第四章:自動化防衛線 (2)
レオン王子の命令で、皆が動き出した。
リンディは城壁の騎士団へ、フェリクスは魔力増幅器の最終調整へ、バルドルは緊急修理班の統括へ。
「ミミ、君はここで待機していなさい」
イリスがミミの肩に手を置いた。
「でも……!」
「大丈夫。ここが一番安全だし、何かあったときのためにも、君の器用な手が必要なの」
ミミは不満そうな顔をしたが、頷いた。
「イリス、君は魔力モニタリングを頼む。異常があればすぐに報告を」
「はい!」
制御室に残ったのは、レオン王子、ダンカン、エルザ、イリス、ミミ、そして俺だ。
中央のモニタリングクリスタルに映し出される映像を見つめる。
早期警戒システムが捉えた魔物の大群は、予想以上に組織的に動いていた。
通常は混沌とした行動を取るはずの魔物たちが、まるで何かに導かれるように一定の方向へと進んでいる。
「これは……自然現象ではない」
エルザが冷静に分析した。
「何者かの意図を感じるわ」
「アルカディア帝国の仕業か……」
レオン王子の表情が暗くなった。
モニタリングクリスタルに映し出される光景は、まさに悪夢だった。
無数のゴブリンやオークが地面を埋め尽くし、空にはワイバーンの群れ。そして、その中心には……。
「あれが不明種族か……」
巨大な影が魔物たちの中心にいた。
通常のオークの二倍以上はある巨体に、複数の角と強靭な鱗。背中には翼のような何かが生えている。
「未確認種ドラゴノイド!」
イリスが資料を急いで確認した。
「ドラゴンの血を引く亜種……伝説にはあったけど、実在すると思われていなかった種族です!」
「あれが群れを操っているのか?」
「可能性が高いです。ドラゴノイドには下位魔物を精神支配する能力があるという記録が……」
会話が途切れたのは、第一防衛線である早期警戒システムに魔物が到達したからだ。
センサーが次々と信号を送り、詳細なデータが集まってくる。
「第一防衛線、データ収集開始。魔物の種類、数、移動パターンを分析中……」
《オートメイト》を使って、集まるデータを瞬時に処理していく。
魔物たちの弱点、行動パターン、そして最適な対処法が見えてきた。
「自動バリスタネットワーク、射撃準備完了」
第二防衛線が稼働し始めた。
地形に合わせて設置された巨大なバリスタが、魔物の群れに向かって精密な射撃を開始する。
特に上空のワイバーンに対して効果的だ。
「命中率85%! 想定以上の成果です!」
イリスが報告した。
その声には僅かな希望が混じっていた。
バリスタの射撃と共に、地形を利用した誘導システムも作動した。
山の斜面や森の密度を利用して、魔物の流れを制御し、より撃破しやすい狭間へと導いていく。
「作戦通りの流れです。魔物は予定ルートを通っています」
俺の設計した誘導路に魔物たちが流れ込み、そこに集中砲火を浴びせる。
効率的な殲滅が進んでいった。
しかし、問題はドラゴノイドだった。
「バリスタの矢が効いていない!」
鱗に覆われた巨体は、バリスタの矢を弾き返していた。
「予測通りね」
エルザが冷静に言った。
「高位魔物は通常の武器では倒せないでしょう」
彼女の洞察力には驚かされる。
まるで経験者のように魔物の強さを見抜いていた。
「多重相防衛システムで対応する。《対高位魔物特化モジュール》、起動準備」
最後の防衛線には、高位魔物に対応するための特殊な機能を組み込んでいた。
魔法と物理の複合攻撃、そして魔力の流れを妨害する特殊な波動発生装置だ。
「あと30分で魔物が城壁に到達します」
時間との闘いだった。
第二防衛線は想定通りの成果を上げているが、ドラゴノイドの率いる魔物の中心部隊はほとんど減速せずに突き進んでいた。
さらに、バリスタの効果が徐々に低下していることも懸念事項だった。
「バリスタの魔力供給が減少しています!」
イリスが慌てた様子で報告した。
彼女の顔には不安の色が浮かんでいる。
眼鏡の奥の瞳が揺れ、額に汗が浮かんでいた。
「フェリクスの魔力増幅器が予想以上に消費しているのかもしれません」
「城壁の防衛システムの魔力を温存するため、第二防衛線は意図的に減力している」
エルザが冷静に分析した。
その判断は正しかった。
「バルドルからの通信です!」
ミミが通信クリスタルを持ってきた。
