第4話月面のデジタル・ソーサリー -安定運用への道-
研究区画での「魔法炉」暴走事故を収束させた翌朝。
主人公・春香は月面コロニーの医療区画に設けられた仮眠室で目を覚ます。
ゆっくりと体を起こすと、サイバネ化された腕と脚がわずかに軋む音を立てる。
春香(心の声)
「昨日は波乱だったな……。でも、あのとき自分が確かに“魔法”を制御した。それは単なる偶然じゃない。私の身体――サイバネ技術の中に潜む力が、本物だった。」
ドアの向こうからノックが聞こえ、同時に桐生(主治医)が顔を覗かせる。
落ち着いた表情ではあるが、その眼差しには期待と心配が入り混じっている。
桐生
「おはよう、春香。調子はどうだ? 昨日の反動で身体に無理が出ていないか心配だったが、ちゃんと眠れたようだね。」
春香
「うん、ありがとう。まだ少し筋肉痛みたいな感覚はあるけど、意外と大丈夫。先生こそ、徹夜でデータ解析していたんじゃ……?」
桐生は苦笑しながら、手にしたタブレットを見せる。
そこには「魔法炉」の状態ログや、春香が行った制御プロセスの記録が映し出されていた。
桐生
「正直、これほど早く“魔法”を制御できた例は前例がない。君のサイバネ構造と遺伝子適性が、どうやら理想的に噛み合っているらしい。まるで、“魔法”のために作られた身体と言ってもいいくらいだ。」
桐生の言葉に、春香は胸がざわつく。自分が“特別な存在”であることに戸惑いつつも、昨夜の鮮烈な体験が頭から離れない――あの奇妙なコード群と感覚の奔流。恐怖よりも「やり遂げた」という手応えのほうが勝っていた。
春香
「あの、先生。私……この技術をもっと学んでみたい。私が何者かを知るためにも、研究に協力したいんです。たとえ、苦労やリスクがあったとしても……。」
桐生は少し表情を引き締め、うなずく。
桐生
「本当にいいのか? 研究には相応のリスクも伴う。身体への負荷、精神への影響、どれも予測がつかない部分が多い。だけど君が望むなら、僕は全力でサポートしよう。医師としても、研究者としても。」
こうして春香は「魔法」を安定運用する第一人者になるため、研究に本格的に協力する道を選んだ。
数日後。
月面コロニー内でも最先端の技術が集まる「デジタル・ソーサリー研究所」にて、春香は改めてオリエンテーションを受けることになる。
白を基調とした近未来的な空間の中、研究員たちが忙しなく動き回っている。
研究員A
「これが“魔法炉”のメインタワーです。量子コンピュータが24時間稼働していて、ナノマシン群との相互制御を行います。春香さんは、ここで演算リソースを一部借りながら自身のサイバネ機能を鍛えていくことになるんですよ。」
春香
「これほど巨大な設備が支えていたなんて……私が昨日制御したのも、この一部だったってこと?」
研究員B
「そうです。ですが本格的な実験を行うには、安全装置や演算プロトコルの整備が不可欠です。今後は段階的に“魔法”を使う訓練をしていきましょう。」
研究員たちの言葉に、春香は気持ちを新たに引き締める。
春香(心の声)
「私は誰よりも早く“魔法”を安定制御できる存在かもしれない。でも、今のままではまだ一歩踏み出しただけ。もっと知識と経験を積まなきゃ。」
桐生も合流し、研究員たちと共に具体的な訓練プログラムを話し合う。大きく分けて3つのステップが提示された。
身体との整合性テスト
サイバネアームやナノマシンの動作を微調整し、負荷を抑えた状態で魔法炉とリンクさせる。
演算負荷のシミュレーション
仮想空間でのトレーニング。高負荷演算や制御シークエンスを安全に試す。
実地テスト
魔法炉の実機を一部稼働させ、現実環境での制御訓練を行う。
研究の一環として、春香は「AR(拡張現実)+VR(仮想現実)」を組み合わせたバーチャル演習ルームに入る。専用のヘッドセットを装着すると、目の前の世界が一変した。
そこは広大な白い空間で、遠くには異様なまでに巨大化したエネルギーの塊が浮遊している。
春香(心の声)
「まるでファンタジーの異世界みたい……。でも、これは魔法炉から送られてくる実際のエネルギーパターンを可視化したものだと聞いた。つまり、現実とリンクしているVRなんだ。」
研究員B(通信越し)
「ここでは安全にエネルギー制御のテストができます。春香さん、右手をかざしてみてください。そこからナノマシン制御を開始し、エネルギーを流し込むイメージで……」
言われるがままに右手を掲げると、サイバネアームが微かな光を帯び始める。遠くにあるエネルギーの塊から細い光のラインが伸び、春香の手元に注ぎ込まれてくる。頭の中にずしりと重い負荷がかかる感触。
春香
「うっ……(頭がズキズキする)でも、これが“魔法”を使うってこと……!」
焦ると制御が乱れ、バーチャル空間にバグのようなノイズが走る。すると研究員の指示が飛ぶ。
研究員B(通信越し)
