特殊能力
抜けるような青空。
初夏の陽射しと爽やかな風。
この時期になると学校の屋上はとても過ごしやすい。
そして目の前に広がる、
「ふざけてんじゃねぇぞっ、テメェ…!」
不良のメンチ。
スゲェ怖い顔です。
学校1、いやここら一帯で1番恐れられている学生の睨みは、リアルタイムで寿命が削られていくような恐ろしさだ。
デカイ身長に黒髪赤メッシュ。
メリケンサック代わりの厳ついシルバーリングにはだけられた学ラン。
見る者を一瞬で凍てつかせる鋭い眼光に、高圧的なオーラ。
彼の持つ全てが、超平凡高校生である俺とは縁遠い。
そんな一般生徒の俺が何故こんな目に遭っているのかを説明するには、ちょっとばかり時を遡らなければならない。
***
あれは一週間ほど前のこと。
やたらと用事を押し付ける担任のせいで大幅に遅くなった下校時間が、俺の今後を分けるとは誰が思うだろう。
昇降口に差し掛かった瞬間、鉢合わせてしまったのだ…彼と。
ちなみに出会い頭にぶつかったりはしていない。
ただ、純粋に偶然会っただけだ。
噂に疎い俺でも知っている彼は、いつも不機嫌そうに端整な顔を歪めているのだが…
実は、俺には秘密がある。
それは妄想だとか病気だとか痛い奴だとかではなく、俺にはマジで見えるんだ。
人間に―――獣の耳と尻尾が。
いや、だからマジなんだってコレが。
人によって違うんだけど、犬とか猫とかハムスターとか。
ぶっちゃけあんまし役に立たない能力だし、逆にピコピコフサフサなそれらが放つ抗いがたい誘惑に日々耐えなきゃならない。
そんな変な能力を持つ俺だからこそ、彼の気持ちがわかってしまった。
はじめて間近で見た彼は刺々しい雰囲気やハスキーみたいな凛々しい耳と尻尾を、力なくペションと萎えさせていた。
つまり、寂しそうだったんだ。
だからつい、普段なら絶対に死んでもしないんだけど、ワックスで散らされた髪をワシワシと撫でてしまった。
もちろんすぐに我に返った俺は、一目散に光の速さで逃げ出した。
ま、そんなことでこの不良から逃れられるとは思ってないけど。
それでも一週間逃げ延びた功績を誰か称えてくれ。
きっと彼は臆病で寂しがり屋な自分を隠すために、周囲を威嚇しているだけなんだと思う。
今現在俺を睨みまくってる彼は、耳をべったりと寝かせ尻尾なんか股へと回ってしまいそうなくらい怯えている。
ある意味本心を見破った俺が怖くて仕方ないんだろうな…
「何であの日、あんなことしたんだっ」
嗚呼、鋭い目の奥が不安に揺れている。
「俺が誰だかわかってんのかテメェッ!?」
拳がギリギリと握り締められているのは、自身を奮い立たせるためなんだろう。
「おいっ!」
俺はこの能力が疎ましくて仕方がない。
だって俺は、無類の動物好きなんだ。
捨ててある動物もみんな拾って、里親を探し1匹残らず里子に出してしまうくらい大好きなんだ。
だから、これはヤバい。
やめてくれ、そんなに怯えないで。
手を、差し伸べたくなってしまう…
「…わ、」
「わ?」
「ワンコ…滾るっ!!」
「―――!?」
捕まえられたのは、俺か、彼か。
抱き寄せた温もりは離しがたく、視界の端に映る尻尾が戸惑いがちに揺れるのさえ愛しく思う。
なんて厄介な能力だろう。
こうして、俺たち2人の物語ははじまった。
【end】
side:不良
世間は冷たく無慈悲なものだ。
両親を事故で亡くした俺は、心優しい祖母に育てられた。
俺がとんでもない成績をとっても、大切な皿を割ってしまっても、頭ごなしに叱りつけることのない穏やかな人だった。
そんな祖母が亡くなった時、俺に群がってきたのは会ったことすらない親戚と名乗る大人たち。
俺は勉強は出来なかったが、バカじゃない。
当時中学生だったからといって、群がる大人たちの考えていることがわからないはずがなかった。
結果的に両親と祖母が残してくれた財産を守り抜くことができたものの、あの時向けられた浅ましく醜い感情は俺の心に深い傷跡を残した。
それからだ、俺が虚勢を張るようになったのは。
この世は弱肉強食。
人に少しでも弱みを見せたら、付け込まれて利用されズタズタに傷付けられる。
だから俺は、誰にも負ける訳にはいかなかった。
勉強も、喧嘩も、出来る努力は全部した。
お陰で今じゃ、俺に喧嘩を売ってくる奴もいなくなった。
その代わり俺のお零れに預かろうとする輩が、総長だのリーダーだの言って纒わり付くようになったけど。
周囲に人が増えれば増えるほど俺の虚勢は厚く硬くなっていき、そして孤独は加速度的に濃度を増していく。
俺は1人だ。
心を許せる者なんか誰もいない。
こんな虚しいばかりの世界で生きる意味なんてあるんだろうか。
完全に煮詰まって夕方になるまで屋上にいた俺は、その帰りに恐ろしいものと遭遇することになる。
そいつは何処にでもいる、目を離せばその瞬間に忘れてしまいそうなほど普通の男子生徒だった。
だけど、そいつは俺の頭を撫でたんだ。
畏怖され敬遠されているこの俺の頭を、ごく自然な動作でクシャリと撫でた。
頭を撫でられるなんてそれこそ小学生振りだったから、俺は訳もわからずフリーズしてしまった。
その間にそいつは逃げてしまったけど、段々と頭が回転をはじめると同時に俺は末端が震えるほどの恐怖に慄いた。
何故、何故アイツは俺の頭を撫でたんだ?
もしかして、俺の孤独に気付いた…?
どうしよう。
どうしよう、どうしよう…
握られた、弱みを。
祖母が亡くなってからただ一身に守り続けてきた、俺の一番脆く柔らかいところを。
アイツに、触れられた。
***
1週間。
それはもう、血眼になってアイツを探した。
そして屋上へと呼び出し怒鳴り付けてやった。
気迫で負けちゃ駄目だ。
何なら2、3発殴って口を封じたっていい。
とにかく少しでも怯んだら終わりだ。
今俺の目の前にいる、ちっさくて貧弱で普通の男子生徒が、俺には何よりも誰よりも怖い。
呼び掛けても全く返事をしないのが更に恐怖を煽る。
「…わ、」
不意に、それまで頑なに口を閉ざしていたそいつが、俺の頭やらズボンやらをチラチラと見ながら声を発した。
「わ?」
「ワンコ…滾るっ!!」
「―――!?」
急に大きな声を上げられて反射的に殴りそうになった俺は、次の瞬間何故か抱き締められていた。
抱き締める…というよりは、ぎゅうぎゅうと抱き付いているコイツに、俺の頭の中は見事に真っ白になる。
何が、起こっている―――…?
俺よりもずっと小さな身体で精一杯抱き付く姿に、温もりに、頬を撫でる柔らかな髪の感触に、握り締めていた拳から力が抜けていく。
怖い。
この小さな存在が堪らなく怖い。
怖い、のに…
ガクガクとみっともなく震えている手を、どうしてコイツの背中に回そうとしているんだろう。
どうして、離れたくないと思うんだろう。
どうして、泣きそうになっているんだろう。
その答えが出るのは、きっとそう遠くない未来の話。
世間は冷たく無慈悲なものだけど、
捨てたもんじゃないのかも知れない。
こうして、俺たち2人の物語ははじまった。
【end】