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017. 旅立ちの刻

神の啓示が示した先に、それぞれの道が拓かれた。

忍を中心とした若者たちは、修行と前進を志す旅団として。

レイナを軸とした人々は、癒やしと再起を願う移動団として。

それぞれがそれぞれの“未来”を選び、いま、砦を後にする。

これは、分かたれた者たちの出発と、誓いの物語――。

砦の集会場に、ただ沈黙が満ちていた。


神――カグヤの姿は、光とともに消えていた。

だが、誰もがそれを「幻」として片づけることはできなかった。

あの声、あの光景、そして――魂を震わせるあの実在の感触。


誰かが立ち上がろうとして、足を止めた。

誰かが言葉を発しようとして、口を閉じた。


音もなく、ただ、そこに「神」がいたという記憶だけが、重く空間に残されていた。


集会場の片隅で、年老いた医師がひとつ咳払いをした。

それを合図のように、誰かが深く息を吐く。

そしてようやく、沈黙がほどけていった。


忍は、変わらず神の座の隣に立っていた。

少年の顔に浮かぶのは、威圧でも誇りでもない。

ただ、静かな――覚悟だった。


やがてイオスが歩み出る。砦の主としてではない。

ひとりの人間として、次の行動を決めるべき時を悟った者の顔で。


「……神の御言葉は、確かに我らに届いた。

この地に留まることは、祝福ではなく咎となる。

ならば、進まねばならぬ。誰であれ、その意志を示せ」


その言葉に、ざわめきが生まれた。

かつてのような怯えではない。

それは、未来という言葉を久しく忘れていた人々が、もう一度その先を思い出す音だった。


避難民たちは顔を見合わせる。

重病者を抱える者、幼子を背負う者、そして家族をすでに失った者。

彼らは、それぞれの胸の内で答えを探し始めていた。


まだ、決意は固まっていない。

だが、確かに――「進む」という言葉が、人々の中に芽吹き始めていた。


※※※


集会場に置かれた簡素な椅子に、イオスが腰を下ろす。

目の前には、幹部格の者たちと主要な避難民代表が静かに集まっていた。

場の空気は、冷めた湯のように落ち着いていながらも、底に熱を孕んでいる。


「まずは、それぞれが、どの道を行くのか……決める時だ」

イオスが静かに口を開いた。

力強くも、どこか痛みを帯びた口調だった。


「進む者と、留まる者――否。療養のため、いったん離れる者たちだ。

それぞれの事情がある。無理強いはせぬ。だが、神の啓示があった以上、進むべき者は必ず出る。

だからこそ、今この場で決めておかねばならぬのだ」


静かにうなずく者、目を伏せる者。

それぞれが、自らの身体、自らの家族、自らの意思を持って答えを出そうとしていた。


最初に声を上げたのは、商人の代表だった。

旅慣れた風貌の男が、一歩前へ出て、言った。


「我らは、忍様と共に進ませていただきたい。

この先の地に新たな市場があるのなら、商いとしても可能性は高い。

神の示された場所が、交易の起点となることを――我らは信じておる」


イオスがゆっくりとうなずくと、商人の背後にいた仲間たちも静かに立ち上がった。


次に前へ出たのは、黒鳥の副官――男たちの筆頭格だった。


「我ら、黒鳥の男衆は、忍殿と共に行く。

今さら落ち着いた暮らしができる性分でもなし……

だが女たちは、療養に向かう方が適している。そう話し合って決めた」


その言葉に、医療班の責任者が続くように口を開いた。


「重症者の治療には、長い時間が必要です。

気候が安定し、食と水が確保できる場所でなければ……。

神の映した地の南西、気温の緩やかな地域――そこならば希望はあります」


レイナが、最後に一歩前へ出た。

柔らかな微笑みを浮かべながら、けれど、その瞳は決して揺れていない。


「私は、皆を連れて……療養の旅に向かいます。

しばらくは、忍とも離れることになるけれど……

大丈夫。あなたは、もう自分の足で歩ける子に育ったから」


その言葉に、忍が目を伏せて小さくうなずく。

レイナは、そっとその肩に手を置いて、優しく言葉を添えた。


「信じてるわ。あなたの行く先を。どうか……無事でね」


その時だった。


――「我が、見守っているぞ」


まるで空そのものが響いたかのように、神の声が場に降りた。


――「忍とレイナとは、夢の中で、また会話しようではないか。

心を交わす母と子の絆、わたしはそれを尊ぶ」


その声は、誰の耳にも、心にも、はっきりと届いていた。


忍とレイナの間に交わされた静かな眼差し――

