プロローグ:最適化の始まり
心の底から息が詰まる思いがした。
「あ〜あ、また今回もアサギのせいで台無しか。マジ勘弁してくれよ」
背後から聞こえる声は、確実に俺に向けられたものだ。
振り返る必要もない。
ゼミのグループワークで一緒になった杉浦の声だった。
彼は俺が聞こえるギリギリの声で愚痴を続ける。
「どうせ1人で作業したいんだろ? そんなに迷惑なら最初から言ってくれれば良かったのに」
そんなことはない。
論理的に考えれば、プロジェクトを複数人で分担した方が効率的なはずだ。
だから俺は最適なタスク分割と実行プランを作成し、チームメンバー全員に配布したのだ。
ただ単純に、このプロセスが最も合理的だったから。
「アサギ君、これ見てよ」
同じグループの沢田さんが、机の向こうから声をかけてきた。
そこにはスマホの画面に表示された、俺がメンバーに配布したスケジュール表があった。
「ねえ、私の担当タスクだけどさ、これって機械的すぎない? 私たちはロボットじゃないんだよ?」
俺は眉をひそめた。
特殊な計算アルゴリズムを用いて各メンバーの能力値に応じた最適な作業配分になっているはずなのに。なぜ理解してもらえないのだろう。
「沢田さん、あのスケジュールは全員の強みを活かして、最短時間で成果を出せるように設計されています。なぜ『機械的』と感じるのか、具体的に教えてもらえますか?」
沢田さんの表情がみるみる曇り、肩を落とした。
「だから、そういう言い方が……いいよ、もう。やるよ、言われた通りに」
胸の奥がキュッと締め付けられた。
これが「悲しい」という感情なのだろうか。
俺は人間関係が苦手だ。
計算や数式、プログラミングは得意なのに、なぜか人の感情だけは論理的に処理できない。
「申し訳ありません。もし提案があれば、ぜひ聞かせてください。より良いアウトプットのために」
そう言った俺の声は、自分でも無機質に聞こえた。
沢田さんはただうんざりした表情で俺を見つめ、次の瞬間、「ごめん、ちょっとトイレ」と言って席を立った。
教室に残されたのは俺と、明らかに不機嫌そうな杉浦、そして黙々とスマホをいじる田中だけだった。
(なぜうまくいかないんだろう……)
最適解を示しているのに、なぜみんな非効率な方法に固執するのか。
感情というバグが、最適な意思決定プロセスを妨げている。
俺はそう考えずにはいられなかった。
「田中、お前はどう思う? アサギのやり方」
杉浦が田中に話しかけた。
田中は目線を上げずに小さく肩をすくめただけだった。
明らかに関わりたくないという意思表示だ。
しばらくして沢田さんが戻ってきた。
彼女は少し落ち着いた表情で俺に向き直った。
「ごめんね、さっきは。でもね、アサギ君。私たちは話し合いながら進めたいの。みんなでアイデア出し合って、それを形にしていくような……そういうプロセスが大事なんじゃないかな」
俺は彼女の言葉を理解しようと努めた。
「効率性を下げてまでも、そのプロセスに価値があるということですか?」
彼女の目が少し大きくなった。
「そう! そういうこと! 効率だけじゃないんだよ、グループワークって」
(でも、それは非合理的だ。目的はあくまで良い成果物を作ることのはず……)
この会話を続けている間にも、提出期限は刻一刻と近づいている。
時間という有限資源が無駄に消費されていく。
その事実が俺の焦燥感を煽った。
「わかりました。では、どうすれば良いですか?」
俺のこの一言で、場の空気が急に変わった。
沢田さんの表情が明るくなり、杉浦もスマホから顔を上げた。
「じゃあさ、まずは各自のアイデアを出し合おうよ! アサギ君も、自分の考え方を説明してくれる?」
それから数時間、俺たちは予想外の展開を迎えた。
確かに効率は下がったが、メンバーそれぞれの視点からの意見が、俺一人では思いつかなかったアイデアを生み出した。
そして何より、全員が積極的に参加するようになった。
結局、プロジェクトは俺の当初のプランよりも2日遅れで完成した。
しかし、成果物の質は俺の予想を上回るものだった。
教授からの評価も高く、グループのメンバーたちは喜んでいた。
杉浦は「意外とやれるじゃん、俺たち」と笑い、沢田さんはニコニコしながら「チームワークって大事だよね」と言った。
だが俺の中では、複雑な感情が渦巻いていた。
確かに良い成果は出た。
でも2日間のロスは大きい。
もっと効率良く進められたはずだ。
そして何より、俺自身がこのプロセスの中でどう振る舞えばよかったのか、答えが見つからなかった。
