020. 交差する焚き火・束の間の灯
砦を離れて最初の宿営地――そこは、移動団と旅団、ふたつの流れが再び交わる場でもあった。
焚き火を囲み、旧知の仲間が言葉を交わし、夢が語られ、別れのときが静かに近づく。
一夜の営みに宿る、ぬくもりと決意。その全てが、明日への糧となっていく。
夕刻。
西に傾いた太陽が、野営地の草地を赤く染めていた。
砦から続く緩やかな道を、旅団の一団が静かに進んでくる。風に巻かれた砂埃の向こうに、ひときわ背の高い少年の姿が見えた。
「忍様だ――!」
最初に声を上げたのは、移動団の子どもだった。
はねるように走り出し、手を大きく振る。それに気づいた別の子どもたちも次々と駆け出し、大人たちが慌ててその後を追った。
「待ちなさい! まだ隊列が整って……!」
だが、忍は笑みを浮かべて立ち止まり、膝を折った。
駆け寄ってきた子どもたちが一斉に彼に飛びつき、小さな輪ができる。
「忍様、本当に来たんだ!」
「また会えるって、信じてたよ!」
忍は一人ひとりの顔を見て、短くうなずいた。
「うん、ただいま。ちょっとだけ、寄り道してたんだ」
その様子を、少し離れた場所から見ていたレイナが、そっと胸に手を当てる。
その横に立つイオスも、柔らかい笑みを浮かべた。
「彼は……立派になったな」
「ええ。本当に、驚くくらいに」
レイナの声は、小さく震えていた。それは不安ではなく、深い安堵と誇りの揺らぎだった。
隊列を整えながら歩いてきた旅団の者たちが、順に荷を下ろし始める。
見知った顔に声をかけられ、再会の挨拶が飛び交う。かつて砦で一緒に過ごした仲間たち。離れ離れになった家族、同郷の者たち。
その空気は、まるで一夜限りの小さな帰郷のようだった。
黒鳥の女性隊員が、嬉しそうに手を振る。旅団の中から応じたのは、同じ黒鳥に所属していたかつての仲間たちだ。
「おい、そっちでも苦労してるか?」
「そっちは気苦労ばっかりだよ。あんたの顔、少し優しくなったな」
笑い声が弾み、周囲の空気も和らいでいく。
子どもたちは再会に浮かれてはしゃぎ、母親たちが「こら、落ち着きなさい」と追いかける。
イオスは視線を遠くに投げた。夕暮れの光のなか、少しずつ星が顔を出し始める。
「……このひとときだけでも、皆の心が安らぐなら、それでいい」
そう呟くように言ったその言葉は、レイナにも、周囲にも、しっかりと届いていた。
やがて、夜の帳が降りる頃には、二つの隊がまるで一つの家族のように、同じ焚き火を囲むこととなる。
別々の道を歩むことになるとしても、この夜だけは――同じ空の下で、共にあった。
※
夜が深まるにつれて、空は静寂に包まれていった。
風はやや冷たく、移動団と旅団の野営地に点々と灯された焚き火の明かりが、心なしか頼もしく見えた。
ひときわ大きな焚き火のまわりには、レイナを中心とした移動団の面々が輪をつくっていた。
鍋の中では、根菜を刻んだスープがぐつぐつと煮えている。香草の香りと、じっくり煮込まれた肉の匂いが混ざり合い、空腹を誘う。
「野草も悪くないわね。温まる香りがする」
レイナが、木椀を受け取りながら微笑むと、調理を担当していた黒鳥の女性が少し照れたように頷いた。
「旅先の台所は工夫次第ですから。今日は、ちょっと豪華にしてみました」
「いつも、ありがとう。皆、とても喜んでいるわ」
そのすぐ傍では、医療班の少年が薬草を乾かしながら食事をしており、老人たちは火を囲みながら静かに世間話をしていた。
子どもたちはやや離れた場所で、木の枝を振って遊んだり、誰かが奏でる小さな楽器に合わせて歌っていた。
その一方、少し離れた丘の上――。
旅団の輪もまた、別の焚き火を囲んでいた。
忍を中心に、商人たちと若い冒険者たちが肩を寄せ合う。
食事は質素なものだったが、その分だけ雰囲気は自由で、声も笑いもやや大きめだ。
「まさか、ここでまた会うとはな」
