異世界転生(後編)
学院の収穫祭イベント学内舞踏会の日がやってきた。
この日のためにマーレファたちはメクサラたち監督局の役人と何度も打ち合わせ、ジュヌーンに関するあれこれを終わらせることにしていた。そのために多少の騒動が起きることは事前に通達されている。勿論、ジュヌーンと彼女に与する少数の下位貴族には知られないようにしているが、それ以外の生徒も教職員も『狂人ジュヌーンが何らかの騒動を起こし、それを収めるための茶番劇が行われる』ということは認識している。当然、舞踏会に参加する家族にもその旨の連絡は事前に入っている。
舞踏会当日、マーレファはイブンと揃いの意匠を取り込んだドレスで、イブンにエスコートされて会場入りした。既に互いの両親も会場内にいるし、関係者はファクル公爵家の周囲に集まっている。メクサラはファクル公爵家の近くにいるが、それ以外にも給仕や参加家族に扮した監督局の役人が会場内に散らばっている。
マーレファたちが会場入りすると、挨拶を装ってアルズとスィンがやってきた。スィンは婚約者も伴っている。
「狂人はあちらに。近くでフィリオたちが見張ってます」
先に会場入りしたフィリオとヨスがジュヌーンの動向を監視し報告してくれている。そのために六人には監督局からイヤーカフ型通信魔道具が貸与されている。
やがて学生会長の開会宣言によって舞踏会が始まり、学院長の挨拶が行われる。すぐに舞踏曲が流れるわけではなく、歓談のため(或いはダンスを申し込む時間を取るため)の静かな音楽が流れている。
既にパートナーのいるマーレファたちは歓談するふりをして、ジュヌーンの動向を注視していた。
案の定、ジュヌーンは友人たちと共に人をかき分けるようにしてイブン目指してやってきている。そして、間もなくダンスが始まろうというときにイブンの正面にやってきた。
ジュヌーンの姿は『のみはな』を知る者であればイベント衣装だと判るドレスだった。とても学内舞踏会で下位貴族の男爵令嬢が着るものではない。高位貴族から贈られていなければとても男爵令嬢では手が出ない仕立ての良い、上品な洗練されたドレスだ。だが、自分で選んだであろう装飾品が全く合っていないため、そのドレスの良さも半減している。メッキや色のついた石でそれらしく見せているだけの派手な髪飾りにネックレス、イヤリングはドレスの繊細な美しさを損ねている。
いや、一番ドレスを損ねているのはジュヌーンの欲望に満ちた下卑た表情だった。
「イブ」
「マーレファ、私の愛しい女神、踊っていただけますか」
「勿論ですわ、わたくしの大切な騎士様」
ジュヌーンがイブンに声をかけようとした瞬間、イブンはジュヌーンに一瞥もくれずマーレファへとダンスの申し込みをし、マーレファはそれに応じる。
そして、ジュヌーンが言葉を失っている間にイブンはマーレファを伴いダンスフロアへと移動していった。取り残されたジュヌーンは呆然とし、ジュヌーンの言葉を信じていた友人たちも唖然としている。
「し、仕方ないわ。あの女はまだ婚約者だもの。イブン様も我慢してるの。お可哀想に」
虚勢を張るようにジュヌーンは言う。その言葉で周囲の失笑を買っていることにも気づかない。
(どうして、無視するの? ゲームなら、あたしを見て微笑んで、すぐにダンスに誘ってくれたのに! ううん、その前にあたしを探しに来てくれたのに! なんでよ、可笑しいでしょ)
これまでの半年、悉くゲームのイベントが成功していないにも関わらず、未だにイブンルートのシナリオが進むと信じているジュヌーンは、既にお花畑乙女ゲーム脳を通り越して、学内の通称通りの狂人だった。真面な思考回路・真面な判断力を持っていれば、仮令乙女ゲーム脳だったとしてもイベント連続失敗でハッピーエンド不可を悟り、大人しくなっただろう。
