たちの手で再び動き始めた移動団の馬車。その陰で、神官長は知らず夢の扉を開く。

導かれるように手をつなぎ、焚火の奥に見た“窓”の向こう──そこにあったのは、神と、過去と、未来が交差する場所だった。

この夜、語られるのは、かつての戦士たちの記憶。

そして、託されるは、次代へ繋ぐ者たちの使命。


見えない縁が静かに編まれてゆく、運命の夜が始まる。


宵闇が辺りを包み始める頃、若き神官ナセルは、焚火の灯りの向こうに広がる移動団の光景を見つめていた。


この集団の中心人物──レイナ、ユーリ、イオス、そして旅団の代表とされる幼き者・忍。


忍の存在を初めて耳にしたときは、さすがに驚いた。あどけない外見の子どもが、一団の代表などとは。

だが、数日のあいだに何度も接するうち、ナセルはその印象を改めていた。

迷いなく判断し、時には大人以上の柔軟さで人の言葉に耳を傾け、全体を俯瞰する目を持つ。

彼がどのように育てられ、どのような修練を積んだのか。ナセルは内心、神に問いたくなるほどだった。


その時、若い巡回者の声が、控えめながらも急を要する調子で届いた。


「ナセル様、来客です。神殿より──神官長と、側仕えの者が一名」


ナセルは軽く頷くと、迎えのために歩を進めた。やがて見慣れた白の長衣をまとった神官長の姿が、焚火の光の中に浮かび上がる。同行していたのは、ナセルとほぼ同年齢の若き神官──旧友だった。