「こっちは荷車の軋む音を聞くのも慣れちまったよ」
焚き火の揺れる明かりの中で、商人たちは新しい地での商機について語り合っていた。
その横では、若い冒険者が刀の刃を研ぎながら、焚き火に照らされた忍の横顔をじっと見ていた。
「……おまえさんは、本当に子どもか?」
「よく言われる。でも、子どもだからできることもあるよ」
忍は微笑を浮かべ、手にしたスープ椀をそっと地に置いた。
ふたつの輪は、決して交わらなかったが、互いの存在を感じ合っていた。
火の明かりを通して、笑い声と香りが、柔らかく夜を漂っていく。
レイナは遠くの焚き火を見やり、ふっと息をついた。
「……あの子は、ちゃんと自分の居場所を見つけたのね」
「ええ、あれはもう、ひとりの“戦う人間”の顔でした」
隣にいたイオスが、静かに同意する。
やがて夜も更け、輪はひとつずつ火を落としていく。
焚き火の残り火に木の枝をくべる音だけが、静かな夜にぽつり、ぽつりと残された。
誰もが、それぞれの想いを胸に、明日へと備えていた。
※
焚き火がひとつ、またひとつと落ちていく頃。
野営地の中央にある小さな天幕の下、イオスは幹部たちを前に腰を下ろしていた。
灯りは最小限。ランタンの柔らかな光が、皆の顔を浮かび上がらせる。
移動団の中核を担う医療班の責任者、物資管理を担当する元商隊の壮年、警護を任されている黒鳥の女性――
どの顔にも、ただの旅とは異なる緊張と、責任の色が刻まれていた。
「……今日一日で、だいぶ様子が見えたな」
最初に口を開いたのは、イオスだった。
彼の声は低く、しかし芯のある響きで天幕の内に広がった。
「疲れが出ている者もいるが、子どもたちの顔は明るい。医療班の働きには感謝している」
「お言葉、恐縮です」
医療班の責任者が深く頭を下げる。
「現段階で、重篤な症状の者はいません。ただ、長旅に耐えうる体力を考えると……定期的な休養地の確保は必須です」
「候補地は、明日の行程の先――例の“湧水の村”ですね」
物資担当の男が言い添える。
イオスはうなずき、次に警護担当の女性に目を向けた。
「周辺の警戒状況は?」
「今夜は平穏です。ただ、焚き火の灯りが多いため、野盗などに気付かれやすい。交代で周囲を巡回しています」
「よくやってくれている。君たちの目が、この団の命綱だ」
短い言葉だが、イオスの表情には確かな信頼がにじんでいた。
「それと……」と、イオスは少し間を置いた。「この先の進軍速度についてだ」
幹部たちの顔に、わずかな緊張が走る。
「重病者を守りながら、これ以上の速度を求めるのは危うい。とはいえ、進むべき距離はまだまだ長い。今後は、天候と地形に合わせて、柔軟に隊列を分ける案も視野に入れてほしい」
「移動団内の分隊化、ですね……。人員の割り振りと指揮系統に工夫が必要になります」
物資担当が即座に反応し、手元の帳簿に書き込みを始めた。
「具体的な案は、明朝までにまとめてくれ。正式に旅程へ組み込むのはその後だ」
「承知しました」
会話はすべて静かに、無駄のないやり取りで進んでいく。
それは、長く砦を守ってきたイオスの性格でもあり、幹部たちが彼を信頼している証でもあった。
そして最後に、イオスは少し言葉を選びながら、天幕の奥を見やった。
「……ユーリが来るまでは、私が彼女――レイナの補佐を務めよう」
幹部たちがうなずく。その言葉には、異論の余地はない。
「彼女は――まだ若い。だが、導く者として、十分にその器を持っている。……だからこそ、私たちが支えねばならぬ」
天幕の外で、焚き火がひとつ、ぱちりと音を立てて火の粉を上げた。
その音が、まるで団の鼓動のように、夜の静けさに響いていた。
※
焚き火の消えかけた跡に、朝の光が差し込んでいた。
その一角――移動団の医療班が荷の整理をしていた場所に、ひとりの少年がぽつんと立っていた。
旅団の少年兵。
年は十二、三ほど。小柄な体に、使い込まれた剣と革鎧を身に着けている。
