11 長尾虎姫
「……」
その瞬間は、いつまでも訪れなかった。
もう全身の感覚がない。
私はもう死んでいて、だから痛みも無いのだと言われても不思議ではない。
「――長尾!」
なのに、声が聞こえた。
私の名を呼ぶ声だ。
「クソッ反応がねぇ! おい、長尾!」
聞き覚えのある声だ。
ここにいるはずのない男の子の声。
「虎姫!」
私が目を開けると、彼がいた。
顔まで擦り傷だらけで、必死になって私を助けたのだろうと予想がついた。
「どうして?」
気付けば、そう口にしていた。
逃げてもいい筈だった。
嫌な人間である私を助ける理由なんて彼にはある筈が無い筈なのに。
「……見捨てるわけないじゃないか。それに無策でここまで来た訳じゃ無い」
巨大蜘蛛が迫る中、彼は私の目を覗いてこう告げた。
「ごめん、もう一度だけ戦ってくれ。今度は、一緒にだ」
◇
虎姫は驚いたように目を見開いている。
彼女の体は傷だらけだ、こんな事を願うのは本来間違っている。
でも、やるしかない。
虎姫を助けるには、これしかない。
僕が一人で彼女を抱えたところで、あの巨大蜘蛛からは逃げられない。
だから、やる事は一つだ。
「あのデカブツをぶち殺す。手伝ってくれ、虎姫」
右手の刻印が熱く熱を持つ。
ああ、分かってる。
今これを使わなければ何とする。
思えば、女神は最初に使い方を述べていたのだ。
「――愛を以て、世界の守護者となれ」
あの女神は愛の神様だ。
戦いの神ではない、愛を司る神様なのだ。
だからこそ、女子にのみ力が与えられて、男子には与えられなかった事にも意味がある。
この加護は、共に戦うための力なのだ。
決して、後ろからただ見守る為のものなどではない。
「ちょっと借りるぞ」
僕は虎姫の手を握りしめる。
彼女の、刻印が刻まれた左手だ。
恋人達がするように、指と指を交互に絡ませて、手を繋ぐ。
「ずっと、君に言いたい事があったんだ」
だからこそ、その発動の鍵も自ずと決まっている。
にしても何故、今まで気が付かなかったのか。
何故、今まで彼女に言わなかったのか。
何故、彼女の気持ちに見て見ぬふりをしていたのか。
「僕は、この世界に来る前からずっと、君に焦がれている」
心からの言葉だった。
巨大な蜘蛛は直ぐそこまで迫り、刃のような脚が振るわれる、その直前。
繋いだ手から光が溢れた。
――接続完了。ラブコネクト、開始します。
無機質な女神の声が脳裏に響く。
彼女の気持ちが、光となって伝わってくる。
『傷付いて欲しくない、だから戦いから遠ざけたかった』
知っている。
君は誰より優しい人だから。
全て自分で背負おうとしたのだ。
使命も、責任も、僕達の命も。
『遠征に一緒に来ると知って、怖かった。だから怪我をさせれば、安全な場所に留めておける。そう思って、傷付けた』
分かってる。
だから、最初から気にしていない。
寧ろ、僕が悪かった。
君に凄く心配をかけた。
「私も、貴方の事が好き。だから、私を使って――」
虎姫の全身が光を帯びる。
傷が塞がり、弱々しかった瞳に輝きが灯る。
その光は段々とその輝きを増し、彼女は光そのものとなって、その姿形を変えてゆく。
そして最後には一本の太刀が残った。
「戦おう、一緒に」
柄を握りしめる。
彼女と心が混ざり合い、一つになってゆくのを感じる。
同時に全身から力が湧き上がる。
今ならあの大蜘蛛だって倒せそうだ。
刀身で巨大な脚を受け止めた。
だが、それだけではない。
刃は脚の硬い外殻に食い込んでいる。
即ち、斬れる。
「おおおお――!」
そのまま、刀を振り抜いた。
食い込んだ刃は硬い外殻を容易く切り裂き、刃の脚を一本斬り落とした。
「次ッ!」
続いてもう一本の脚も斬り落とす。
巨大蜘蛛が後ずさる。
だが、逃がさない。
刀身が光を帯びる。
光はどんどんその輝きを増し、やがて今まで見た事がない極光となる。
世界なんてどうでもいい。
邪神討伐など以ての外。
単に今の俺は、虎姫を傷つけたこの存在が許せない。
狙いは頭だ、必ず殺す。
虎姫と繋がった事により、強化された身体能力で逃げる巨大蜘蛛に一瞬で肉薄する。
「死ねよ、クソ蜘蛛」
輝く刀身を振り下ろした。
巨大蜘蛛は金切り声のような悲鳴をあげながら、極光の中に包まれる。
そしてガラガラと音を立てながら、両断された体は崩れ落ちた。
この巣穴はこれで終わり、この一帯は魔物の脅威から解放される事になるだろう。
太刀は再び光となり、腕の中で一人の少女の姿に変化する。
「終わったよ、虎姫。一緒に帰ろう」
「うん……って、あ」
虎姫が石のように固まる。
彼女の視線は自分の体、彼女は一糸纏わぬ姿で僕の出の中に収まっていた。
……思えば、武器になったのは体だけで、服の方はそのままだったか。
「嫌ぁぁぁあ!!」
直後、僕は虎姫に殴られた。
何でだろう、僕達は凄い事を成した筈なのに、何だか凄く締まらない。