論理的に考えれば俺のアプローチが最適なはずなのに、なぜか人間関係においては別の法則が働く。
その矛盾が、永遠の課題として俺の中に残った。
◇
大学3年生の夏。
俺が開発した自動化システムのコンペで優勝した日だった。
「アサギさん、あなたのシステムは素晴らしいです。でも、ユーザーインターフェースについてもう少し考慮していただけると……」
審査員の女性がそう言った時、俺は思わず眉をひそめた。
UIよりも内部アルゴリズムの効率性のほうが重要なはずだ。
なぜ本質ではない部分に拘るのか。
「このままでは一般ユーザーには敷居が高すぎます。もっと親しみやすいデザインに……」
(また感情論か……)
頭の中でそう思いながらも、表面上は穏やかな笑顔を作った。
少なくとも表面上の対応は学んだつもりだった。
「ありがとうございます。検討します」
形式的な返答をしながら、俺は内心でアルゴリズムの更なる最適化案を考えていた。
ユーザーインターフェースなど飾りに過ぎない。
本当に重要なのは、いかに効率良くタスクを処理できるかということだけだ。
帰り道、電車の中で俺はノートパソコンを開き、勝利したシステムの更なる改良に取り掛かった。
ホームへ着く頃には、処理速度を12%向上させるアイデアが浮かんでいた。
「最適化には終わりがない」
俺の座右の銘だ。
常により良い解を求め続ける。
それが俺の生き方だった。
アパートに戻り、シャワーも浴びずにプログラミングに没頭した。
時計を見ると、気がつかないうちに午前3時を回っていた。
明日は午前中から授業がある。
睡眠時間の確保は生産性維持のために必要だ。
自分に言い聞かせて、ようやくノートパソコンを閉じた。
ベッドに入っても、頭の中はアルゴリズムのこと、最適化のこと、そしてなぜか今日のコンペでの審査員の言葉が繰り返し浮かんできた。
(なぜ彼らは効率性より見た目を重視するのか……)
その疑問を抱えたまま、俺はようやく眠りについた。
◇
朝8時、目覚ましのアラームが鳴る前に目が覚めた。
身支度を整え、最短ルートで大学へ向かう。
毎日同じ道を通ることで、無駄な思考を省いている。
「おい、アサギ!」
後ろから声がかかった。
佐々木だ。
彼とは、たまにプログラミングの話をする程度の関係だった。
「おはよう、佐々木」
「昨日のコンペ、優勝おめでとう! すげえよな、お前」
「ありがとう」
「今度、その開発したシステムについて詳しく教えてよ。それと……今週末、みんなで温泉旅行行くんだけど、お前も来ない? 瀬戸とか沢田も行くし」
俺は一瞬考えた。
温泉旅行。
移動時間、観光、無駄な会話……効率性の観点からすれば、明らかに非合理的な選択だ。
その時間があれば、新しいプロジェクトを進められる。
「ごめん、今週末は別の予定が……」
佐々木は少し残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「そっか、無理強いはしないよ。でも、たまには息抜きも大事だぜ」
彼は肩を叩くと、先に教室へ入っていった。
俺は足を止め、彼の背中を見送った。
心の奥底で、わずかな引っ掛かりを感じた。
友人との旅行。
それも人生における一つの経験だ。
データ収集という観点では、意味がないとは言い切れない。
しかし、すぐにその考えを振り払った。
感傷に流されてはいけない。
常に最適な選択をすること。
それが俺のポリシーだ。
授業が終わり、図書館で次のプロジェクトの資料を集めていると、窓の外が騒がしくなった。
見ると、サークル活動のためか、大勢の学生がグラウンドに集まっていた。
笑い声や歓声が聞こえてくる。
みんな楽しそうだ。
あんな非効率的な活動に喜びを見出せるのは、ある意味羨ましい。
でも、それは俺には理解できない世界だった。
◇
夕方、重い参考書を数冊抱えて図書館を出た。
頭の中では既に次のアルゴリズムの改良案が展開されていた。
すれ違う学生たちの声も、周囲の景色も目に入らない。
頭の中ではコードの最適化だけが回っていた。
いつものように最短ルートで帰ろうとして、大通りを横断し始めた。
信号は変わりかけていたが、計算上はまだ渡り切れるはずだ。
歩行速度と距離から導き出される単純な方程式。
だが、右から猛スピードで曲がってきた車に気づくのが遅れた。
「ちょっと、危ない!」
誰かの叫び声に振り返った瞬間、視界が真っ白になった。
激しい衝撃と痛み。
参考書が空中に舞い、ページが風に散る。