「呼吸を整えて、一定のリズムで演算を進めてください。大丈夫、あなたならできるはずです!」
先日の本番さながら、頭の中に数列やコードが流れ始める。徐々にそれらを“理解”し、“組み立て”ていく感覚は、まるで新しい言語を駆使しているようだ。
ほんの数十秒後、ノイズは消え、エネルギーの塊は穏やかに収束していく。
春香
「……できた……!」
バーチャル空間の空が一瞬きらめき、やがてヘッドセットのシステムが訓練終了を告げる。装置を外すと、汗ばんだ額に桐生や研究員たちの笑顔が映った。
桐生
「素晴らしいよ、春香。これなら、暴走事故も防げる技術が確立できるかもしれない。」
春香は安堵しながら、胸に小さな達成感を覚える。コールドスリープから目覚めた時には全てが未知だったが、今は少しずつ理解し始めている。
それからの日々、春香は研究所での実習を積み重ね、仮想空間だけでなく現実の魔法炉にも段階的にリンクしていく。失敗や体調不良を経験しながらも、徐々に制御精度が向上し、研究所の人々は「魔法」の安全運用が見えてきたと歓喜の声を上げる。
研究員A
「ついにここまで来た。あとはこの運用プロセスを汎用化できれば、コロニー全体に安全な“魔法”テクノロジーが広まるかもしれない!」
研究員B
「今のところ、春香さんのように高い適性を持つ人は限られているが、遺伝子調整やサイバネデバイスの改良で、将来的には誰もが簡単に“魔法”を扱える可能性もある……!」
彼らの熱気は春香にも伝わってくる。
“魔法”――それは月面コロニーの課題であるエネルギー問題や資源不足を解決する切り札となりうるテクノロジーだ。
春香(心の声)
「私がこうして研究に協力することで、たくさんの人の暮らしが良くなるなら……何よりも嬉しい。サイバネ化された自分の身体にも、きっと意味があったんだ。」
しかし、研究が順調に進む一方で、桐生は黙々と画面に映る「春香のバイタルデータ」を見つめている。彼の表情には安堵だけでなく、一抹の不安が混ざっていた。春香の身体を酷使すればするほど、微細ながら“エラー”が蓄積している形跡があるのだ。
桐生(心の声)
「まだ誤差の範囲かもしれないが……このまま負荷の高い実験を続ければ、春香の身体に大きなダメージが及ぶ可能性がある。彼女には言えないが、対策を急がないと……。」
桐生は医師として、春香の限界を見極めながら安全な研究を進めたいと考えている。一方で研究所やコロニーの上層部は、魔法炉の安定運用を急ぎ、さらなるデータ収集を望んでいる。
春香の意志とコロニーの利益、そのバランスをどう取るのか――桐生の苦悩が始まる。
ある日、研究所の所長が春香と桐生を集め、重大な提案を持ちかける。
「コロニーのメインシステムと魔法炉を連動させる“大規模テスト”を行いたい」というのだ。
所長
「これは、コロニー全体の生活基盤を“魔法”で安定化させる一大プロジェクトだ。今のままだとインフラに負荷がかかりすぎるし、月面外への拡大も難しい。
そこで春香さんの制御能力を使い、暴走を防ぎつつ最大出力を試す。これが成功すれば、このコロニーは地球をも凌ぐ未来社会へと踏み出せる……!」
春香は使命感を覚える。同時に、桐生がこめかみに汗を浮かべていることにも気づく。
桐生
「所長、待ってください。まだ春香の身体の負荷データは十分ではありません。大規模テストともなると、相当なリスクが――」
所長は少し申し訳なさそうにしながらも、研究の重要性を熱っぽく語る。コロニーの上層部もこの計画を後押ししているのだという。すでに大勢が動き出している。
春香
「……私の身体が限界を迎えたら、このプロジェクトはどうなるんですか?」
一瞬、部屋の空気が張り詰める。
桐生は「それを防ぐために僕がいる」と言いたげな表情だが、所長は正面から春香を見つめて答えを絞り出す。
所長
「正直に言えば、君がいなければ成立しない計画だ。それでも、君が望むなら計画を中止することも検討する。最終的な判断は、君に委ねたい。」
部屋を出た後、春香は桐生と二人で廊下を歩いていた。心の中で複雑な感情が渦巻いている。せっかく得た“魔法”の制御能力を活かして、もっと多くの人の役に立ちたい気持ちと、自分の身体の危険を天秤にかける不安。
桐生
「春香、無理はしないでほしい。……僕は君の命を守るために全力を尽くしたい。でも君がこの道を進むなら、僕もサポートを惜しまない。」
春香
「ありがとう、先生。私、考えてみる……。」
この物語の主人公・春香が「研究に協力し、“魔法”を安定運用する第一人者へ」と進む道のりは、さらに選択を迫られる。
コロニーの発展に貢献するか、それとも自分の安全を最優先にするか
身体と心の限界と向き合いながら、それでも希望を追い求めるか
いずれにせよ、月面コロニーの命運を左右するほどの大きな研究となっていく。春香は自らの力と運命をどう受け止め、どんな未来を切り開くのか――それが本ストーリーの主題となる。