第四章:自動化防衛線 (1)
「どうしてこんなことになったんだ……」
王都中央広場を見下ろし、ぼんやりとつぶやいた。
広場には大勢の市民が集まり、不安に包まれていた。
王都近郊で前例のない規模の魔物の大群が発生した——スタンピードと呼ばれる現象だ。
普段は単独か小集団で行動する魔物たちが、何らかの理由で一斉に移動を始める。
それも王都方向へ。
何がきっかけなのかは不明だが、魔物たちが王都に殺到するのは時間の問題だった。
「アサギさん!」
後ろからリンディが駆け寄ってきた。
彼女は完全武装の騎士団制服に身を包み、肩で息をしていた。
その蒼い瞳はいつになく真剣さを湛えていた。
今までの任務とは違うのだろう。
金の髪が風に揺れ、汗で少し濡れていた額には緊張の皺が刻まれている。
「状況を説明する」
彼女は簡潔に口を開いた。
「東方30キロの地点で大規模な魔物の群れが確認された。通常なら山間部に生息するゴブリン、オーク、それに高位魔物のワイバーンまで。あり得ない組み合わせの魔物が一斉に移動を始めた」
「原因は?」
「わからない。ただ、アルカディア帝国の工作の可能性もあるとの噂もある」
なるほど。
先日の北部国境での帝国の動きを考えれば、帝国の仕業という線は十分にありうる。
「王都に到達するまでの時間は?」
「このままのペースなら……半日後には……」
リンディの表情が一瞬暗くなった。
刻一刻と迫る脅威に対して、時間が足りないと感じているのだろう。
「駐留している騎士団の戦力では?」
「足りない。第七、第十二、第三騎士隊が王都に駐留しているが、この規模には……」
彼女は言葉を濁したが、意味は明白だった。
現在の戦力では王都を守りきれない。
「レオン王子から呼び出しがあった。至急、王宮へ向かってほしい」
「わかった。イリスとミミには連絡しておいてくれ」
リンディと共に王宮へと急いだ。
道中、市民たちの不安そうな表情が目に入る。
魔物の襲来という噂は既に広まっているようだ。
王宮の大会議室には既に多くの人が集まっていた。
レオン王子を中心に、ダンカン、各騎士団の隊長たち、そして意外なことにフェリクスやエルザの姿もあった。
さらに隅の方には鍛冶職人のバルドルの姿も。
「アサギさん、来てくれたか」
レオン王子が真剣な表情で立ち上がった。
普段の優雅さはなく、緊張感に満ちた声で語りかけてきた。
彼の翠の瞳には強い決意と、同時に僅かな不安が浮かんでいた。
「異例の事態だが、王国の危機を前に全ての力を結集したい」
彼の視線が会議室の全員を見渡した。
「私は今、全権をもってアサギさんに王都防衛の指揮権を委ねることを宣言する」
会議室がざわめいた。
その中で、一人が強く異議を唱えた。
「陛下! それは暴挙です!」
ジャレッド公爵が激高した声を上げた。
顔を真っ赤にして立ち上がり、太い指でアサギを指さしながら怒鳴る。
「このような異邦人に王都の命運を委ねるなど! 騎士団もいるというのに!」
レオン王子は冷静な声で答えた。
「我々は彼の能力を既に目の当たりにしている。今必要なのは、従来の常識にとらわれない発想と技術力だ」
ジャレッドはなおも反論しようとしたが、ダンカンが厳しい眼差しで制した。
「ジャレッド公。今は内輪もめをしている場合ではない。王子の判断に従うべきだ」
一瞬の沈黙の後、レオン王子が再び口を開いた。
「アサギさん、力を貸してくれないか?」
すべての視線が俺に集まった。
部屋の空気が一気に重くなり、肩に重圧がのしかかる感覚があった。
「承知しました」
即答した。
こういう時のために《オートメイト》を磨き上げてきたのだ。
「ただし、全ての人の協力が必要です」
視線をジャレッドに向けた。
彼は不満そうな表情を浮かべたが、直接反論はできなかった。
