終章:新たなる決意(3)
そこには拘束具に縛られた人影があった。
金色の髪、たとえ傷つき疲れていても凛とした姿勢—リンディだ!
「リンディ!」
扉を開けようとしたが、こちらは通常の鍵では開かない特殊な封印が施されていた。
「《封印解除》、実行」
《オートメイト》の力で封印を解除し、扉を開ける。
部屋に駆け込むと、リンディが顔を上げた。
彼女の青い瞳は疲労で曇っていたが、俺たちを見るとわずかに光を取り戻した。
「ア……サギ? これは夢……?」
「夢じゃない。救出に来たんだ」
拘束具を解きながら答えた。
リンディの身体には傷が多く、特に左腕には何らかの実験の痕跡が見えた。
怒りで血が沸騰するのを感じたが、今はそれよりも彼女を安全な場所に連れていくことが先決だ。
「イリス……も。バカね……危険なのに」
「リンディ! 大丈夫? 何をされたの?」
「情報……聞き出そうとしたけど……教えなかった」
彼女は誇らしげに言った。
「でも……実験も……」
彼女はそれ以上言葉を続けられなかった。
体力の限界だろう。
「もう安心していい。ここから出よう」
リンディを抱き上げると、彼女は軽すぎた。
いったいどれだけの苦痛に耐えてきたのだろうか。
ミミから贈られたペンダントが温かく光り、まるでリンディにも力を与えているようだった。
「……あれ」
リンディが弱々しく指差した。
彼女の目線の先には、部屋の隅に置かれた資料があった。
「生体適合実験 - 被験体R-7」と書かれている。
「持っていきましょう」
イリスが資料を手に取った。
「帝国の研究内容を知る手がかりになるかも」
俺もそれに頷き、リンディを抱えたまま部屋を出る準備をした。
イリスが資料に目を通しながら言った。
「ちょっと待って。これによると……リンディには『ブリュンヒルデ』との適合性検査が行われていたみたい」
「何だって?」
「生体魔導兵器の新たなパイロット候補として……リゼットの代わりに……」
その情報が意味するものを考える間もなく、施設内に新たな警報が鳴り響いた。
「侵入者発見!特別研究区画!全部隊、急行せよ!」
「まずい、見つかった!」
急いで廊下に出ると、既に兵士たちの足音が近づいていた。
「帰り道は……」
「大丈夫、別ルートがあります。こちらです!」
彼女の指し示す方向に走り出す。
リンディを抱えたまま全力で廊下を突き進んだ。
そして曲がり角を曲がったところで、俺たちは予想外の人物と鉢合わせになった。
輝くような銀色の髪、深い紅玉色の瞳、漆黒の制服。
リゼット・ヴァーミリオン。
彼女も一瞬驚いたように見えたが、すぐに冷たい表情に戻った。
「あの時、殺さなかったのは失敗だったな」
「リゼット……」
彼女の背後には『ブリュンヒルデ』の姿はなかった。
単身で立ちふさがっているが、それでもその存在感は圧倒的だった。
「どけ。戦う気はない」
「任務だ。退けと言われても無理な相談だ」
彼女は静かに言い、腰の魔導ガンを抜いた。
しかし、彼女の動きにはどこか迷いがあるように見えた。
あの時の「ブリュンヒルデ」との共鳴が、何かを変えたのだろうか。
「イリス、リンディを頼む」
イリスに彼女を渡し、リゼットと向き合った。
左腕の《オートメイト》が反応し、紫色に輝き始める。
「また、あの力か」
リゼットの顔に嫌悪と恐れが混じった表情が浮かんだ。
「生体コアに干渉する禁忌の力……」
「禁忌?」
「そうだ。かつて『生命を操る者』と呼ばれ、恐れられた力だ」
彼女は銃を構えたまま言った。
「だからこそ、排除しなければならない」
彼女の言葉に、女神の警告を思い出した。
「破壊のためにも、創造のためにも使える力」——この力の真の意味は何なのか。
「リゼット、お前の妹のことは知っている」
その言葉に、彼女の表情がわずかに崩れた。
「何を……」
「生体コア。ブリュンヒルデの中心にあるのは、お前の妹の魂だろう?」
彼女の顔から血の気が引いた。
銃を持つ手がわずかに震えている。
「黙れ!」
彼女は感情を抑えきれないように叫んだ。
「それは……」
「だから命令に従うしかないんだな」
俺は一歩前に出た。
「カイル・レグナスが妹を人質に取っているんだろう?」
リゼットの目に涙が浮かんだ。
それは彼女の冷たい仮面の下に隠された、本当の感情だった。
ちょうどその時、施設全体が大きく揺れた。
どこかで大きな爆発が起きたようだ。
「さらに大規模な攻撃? 計画外……」
イリスが混乱した表情で呟いた。
その隙に、リゼットに詰め寄った。
「リゼット、一緒に来い」
彼女は驚いた表情で俺を見た。
「何を言っている……?」
「妹を救う方法を見つける。俺の《生体回路干渉》があれば、生体コアを壊さずに取り出せるかもしれない」
それは確信ではなく、可能性に過ぎなかった。
だが、俺の中では確かな希望として感じられた。
リゼットの顔に、激しい感情の揺れが浮かんだ。
長年抑圧してきた希望と恐れが交錯しているようだった。
「嘘……そんなことができるはずがない……」
「試してみる価値はあるだろう? このまま帝国の操り人形でいるよりは」
