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024. 静まった野営地と、焚き火に集う影

夜の深まりとともに、野営地は静寂に包まれていた。

病人や子どもたちが眠る中、焚き火のもとに集まったのは、移動団と旅団、支援隊の中心となる者たち。

疲弊する人々をどうやって次の地へ運ぶのか――静かながら切実な協議が始まる。

忍の小さな提案が火を灯し、母レイナはその熱に揺れる。

神通信が導くのは、遠い海の底にいる仲間たちの知恵と、繋がりの証。

その夜、焚き火を囲んだ影たちは、新たな希望に向けて静かに歩き出す。


夜はとっくに深まり、黒海からの風が、丘をひとつ越えて野営地にそっと吹き込んでいた。


幌馬車の列は沈黙し、子どもたちは毛布にくるまり、病人たちは医療班の手で薬湯を与えられ、静かにまどろんでいる。

老いた者たちは言葉少なに祈りを交わし、火が消えた焚き台のそばで、穏やかな寝息を立てていた。


そんな夜の底に――

ひときわ大きな焚き火だけが、まだ赤々と燃えていた。


その火の周りに、音もなく、ひとつ、またひとつと影が集まっていく。


レイナは、まだ眠るには早すぎる思いを抱えて、焚き火の前に腰を下ろしていた。


ひとつ前の夜とは、空気が違う。

皆が敬礼を交わし、神が現れ、希望の未来を告げたあの夜から、ただ一晩。

けれど、目の前に広がるものは、すでに違って見える。


──この人たちを、次の土地まで運ぶ。

生かして、届ける。

それが、今のわたしの使命だ。


「母様、あたたかいですよ」


そう言って、レイナの隣にちょこんと座ったのは、忍だった。

小さな肩をすこし震わせながら、それでもまっすぐ前を見ている。


レイナはそっと毛布を掛け直してやりながら、微笑んだ。


「あなたこそ……眠れなかったの?」


「うん。でも、大丈夫。まだ、考えたいことがあるから」


そう言ったその声は、どこか大人びていた。

この子の中には、もう「ひとりの指揮官」が眠っているのだと、レイナはあらためて感じる。


焚き火の反対側から、やがて重い足音が近づいてきた。


「──夜分にすまんな。そちら、空いているか?」


静かに声をかけてきたのはイオスだった。

手には湯気の立つ器をふたつ持ち、そのうちのひとつをレイナへと差し出す。


「温めなおしたハーブ茶だ。……ここの焚き火は、火がよく通る」


「ありがとう、イオス。よく……起きていらっしゃいましたね」


「年寄りは、夜中に目が覚めるものだ。……それに、まだ頭が煮えたままでな」


イオスはそう言って、どかりと忍の隣に腰を下ろした。

火の赤が彼の皺を照らす。

その表情は、厳しさをたたえながらも、どこか安堵を含んでいた。


「……火を見ていると、不思議と落ち着きますね」


静かな声でそう言ったのは、最後に現れたユーリだった。


足音は極めて軽く、しかし背負っているものの重さは誰よりも深い。


焚き火を囲むように腰を下ろすと、彼はレイナに一礼し、忍に向けて小さく微笑んだ。


「まだ眠ってないと聞いて、来てしまいました」


「いいんです、ユーリさん。……きっと皆、同じ気持ちなんだと思う」


忍はそう言って、焚き火の芯を見つめる。


火が、揺れる。

まるで、言葉を待っているように。


しばし、誰も口を開かなかった。


それは沈黙ではなく、「始まり」のための余白だった。


この火の前で、今夜――何かが決まる。

そんな空気が、誰の胸にも、静かに降りていた。


やがて、イオスが、ふうと煙のように短く息を吐いた。


「……話そう。今のままでは、遅かれ早かれ、誰かが崩れる」


ユーリが、黙って頷いた。


そしてレイナは、燃える火に視線を落としたまま、呟いた。


「この人たちを、次の地まで、全員無事に送り届ける……それが、いまのわたしたちの、使命です」


そう言った彼女の横で、忍が静かに頷いた。


この焚き火が、いま、未来の作戦会議の中心になる。


まだ夜は、深い。

けれど、火は確かに、ここに灯っている。


──そして、この火がある限り、人は進めるのだと、誰もが信じていた。



焚き火が、静かに薪を舐めていた。

その音が、まるで遠くで雨が降るような、わずかな湿りを帯びて耳に届く。


誰もが一度深く息を吐いてから、レイナが口を開いた。