「神官長様、ようこそお越しくださいました。冷え込みますので、こちらへ」


「ありがとう。今夜は静かでよい。レイナ殿と、少しお話がしたくてな」


焚火の傍では、ちょうど夕餉の支度が進められており、香ばしい煮込みの匂いが周囲に漂っていた。

レイナは神官長を見つけると、すぐに穏やかな笑顔を浮かべ、手を合わせて一礼する。


「神官長様、お足元の悪い中を……。どうぞ、こちらへ」


「レイナ殿、こちらこそ。よき地を見つけられたようだな。この場所は……風が静かだ」


しばしのあいだ、神官長とレイナは並んで腰を下ろし、焚火を囲んで話し始めた。

その話題は、逗留の許可に関する正式な確認から、神殿の歴史、地形や水脈、風の通り方に至るまで多岐に渡る。

言葉の節々に、レイナがこの地を「一時の避難地」ではなく、「癒やしのための場」として大切にしようとしている想いが滲んでいた。


一方、神官長に付き従ってきた側仕えの若者は、医師団や看護班の者たちと自然に言葉を交わし始めていた。

薬草の保存法、水の消毒、簡易診療所の設営法など、立場を超えて知識を共有し合う姿は、神に仕える者同士の、穏やかな交流そのものだった。


夜も更けてきた頃──。


荷馬車の陰から、ひょっこりとコーサが姿を現した。

彼は目をこすりながら大きなあくびをひとつ。どうやら日中はずっと眠っていたらしい。


「ふあぁ……。やっと夜かあ。よし、作業再開するぞー」


その声に応じて、同じく荷の間で仮眠を取っていた作業班の面々も、次々に姿を見せ始める。

寝起きとは思えないほど、皆の動きは機敏だった。整備台が展開され、工具が並べられ、魔導式ランプが灯されていく。

この光景こそが、移動団のもう一つの“本番”だった。


神官長は焚火の側から静かに立ち上がると、ランプの灯りが増してゆく馬車周辺へと歩みを進める。

その姿に気づいた忍は、即座に彼のもとへと向かい、ぺこりと頭を下げた。


「神官長さん、こんばんは。こっちに図面あります。見に来ませんか? コーサたちが今夜の分、仕上げに入ってるんです」


「ほう、図面か。では、少し見せていただこうか」


忍の小さな手に引かれ、神官長は作業区画の中心──図面台へと案内された。

そこには改良中の馬車案が何枚も重ねられ、修正や新規案が丁寧に描き込まれている。

神官長は、一枚一枚を静かに見つめながら、何度もうなずいた。


「……興味深い。これはまさしく、神の導きによる知恵の積み重ねだな」


「それ、コーサたちに言ってやってください。きっと、喜びます」


その言葉に、神官長は微笑を浮かべた。焚火の灯りとはまた違う、魔導ランプの白い光の中に、静かな祝福が満ちていた。



図面台の前を離れた神官長は、静かに作業現場を見守っていた。


馬車の一角では、既存の車体がすでに半分ほど解体され、車輪や荷台の部材が整然と並べられている。

その脇で新たに組み込まれる資材──軽量合金の骨組みや、魔導炉の基盤──が夜の冷気の中、無言でその出番を待っていた。


作業を指揮しているのは、髪に白を混ぜた中年の男──コーサ。

腕まくりをした作業服の袖からは、年季の入った筋肉と、火傷痕の名残。

寡黙な印象だが、その一声で若い整備士たちが、寸分の迷いなく動く。


「そっち、先に冷却パイプを通してから嵌めろ。逆だと、バルブに負荷がかかるぞ」


「は、はい! すみません、コーサさん!」


「謝るヒマがあるなら、次を考えろ。焦るな、手順で勝て」


その声には怒気もなく、長年の経験から滲む重みがある。

現場で育ち、現場で語る。無駄のない男の背に、神官長はひと声かけた。


「まるで、神具の修繕でもしているかのような……繊細な仕事ぶりだな」


コーサは軽く手を止め、肩越しに振り返った。


「神具は扱ったことがないが……人の命を載せるものだ。乱雑にはできませんよ」


「たしかに。君の言う通りだ。だが、それにしても……これはただの“馬車”ではないようだ」


「ええ。見た目は馬車、中身は……まあ、宿屋兼病院ってところでしょうか。

どこでも展開できて、畳んで走れる。子どもも老人も、横になれる構造です」


「魔導炉まで積むとは。技術の粋が詰まっているな」


「粋かどうかは……結果次第でしょう。壊れたら全部ただの鉄くずです」


そう言って笑うコーサの目元には、幾度も徹夜を重ねてきた者にしか見せられぬ自信と疲労が滲んでいた。


神官長はその姿に、一拍おいて問いかける。


「……君は、信仰を持っているか?」


コーサは手元の工具を置き、少しだけ黙ってから答えた。


「正直を言えば、“神頼み”ってのは性に合いません。道具も建物も、人が手を入れなきゃ動かない。

ただ……そうですね。人の縁とか、巡り合わせとか。そういう“見えないもの”には、少し……手を合わせる気持ちにはなります」


「なるほど。信心深い者の言葉よりも、地に足のついたその答えが、ありがたい」


「神官長さんにそう言われると、こそばゆいですね」


「君のような者が、地を支え、命を守っている。その手こそが神の御心に最も近い」


その言葉に、コーサはしばし黙り、肩をすくめた。


「……ありがたい話ですが、私の手は油と煤で真っ黒ですよ。およそ“神聖”には見えない」


「それでも、誰かの命を載せる床を造る手ならば、祈りと同じだ」


そう言って微笑む神官長に、コーサは素直に頭を下げた。


「……この馬車が、誰かの“夜明け”になるなら、それで充分です」


「その思い、確かに神に届いているよ」


再び工具を握ったコーサの手に、わずかに力がこもる。

傍らの神官長は、灯る魔導ランプの光の下、まるで祭壇の前に立つかのような静けさで、夜の工房を見守り続けていた。



コーサの作業場を後にした神官長は、ほのかな夜気の中、ゆっくりと歩を進めていた。


ふと、ひときわ静かな焚火の前に、ぽつんと佇む小さな背を見つける。

旅団の代表──忍だった。


だが、その様子はいつもと違っていた。

焚火をただ見つめているのではない。

……いや、まるで「焚火と会話している」かのように、首をかしげたり、ふふっと笑ったりしている。


神官長が立ち止まったその時、忍がふとこちらを振り向いた。


「……見てました?」


いたずらが見つかった子どものような微笑みを浮かべて、忍が手招きする。


「こっち来て。……一緒に見ませんか?」


促されるまま、神官長はその隣に腰を下ろした。

忍は、迷いもなく神官長の手をすっと取る。そして、焚火の前へとそっと向けた。


「ちょっとだけ、つなぎますね。……怖くないですよ」


その瞬間──


焚火の中に、何かが“浮かび上がった”。