クリスタルに映るバルドルの顔は汗で濡れ、背後では鍛冶職人たちが必死に作業を続けていた。
「追加の装甲パーツが完成した! 城壁に運び込むぞ!」
「ありがとう、バルドル。最前線の強化に使わせてもらう」
彼は無言で頷くと、通信を切った。
「リンディからの報告も入りました。騎士団は全員配置完了、待機中だそうです」
イリスが別の通信内容を伝えた。
「彼女も最前線にいるの?」
胸に奇妙な引っ掛かりを感じた。
リンディは優秀な騎士だが、あのドラゴノイドと直接対峙するのは危険すぎる。
「ええ、第七騎士隊の指揮は彼女が執ります」
イリスの表情にも心配の色が浮かんだ。
親友を案じる気持ちが見て取れる。
「第三防衛線、全ユニット起動確認」
城壁に設置された多重相防衛システムが作動し始めた。
美しい青い光が城壁を覆い、幾重もの魔法陣が浮かび上がる。
「魔物、第二防衛線突破。あと15分で城壁到達」
モニタリングクリスタルの映像は、圧倒的な数の魔物が城壁へと迫る様子を映し出していた。
その中心にいるドラゴノイドは、より鮮明に見えるようになっていた。
巨大な体躯に複数の角、全身を覆う鱗、そして背中の翼状の器官。
その姿は確かにドラゴンの血を引いていることを示していた。
しかし、注意深く観察すると、その体には不自然な部分もある。
「あれは……人工的な強化の痕跡では?」
イリスが指摘した。
彼女の鋭い観察眼が捉えたのは、ドラゴノイドの体の一部に見える金属的な光沢。
「帝国の生体魔導工学の可能性が高いですね」
彼女の分析は的を射ていた。
これは単なる魔物のスタンピードではなく、帝国による計画的な攻撃だ。
「多重相防衛システム、最終調整完了。攻撃パターンをドラゴノイド特化型に変更」
《オートメイト》で防衛システムの設定を微調整する。
魔物の弱点を狙うため、攻撃パターンを最適化した。
「城壁の騎士団に通達を。ドラゴノイドには直接接触しないよう警告してください」
レオン王子が命令を下した。
彼の判断は正しい。
あの強化された魔物と騎士が直接戦えば、大きな犠牲が出るだろう。
「全システム、最終準備完了」
制御室の緊張が最高潮に達したその時、魔物の第一波が城壁に到達した。
「多重相防衛システム、起動!」
城壁から青い光が迸りだし、複雑な魔法陣が次々と展開された。
物理的な障壁、魔法の誘導弾、そして地面から生える魔力の刃。多層的な攻撃が魔物の群れを迎え撃つ。
効果は絶大だった。
接近した魔物の群れはたちまち混乱し、次々と倒れていく。
特に下位魔物であるゴブリンやオークには圧倒的な威力を発揮していた。
「効果あり! 魔物の数、急速に減少中!」
イリスが興奮した声で報告した。
彼女の表情には希望の光が戻っていた。
しかし、その光景は長くは続かなかった。
ドラゴノイドが前に出てきたのだ。
巨大な体を揺らしながら、防衛システムの魔法障壁に向かって突進してきた。
その質量と力は想像以上のものだった。
「警告! 魔法障壁、耐久度低下!」
障壁に激突したドラゴノイドの力は、システムの予測を超えていた。
魔法陣が揺らぎ、青い光に亀裂が入り始める。
「防衛パターン変更!《集中対応モード》、起動!」
全ての攻撃をドラゴノイドに集中させる指示を出した。
これは危険な賭けだ。
他の魔物への対応が手薄になるが、このままドラゴノイドを止められなければ、城壁は突破される。
「リンディからの緊急通信!」
ミミが慌てて通信クリスタルを持ってきた。
「アサギ! 城壁の東側が危険だ! ドラゴノイドの仲間が現れた!」
通信越しのリンディの声には切迫感があった。
背景には騎士たちの叫び声と、金属のぶつかる音が聞こえる。
「何だって?」
「同じドラゴノイド! こちらは小型だけど、三体! 城壁を迂回しようとしてる!」
これは想定外の事態だった。
メインのドラゴノイドは囮で、別働隊が城壁を突破しようとしているのか。
「リンディ、絶対に無理はするな。第三騎士隊の援護を要請する」
「了解した……でも、時間がない!」
通信が切れた。リンディの状況は明らかに危険だった。
「イリス、城壁東側の防衛システムを強化して」
「はい、すぐに!」
イリスが制御パネルに向かう。
その手が少し震えていた。
