真の笑い
俺はベッドに横たわり、じっと天井を見つめていた。
夜の静寂が部屋を満たしている。壁のひび割れ、月明かりが差し込む薄汚れた窓。外ではかすかに、犬の遠吠えが響いている。
それは妙に寂しくて、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
(……俺、なにやってんだろうな。)
思考は自然と昔の自分へとさかのぼる。
小学生でお笑いに目覚めて、一時は「お笑いキング」と呼ばれていた俺。
あのときは無敵だった。どんなネタを披露しても、みんな腹を抱えて笑ってくれた。
だけど、中学生になると、状況は一変した。
ギャグをやっても、クラスメイトたちは冷ややかな目で見るだけ。
あのとき俺は、(みんな笑いのセンスが低いんだ)と必死に自分を納得させてきたけど、今思えば……あの冷たい沈黙こそが、現実だったんだ。
(……悔しかったな。)
認められたい、評価されたい――
そればかり考えて生きてきた。
芸人を目指して、バイトを掛け持ちしながら養成所に通った。
テレビで見てた「売れっ子芸人」になってやるって、心の底から信じてた。
でも――現実は、稼げた総額10万円未満。
ほとんどは鳴かず飛ばずのまま、細々とバイトで食いつないでいた。
スマホ片手に、動画配信サイトで“いいね”がつくたびに喜んで、
悪い評価がつけば、その日は一日中どんよりと落ち込んだ。
全部――他人の評価が俺の軸だった。
天井の木目をじっと見つめながら、自嘲気味に笑う。
(俺が“心から面白い”って感じたの、いつが最後だったっけな……)
気づけば、テンプレ、鉄板、定番――
“ウケるための手段”ばかり追い求めて、気がついたら「自分の感覚」なんて置き去りにしてた。
「……本当の自分か。」
ぽつりと声に出すと、部屋の冷気が一層強く感じられた。
よくテレビや雑誌で目にする“自分探し”って言葉。正直、鼻で笑ってた。
「本当の自分なんて、鏡見れば一発でわかるだろ」って。
……笑えるよな。
肝心の俺が、何者なのか一番わかってなかった。
プロフィール的には――
・売れないお笑い芸人。
スペック的には――
・いじりスキル
・ツッコミスキル
・ボケスキル。
……所詮は、そんなものか。
俺は目を閉じた。胸の奥に、小さな決意が芽生えているのを感じる。
(もう、いい加減やめよう。)
他人の評価軸で生きるのは――もう、うんざりだ。
でも、ふと頭をもたげる疑問。
(……待てよ。女王を笑わせるってのも、結局は他人の評価軸じゃないか?)
思わず口の中でつぶやく。
「でも、違う……違うんだ。」
あの冷たく閉ざされた玉座の上の女王。
笑わない彼女に、“他人の評価をもらいたい”なんて気持ちは、もうカケラもない。
俺が今やろうとしているのは――
「俺が、俺の心で響くものを、ぶつける。」
そう決めた。
そして……ふと冷静な頭で考え始める。
(不安な人間は、果たして心から笑えるのか?)
女王は、両親を亡くし、宰相を信じきれず、孤独の中で玉座に座っている。
自分が命をかけて守ろうとした孤児院も、守り切れなかった……。
そんな状況で――果たして笑えるものなのか?
まぶたを閉じると、頭の中にひとつの映像が浮かんだ。
大学の合格発表の日。緊張で手が冷たくなっているとき、横で誰かが必死にギャグをしても――笑えたか?
銀行強盗が親父ギャグを飛ばして「笑え」と命じたとして、心から笑えるか?
(……無理だろ。)
俺はごくりと唾を飲み込む。
「笑い」って、単純な“おかしさ”だけじゃない。
安心、信頼、心の余裕――そういうものがあって初めて、腹の底から笑えるんだ。
天井の木目を見つめながら、ふっと小さくつぶやく。
「女王……あんた、笑えないよな。今のままじゃ。」
俺の胸の中に、かすかな輪郭を帯びた“問い”が浮かび始めていた。
(どうやったら――あの人の心の“氷”を溶かせる?)
いつの間にか、外は明るくなり始めていた。窓の向こう、東の空がうっすらと赤みを帯びていく。
――俺はもう、技術で笑わせようなんて思わない。
本当に必要なのは、“心”だ。
胸の奥に、まだ形にならない何かが、確かに芽吹き始めていた。