これはある意味監督局の罪でもある。五十年ぶりに現れた転生ヒロインであることを理由に、後世への見せしめを兼ねて被害拡大を容認した。その結果がこの狂人だ。入学間もない時期に転生者であることもヒロイン症候群であることも判明していたのだから、そこで捕縛していれば矯正教育機関に収監するだけで済んだのだ。しかし、狙って放置していたためにジュヌーンは犯さなくて済んだはずの罪を重ねている。
そして、二曲続けて踊り、友人の許へ戻った──つまり、ダンス前の場所に戻ったマーレファに対して、ジュヌーンは更なる罪を重ねてしまう。
「酷いわ、マーレファ様! どうしてイブン様を縛り付けるの!? もう彼を自由にしてあげて!」
ゲームの設定に沿ってはいるが、ゲームにはないセリフでジュヌーンはマーレファを糾弾する。ゲームであれば正当な糾弾だが、現実においては事実無根の誹謗である。
「……失礼、あなたはどなた? わたくし、見知らぬあなたに名を呼ぶことを許した覚えはないのですけれど」
マーレファはこの場の貴族令嬢としては当然の問いかけをする。マーレファは幾度かジュヌーンと顔を合わせたことはあるが、一度も名乗り合ったことはない。それは貴族社会においては見知らぬ他人同士ということになる。
「酷い! またそうやってあたしを男爵家の庶子だって馬鹿にするのね! 身分で見下して最低だわ!」
この世界をゲームだと思っているジュヌーンは転生前の『人は皆平等』精神でそう罵るが、この世界において正しいことを言っているのはマーレファであり、ジュヌーンの言葉は妄言であり暴言でしかない。
「イブン、この方はお知り合い? わたくし、この方が何をおっしゃっているのか理解できませんの」
マーレファは隣に立つイブンの腕に縋るように手をかけ、問いかける。勿論、演技だが、常軌を逸しているとしか思えないジュヌーンに『何この子怖い』とも思っている。
「いや、知り合いではないが、私に付き纏って妄言を吐いている狂人だね」
はっきりと狂人と口にしたイブンに周囲の子女が笑いを堪える。
「イブン様、こんな女に気を遣って知らないふりなんてしなくていいんですよ! あたしのこと愛してるでしょ? ずっと見つめてくれてたし、あたしたち、見つめ合うだけでお互いの気持ちが手に取るように判ってたわ! あたしたち、愛し合ってるんですもの」
しかし、ジュヌーンの返答は想像の斜め上のものだった。既に狂っていると思わせるものだ。全く話が繋がっていない。
「イブンもこう言っているのよ。あなたはわたくしともイブンとも知り合いでも何でもないわ。名乗りもしない無礼者、今ならば無礼を詫びて立ち去れば許しましょう」
聞きはしないだろうと思いつつ、マーレファは最後の温情をかける。ここで詫びて退散すれば、処罰に多少の温情が与えられる。最後の最後に身分を理解したと判断されるのだ。
「はぁ? 悪役令嬢のくせに何言ってんのよ! どきなさいよ、イブンの隣はあたしの場所よ!」
だが、その温情も無駄になった。ジュヌーンはマーレファの言葉に激高し、彼女を突き飛ばそうと腕を伸ばした。そして、その瞬間、彼女の足元に捕縛魔方陣が出現し、ジュヌーンは捕らえられた。
「不敬罪現行犯ですね、ジュヌーン・カーブース」
そう告げたのは特殊法監督局のメクサラである。
「不敬罪って何よ! 意味不明!!」
捕縛されてなお、現状を理解していないのかジュヌーンはメクサラに叫ぶ。
「許しもなく公爵令嬢であるマーレファ様に話しかけ、名前を呼んだ。男爵家の庶子に過ぎないあなたには許されないことです」
捕縛理由は勿論それだけではないが、切っ掛けはそれだ。正確にいうならば手を伸ばした=暴行を加えようとしたことが切っ掛けだが。
「学院では身分差はなくって平等なはずでしょ! 身分を鼻にかける悪役令嬢が悪いのよ!」
やはり現状を理解していないジュヌーンはどこかずれた反論をする。
