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022. 丘の上の再会

長い道のりの果てに、ようやく辿り着いた丘の上。

それは単なる中継地点ではなく、懐かしき仲間と、確かめ合う絆の場所でもあった。

かつての部隊、すれ違っていた時間、そして新たに芽生えた絆たち。

――それぞれの想いが交差する、ひとときの静かな夕暮れ。


風が変わった――。


レイナは、馬車の幌から身を乗り出すようにして、視線を遠くへ送った。

その頬をなでる風には、ほんのりと海の匂いが混じり始めている。

草原の緑と、岩肌の白灰に囲まれた丘陵地帯。そこに突如として、小さな煙柱が上がったのだった。


「……あれは?」


レイナのつぶやきに、並走していたイオスがすぐ反応する。

彼は険しい表情のまま、騎乗のまま手をかざし、方角を確認した。


「西南。斜面の向こう側だ。自然火災の煙ではない。合図か、あるいは……」


「……待ち伏せ、ではないと信じたいですね」


医療班の若き女医が、荷車の隅から静かにそうつぶやいた。彼女の視線もまた、煙のゆらめきに釘付けになっている。


レイナは小さくうなずいた。

出発から続いた長旅の中、幾度も襲われ、追い払われ、それでも彼らは進んできた。

もし、あの煙が味方のものならば――それは、どれほど心強いだろう。


「止まって。先に、斥候を出して」


彼女の声が、澄んだ音で響いた。

移動団は、ゆっくりと馬車の速度を緩め、迎え火の立つ丘の向こうへ、静かにその存在を知らせるかのように、そっと息を潜めた。


そのとき、風がふたたび吹いた。煙がふわりとたなびき、煙柱の根元――焚き火の影が、一瞬だけ見えた。


「焚き火……? まさか、待っているのかしら……」


レイナの言葉に、イオスがうなずいた。


「合図の可能性が高い。旧式だが、師団で使われていた信号術の一つだ。あれは“安全接近を促す”合図だな」


「……もしや、ユーリ?」


レイナの声がわずかに揺れた。

出発の日に交わした短い言葉、砦の門での別れ。信じて待つしかなかったその名が、煙の向こうにある気がした。


馬車の影では、老いた門番の記憶がふとよぎる者もいた。出発の日、胸に手を当て、静かに敬礼してくれた老人――もし、あの方が導いてくれたのだとしたら……。


風はさらに強くなり、レイナの髪をふわりと揺らした。

彼女はそっと目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込む。

そして、確かな声で指示を続けた。


「各隊、待機を。偵察班、準備を整えて」


やがて、一陣の風が丘を越え、彼らの旅の終わりではなく、新たな章の始まりを告げるかのように、空を駆けていった。


その風の向こうに、待っている者がいる。

その名を、まだ口には出せなかったが、レイナは心の奥で確かに感じていた。


――忍。


後方で進んでいるはずの、もうひとつの旅団。その存在を信じて。

今、彼らは交わらずとも、同じ空の下で前を向いている。



煙柱の根元が、次第にはっきりと見えてきた。

斜面の向こう、わずかに開けた草地の一角。


風にあおられるように揺れる細い煙は、まるで誰かの意志を伝えるように空へと伸びていた。


イオスは馬を止め、じっとその様子を見つめていた。


「……あれは、“迎え火”です」


低く、しかし確信のある声だった。


「この信号、師団ではよく使われていた。遠方からの接近者に対し、『こちらは味方であり、接近を許可する』という合図だ」


レイナの目が、大きく見開かれる。


「では、あそこにいるのは……」


イオスは頷いた。

「その可能性が高い。迎え火を焚くには、合図の意味を知る者でなければならない。誰でも思いつく方法じゃない」


レイナは、思わず胸元に手を当てた。


懐かしい記憶が、心にそっと差し込んでくる。

あの日、砦の門の前で、彼女たちを静かに見送った老人。

あの、老いた門番。


誰よりも寡黙で、しかし一度も欠かさず見回りに立ち、守り続けてくれた人。

出発の朝、その胸に手を当て、師団式の敬礼を捧げてくれた姿が、いまもはっきりと思い出せた。


「まさか……あの方が……」


声にならないつぶやき。