揺れる炎の奥に、あり得ないものが見えた。

火の色の向こう、そこには明確な“形”がある。

四角い窓枠。まるで鏡のように縁取られた炎の内側に、工房の一室が映っていた。


そこには、作業服を着た男──年配の技師──が、何やら装置の前で確認作業をしている姿。

後方には、巨大なコイルと魔導炉の核らしき球体。光を帯びて脈打つその姿に、神官長は思わず息を呑んだ。


「……こ、これは……どこだ……?」


「アデン湾の底。……第三技術区画の、今夜の作業室です」


忍の声は、焚火の揺らぎと同じように、柔らかく、けれど確かだった。


「新しい魔導炉、気になったでしょう? さっきの馬車に積んである試作炉。……ちょうど今、あれを作った人と、話してたんです」


神官長は、自分の掌に重ねられた小さな手を見つめた。

その肌から、鼓動とは異なる何かが伝わってくる。熱でも電気でもない、もっと深い“つながり”。


「君は……神の御使いなのか? いや、いや、それ以上……」


「僕は、ただの“つなぐ者”です。……でも、この旅には、たくさんの“見えない橋”が必要だから」


焚火の中の窓に映る工房では、技師がふと顔を上げ、こちらを向いた。

神官長の目が、その人物の視線と交差する──まるで、彼もこちらを“見ている”かのように。


それは、技術の粋であるはずの炉の奥に、なお“神意”のような気配を感じさせる瞬間だった。


やがて忍が、神官長の手をそっと離す。


窓は、ゆっくりと、焚火の揺らぎに溶けるように消えていった。

ただの火の粉だけが、夜風に舞っていた。


神官長は、言葉もなく、ただ静かに座っていた。


「世界は、もう“見えるもの”だけじゃ、説明できないんです。

でも……それを知ると、誰かの“祈り”が、ちゃんと届く気がします」


忍の言葉は、まるで祝詞のように、神官長の胸に落ちた。


「……それが“神通信”というものか」


「ええ。でも、これは特別バージョン。手を繋いだ人とは、視界と“想い”も、ちょっとだけ共有できる。

だから……この世界が、もっとつながっていくといいなって」


火のぬくもりと、少年のような声と、手に残る感触──

神官長は、そのすべてを忘れまいと、静かに瞼を閉じた。



光をまとった神の前に立ち尽くす神官長。

その胸の奥、どこか掴めなかった“違和感”が、まるで糸を引くように口をついて出る。


「……ひとつ、どうしても……あの子──忍殿について。

あの幼き姿に宿る、あの深い“目”……。

私には、どうしても、彼が“ただの子供”には思えなかったのです」


神カグヤは、ふわりと目を細めた。

微笑とも、祈りともつかぬ静かな表情で、雲の上に立つ神官長を見つめ返す。


「よくぞ気づかれました。……それは、あなたが“目を持つ者”だから」


「目、ですか?」


「ええ。あの子──忍は、かつて“師団規模の戦闘部隊”を率いた者。

この世界での言葉に直せば、国家をまたぎ、大規模戦を指揮した軍の主将。

その魂が“今世”において、齢十にも満たぬ姿で目覚めたのです」


「……なんという……」


「外見は子どもでも、精神の成熟はおよそ二十歳前後。

彼は、時間をかけて“この身体”と折り合いをつけ、

この世界に適応しながら、必要なものを少しずつ動かし始めています」


神官長は唇を引き結び、思い出す。

焚火を見つめる瞳の奥に宿っていた、あの静謐な決意。

判断を下すときの呼吸の深さ。周囲を思いやりながらも、ぶれない芯。


「……納得がいきます。むしろ、すべてが……繋がったような」


カグヤは、さらに続けた。


「あなたのもとにいる者たち──レイナ殿を支える面々の中にも、

かつて、忍の“師団”に属していた魂たちがいます。

彼らはこの世界で生まれ直し、再び集ったのです。

無意識のうちに、あの子の側へと……導かれるように」


神官長は、思わず天を仰いだ。

見上げた空の先に、確かな流れがある──目には見えない“神の縁”。


「では、我が神殿の若き神官たち──」


「うちひとり。あなたと共に来ていた者……医療に関心を持つ、その子。

あの者には、忍たちと共に旅をさせてください。

“治す力”を、より深く、現場で学ばせるために」


「……はい。必ず、送り出します」


「そして、ナセル殿──あなたの弟子。

彼には、レイナたちと旅を共にさせなさい。

いずれ“新しい土地”で、彼は“神官長”となる。

今はまだ、経験が浅くとも、彼はあなたの“後継”として生きるべき器を持っています」


神官長は、静かに目を伏せ、胸に手を置いた。


「……わかりました。私が導きます。ふたりとも、きっと道を見つけるでしょう」


そして、神カグヤは、最後の言葉を紡いだ。


「あなたに、もうひとつの役目を託します」


「……何なりと」


「忍たちと共に旅する医療神官が、やがてあなたの元に戻ってきます。

その時、彼が神殿で“医療の祈り”を行えるよう、場を整えてください。

規律に縛られすぎず、癒しと救いを与える“実践の場”を、

あなた自身が、用意してあげてください」


「……承知いたしました」


「その後。あなたは、いよいよ次の地へと向かうことになります。

忍がいる国へ。かつての師団が、再び集おうとしている、その土地へ。

あなたの知識と眼差しを、そこで生かす時が来るのです」


静寂。


まるで夢に満ちた世界に、一片の確かな鐘の音が鳴り響いたかのようだった。


神官長は、静かに、深く、頭を垂れた。


「私は、神の言葉を信じ、今世の務めを果たします。

その地に行ける時が来るのならば──喜んで、進みましょう」


カグヤは、何も言わずに、光の衣をひらりと揺らした。

そして優しく、掌を伸ばし、神官長の胸に触れた。


「目覚めた後にも、この言葉は残ります。

“信じる心”が、記憶よりも強く刻まれますから──」


その瞬間、雲が崩れ、光が散った。


風が吹き、現実の匂いが鼻をかすめたとき──

神官長は、焚火の傍らで目を覚ました。


その手には、まだ小さな温もりが、確かに残っていた。

この夜、ひとつの真実が神官長の胸に刻まれました。

忍という存在の本質、そして、魂が再び巡り合った理由。

神カグヤとの対話は、ただの夢ではなく、“新たな章”への扉であり、

若き神官たちがそれぞれの役目を担い、旅立つための灯火となりました。


今はまだ小さな焚火の光も、いつか誰かの夜道を照らす大きな炎となるでしょう。

次に火が灯るとき、その場にいるのは、どの魂でしょうか──。


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