それは「別れ」ではなく、「これから」の約束だった。


こうして、二つの流れが定まった。

ひとつは、療養のための安息を目指す移動団。

ひとつは、神に導かれ、未知なる地を切り拓く旅団。


それぞれが、自らの選んだ道を歩む。

別離はある。だが、それは決して断絶ではなかった。


※※※


陽が昇りきる前の、静かな朝――。

砦の広場には、二つの隊列が整っていた。


ひとつは、療養を目的とする移動団。

その中心に立つのは、母レイナ。

彼女のもとには、体調を崩した者、幼い子ども、年配の者たちが並び、彼らを護るように黒鳥の女性隊員と医療班、そして使用人たちが支えていた。


もうひとつは、若き志願者と商人たちによる旅団。

忍は、その先頭に立ち、静かに皆を見渡していた。

荷を積んだ小型の馬車が数台。護衛に名を連ねる冒険者の青年も数人いる。


イオスとユーリは、ひとまずこの場に同行していた。

イオスは最後の確認を終えると、副砦主に言葉を託す。

「ここから先は、頼んだぞ」

副砦主はうなずき、形式的な敬礼を返した。

砦の門番が静かに扉を開けた。


まず、忍たちの旅団が動き出した。

忍はひとつ深く息を吸い、前を向いた。

その背中を、母が見送る。


忍の旅団の最後に続いて、レイナの移動団も動き始めた。

老馬に引かれた荷馬車を中心に、穏やかな足取りで進む。

砦を後にする彼らを、見送る者の中に静かに手を振る者もいた。


カグヤの声はない。ただ、空に光が差し、ふたつの道が分かたれた。

それぞれの歩むべき未来へと、静かに。


※※※


夜の帳が下りきる頃、黒鳥ギルドの本部は静まり返っていた。


表通りの喧騒はとうに途絶え、残るは夜勤の記録係と、灯の下で書類を繰るギルド長だけ。そんな中、扉を叩く音が一度、控えめに響いた。


「……来たか」


ギルド長が顔を上げるより早く、扉が開く。現れたのは、長身の男。くたびれた外套を羽織り、眼鏡の奥に沈む光が、ただならぬ決意を湛えていた。


「ユーリ・ナカムラ、参上」


「もう“高官様”ではないんだろ?」


「近いうちに正式に退く。だが、今はまだ“私的訪問”ということにしておいてくれ」


ギルド長は口元をわずかに吊り上げると、椅子の背にもたれた。


「で、どうする? まさか“あの方”の団に――」


「そうだ。レイナ女史の率いる移動団に合流する」


はっきりとした口調に、ギルド長の目が鋭く細められた。言葉にせずとも、その意味は伝わる。


「つまり、お前の国を――いや、“この世界での肩書き”を捨てるってことか」


「……あの神の姿を見た時、決まっていたことだ。私はこの時代の制度に縛られて生きるために転生したわけじゃない」


ユーリは懐から一枚の紙を取り出す。それは、辞表だった。

「せめて、自分で選ぶ道を進みたい。今度は、人の顔を見ながらな」


ギルド長は長い沈黙のあと、ゆっくりと机の下から鍵束を取り出す。

「……だったら、道をつけてやる。うちの高速馬車を回す。乗り手はカイル、馬の手入れも済ませてある」


「恩に着る。あの人のもとへは、一刻も早く行きたい」


「それと、黒鳥に残ってた奴ら――お前と面識のある連中を、護衛として付ける。お前の顔が利くうちは、移動も楽だろう」


ユーリは静かに頭を下げた。


「それもまた、助かる」


ギルド長が最後にぼそりと呟いた。


「お前の決意の方が、よほど現場向きだ」


高速馬車は夜明け前に出立した。


その背に、ユーリ・ナカムラと数人の黒鳥メンバーを乗せて。


彼が自国に戻り、辞表を出すのは、その二日後のこと。


そして、正式に「高官ユーリ・ナカムラ」はこの世界から姿を消し――


その名を再び聞くのは、移動団の補佐役としてだった。


黒鳥の女性メンバーは移動団の一員として歩みを共にし、男性たちは風のように忍たちの旅団へと駆けていく。


誰も口には出さなかったが、それぞれが知っていた。


あの夜の契約は、単なる出発の合図ではなく――

かつての世界に別れを告げ、未来へと進むための、確かな一歩だった。


二つの道が、生まれました。

忍の旅団は、未知へと挑む“進む者たち”の象徴として。

レイナの移動団は、傷を癒やし、未来を育む“支える者たち”の姿として。

どちらも物語にとって欠かせない柱であり、それぞれの視点から、世界はさらに広がっていきます。

次回は、それぞれの旅の初日――静かな始まりと、最初の出会いが描かれます。

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