確証などない。けれど、心のどこかが、そうだと告げている。


――老兵はまだ、生きている。

そして、どこかで見守っている。


「レイナ様」


イオスの声で、彼女ははっと我に返った。

「すぐに確認のための先遣隊を出します。周囲の警戒も忘れずに」


レイナは頷いた。


「お願い。……そして、気をつけて」


再び風が吹く。

煙はまっすぐに、青空へと昇っていた。

その先に――答えがある。



イオスの指示を受け、軽装の先遣隊が素早く編成された。

斥候役の青年と、元師団員の護衛ふたり。それに医療班から念のために小柄な薬草師がひとり加わった。


馬に乗らず、地を踏みしめて進む彼らは、草の匂いと風の気配を頼りに、静かに斜面を登っていった。


「この感じ……どこか懐かしいな」


元師団の護衛が、ぼそりと呟いた。

彼の目は、ただの煙の奥に、かつての記憶を重ねているようだった。


斜面の頂上に近づいたとき、彼らは立ち止まった。

そこには、人の手によって踏み固められた地面と、規則正しく並んだ焚き火の跡があった。


「……見ろ、これは……」


草の間に半ば埋もれていた木片を拾い上げると、それは、かつて師団で使用されていた野営用の火口箱だった。

黒ずみ、焦げた木の感触。

それは長年の風雨を経てもなお、その役目を語るようだった。


薬草師の少女が、小さな声でつぶやいた。


「師団の記号……この刻印、まだ残ってる」


小さな金属片には、かつての師団章の紋が、風化しかけながらも確かに刻まれていた。


「これは偶然じゃない。ここには、確かに“かつての仲間”がいた」


護衛のひとりが、目を細めて遠くを見た。


「合図の煙の主は……俺たちの誰かだ。間違いない」


その言葉に、全員が静かにうなずいた。


彼らの歩んだ道が、無駄ではなかったこと。

過去が、再び現在とつながり始めていること。


風がふたたび吹いた。

煙のにおいと共に、どこか懐かしい、師団時代の記憶までを運んでくるようだった。



陽が高くなり、丘を越えて広がる草原に、仮設の宿営地が静かに広がっていた。


木製の荷車を円陣のように並べ、その内側に焚火の跡や食糧の箱が積まれている。周囲では、野営用の天幕が風に揺れていた。乾いた空気に、干し肉を炙る匂いが漂う。


ユーリ・ナカムラは、地図を広げた天幕の下で、冒険者たちと次の補給計画について打ち合わせをしていた。


「……この距離なら、移動団は今日中にここへ着くはずだ」


荷台の横では、馬の手綱を手にした若い冒険者たちが、荷下ろしの準備を進めている。

彼らの表情に疲労の色はあったが、どこか晴れやかでもあった。

ようやく再会できる――その実感が、体の芯を温めていた。


そのとき。


「視認しました! 斜面の上から、偵察の小隊が来ます!」


遠見をしていた冒険者のひとりが、指差して声を上げた。

見ると、草原を抜けて、軽装の偵察隊が近づいてくる。

足取りは軽やかだが、その動きには確かなものがあった。


ユーリは、胸の奥にふっと灯るものを感じた。

懐かしい顔が、あの中にいるかもしれない。

遠い記憶の中、共に任務にあたった仲間たち。

再びこの場所で、再会を果たせるという奇跡。


天幕の影にいた壮年の冒険者がひとり、感慨深そうに呟いた。


「……まさか、またあの敬礼を見る日が来るとはな」


その言葉に、仲間のひとりが笑う。


「礼装も軍靴もないけどな。でも、心だけはあの日のままだ」


風が草原を渡り、煙と共に懐かしい記憶を運んでくる。

迎える者たちもまた、その胸に確かな想いを抱いていた。



斜面を越えると、視界が一気に開けた。

草原に整然と並べられた荷車と、揺れる天幕。そこに立つ人影の中に、ひときわ見慣れた姿があった。


レイナは手綱を引く馬車の先頭に立ち、思わずその場に足を止めた。


「……ユーリ」


言葉にはしなかったが、その名は確かに、胸の奥で呼ばれていた。


前方にいた青年が、こちらに気づいて声をあげた。


「来たぞー! 移動団だ!」


ざわめきが一斉に天幕のあたりから広がった。冒険者たちが顔を上げ、何人かは駆け寄りながら手を振った。


ユーリ・ナカムラは、手にしていた帳簿をそっと脇に置いた。

そして、ゆっくりと歩み出る。