「……本当は、もう限界なのかもしれません」


その言葉に、焚き火の向こうのユーリが、ゆるく眉をひそめた。

イオスも、頷く代わりに木の器の茶を一口すする。


レイナの声は、苦いものを噛みしめるように、低かった。


「子どもたちは、陽が傾く頃には歩けなくなっています。

高齢の方々も、馬車の隙間に膝を抱えて、なんとか耐えているだけ。

医療班も、湧き水のある場所での滞在を望んでいましたが……それすら十分に確保できていません」


レイナの目が、焚き火に吸い込まれる。


「……私たちは“療養の旅”のはずでした。

けれど現実は、まるで、逃避行と変わらない。

このままでは、次の町にたどり着く前に、誰かが……」


その声は、途中で震えた。


レイナは、自分が涙を堪えていることに気づく。

けれど、ここでは弱さを見せることはできなかった。

母として。指揮官として。


その沈黙を破ったのは、イオスだった。


「……私も同感だ」


低く、しわがれた声だったが、芯は強かった。


「出発からの数週間、歩き通せた者は、ほんの一握りだ。

若い者でも、夜は足を引きずっている。

それを表に出さないようにしているだけでな」


「老いた者も、すでに何人かが熱を出しかけています」


ユーリが、事務的な口調で補足した。

その顔は冷静を保っていたが、目の奥には焦りがにじんでいる。


「水分と塩の不足、昼夜の寒暖差、馬車の乗り降りの衝撃。

症状は軽くても、誰か一人倒れれば、医療班はすぐ手一杯になるでしょう。

今の規模で“徒歩”による移動を続けるのは、正直なところ……」


「無理、だと思います」


その声は、焚き火の内側から届いた。


忍だった。

静かに、でも確かに、炎の芯を見据えた目で言葉を落とした。


「母様。ぼくたちは、このままでは“減っていく旅”になります」


その言葉に、レイナがぴくりと目を伏せる。


「誰かが、置いていかれます。誰かが、“ここでいい”とあきらめる。

そうなったらもう、移動団じゃない。

……ただの“消えていく列”になる」


焚き火が、ごう、と風に揺れた。

まるでその言葉に反応したかのように、炎が芯から少しだけ伸びる。


レイナは、拳を膝に握ったまま、しばらく沈黙していた。


「……わかってるのよ」


やがて、かすれた声がこぼれた。


「わかってる。歩かせちゃいけないって。

この人たちは、もう戦い抜いた人たち。

誰もが、生きることだけに力を使ってきた。

……もう、痛ませたくない」


そして、レイナは目を閉じて言った。


「全員、馬車で移動させるべき。それが、答え」


誰も、言葉を挟まなかった。


それは、命令ではなく――

祈りにも近い、苦渋の告白だった。


その言葉を受けて、ユーリがゆっくりと顎を引いた。


「では、問題は“手段”ですね」


「馬車の数が足りません」


レイナがそう言うと、忍が、すっと立ち上がった。


火の光に照らされた小さな影が、ゆっくりと深呼吸をした。


「なら、旅団の馬車を、使いましょう」


一瞬、焚き火の周囲が静まった。


火の粉がふわりと舞い上がり、無音の空気に溶けていった。



「……旅団の馬車を、移動団へ使いましょう」


忍の声は、決して大きくはなかった。

けれど、そのひとことが焚き火の炎の芯にまっすぐ突き刺さったように、場の空気がぴたりと止まった。


イオスが目を細める。

ユーリは、わずかに首を傾けた。

レイナだけが、沈黙のまま、じっと炎を見つめていた。


忍は続けた。


「旅団の馬車は、荷物運搬が主目的です。中型以上のものも数台ある。

今は積載量に余裕もあるし、ぼくらは歩き慣れてる。……だから、旅団のほうが、馬車なしでも動ける」


「……その通りですね。実際、旅団の少年兵たちは、徒歩行軍にも慣れている。隊列管理さえしっかりすれば、移動力は落ちない」


ユーリが、すぐさま事務的にうなずく。


「とはいえ、物資の再配分は必要です。背負えるものと、分担できるものと……」


「──待って」


レイナが、ようやく口を開いた。


その声は、どこか強張っていた。


「それは、忍の旅団が“犠牲になる”ということよ」


忍は黙って、母を見上げた。


「あなたたちは、これからもっと過酷な場所へ向かうはずなの。

馬車も、物資も、備えは必要になるわ。今、それを削って……将来、何かあったとき、どうするの?」