レオン王子が力強く頷いた。
「もちろんだ。全ての資源と人員を提供しよう。具体的な計画はあるのか?」
「はい。多層的な防衛システムを構築します」
立ち上がり、中央のテーブルに近づいた。
テーブルには王都と周辺の詳細な地図が広げられている。
「時間がないので、三段階の計画を同時並行で進めましょう」
指で地図上の位置を示しながら説明を始めた。
「まず第一段階。王都から二十キロ地点に早期警戒システムを展開します。魔物の動きをセンシングし、数とタイプを分析します。これによって攻撃パターンを予測し、次の防衛層に情報を送ります」
「第二段階。王都から十キロ地点に自動バリスタネットワークを配置。魔物の弱点を狙った遠距離攻撃を行います。地形を利用して誘導路を作り、魔物の流れをコントロールします」
「最後に第三段階。王都城壁に多重相防衛システムを設置。接近した魔物に対して複数の攻撃方式で対応します」
説明しながら、頭の中では既に詳細な設計図が組み上がっていた。
必要な材料、人員配置、魔力配分、各システムの連携方法まで。
「かなりの規模のシステムですね」
イリスが不安げに言った。
彼女はいつの間にか会議室に駆けつけていたようだ。
眼鏡の奥の紫色の瞳が心配そうに揺れている。
「魔力消費量が心配です。特に多重相防衛システムは……」
「その点は私が協力しよう」
フェリクスが意外にも前に出た。
青い髪を掻き上げながら、高慢な表情を浮かべている。
だが、その眼差しには本気の覚悟が見えた。
「ハイゼンベルク家伝統の魔力増幅器を提供する。君の《オートメイト》と組み合わせれば、魔力効率は30%は上がるはずだ」
「私も商会のネットワークを使って、必要な資材を最短で集めましょう」
エルザも優雅な微笑みを浮かべながら言った。
彼女の琥珀色の瞳は冷静な計算に満ちていたが、同時に何か別の感情も垣間見えた。
「ワシも協力する」
バルドルが渋い声で言った。
がっしりとした体格の老職人は、腕を組んだまま壁にもたれかかっていた。
彼の褐色の肌には数十年の鍛冶仕事で培った無数の小さな傷が刻まれている。
「特殊合金ならワシに任せろ。魔物の攻撃に耐えうる最高の素材を用意してやる」
「ありがとうございます。みなさんの協力が必要です」
場の空気が変わり、緊張感の中にも連帯感が生まれていることを感じた。
レオン王子が立ち上がった。
「決まりだ。アサギの指示に従って行動する。ダンカン、騎士団の総動員を」
「はい。第七、第十二、第三騎士隊に加え、近隣地域からも援軍を要請します」
「バルドル、フェリクス、工房組合に緊急動員を」
「任せろ」
「エルザ、資材の調達と市民の避難誘導の手配を」
「わかりました」
王子の指示に全員が迅速に反応し、会議室から飛び出していった。
イリスが俺の袖を引いた。
「ミミが工房で待ってます。特殊な部品の組み立てなら彼女の手が必要ですよ」
「そうだな。急いで戻ろう」
工房に戻る道すがら、リンディとイリスと簡単な打ち合わせを行った。
「リンディ、騎士団の配置は君に任せたい。特に高位魔物のワイバーン対策が必要だ」
「わかったわ。空中戦に長けた第三騎士隊を中心に配置する」
「イリス、《オートメイト》の魔力回路の最適化を頼む。特にフェリクスの魔力増幅器との接続部分が重要だ」
「はい!古代魔法陣の原理を応用すれば、さらに効率を上げられるかもしれません」
工房に着くと、ミミが不安そうな表情で待っていた。
小さな体で大きな工具を抱え、何か役に立とうと必死な様子だった。
「アサギさん!」
ミミが駆け寄ってきた。
明るい栗色の髪を左右におさげに結び、大きな茶色の瞳には不安と期待が入り混じっている。
「大変なことになってるんでしょ? ミミも何かできることある?」