目には疲れと、どこか張り詰めた空気があった。
彼は医療班の周囲を、何か言いたげに、だが声をかけられずに歩き回っていた。
「……何か、探してるの?」
声をかけたのは、医療班の少女だった。年は少年より少し上。白い布を巻いた腕に薬草の籠を抱えている。
「あ……いや、あの、別に……」
少年は目をそらし、頬をかいた。
だが、彼の視線の先には、包帯を替えている負傷者の姿がある。
「もしかして……誰か、お世話になってるの?」
少女が尋ねると、少年は小さく頷いた。
「兄貴が……少し前に怪我して。ここの人たちが手当してくれた」
「そっか」
少女は微笑んだ。
「じゃあ、お礼を言いに来てくれたんだね」
「……いや、そうじゃねぇよ」
少年はふいに俯いた。
「俺、兄貴と一緒に戦ってきたけど、何もできなくて……。治療してもらってるのに、ただ何もできずに見てるだけなんて、情けなくて……」
その肩がかすかに震えているのに、少女は気づいた。
彼は強くあろうとしていた。戦う側の人間として、誰かを守るために立っていたはずだった。
だが、今は、守るべき兄が倒れ、自分は何もできず、ただ立ち尽くすことしかできない。
少女はそっと、自分の籠を下ろした。
「ねえ、手伝ってくれない? これ、薬草を仕分けるんだけど、一緒にやる人がいると助かるの」
「え?」
「ただ見てるより、何かする方が、気持ちも落ち着くよ。……お兄さんのためにも、ね」
少年はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いて、少女の隣にしゃがみ込んだ。
「……ありがとう」
ふたりは言葉少なに薬草を分け始めた。
乾いた葉と湿った茎、煎じ薬用と軟膏用。指先はぎこちなかったが、少年の動きには少しずつ力が戻っていく。
「ねえ」
少女がふと口を開く。
「わたしたちもね、戦ってるの。血は流さないけど、命を守るためにね」
「……うん」
「あなたも、戦ってるよ。ちゃんと、大切な人のために」
その言葉に、少年は目を伏せたまま、けれどはっきりと頷いた。
朝の陽が、二人の背を温かく照らしていた。
その小さなやりとりは、誰に知られることもなかったが――
確かに、そこで「心」がひとつ、結ばれていた。
※
焚き火の残り香がまだ漂う早朝、
移動団の中でもひときわ静かな一角に、その女隊員はいた。
黒鳥の女隊員――名をナータ。
凛とした背筋、無駄のない動き。
肩には傷跡が覗くが、そのまなざしは、長い旅路にも曇ることのない強さを湛えていた。
そんなナータのもとに、一人の男が歩み寄ってきた。
まだ若く、旅団に所属する軽装の冒険者。だがその顔を見た瞬間、ナータの表情がかすかに揺れた。
「……ユリーシャ?」
男が声をかける。
一瞬、時が止まったような静寂。
そして次の瞬間、ナータは小さく息を飲み、視線を合わせた。
「……あんた、まさか、リオなの?」
男――リオは、少年のような笑みを浮かべた。
「やっぱり。変わらねぇな、ナータ。いや、少し痩せたか?」
「変わったのは、あんたの方よ。……随分と軽い冒険者装備になってるじゃない」
ふたりの間に流れた空気は、懐かしさと戸惑いの入り混じった、不思議なぬくもりだった。
リオは地面に腰を下ろし、焚き火の炭をかき混ぜながらぽつりと言う。
「黒鳥にいた頃、あんたは誰よりも速くて、誰よりも冷静だった。……俺は、何もかもが遅くて、足を引っ張ってばかりだったな」
「……それでも、逃げなかった。あんたはいつも、皆の後ろじゃなくて、隣にいた」
ナータの言葉に、リオは一瞬だけ驚いた表情を見せた。
「……覚えててくれたんだな」
「忘れるわけないでしょ。あんたが最初に、私を“仲間”って呼んでくれたんだから」
焚き火の灰が、ふわりと風に舞う。
ふたりの視線は、まるで同じ景色を見ているかのように、遠くの空を見つめていた。