その声には、母としての不安と、指揮官としての責任と、どちらもが混ざっていた。


「それでも、ぼくは……いいと思ってる」


忍は、真正面からレイナを見た。


「今ここで、誰かが動けなくなったら。誰かが、取り残されたら。

その時、ぼくは“母様が守れなかった”って、ずっと見てることになる」


レイナの肩が、わずかに震えた。


「ぼくは……それを、見たくない。誰かを置いて、次に進むなんて、したくない」


その言葉の静けさが、何よりも重かった。


「それに……ぼくは、母様の子どもであると同時に、この人たちの“隊長”でもあります。

なら、皆を運ぶことを、今は選ぶべきです」


焚き火の赤が、忍の頬を染めていた。


まるで、その小さな胸の奥で燃えている想いが、火の色と同じだと言わんばかりに。


沈黙が落ちた。


それは、重く、苦い沈黙だった。


──何もかも、正しい。

けれど、正しさは、ときに心を引き裂く。


レイナは拳を握ったまま、膝に視線を落とす。


そして、そっと目を閉じてから、つぶやいた。


「……あなたが、そう言うなら」


「……え?」


忍の顔が、少しだけ驚きに揺れる。


レイナはゆっくりと、目を開いた。


「母親としては反対よ。あなたが無理をすることも、あなたの部隊が歩くことになることも。

でも……団の代表としては、あなたの判断を、受け入れなければならないわね」


「母様……」


「……ありがとう。提案してくれて」


忍は、はにかむように、けれど少し誇らしげに頷いた。


その横で、イオスが腕を組み、ぽつりと呟く。


「いい隊長になったな、忍」


「……えへへ、まだまだですけど」


火の粉が、空に舞った。

言葉にならない感情が、風に乗ってどこかへ流れていく。


そして――


「ひとつ、報告があります」


そう言って立ち上がったのは、ユーリだった。


その声に、焚き火の周囲の視線が集中する。


「私が率いていた支援輸送隊ですが、今この時点をもって、正式に移動団へ合流させていただきます。

馬車、人員、物資、すべて……あなたたちの進軍に注ぎます」


レイナが驚いて顔を上げる。


「でも、それではあなたの……」


「問題ありません。今の私の任務は、“この人たちを護ること”。

それは、高官の任ではなく、現場の判断です」


イオスが静かに笑う。


「ふむ、そう言ってくれるなら……馬車の数は、ようやく足りるな」


「ええ。ただし……次の課題は、“使えるかどうか”です」


ユーリの視線が、焚き火を越えてレイナへと注がれる。


「支援馬車も旅団の荷車も、本来は“人を運ぶ構造”じゃありません。

今のままでは、病人を乗せたとたん、逆に体を壊します」


「じゃあ……改良が必要、ってことね」


「はい。夜明けを待っては間に合いません。できる限り今から、動き出すべきです」


「……よし」


そう言って、すっと立ち上がったのは、忍だった。


「神通信、使います。アデン湾の技術部隊に連絡して、馬車の改造案を出してもらいます」


そして、レイナを見た。


「母様、スクリーン、出していいですか」


レイナは少し目を見開いてから、静かに頷いた。


「ええ……お願い。皆を、守るために」


忍は、焚き火の前に一歩進み、ゆっくりと手をかざす。


夜の帳の中に、ふわりと“光の布”が立ち上がり、空中に神通信の面が浮かび始めた――



焚き火の炎が、ふっと静かになったように見えた。


忍が両手を胸の前に合わせ、目を閉じる。

小さな体に宿る集中は、まるで空気そのものを張りつめさせたかのようだった。


やがて――彼の手元から、ふわりと淡い光がこぼれた。


それは一粒の種のような光点となり、焚き火の中心へと吸い込まれ、そして……燃えさしの中から“膜”のようなものが立ち上がる。


空中に浮かび上がったのは、淡く青い光を帯びた神通信のスクリーン。

揺らめきながら、その面に波紋のような像が浮かびはじめる。


レイナが小さく息を呑んだ。


「……本当に、繋がるのね」


「はい。今、呼びかけています」


忍の声は冷静だったが、その額には汗が浮かんでいた。


やがて、スクリーンの向こうに“場所”が映し出される。


そこは、夜明けを迎えつつあるアデン湾。

海底施設の照明に照らされ、鋼鉄の梁と支柱が組まれた作業空間が広がっていた。