彼女の真剣な表情に、胸が少し締め付けられる感覚があった。
このスタンピードが王都に到達すれば、ミミのような子供たちが最初に犠牲になるだろう。
「ああ、ミミの手が必要だ」
彼女の肩に手を置いた。
「制御コアの組み立てを頼みたい。君の器用な指先が必要なんだ」
彼女の顔が明るくなった。
「任せて! 最高のものを作るね!」
工房は瞬く間に活気づいた。
フェリクスの助手たちが魔力増幅器を運び込み、バルドルと他の鍛冶職人たちが特殊合金の部品を次々と鍛造していく。エルザの商会から運ばれる希少素材もどんどん集まってきた。
俺は《オートメイト》を最大限に活用し、各防衛システムの設計と構築を同時並行で進めた。
「《早期警戒システム》、設計開始」
左腕の魔力回路が青く輝き、頭の中に詳細な設計図が展開される。
魔物の熱と魔力を検知するセンサー網、データを収集・分析する中央処理ユニット、そして情報を瞬時に伝達する通信網。
イリスが古代魔法陣の知識を活用し、魔力回路の最適化を手伝っていた。
彼女の考案した螺旋状魔力制御パターンにより、通常の2倍の効率で魔力を循環させることができる。
「ここの接続をこうすれば……」
彼女が指先で繊細に魔法陣を描き出す。
その細い指が宙に輝く線を紡いでいく様子は、まるで芸術のようだ。彼女の集中した表情には美しさがあった。
「アサギさん、魔力の流れを一方向ではなく、この螺旋パターンで巡回させると……」
「わかった。それなら魔力損失を大幅に削減できる」
フェリクスの魔力増幅器も期待以上のものだった。
彼のゴーレム製作の技術は確かに一流だ。
特に魔力を増幅するための精密な結晶配列は見事というほかない。
「フン、驚くな。これがハイゼンベルク家千年の技術というものだ」
彼は鼻高々に言ったが、その眼差しには純粋な職人としての誇りが光っていた。
「素晴らしい技術だ」
素直にそう言うと、彼は少し驚いたような表情を見せた後、小さく「当然だ」とつぶやいた。
一方、バルドルの鍛えた特殊合金も非凡なものだった。
通常の金属より軽く、しかも魔物の攻撃に耐えうる強度を持っている。
「これは……」
手に取った部品の質感に思わず見入ってしまった。
「見とれるんじゃない」
バルドルが不機嫌そうに言った。
大きな槌を肩にかけ、額に流れる汗を拭いながら。
「単に効率だけじゃない。魂を込めた仕事だ。それが分かるか?」
「ああ、分かる。ありがとう、バルドル」
彼は何か言いかけて、結局は「ふん」と鼻を鳴らして立ち去った。
だが、彼の背中はどこか誇らしげに見えた。
そして、最も驚いたのはミミの仕事だった。
彼女は小さな制御コアの組み立てに没頭していた。
その指先の器用さは、成人の職人ですら太刀打ちできないほどだ。
「アサギさん、これでどう?」
彼女が差し出した制御コアは、完璧に組み上げられていた。
微細な魔力結晶が精密に配列され、互いに共鳴し合っている。
「素晴らしい、ミミ。これなら最高の性能が出せる」
彼女は嬉しそうに笑った。
その純粋な笑顔に、改めて守るべきものの重要性を感じた。
「早期警戒システム、展開準備完了」
「自動バリスタネットワーク完成」
「多重相防衛システム、魔力回路調整中」
工房は戦場のような活気で満ちていた。
皆が黙々と作業を進め、時折短い指示や確認の言葉が飛び交う。
その中で、俺は全体の設計と進捗管理に集中していた。
作業の合間、ふと窓の外を見ると、夕暮れの空が赤く染まっていた。
まるで血に染まったような不吉な色だ。
「間に合うのか……」
小さくつぶやいた瞬間、背後から声がかかった。
「間に合わせるのよ」
振り返ると、リンディが立っていた。
彼女は騎士団の配置を終え、工房に戻ってきたようだ。
「騎士団の準備は整った。第七騎士隊は城壁、第十二騎士隊は中間地点、第三騎士隊は空中からの援護を担当する」