「今は、旅団で前線か?」
「ああ。忍って子どもの護衛だ。変わった旅だけど……悪くない。やるべきことがあるって、いいもんだな」
「私は、療養団で――弱った人たちを、守ってる。あんたの知ってる“黒鳥”とは、少し違うけど」
「違わないさ」
リオが静かに言う。
「どこにいたって、守るってのは、同じ気持ちだろ。ナータは、変わってないよ」
ナータは、わずかに目を伏せ、そっと頷いた。
「……あんたもね。きっと、ずっと変わらないままだ」
そのまましばらく、ふたりは何も言わずに焚き火の灰を眺めていた。
言葉よりも、心のどこかが通じ合っていた。
やがてリオが立ち上がる。
「俺たち、また別の道を行くけど……どこかで、きっとまた会えるよな」
「ああ。今度は、背中じゃなくて――隣に並べるといいわね」
微笑みのなかに、懐かしさと希望が入り混じる。
別れはすぐそこにあったが、それは“終わり”ではなく、“続き”の合図だった。
そしてふたりは、再びそれぞれの輪へと歩き出した。
交わった点を胸に、それぞれの守るべき場所へ。
※
午後の陽光が、傾きかけた空をやさしく照らしていた。
共用宿泊地の一角、緩やかな斜面には、移動団と旅団に属する子どもたちが集まり、小石を並べてなにやら真剣な様子だった。
「ここが砦で、こっちは黒い森!」
「じゃあ、この棒が“まもり神様”の塔だ!」
「ちがうよ、それは忍様の家に決まってる!」
小石と棒を並べた即席の“世界地図”を前に、数人の子どもたちが、きゃっきゃと笑いながら遊んでいた。
その様子を少し離れた場所から見ていた忍は、ふっと微笑むと、そっと近づいて腰を下ろした。
少年たちが彼に気づくと、すぐに囲むように集まる。
「ねぇ忍様、ほんとに“神様”に会ったの?」
「うん。声も聞いたし、夢の中でも会えるんだ」
忍はにっこりと答えた。目を丸くする子どもたち。
小さな手が彼の袖を引っ張る。
「じゃあ、昔のこと、なにか話して!」
「ええと……じゃあね。砦に来る前の話をしようか」
子どもたちは、焚き火跡に近い場所へ移動して、丸く輪になって座った。
忍は少し遠くを見つめながら、静かに語り始めた。
「昔ね、まだ砦に来る前。ぼくは、とある村にいたんだ。森に囲まれた、ちっちゃな村でね。そこには“風の石”って呼ばれる不思議な石があって、風が通ると、笛みたいな音が鳴るんだよ」
「ふえ!? 音が出る石?」
「うん。それで、その音が鳴った日には、村の子どもたちが石のまわりに集まって、踊ったり、話したりしたんだ。楽しかったよ」
子どもたちは目を輝かせて聞いていた。
年上の少女がぽつりとつぶやく。
「忍様にも、子どもだった頃があるんだね」
「あるさ。ぼくも、みんなみたいに迷ったり、泣いたりしたよ」
少し風が吹いて、子どもたちの髪が揺れる。
忍は、火の消えかけた炭を見つめながら、言葉を続けた。
「でもね、誰かと一緒に歩けると、つらい日も越えていけるんだ。ぼくは今、それを信じて進んでる。だからみんなも、怖がらなくていいよ」
しんと静まりかえる輪の中、ひとりの子がポツリとつぶやいた。
「ぼく、早く元気になって、旅団に行きたいな……」
その声に、忍はやさしくうなずいた。
「きっと行けるよ。そのときは、一緒に旅をしよう」
子どもたちはうなずき合い、また笑い声が戻る。
「じゃあそのときのために、秘密の合言葉を作ろうよ!」
「いいね、それで覚えててもらおう!」
忍はその輪に加わり、子どもたちと一緒に“合言葉”を考え始めた。
それは小さな遊びでありながら、希望と信頼の象徴だった。
やがて陽が落ち、空に星が灯りはじめても、輪はまだ、ゆっくりと揺れながら続いていた。
※
焚き火の赤い火が、夜の帳に柔らかく揺れていた。
子どもたちの笑い声が遠のき、風の音と草のささやきが静かに耳をなぞる頃、レイナはひとり、焚き火の端に腰を下ろしていた。