親友の危機に彼女は動揺している。
「私も行きましょうか?」
エルザが意外な申し出をした。
彼女の手には小さな杖のようなものが握られていた。
「商人だからといって、無防備というわけではありませんわ」
彼女の口元に微かな笑みが浮かんだ。
普段の計算高い商人の顔とは違う表情だった。
「ありがとう、エルザ。だが、君は市民の避難を優先してほしい」
彼女は一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに納得して頷いた。
「わかりました。では、私は裏手から行動しましょう」
そう言うと、彼女は優雅に一礼して部屋を出ていった。
「アサギさん!」
ミミが叫んだ。
モニタリングクリスタルに映る映像は、まさに悪夢だった。
巨大なドラゴノイドが防衛システムの障壁を突破し、城壁に肉薄していた。
その背後には、まだ数百の魔物が続いている。
「多重相防衛システム、最終モード起動!《全魔力解放》!」
これが最後の手段だ。
システムの持続性を犠牲にして、全ての魔力を一度に解放する。
瞬間的な破壊力は絶大だが、その後はシステムが機能停止する危険性もある。
青白い光が城壁全体を包み込み、眩いばかりの閃光が放たれた。
その光は魔物たちを焼き尽くし、ドラゴノイドさえも後退させた。
「効果あり! ドラゴノイド、一時後退!」
イリスの声には喜びが混じっていた。
しかし、それも束の間だった。
「魔力残量、危険水準!あと10分で多重相防衛システム、停止見込み!」
想定より早い消耗だ。
フェリクスの魔力増幅器と、イリスの古代魔法陣の効率化があっても、あの巨大魔物との戦いは魔力を急速に消費する。
「リンディの状況は?」
「不明です……通信が途絶えています」
イリスの声が震えた。
彼女の顔には明らかな心配の色が浮かんでいる。
「ダンカン、騎士団の増援を東側へ」
レオン王子が命令した。
「既に手配済みですが、到着まで時間がかかるかと」
ダンカンの表情も厳しいものだった。
彼の長い経験が、事態の深刻さを物語っている。
「アサギさん、このままでは……」
イリスの声が途切れた。
彼女の紫の瞳には恐れが浮かんでいた。
考えるべき時だった。
魔力消費の問題、ドラゴノイドの突破、そしてリンディの危機。
全てを同時に解決する必要がある。
「新しい計画だ」
全員の視線が俺に集まった。
「多重相防衛システムを城壁中央部に集中させる。東側と西側は最小限の防衛に留め、魔力を温存する」
「しかし、それでは両翼が……」
「代わりに騎士団の集中配備で対応する。第三騎士隊の空中からの支援を要請し、東側のドラゴノイドに集中攻撃を」
レオン王子とダンカンが顔を見合わせ、頷いた。
「了解した。直ちに命令を」
ダンカンが素早く通信を開始した。
「イリス、多重相防衛システムの魔力回路を再配置して。中央部の強化を優先」
「はい!」
彼女が制御パネルに向かい、魔力の流れを再調整し始めた。
「ミミ、通信装置の調整を頼む。リンディとの連絡を復活させるんだ」
「任せてください!」
彼女は小さな体で器用に通信クリスタルを操作し始めた。
その手先は大人顔負けの正確さだ。
「そして俺は……」
少し考えた後、決断した。
「現場へ行く」
「なっ……!」
レオン王子が驚いた声を上げた。
「危険すぎる! あなたは指揮官だ!」
「《オートメイト》は現場での微調整が必要なんです。システムの効率を最大化するには、直接手を加える必要がある」
それは嘘ではなかった。
《オートメイト》の効果は、対象との距離に反比例する。
近ければ近いほど、精密な制御が可能になる。
「……わかった」
レオン王子は渋々ながらも同意した。
「だが、護衛を付ける。ダンカン、頼む」
「はい」
古参の騎士は短く頷いた。
彼の経験と腕前は、王国で最高レベルだ。これ以上の護衛はいない。
「アサギさん……」
イリスが心配そうな表情で振り返った。
「気をつけて……」
「ああ。すぐに戻る」
ミミも不安な表情を浮かべていたが、懸命に通信装置の調整を続けていた。
「アサギさん戻ってきてね……約束だよ」
彼女の小さな声が背中に届いた。
胸の奥がキュッと締め付けられる感覚がした。
「約束する」
そう言って、ダンカンと共に制御室を出た。