彼女の声には疲れが混じっていたが、揺るぎない決意も感じられた。
「ありがとう、リンディ」
彼女の協力がなければ、これほどスムーズに準備は進まなかっただろう。
彼女の実戦経験と指揮能力は、俺の《オートメイト》と完璧な補完関係にある。
「いえ……」
彼女は一瞬言葉に詰まり、それから真っ直ぐに俺の目を見た。
「王都を守れるのはあなただけよ、アサギ」
その言葉には、単なる期待以上のものが込められていたように感じた。
準備が最終段階に入ったころ、最初の警報が鳴り響いた。
早期警戒システムが魔物の動きを捉えたのだ。
「距離25キロ地点で大規模魔物群を検知。数はおよそ3000。種類はゴブリン、オーク、ワイバーン、さらに……不明種族あり」
「不明種族?」
イリスが驚いた声を上げた。
「センサーが認識できない魔物がいるということ?」
「ああ。これは想定外だ」
データを詳細に分析する。
不明種族の魔力パターンは、これまで記録されたものと一致しない。
より複雑で強力な波形を持っていた。
「高位の魔物か……もしくは人為的に強化された何かかもしれない」
「帝国の関与を示す証拠ですね」
イリスが神妙な表情で言った。
「いずれにせよ、対応策を練る必要がある」
《オートメイト》を使い、不明種族のデータを基に対応策を設計し始めた。
「《適応型対応モジュール》、設計開始」
不明な相手に対しては、一つの戦術に固執せず、相手の反応を見ながら戦略を変更できる柔軟なシステムが必要だ。
そのころ、全てのシステムの配置が完了し、最終テストが行われていた。
早期警戒システムは予想通りの性能を発揮し、魔物の位置と数を正確に把握できている。
自動バリスタネットワークもテスト射撃で高い命中精度を示した。
最後の多重相防衛システムも、城壁に配置が完了した。
これは最終防衛線であり、最も複雑で強力なシステムだ。
物理攻撃、魔法攻撃、そして特殊な捕獲メカニズムを組み合わせた多層的な防衛網。
「全システム、作動確認完了」
配置が終わり、制御室へと戻った。
制御室は王宮の塔の上に設置され、王都全体を見渡すことができる。
ここから全ての防衛システムを一元管理する。
レオン王子、ダンカン、フェリクス、バルドル、エルザ、リンディ、イリス、そしてミミも集まっていた。
彼らの表情には緊張と期待が入り混じっている。
「もうすぐ魔物が第一防衛線に到達します」
イリスが報告した。
「全システムの最終調整が完了しました。魔力効率は予想より15%高く、持続時間も伸びています」
「ありがとう、イリス」
彼女の貢献は計り知れない。
古代魔法に関する彼女の知識がなければ、これほどの効率化は不可能だった。
「最後に確認しておきたいことがある」
レオン王子が前に出た。
「魔物を倒すことも重要だが、民の安全が最優先だ。避難は完了したと報告を受けたが、市街地への魔物の侵入は絶対に阻止してほしい」
「はい。多層的な防衛網で、城壁を突破されることはないはずです」
「だが……万が一の事態も想定しておくべきです」
ダンカンが重い声で言った。
長年の経験から、彼は最悪の事態をも想定する。
それが生存の知恵なのだろう。
「その場合は、最終手段としてこれを」
彼は小さな箱を差し出した。
中には赤い魔力結晶が収められている。
「これは?」
「王国に伝わる禁忌の魔法具です。究極の浄化の力を持つが、使えば術者も含めてかなりの犠牲が出ます」
彼の表情が厳しく引き締まった。
「余程の事態にならなければ使うべきではないのですが、選択肢として知っておいてほしい」
重たい空気が流れる中、突然警報が鳴り響いた。
「魔物群、加速! 予想より早く第一防衛線に到達します!」
リンディが制御パネルから報告した。
「各自、持ち場へ!」