その視線は、遠くの闇に溶けるわけでもなく、ただ、静かにひとつの姿を追っていた。
──忍。
彼が、子どもたちの輪の中で笑顔を見せている。
小さな声で昔話を語りながら、ときおり真剣な表情を浮かべている。
かつて、レイナの胸に抱かれて泣いていた小さな手。
その手が、今や小さな肩を守り、言葉で心を照らそうとしている。
「大きく……なったわね」
レイナは、誰にも聞こえないほどの声でつぶやいた。
手元に置いた水袋の栓をゆるめながら、彼女は過ぎた日々を思い起こす。
──熱にうなされ、眠れぬ夜を共にした日。
──歩けなくなった背を負い、丘を越えた日。
──ただ、息をしていてくれればいいと願った朝。
忍が一人で立てるようになること、それは夢のような未来だった。
けれど今、目の前にある現実は、夢以上に確かで――だからこそ、怖かった。
(もう、私の手を離れてしまうのかしら……)
寂しさは、誇らしさと背中合わせにある。
誰よりも信じてきたから、誰よりも不安になる。
「……信じなさい、レイナ。あの子は、神に選ばれた子」
ふいに、背後からそっとかけられた声に、レイナは振り返る。
立っていたのは、医療班の長老だった。柔らかな表情で、焚き火の火を見つめている。
「でも、選ばれたからといって、寂しくないわけではありません」
レイナの言葉に、長老は小さく笑った。
「そうだな。けれど――寂しさは、生きている証だ。お前が、母である証でもある」
その言葉に、レイナはふっと笑みをこぼした。
それは、忍に向ける笑顔とは違う、どこか子どものような笑顔だった。
やがて焚き火がパチリと弾ける音が、静寂を裂いた。
レイナは立ち上がり、そっと忍の方を見つめる。
彼の背が、誰かの話を聞きながら、小さくうなずいていた。
「……どうか、あなたの旅が、あたたかいものでありますように」
その祈りは、風に乗って、夜の空へと滲んでいった。
※
深夜。
星々が夜空にきらめく中、野営地の空気はしんと静まり返っていた。
草の上で微かに揺れる夜露の音すら、誰かの寝息と重なって、夢の世界の境界を曖昧にしていた。
焚き火のぬくもりがまだ残る場所で、数人の子どもたちが毛布にくるまりながら眠っていた。
そのひとり、小さな少女――六歳になるナナは、夢の中で光に包まれていた。
それは、昼間見た“神”に似た輝き。
まるで淡い月の光を編んだような、やさしく、けれどまっすぐな光だった。
「……ここ、どこだろう?」
夢の中で、ナナはひとりで草原に立っていた。
風は温かく、空には翼のある白い鳥がゆっくりと円を描いている。
ふいに、目の前に誰かが現れた。
白い衣をまとい、髪をゆるやかに垂らした“ひと”――それは、言葉を交わす前から分かった。神様だ、と。
「ようこそ、ナナ。あなたは、強い子だね」
その声は風の音に似ていて、けれど心の奥まで届くような、不思議な力があった。
「……強くなんかないよ。わたし、病気だし、みんなに迷惑かけてばかり」
「そう思うのは、誰かの役に立ちたいと思っているからだよ」
神様は、そっとナナの髪に手を添えた。
「それだけで、十分に“強さ”の芽は育っている」
ナナは、小さくうなずいた。
「ねえ、神様。どこに行くの? みんな、ちゃんと元気になる?」
「ええ。あなたたちは、癒しの場所へと向かっている。
そこでは風がやさしく、泉は澄み、緑は命を育む。
道は少し長いけれど、あなたが信じる限り――その先には、きっと光が待っている」
神様は、最後に小さな種をナナの手のひらに置いた。
それは、花のような、星のような、小さな“約束”だった。
「目が覚めたら、それを胸にしまっておいてね。
きっと、心の力になってくれるから」
ナナが「うん」と頷いた瞬間――夢の光景は、やさしく溶けるようにして消えていった。
翌朝。
ナナはふいに目を覚ました。
手のひらには、なにもない。けれど、胸の奥が不思議と温かい。
「……神様」
