第二章:王都での船出(4)
工房に戻ると、イリスがすでに到着していた。
たくさんの本や道具を広げ、何かの研究に熱中していた様子だ。
「おかえりなさい! デモンストレーションはどうでした?」
彼女は明るく尋ねたが、俺たちの表情を見て、何か起きたことを察したようだ。
リンディが簡潔に説明する。
「ジャレッド公爵が現れてね……」
「あの人が……油断しないでください、アサギさん。彼は手段を選ばないことで有名です」
ダンカンが冷静に分析する。
「今日の件で、彼の警戒心はさらに高まったでしょう。アサギ殿の能力は、彼らの既得権益を脅かす可能性がある。妨害工作を仕掛けてくる可能性が高い」
この状況は想定内だった。
新しい技術や変化は、常に既存の権力者からの抵抗を受ける。
それは元の世界でも同じだ。
「対応策を考えておくべきでしょうね」
イリスが心配そうに言った。
彼女の純粋な眼差しには、俺への真摯な心配が見て取れた。
「ありがとう、イリス。用心しておくよ」
リンディが決然と言った。
「当面は私が警備を強化しておきます。騎士団からも人員を派遣してもらいましょう」
ダンカンが付け加える。
「そして私からは、情報面でのサポートを。宮廷内の動きには気を配っておきます」
彼らの協力的な態度に、少し意外な気持ちを抱いた。
これまで基本的に一人で物事を進めてきた俺にとって、こうして複数の人間が協力してくれることは新鮮だった。
「皆さん、ありがとうございます」
素直に感謝の言葉を口にする。
効率的に仕事を進めるためには、こうした協力関係も必要なのだろう。
その日の午後、具体的な工房の運営計画を立てることになった。
イリスが魔法理論面での研究協力を、リンディが安全面と実用テストの調整を担当してくれることになる。
イリスが熱心に尋ねた。
「まずは、どんな製品や技術から開発を始めますか?」
俺は少し考え込んだ。
短期的には収入源と名声を確立する必要がある。
長期的には王国全体のシステム改革や、潜在的な敵対勢力(アルカディア帝国?)への対策も視野に入れるべきだろう。
「まずは、市場でのデモンストレーションで示したような、日常的な自動化システムから始めよう。特にポーションの自動調合と、武具の自動修復システムが良いと思う」
イリスの目が輝いた。
「ポーション……! それは素晴らしいアイデアです! 現在のポーション製造は手作業で非効率ですし、品質にばらつきがあります。自動化できれば、医療分野に革命を起こせます!」
リンディも頷いた。
「武具の自動修復も、騎士団にとって大きな助けになるでしょう。現在は専門の職人に頼んでいますが、時間も費用もかかっています」
計画は順調に進んだ。
夕方になると、ダンカンは王宮へ戻り、リンディも騎士団の任務があるとのことで帰っていった。
工房に残ったのは俺とイリスだけだ。
彼女は熱心に魔法陣の設計図を描いていた。
「アサギさんの《オートメイト》の魔力回路を強化できるかもしれません。古代の増幅魔法陣を応用すれば……」
彼女の研究熱心さには感心させられる。
集中すると周囲が見えなくなるほど没頭するタイプらしい。
「イリス、もう遅いよ。今日はここまでにしよう」
彼女は驚いたように顔を上げ、窓の外を見た。
すでに日が落ち、薄暗くなっていた。
「あ、本当だ……!気づきませんでした。すみません!」
彼女は慌てて資料をまとめ始めたが、その動きがぎこちなく、いくつかの紙が床に散らばった。
「あ、もう……」
イリスが落ち込んだ表情で紙を拾おうとする。
俺も手伝って拾い集めた。
「ありがとうございます……いつもこうなんです。頭では理解できるのに、体が思うように動かなくて……」
彼女の自嘲気味な笑顔に、なぜか心が温かくなる感覚があった。
「気にしないでください。むしろ、あなたの研究への熱意と知識は素晴らしいです」
素直に感心の言葉を口にすると、イリスの頬が赤く染まった。
「そ、そんな……アサギさんこそ素晴らしい能力をお持ちで……」
彼女が言葉を詰まらせたその時、工房の窓に小さな石が当たる音がした。
窓に近づき、外を見ると、薄暗い中庭に小さな人影が見えた。
イリスも窓に顔を寄せる。
「誰かいるようですね。子供かしら?」
俺たちが玄関に向かうと、ドアの前でガサガサと物音がした。
ドアを開けると、そこにはボロボロの服を着た小さな女の子が立っていた。
明るい栗毛色の髪を左右におさげにし、大きな茶色い目で俺たちを見上げている。
服は擦り切れていて、所々に汚れがついている。
「あの……」
女の子は怯えたように一歩後ずさりした。
イリスが優しく声をかける。
「大丈夫よ、怖くないわ。何かご用事かしら?」
