第二章:王都での船出(5)
朝、目が覚めると、工房の中から何かカチャカチャと音がしていた。
二階の寝室から降りていくと、一階の作業場でミミが何かしている姿が見えた。
彼女は工房にあった工具を手に取り、何かを組み立てようとしているようだった。
「ミミ、何をしているんだ?」
声をかけると、彼女は驚いたように振り返った。
「あ!おはよう、アサギさん!」
彼女は昨日よりもずっと明るい表情で答えた。
「これね、壊れてた小さな機械を直そうと思って……」
彼女が手にしていたのは、工房の隅に置かれていた小型の測定器のようなものだった。
錆びついて動かなくなっていたが、ミミは器用な手つきでそれを分解し、磨いていた。
「ミミはそういうの得意なの?」
ミミは少し照れくさそうに頷いた。
「うん、こういうの好きなの。動くものとか、機械とか……」
興味深い才能だ。
彼女の手の動きを見ていると、年齢の割に器用さが際立っている。
「ミミ、実は相談があるんだ」
彼女は好奇心いっぱいの目で俺を見つめた。
「私の助手になってみないか? ここで一緒に暮らして、工房の仕事を手伝ってほしいんだ」
ミミの目が驚きと喜びで大きく見開かれた。
「ほ、本当に? 私が助手に?」
「ああ。君は器用だし、観察力もある。それに……」
言葉を選びながら続けた。
「一人で外で暮らすのは危険だろう? ここなら食事も寝る場所も確保できる」
ミミは一瞬言葉を失ったように見えた。
次の瞬間、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ありがとう……」
彼女は小さな声で言った。
その声には、長い間誰にも頼れなかった孤独と、突然差し伸べられた手への感謝が込められていた。
俺は少し戸惑いながらも、彼女の肩に手を置いた。
「じゃあ、決まりだな。これからよろしく、助手見習いのミミ」
彼女は涙をぬぐいながら、明るく頷いた。
「うん! 頑張るよ、アサギさん!」
そのとき、ドアがノックされ、イリスが現れた。
彼女は今日も大量の書物と道具を抱えていた。
「おはようございます!……あら、ミミちゃん、泣いてるの?」
イリスは心配そうに駆け寄った。
「大丈夫、嬉しくて泣いてるの。アサギさんが助手にしてくれるって!」
「まあ、素晴らしい! おめでとう、ミミちゃん!」
こうして、工房には正式に新しいメンバーが加わった。
その日から、本格的な研究開発が始まった。
ポーションの自動調合システムと武具の自動修復システム、この二つを最初のプロジェクトとして設定した。
イリスは魔法理論と魔力回路の最適化を担当し、俺は《オートメイト》のコアシステム設計を行う。
ミミは材料の運搬や、道具の整理整頓、時には簡単な組み立て作業も手伝ってくれた。
彼女の器用さには本当に驚かされる。
「アサギさん、これでいいかな?」
ミミは小さな部品を並べて見せた。
指示通りに、完璧に配列されている。
「素晴らしい、ミミ。君の手先の器用さは本当に貴重だ」
素直に褒めると、彼女は嬉しそうに笑った。
一方、イリスは魔法陣の設計に没頭していた。
時々眼鏡を押し上げながら、複雑な図形を描いている。
「アサギさん、この魔力の流れ方が気になるんです。《オートメイト》の回路は通常の魔法陣と異なる流れを……あっ!」
彼女は急に立ち上がろうとして、机の角に足をぶつけ、よろめいた。
ミミが素早く駆け寄り、彼女を支える。
「イリスお姉ちゃん、気をつけてよ!」
「ごめんなさい、ミミちゃん……ありがとう」
イリスは照れくさそうに笑った。
「興奮しすぎちゃって……」
二人の姿を見ていると、何か温かいものが胸の内に広がるのを感じた。
これまでの人生で、こうして他者と協力して何かを作り上げる経験は少なかった。
いつも一人で、最も効率的な方法を追求してきた。
だが今、この工房での共同作業には不思議な心地よさがあった。
効率だけでは測れない何かが、そこにはあるようだった。
研究は順調に進み、三日目には最初のプロトタイプが完成した。
『ポーション自動調合システム』は、材料の計量、混合、加熱、冷却までの一連の工程を全て自動化するもので、一度に複数のポーションを並行して製造できる。
通常の手作業に比べ、生産速度は5倍、品質のばらつきは80%減少した。
『武具自動修復システム』も順調に動作し、刃こぼれや摩耗した部分を自動的に検出して修復する。
通常数日かかる作業が、数時間で完了する。
「これは素晴らしい……!」
イリスは目を輝かせながら、ポーションの品質を測定していた。
「理論値通りの効果です。しかも純度が手作業よりも高い!」
ミミも自動修復システムに見入っていた。
「すごいね! 剣がどんどん綺麗になっていく!」
作業の合間、地下室の扉についても調査していた。
どうやら強力な魔法で封印されているようで、通常の方法では開けられなかった。
イリスが説明してくれる。
「この封印は王国の公式なものですね、かつての主人が何か危険な実験をしていて、王国が封印したのでしょう」
「解除する方法はあるのかい?」
「正式な許可がなければ……難しいですね。レオン王子に相談してみましょうか?」
そうこうしているうちに、王都の噂として俺たちの工房の評判が広まり始めた。
自動化システムへの関心から、様々な人が訪れるようになった。
商人、職人、そして騎士団の人間まで。
ある日、リンディが工房を訪れた。
彼女は正式な騎士の制服を着ており、何か重要な用件があるように見えた。