施設がさらに大きく揺れ、天井から破片が落ちてきた。
このままでは建物が崩壊するかもしれない。
「決めるんだ、リゼット。今ここで」
彼女は長い間、俺を見つめていた。
その紅玉色の瞳には、葛藤と苦悩と、かすかな希望が映っていた。
「……無理だ」
彼女は最終的に言った。
「今は……まだ」
彼女は銃を下げた。
「逃げろ。次に会うときは敵同士だ」
彼女の目には決意があった。
まだ自分で判断する瞬間ではないと感じたのだろう。
「わかった」
俺は頷いた。
「でも覚えておけ、いつでも扉は開いている」
リゼットは何も言わず、横の通路へと消えていった。
「急ぎましょう」
イリスが促した。
彼女の腕の中で、リンディは半分意識を失っていた。
通路を急いで進み、施設の脇にある非常口から外に出る。
外ではすでに大混乱が起きていた。
北側からの偽装攻撃だけでなく、別の場所からも爆発音が聞こえる。
「これは計画外の攻撃……」
予定していた脱出ルートへと急ぐ。
森の中に隠した馬車まであと少し。
馬車に着くと、そこにはすでにフェリクスとバルドルが待っていた。
彼らは俺たちを見ると、安堵の表情を浮かべた。
「やはり成功したか」
フェリクスが高慢な口調を取り戻しながらも、明らかに安心した様子で言った。
「リンディ……」
バルドルが彼女の状態を見て眉を顰めた。
「酷い目に遭わされたな」
「急いで手当てが必要です」
イリスが彼女を馬車に乗せながら言った。
「ダンカンとエルザは?」
「すでに合流地点に向かっている」
フェリクスが答えた。
「あの予想外の攻撃で、計画を変更せざるを得なかった」
「予想外の攻撃って……?」
「分からん。帝国の内部抗争かもしれんな」
バルドルが不機嫌そうに言った。
「とにかく、この混乱に乗じて逃げるぞ」
馬車は王国領への境界へと急いだ。
アサギはリンディの傍らに座り、彼女の顔を見つめた。
苦痛に歪んだ表情の中にも、彼女らしい強さが残っていた。
「アサギ……」
彼女が弱々しく目を開けた。
「ありがとう……」
「休め、もうすぐ安全な場所だ」
彼女の手を握ると、彼女はかすかに微笑んだ。
そして再び目を閉じた。
帝国領からの脱出は、予想外に簡単だった。
リンディを救出する頃から起きていた不審な攻撃のおかげで、国境警備の多くが撤収していた。
エルザの準備した偽装書類も役立ち、無事に国境を越えることができた。
リンディの容態は安定していたが、まだ危険な状態だ。
イリスとフェリクスは馬車の中で応急処置を施していた。
王国領内の安全な場所に到着すると、そこにはダンカンとエルザが待っていた。
「成功したな」
「ええ、作戦は予想以上にスムーズでしたわ」
エルザが優雅に言った。
「ただ、あの突然の攻撃は……」
「あれは何だったんだ?」
「詳細は不明だが、帝国内部の反乱勢力の仕業ではないかと思われる」
ダンカンは厳しい表情で説明した。
「帝国内にも、カイル・レグナスの行き過ぎた人体実験に抵抗する勢力があるらしい」
「いずれにせよ、好都合だったわね」
エルザが微笑んだ。
リンディは急いで王都の治療施設へと運ばれた。
最良の治療師たちが集められ、彼女の回復のために尽力することになる。
馬車の中、王都へと戻る道すがら、イリスが資料に目を通していた。
「この資料……恐ろしいことが書かれています」
彼女の表情は青ざめていた。
「帝国は『第二のブリュンヒルデ』を計画しているようです」
「第二の……?」
「はい。リンディに適合性があると判断したのでしょう」
彼女は唇を噛んだ。
「でも、それだけではないんです。彼らの真の目的は……」
彼女は一番最後のページを示した。
そこには「古代結界の解放」という文字と、見覚えのある魔法陣の図が描かれていた。
「これは……王国の地下に眠る古代の力。『バベル』と呼ばれるものです」
イリスの声が震えた。
「伝説では、世界を滅ぼす力とも言われています」
「帝国がそれを狙っている……?」
「そうかもしれません」
イリスは資料をしまいながら言った。
「今回のリンディの捕獲も、その計画の一部だったのかも」
馬車は静かに進み、やがて王都の灯りが見えてきた。
これが終わりではない。リンディの救出は成功したが、帝国の脅威は依然として存在する。
そして、彼らの真の目的がまだ見えていない。
帰りの道すがら、胸にぶら下げたミミのペンダントをそっと握りしめた。
彼女の元に、そして王都に無事に戻る約束を果たすことができた。
だが、これからの戦いはさらに激しくなるだろう。
「世界最適化進行度:70.0%……」
女神の声が頭の中に響く。
その意味を考えながら、リンディの寝顔を見つめた。
この世界には、守るべきものがある。
それは効率や最適化という概念だけでは測れない、かけがえのない存在だ。
リンディ、イリス、ミミ、そしてこの世界で出会った全ての人々。
俺の《オートメイト》は、彼らの選択肢を最大化するためにある。
それこそが、真の最適化の意味なのだから。
王都が近づく中、そして新たな戦いの予感とともに、俺は静かに決意を固めていた。