かつての官服も、砦での中立の立場も、もう必要ない。

今はただ、ひとりの仲間として、ここに立っているのだ。


数歩の距離が、やけに遠く思えた。

だが、レイナが歩み出た瞬間、その空白は一気に埋まる。


「おかえりなさい……」


レイナの声はかすかだったが、ユーリにははっきり届いた。

彼は深くうなずくと、そのまま膝をつき、かつての上官に敬礼の姿勢を取った。


レイナは、慌てたようにその手を取って立たせる。


「もう、そういうのはいいわ。あなたは今、私たちの仲間なんだから」


そのやり取りを見ていた者たちの中から、自然と拍手がわき起こった。


古き日々の記憶が、今、新しい形で繋がっていく。


かつて師団として生きた者たち。

それを受け継ぎ、新たな未来を目指す者たち。


草原を渡る風の音が、一瞬だけ止んだように感じられたのは――気のせいだったろうか。


そして再び、風は優しく幕を揺らし、団を包み込むように吹いていた。



天幕の中では、支援物資の確認と受け渡しが静かに始まっていた。

木箱の中には保存食や薬草、布や干し肉などが詰まっており、医療班や管理係の者たちが次々に受け取りを行っていた。


「これでしばらくは物資の心配をせずに済むわ」

レイナが箱の蓋を覗き込みながら安堵の息をついた時だった。


遠くからまた新たな足音と、ざわめきが聞こえ始めた。

振り向いた先、丘の向こうから、さらに別の隊列が姿を現す。


「あれは……旅団?」

イオスが目を細める。


見慣れたはずの隊列の先頭に立っていたのは、背丈の小さな、けれども堂々とした歩みの影。

レイナの頬に自然と微笑が浮かぶ。


「忍……」


隊列がこちらに向かって歩み寄ってくる。

その荷馬車のひとつには、冷泉の樽が数本積まれていた。


「冷泉の水、運んできたよー!」と、ひとりの少年兵が叫びながら手を振った。


宿営地は、再び歓声に包まれる。

旅団と移動団が、最後に寝食を共にする、ひとときの再会が――始まった。



夕暮れの気配が草原を包みはじめるころ、宿営地には香ばしい匂いと湯気が立ち込めていた。


大鍋が三つ、焚き火を囲むように据えられている。それぞれの鍋には、野菜の煮込み、干し肉のスープ、そして移動団の保存食を使った粥が煮え立ち、調理班の手が慌ただしく動いていた。


「塩、そっちに回してー!」

「火力、強すぎる! あ、でも香りは良いな……」


あちこちで声が飛び交いながらも、皆の顔には自然な笑みがあった。


医療班の若者が包丁をぎこちなく握り、指導役の年配女性に小声で助言をもらっている。

「この大根、どう切るんですかね? 皮むき器なんてないし……」

「ほら、昔のやり方。縦に割ってから、斜めに削いでごらん」


一方、旅団側の少年兵たちは、火の番を任されて張り切っている。

忍に倣って薪の置き方を工夫し、鍋の火加減に一喜一憂していた。


「この焚き火、昔うちの師団で教わったやり方なんだってさ」

「へえ、すごいなあ。忍って、ほんとに五歳なの?」

「中身が違うんだよ、中身が」


笑いと好奇心が混じり合い、自然と人の輪ができていく。


その輪の外れで、ユーリとイオスが木箱を背もたれに腰を下ろしていた。

「こうして全員が顔をそろえるのは……あの日以来かもしれんな」

「ええ……それでも、不思議と違和感がないんですよ」


ユーリの視線の先では、レイナが少女たちに食器の使い方を教えながら、手を濡らして笑っていた。


夜空には、まだ星は出ていない。

だが、焚き火の明かりと湯気の向こう、いくつもの世代がひとつの輪に溶け込むその光景は──何よりも暖かく、そして確かな“希望”の形を宿していた。


続いて現れるのは、静かに歩み寄る気配。

次の幕が開く、その前触れのように──

移動団、旅団、支援隊。立場も年齢も異なる者たちが、ひとつの焚き火を囲み、同じ鍋をつつく。

そこには、もう「かつての上下関係」も「異なる目的」も存在しない。

ただ、人としての温かさがあるのみ。


だが、それは嵐の前の静けさでもある。

次なる展開――それは、あの“神”の足音と共に、そっと始まりを告げようとしていた。


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