そして、意識が闇に飲み込まれていく感覚におちていった。
◇
白い、あまりにも白い空間。
俺は自分の体が宙に浮いているような感覚に襲われた。
痛みはない。
むしろ、心地よい浮遊感。
「アサギさん」
女性の声が、あらゆる方向から聞こえた。
視線を巡らせると、眩しすぎる光の中から一人の女性が現れた。
長い髪が虹色に輝き、純白のドレスを身にまとっている。
その姿は人間というより、芸術作品のように完璧で、現実離れしていた。
「あなたは死にました」
彼女の言葉は、意外にも事務的で淡々としていた。
俺は状況を理解するためにいくつかの仮説を立て始めた。
事故に遭った。
今は病院のベッドで昏睡状態にあり、これは意識の中での幻覚か臨死体験である。
あるいは、本当に死んでしまったのか。
「これは臨死体験ですか?」
俺の問いに、彼女は柔らかな微笑みを浮かべた。
その笑顔には何か計算されたものを感じた。
完璧すぎて、逆に不気味だった。
「臨死ではありません。あなたはれっきとした死者です。しかし、それはこの世界においての話」
彼女の周りの空間がゆらめき、まるでデータが流れるような映像が現れた。
星々、銀河、そして無数の光の点々。
「私はこの世界の記録を司る者。あなたのような魂に、時に特別な役割を与えます」
俺は状況を理解しようとした。
もし死んだのだとすれば、これは神話で言うところの神なのか?
冷静に考えれば荒唐無稽だが、今の状況では他に説明がつかない。
「なぜ俺が?」
彼女の金色の瞳が、何かを見透かすように俺を見つめた。
「あなたの『効率化』への執着。『最適化』へのこだわり。それは……興味深いデータになります」
彼女の言葉に、俺は思わず身構えた。
まるで実験材料のように言われたような気がしたからだ。
「私はあなたに特別な力を与えます。《オートメイト》。対象を解析し、理解した上で、その作業やシステムを自動化する能力です」
彼女が手を差し出すと、金色の光が俺の方へ流れてきた。
その光が体に触れた瞬間、頭の中に無数の情報が流れ込んできた。
新しいプログラミング言語を一気に学んだような感覚だった。
「あなたには、新しい世界で生きていただきます。そして、その世界を効率的に、最適化するのです」
俺は混乱した。
何のためにそんなことをするのか。
彼女の真意はどこにあるのか。
「なぜそんなことを?」
彼女は再び微笑んだ。
「記録と観測のためです。そして、それはあなた自身のためでもあります」
俺はさらに多くの質問を投げかけようとしたが、彼女は指を軽く振った。
「ですがアサギさん……効率の先に何を求めるのか、それを見つける旅でもありますよ」
彼女の声が遠のき始めた。
周囲の白い空間が徐々に暗くなっていく。
俺の意識は再び闇に落ちていった。
最後に見たのは、彼女の不思議な微笑みと、「世界最適化進行度:0.01%」という、空間に浮かぶ文字だった。
◇
目を開けると、見知らぬ森の中だった。
俺は咄嗟に体を起こし、周囲を見渡した。
太陽の位置から推測するに、ここは地球ではないようだ。
頭の中に、突然見知らぬ言語の知識が流れ込んできた。
現地の言葉だろうか。理解できる。
そして、左腕に目をやると、皮膚の下に微かに光る回路のようなものが見えた。
先ほどの女神が言っていた《オートメイト》の証だろうか。
試しに目の前の木を見つめ、心の中で「解析」と思った。
すると驚くべきことに、視界に情報が浮かび上がった。
《対象解析中:広葉樹。高さ約15m。推定樹齢50年。木材として利用可能。魔力伝導性:低》
魔力?
この世界には魔法があるのか。
次に、地面に落ちていた小石を手に取り、「自動回収」というシステムを考えた。
すると左腕の回路が明るく光り、小石が宙に浮いて俺の周りを回り始めた。
「なるほど……」
思っていた以上に興味深い能力だ。
対象を理解し、プログラミングするように自動化できる。
とりあえず、生存が最優先課題だ。
水、食料、安全な場所の確保。
それから情報収集。
「面白い」
俺は小さく呟いた。
未知の世界。
謎の能力。そして「最適化」というミッション。
太陽の光が森の隙間から差し込み、俺の顔を照らした。
ここが俺の新しい人生の始まりの場所になるとは。
この世界を理解し、解析し、そして最適化する。
それが俺に与えられた使命なのだとしたら、全力で取り組むだけだ。
「世界最適化進行度:0.01%」...ね。
その数字を100%にするのがゴールなのだろうか。
いずれにせよ、この世界がどうなるのか、見届けてみたいと思った。