女の子は俺とイリスを交互に見て、小さな声で言った。
「その……お腹が空いてて……何か食べるものをもらえないかなって……」
その言葉に、イリスの表情が柔らかくなった。
「ちょうど私たちもこれから夕食を取るところだったの。一緒にどう?」
実際はそんな予定はなかったが、イリスの優しさに少し驚きながらも、俺も頷いた。
「名前は?」
俺が尋ねると、女の子は少し警戒しながらも答えた。
「ミミ……」
「ミミちゃん、可愛いお名前ね。私はイリス、こちらはアサギさんよ」
ミミは恐る恐る工房の中に入ってきた。
その動きは機敏で、周囲を素早く観察している。
生き抜くために培われた警戒心だろう。
工房の中には簡易的な調理設備があったので、イリスが何か作ろうとするが、途中で鍋を落としたり、塩と砂糖を間違えたりと、料理は明らかに彼女の得意分野ではないようだった。
「すみません……」
イリスが恥ずかしそうに謝る。
「俺がやってみるよ」
俺は《オートメイト》を使って、「自動調理システム」を構築した。
限られた材料で最適な栄養バランスを持つスープとパンを作る。
ミミは俺の能力を目の当たりにして、大きく目を見開いた。
「す、すごい! 魔法なの?」
「魔法とは少し違うんだ。《オートメイト》という能力さ」
食事が用意できると、ミミは遠慮がちにスプーンを手に取った。
一口食べると、彼女の顔が明るく輝いた。
「おいしい!」
彼女は瞬く間に食事を平らげた。
そうとう空腹だったのだろう。
食事の間、ミミは少しずつ警戒心を解いていった。
彼女は王都のスラム街で暮らしていること、親はいないこと、そして時々人の家に忍び込んで食べ物を盗ることもあると正直に話した。
「今日はこの家が空いてるって聞いて来たんだけど……人がいるって知らなかったの」
彼女の素直な告白に、イリスは優しく微笑んだ。
「ミミちゃん、盗みはよくないことよ。でも、あなたが空腹だったのはわかるわ」
ミミは恥ずかしそうに頷いた。
「この工房は、最近までは使われていたんだよね」
俺が尋ねると、ミミは頷いた。
「うん。みんな怖がってたの。昔の主人が……変な実験してたって」
「変な実験?」
イリスが興味を示した。
「うん。夜になると光が見えたって。それから……ある日突然いなくなっちゃった」
この工房の元の主人について、ミミは街の噂を教えてくれた。
どうやら奇妙な実験を繰り返していた錬金術師で、最後は何か危険なことをしようとして、王国から追放されたという噂もあるらしい。
夜も更け、ミミは眠そうな目をこすり始めた。
「ミミ、今日はここで休んでいくか?」
俺の提案に、ミミは驚いたように目を見開いた。
「ほ、本当に? ここに泊まっていいの?」
イリスが優しく微笑んだ。
「もちろんよ、二階に寝室があるの。私も手伝うわ」
こうして思いがけず、工房に一人の少女が加わることになった。
ミミが二階の寝室で寝静まった後、俺とイリスは一階の作業場で小声で話し合った。
「彼女、こんな所で一人で生きていくには可哀想です……」
イリスの声には心からの同情があった。
「そうだな……」
俺も同意した。
しかし、その時ふと思いついた。
「イリス、ミミを助手として雇うのはどうだろう?」
「助手として?」
イリスは驚いたように目を見開いた。
「ああ。彼女は機敏で観察力もある。ちょっとした雑用や、材料の運搬などを手伝ってもらえれば……」
確かに、《オートメイト》で多くの作業は自動化できるが、それでも人の手による補助は必要だ。
そして、彼女に居場所と目的を与えることができる。
イリスが目を輝かせた。
「それ、素晴らしいアイデアです! ミミちゃんに安定した住まいと食事を提供できるし、私たちの研究も手伝ってもらえる。彼女もきっと喜ぶと思います」
「明日、本人に聞いてみよう」
イリスが帰った後、俺は工房の片付けをしながら、今日一日を振り返った。
デモンストレーションの成功、ジャレッド公爵との対立、そして思いがけないミミとの出会い。
最適化のプランには含まれていなかった偶然の出来事が、様々な変数を生み出している。
「予測できない変数も、システムに取り込んで最適化するしかないか……」
小さく呟きながら、地下室の扉を見つめた。
まだ開けられていないその扉の向こうには、何があるのだろう。
元の錬金術師の隠された研究?
それとも、危険な実験の痕跡?
「明日、調査してみるか」
窓の外を見ると、満天の星空が広がっていた。
想像以上に急速に環境が整いつつあることに、少し驚きを感じる。
「世界最適化進行度:2.0%」
頭に浮かんだ数字に、小さな満足感を覚えながら、俺は眠りについた。