第三章:交錯する思惑(3)
翌朝、エルザの契約書の分析を終え、対案を作成した。彼女の法的な罠を一つ一つ潰し、より公平な条件に書き換えていく。
元の世界でのビジネスの知識が役立った。
「アサギさん、すごいです!」
イリスが修正案を見て、感嘆の声を上げた。
「こんな複雑な契約書を一晩で分析して対案まで……」
彼女は目を輝かせて頷いた。
そんな二人の様子を、ミミがなんとなく不満そうに見ていた。
「ミミ、君は今日は街の市場に行って材料を調達してきてくれないか?」
彼女の表情が明るくなった。
「うん! 任せて!」
昨日から、新たなプロジェクト「自動農業システム」の開発に着手していた。
土壌の状態を感知し、最適な水や栄養分を供給する装置だ。
そのためには特殊な魔力結晶が必要で、ミミにその調達を任せることにした。
イリスが優しく声をかける。
「気をつけて行っておいで。あまり遅くならないでね」
ミミが元気よく出かけた後、イリスと実験を再開した。
古代魔法陣と《オートメイト》の回路を融合させる試みは、予想以上に困難を極めていた。
イリスが眼鏡を押し上げながら指摘する。
「ここの接続部分で魔力の流れが不安定になります。古代魔法は現代の魔法体系とはやや異なる原理で……あっ!」
彼女がうっかり魔力結晶を落としてしまい、小さな爆発が起きた。
煙が工房内に広がり、俺たちは咳き込みながら窓を開けた。
「ご、ごめんなさい!」
「大丈夫だ。むしろ良い発見かもしれない」
この「事故」から、魔力の急激な放出パターンに関する新たな知見が得られた。
思わぬ形でのブレイクスルーだ。
実験を続けていると、工房の扉が再び開いた。
今度はリンディだった。
彼女は息を切らせ、明らかに緊張した面持ちで駆け込んできた。
「アサギ! 緊急事態だ!」
その声の緊張感に、即座に実験を中断した。
「どうした?」
「王国北部の村が、帝国の偵察部隊に襲撃された!」
イリスが息を呑むのが聞こえた。
「被害は?」
「幸いにも人的被害は少ない。でも……敵は通常のゴーレムや兵士ではなかった。生体魔導兵器……キメラと呼ばれるものだ」
ダンカンの言っていた「生体魔導工学」の実物が現れたということか。
「詳細を教えてほしい」
リンディは手短に状況を説明した。
帝国の偵察部隊は、様々な動物や魔物の特性を組み合わせた「キメラ」と呼ばれる生物兵器を引き連れていたという。
それらは通常の武器ではほとんど傷つかず、受けたダメージを自己修復する能力さえ持っていたらしい。
「この上、特殊な電撃のような攻撃も使ったと報告がある。私たちの騎士団は応戦したが、思うように立ち回れなかった」
「生体魔導工学……」
俺は考え込んだ。
それは《オートメイト》とは全く異なるアプローチだが、同じく強力な力を秘めているようだ。
イリスが不安そうに言った。
「帝国は我々の防衛力を試しているのでしょう。実験的な部隊を派遣して、王国の反応を見ている……」
リンディが付け加える。
「そして我々の弱点を探っている。レオン王子は緊急会議を招集された。アサギにも来てほしいとのことだ」
「わかった。すぐに行こう」
出発しようとした時、イリスが心配そうに声をかけた。
「ミミがまだ戻っていません……」
「ミミなら大丈夫だろう。彼女は市場にいるはずだから」
しかし、イリスの不安げな表情を見て、一抹の懸念が脳裏をよぎった。
「リンディ、先に行っていてくれないか? ミミを探して、すぐに後から行く」
リンディは頷き、先に出発した。
俺とイリスは急いで市場へと向かった。
ミミの姿を探して人混みをかき分けていく。
「ミミちゃん!」
イリスが人混みの中に見覚えのある小さな姿を見つけた。
ミミは魔力結晶の店の前で、見知らぬ男と話をしていた。
男は上質な服を着た商人のように見えるが、どこか違和感がある。
「ミミ!」
俺の声に、ミミと男性が振り向いた。
男の顔には一瞬、焦りの色が浮かんだように見えた。
「アサギさん! イリスお姉ちゃん!」
ミミは嬉しそうに手を振った。
「この人ね、アサギさんの《オートメイト》にすごく興味があるんだって! 私の話をいっぱい聞いてくれた!」
男は頭を下げながら丁寧に自己紹介した。
「商人のマルコと申します。アサギ様の噂は大陸中に広まっています。ぜひ詳しくお話を……」
しかし、彼の口調や立ち居振る舞いには、どこか不自然さがあった。
特に、王国の商人にしては珍しい訛りが気になる。
「ミミ、工房に帰るぞ」
「えっ、でもまだ買い物が……」
「後にしよう。緊急事態なんだ」
ミミは不満そうな表情を浮かべたが、従った。
その男――マルコと名乗る商人は、残念そうな表情を見せたものの、これ以上食い下がることはなかった。
工房に戻る道すがら、ミミに尋ねた。
「あの男は何を聞いてきた?」
「えっと……アサギさんの作ってるもののこととか、工房のこととか……」
「詳しく教えてくれ」
ミミの話によれば、その商人は特に《オートメイト》の動作原理や制約について関心を持っていたという。
そして、工房の場所や、俺の日常の行動パターンまで尋ねていたらしい。
「スパイの可能性が高いな」
イリスが心配そうに言った。
「アルカディア帝国の?」
「ああ。タイミングがよすぎる。今回の襲撃と関連している可能性が高い」
ミミは怯えた表情になった。
「ご、ごめんなさい……私、変なこと話しちゃったかな……」
俺は彼女の頭をそっと撫でた。
「気にするな。むしろ情報が得られて良かったんだ」
ミミの表情が少し明るくなった。
工房へ戻ると、イリスがミミと残り、俺はレオン王子の緊急会議へと向かった。
しかし心の中では、さらに大きな嵐が近づいていることを予感していた。
「世界最適化進行度:10.0%」
頭の中に浮かんだ数字が、これまでより大きく上昇していることに気づいた。
状況が加速しているのだろうか。
そして、次なる挑戦は何になるのか――。
その答えを探る時が来たようだ。