画面の向こうから、数人の人影がこちらに気づく。


『おい……スクリーンだ。神通信が来てる!』


『夜間呼び出しか? 忍か!?』


その中から、ひとりの男が前に出てきた。

作業服の胸に、「技術班・主任」の文字。髭面で、手に持つのは設計用の木板。


『こちら、アデン湾第三区、改装部門の主任ハルマ。どうした、そっちは夜中だろう』


忍は一礼した。


「お疲れ様です、ハルマさん。すみません、緊急でつなぎました。馬車の件で、相談があります」


スクリーンの向こうで、ハルマの眉が動いた。


『馬車?』


「はい。現地では、旅団と支援隊の馬車をまとめて、移動団の病人・高齢者の輸送に使いたいんです。でも、荷台のままでは人を乗せられない構造で……」


『なるほど、納得。運搬用の馬車か。底板硬いし、揺れも吸収しないだろうな』


忍が手をかざすと、映像が切り替わった。

火の明かりで照らされた、実際の馬車の構造がスクリーンに表示される。


ユーリが即座に加わり、口頭で寸法と素材を説明しはじめた。

イオスは指を折って、「誰が持ってる素材が何か」を手短に伝える。


ハルマたちの背後では、別の技術者たちが紙と筆を取り出し、即座にスケッチを始めていた。


『……いい。構造は単純だ。支柱を外して、内側に横木を渡し、布を張る。それを“吊り床”にして衝撃を分散させれば、病人も寝かせられるはずだ』


『馬車ごとに細部は違うだろうが、共通設計を元に応用すれば、今夜のうちに最低3台は改造可能だ』


「ありがとう……さすが、技術部の皆さんです」


忍が深く頭を下げると、画面の向こうで誰かが手を振って笑った。


『あんたたちが生きてる限り、俺たちは働くよ。なあ、おい!』


『おーっ!』


背景でどっと湧いた声に、レイナが思わず笑みをこぼす。


この夜中に、遠く離れた場所で、確かに誰かが応えてくれる。

そのことが、どれほど力になるか。


『そっちでも改造できる職人がいるなら、数人起こして構わん。こっちで図面送る』


「はい、今から集めます」


忍が頷くと、通信の向こうでハルマが指を鳴らした。


『じゃあ、次に繋いだ時は“報告”な。……やることは山積みだ、こっちも寝てられねぇ』


「はい、こちらも。夜明けまでに、できるだけ動きます」


画面の向こうで誰かが冗談を言って笑っていた。

この夜が、ただの暗闇ではなく、“繋がりの夜”なのだと教えてくれるようだった。


忍が手を引くと、スクリーンはすうっと縮んでいき、やがてひと粒の光になって消えた。


イオスが唸るように言った。


「……凄いもんだな。目の前にいなくても、声と知恵が届くとは」


「本当に、神様の贈り物ですね」


ユーリも感嘆を隠さずに言う。


レイナは、火の揺らぎの中、静かに頷いた。


「これで……もう一度、命が繋がる」


その声に、誰もが目を細めた。


焚き火は、あいかわらず静かに燃え続けている。


けれどその火は、ただの暖ではなく、知恵と技術と、仲間の意思の炎でもあった。


「──じゃあ、職人さんたちを起こしてきます」


忍が軽く立ち上がった。


「少しうるさくなるけど、許してね。……皆を運ぶ馬車だから、夜明け前に動かさないと」


レイナが、柔らかく微笑んだ。


「ええ。いってらっしゃい、忍。……頼りにしてるわ」


「……はい、母様」


風が、ぱたりと幕を揺らした。


焚き火を中心に、世界は確かに動き出していた。

焚き火の灯の下、交わされたのは命を守るための対話だった。

忍のひと声が導いた馬車改良の夜。

遠く離れたアデン湾の技術者たちと、ここに集まった職人たちの手が繋がり、

夜明けとともに最初の五台が完成する。

それでも、まだ道は遠く、改良すべき馬車は八台――。

けれど誰もが知っている。

この炎が消えぬ限り、希望はつながっていく。

次回、物語は“その炎”を海の底で見つめ続けていた者たちの側へ――。


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え!え!どうなるの!どうなっちゃうの!?!? 次回気になります!! 認翁さんはじめまして! VIKASHと申します!! あ、一応日本人ですよ!! 素晴らしいですよね! あらすじからあとがき…
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