「アサギ、進捗はどうですか?」
「順調です。既に二つのシステムが稼働しています」
リンディは感心した様子でシステムを見学した。
「これは本当に素晴らしい……騎士団でも大いに役立ちそうです」
彼女の視線がミミに向けられた。
「この子は?」
「俺の助手になったミミです。ミミ、挨拶して」
ミミは少し緊張した様子で、リンディに頭を下げた。
「は、はじめまして……ミミです」
リンディの厳しそうな表情が、少し柔らかくなった。
「リンディ・アストリアよ。よろしくね、ミミ」
その後、リンディは重要な情報を伝えてきた。
レオン王子が正式に工房の開設を認め、「アサギ工房」として王国への登録が完了したという。
また、王国から研究資金も提供されることになった。
「明日、レオン王子が直接ここを訪問される予定です」
彼女の言葉に、イリスとミミは驚きの声を上げた。
「王子様が!?」
「はい。あなたの成果に大変興味を持たれています。そして……警告もあります」
彼女の表情が引き締まった。
「ジャレッド公爵の動きが活発になっています。あなたの工房への妨害工作を計画している可能性があります」
「妨害工作……具体的には?」
「まだ詳細はわかりませんが、複数の情報筋から、何か策を練っているという話が入っています」
この情報は重要だった。
対策を講じる必要がある。
「わかりました。警戒を強化します」
リンディは頷いた。
「明日は私も王子様の護衛として同行します。くれぐれも用心してください」
彼女が帰った後、俺たちは早速対策を考え始めた。
「《自動警戒システム》を構築するか……」
工房の周囲に魔力センサーを配置し、不審な動きを検知するシステムを設計した。
また、材料の品質チェックシステムも導入することにした。
妨害工作として、不良品や毒を混入される可能性もある。
「《自動品質検査システム》、構築開始」
《オートメイト》を起動させ、工房内の全ての材料と製品を自動的に検査するシステムを組み上げる。
異常があれば即座に警告を発するようにした。
夜が更けていく中、明日の王子の訪問に向けた準備も進めた。
「最新の成果をお見せして、さらなる支援を得たいですね」
イリスが期待を込めて言った。
「うん! 私も明日は頑張るよ!」
ミミも元気に応じた。
忙しく作業する中、ふとミミが工房の窓から外を見て、声を上げた。
「あれ、誰かいる!」
俺たちが窓に駆け寄ると、工房の外、暗がりに人影が見えた。
すぐに《自動警戒システム》が反応し、警告を発した。
《不審者検知:工房北側》
「警戒して」
俺はミミをイリスに任せ、慎重に外に出た。
《オートメイト》を起動させ、防御準備を整える。
しかし、近づいてみると、そこにいたのは一人の高齢の男性だった。
彼は粗末な作業着を着て、大きな槌を腰に下げている。
頑固そうな表情の、典型的な職人という風貌だ。
「あんたが噂の『自動化』をやってる奴か?」
その声は低く、怒りを含んでいた。
「そうだが、あなたは?」
「バルドルだ。この街で三十年間、武具を作ってきた鍛冶屋だ」
彼の目には明らかな敵意が見えた。
「何の用だ?」
「聞きたいことがある。あんたの作る『自動修復システム』とやらは、何をどう『修復』するんだ?」
質問の意図を理解した。
彼はおそらく、自分の仕事が奪われることを恐れているのだろう。
「刃こぼれや摩耗、金属疲労などを自動的に検出して修復する。従来の方法より速く、効率的に」
「効率か……」
彼はその言葉をあざけるように言った。
「『効率』だけが大事なのか? 武具には魂があるんだぞ! 職人が一打一打に込める思いが! 機械で作ったまがい物に、それがあるとでも?」
彼の怒りは本物だった。
生活の糧を脅かされる恐怖と、長年磨いてきた技術への誇り。
「バルドルさん、あなたの技術を否定するつもりはありません。むしろ……」
「黙れ! 若造の分際で……わしらの何を知っている? 手と汗で積み上げてきた技を、『効率』なんて冷たい言葉で踏みにじるな!」
彼は地面に唾を吐き、振り返った。
「忠告しておく。このまま続ければ、街の職人たちみんなの敵になる。覚悟しておけ」
そう言い残し、彼は暗闇の中に消えていった。
工房に戻ると、心配そうな表情のイリスとミミが待っていた。
「大丈夫でした?」
「ああ。地元の鍛冶屋だ。自分の仕事が奪われることを恐れているようだ」
「それは……当然かもしれませんね。新しい技術は常に既存の職業を脅かします。でも、それは進歩の過程で……」
彼女の言葉に頷きながらも、バルドルの怒りの顔が頭から離れなかった。
技術の進化と人間の生活。
その矛盾は元の世界でも同じだった。
ミミが小さな声で言った。
「アサギさん……その人たちの仕事がなくなっちゃうの?」
彼女の純粋な問いに、適切な答えを探す。
「……変化は避けられないんだ、ミミ。だが、新しい仕事も生まれる。彼らにも活躍の場を見つけられるよう考えていくよ」
納得したかどうかわからない表情で、ミミは小さく頷いた。
この夜、俺はいつもより遅くまで起きていた。
《オートメイト》の本質と、その使い方について考え続けた。
効率化。
それは無駄を省き、より多くの富と時間を生み出す。
しかし、バルドルのような人々にとって、それは生き方そのものを脅かす脅威でもある。
「最も効率的な選択が、必ずしも最適解とは限らない……か」
小さく呟きながら、明日の準備を続けた。
レオン王子の訪問、そして《オートメイト》がこの世界にもたらす変化。
すべてが始まったばかりだ。