彼女がそっとつぶやいたその声に、隣で眠っていた別の子どもがむくりと起きた。
「ボクも見たよ。神様に会った。……星みたいな光のとこで」
「え? わたしも……」
小さな驚きが輪になり、次々と他の子どもたちにも広がっていく。
まるで同じ物語を、別々の夢で読んだかのように。
「やっぱり、神様って……ほんとうにいるんだね」
子どもたちは顔を見合わせ、そしてそっと笑った。
その笑顔は、朝日のようにまぶしく、周囲の大人たちの心にも希望を灯していった。
その日、隊列は少しだけ軽やかに動き出す。
目には見えないけれど、心に宿った“約束”が、子どもたちの背をそっと押していた。
※
朝靄がまだ地表をかすめる頃、共用宿泊地の外れで、馬のいななきと荷車のきしむ音が静かに響いていた。
支援物資を届けた冒険者たちが、今日この地を後にする。
彼らの荷はもう軽く、代わりに残していったのは、穀物と保存食、薬草と織布、そして幾つものあたたかな声だった。
「……そろそろ、行かねばならんな」
一人の冒険者――日焼けした顔に薄い傷痕を持つ青年が、荷馬車の手綱を握りながらつぶやいた。
その傍に、レイナが歩み寄る。
「本当に、ありがとうございました。あなたたちが来てくれたことで、みんな……心が軽くなったわ」
「礼なんていりませんよ、レイナ様。俺たちは、ギルド長の命を受けただけです。……ただまあ、ここまで来ると、ちょっと情も移りますけどね」
青年は少し照れたように笑い、子どもたちが手を振っているのに気づいて、軽く帽子を持ち上げて振り返す。
「おにいちゃん、また来てくれる?」「また、お話してね!」
「はは、気が向いたらな」
にこやかに応じながらも、その声には少しだけ別れの寂しさがにじんでいた。
一人の冒険者が、そっと地面に膝をついた。
病を抱える少女が、その前に立っている。
「……この前、石の細工を教えてくれたやつ、まだ大事にしてる」
少女の小さな手の中に、磨かれた白い小石があった。
それは、冒険者が彼女に贈った“お守り”だった。
「うん。それがあれば、きっと旅の途中でも怖くないよ」
「ありがとう。わたし、がんばって歩くから」
冒険者は無言でうなずき、少女の頭を軽くなでた。
イオスもまた、別の冒険者と短く言葉を交わしていた。
「馬車の整備、よくやってくれた。あれがなければ、最初の古道で詰んでいたな」
「馬の脚は、俺たちの命ですから。御一行の命にもなるなら、これほど光栄なことはないです」
彼は少し遠くを見やりながら言った。
「……この世界に来てから、ずっと“生き残ること”ばかり考えてきた。だけど、今日みたいな日があると、なんていうか――“繋がる”って意味が、少しだけわかった気がするんですよ」
イオスは、それを受けて静かに頷いた。
「ならば、その気持ちを忘れずにいてくれ。お前たちの歩んだ道が、どこかでまた交わるかもしれん」
やがて、馬車の車輪が軋みながらゆっくりと動き出した。
ひとり、またひとりと、冒険者たちは列をなして広場を出て行く。
見送る側にいた医療班の青年が、ふっとつぶやいた。
「……あの人たち、ただ物を運んできたわけじゃない。心まで、届けてくれたんだな」
その言葉に、レイナも静かに頷いた。
「人は、想いでつながるのね。道が違っても……きっとまた、どこかで」
空はゆっくりと明るさを増し、今日もまた旅の一日が始まる。
だがその出発の前に――
彼らが受け取った“支援”は、荷物以上に重く、あたたかいものだった。
本話は、砦を発って最初の共用宿営地での出来事を描きました。
移動団と旅団が束の間、同じ焚き火を囲む中で、それぞれの想いや交流が静かに広がっていきます。
これまで登場した仲間たちの再会、そして去っていく支援者たち……
道は分かれても、心は繋がっていると感じていただければ嬉しいです。
次回からはいよいよ「古道」へ――物語は新たな土地へと踏み出します。