「魔導学院において爵位や身分の高低を気にしなくてよいとはどこにも記されておりません。学問の前には身分などないとは明記されていますが」
が、それに律義に答えるメクサラも少々可笑しい。初めて見るヒロイン症候群の末期症状に聊か混乱しているのかもしれない。
「だったら、身分を笠に着るのが悪いんじゃない!」
マーレファもイブンも別に身分を『笠に着て』はいない。単に身分に応じた、常識的な言動をしているだけだ。しかし、前世で悪平等主義にどっぷりと浸かっていたジュヌーンにはそれが理解できなかった。
「学問の前には、と記されているでしょう。つまり身分によって学ぶ内容を制限することはしないし、忖度して成績を操作することはないというだけです」
相手をする必要はないはずなのにメクサラは律義に返答する。これは見せしめの一環だ。学生の中には他国の自由主義の思想にかぶれ、平等や公平を履き違える者もいる。そういった者への牽制にこの狂人は丁度いいと上層部が判断したため、少しばかりこれを暴れさせているのだ。
「じゃあ、可笑しいじゃない! あたしが希望した領地経営学実践講座、受けさせてもらえなかったわ!」
後期の選択授業で希望した領地経営学実践講座を受けられなかったことをジュヌーンは言う。学習に関して忖度がないのなら、受けられないはずはない。でもジュヌーンは希望を却下された。それはきっと悪役令嬢のマーレファが手を回したに違いない。
領地経営学実践講座はゲームにおいてイブンを攻略するのに必須の授業だ。この講義を受けて『知識〔領主〕』を上げることで、イブンの好感度が大幅に上昇するのである。
「それは単純に成績が足りないからです。あなたでしたら領地経営学基礎初級講座ですね。というか、あなた、受けられなかった時点でイブンルート失敗を悟らなきゃダメでしょ」
メクサラからゲームを知らなければ出てこないはずの『イブンルート』という言葉を聞き、ジュヌーンは初めてメクサラを見た。これまではメクサラと問答しながらもずっとマーレファを憎々しげに睨んでいたのだ。
「あんた……なんでそれを……あんたも転生者なの?」
「違いますよ。詳しいことは取り調べの際に説明します。さて、カーブース男爵家庶子ジュヌーン、王国特殊法 第二章貴族編 第三項 第六百七十八条 異世界転生報告義務違反、第六百七十九条 現実不認識、第六百八十一条 ヒロイン症候群、第六百八十二条 自作自演冤罪未遂、第六百八十三条 不敬罪、第六百八十四条 公共の場での断罪茶番劇未遂により捕縛します」
メクサラの捕縛宣言と同時に捕縛魔方陣が光り、ジュヌーンは監督局の取調室へと転送された。
「今回は約五十年ぶりの『転生者による現実不認識、ヒロイン症候群』案件でした。詳細は取り調べの後、正式に王家より公表いたしますので、それをお待ちください。それではお騒がせいたしました。改めて舞踏会をお楽しみください」
メクサラをはじめとした監督局役人一同は礼をすると、転移で会場を後にした。改めて楽しめと言われても微妙な空気になっている。しかし、そこは特殊法なんて飛んでも法律がある国だ。ある意味貴族も国民も鍛えられている。
「さて、今宵の話を肴にして、改めて楽しもうではないか!」
最上級生に婚約者がいることで舞踏会に参加していた王太子の宣言で、あっという間に舞踏会は空気を換えて盛り上がるのであった。
その後、取り調べを終え、メクサラの宣言通り全てが公表された。
そこにはゲームとされる異世界創作物の内容、攻略対象であった五人のことも悪役令嬢のことも、残り二人のヒロインのことも全て記されていた。尤も、実名は伏せられており、学院に同時期に在学していた者以外はそれが誰であったのかを知ることはないよう配慮されている。ヒロイン残り二人は未遂犯であるし、攻略対象と悪役令嬢は配役を強制された被害者であるからだ。
ジュヌーンは尤も重い罪となる二件が未遂であったことから死罪は免れ、女子修道学院で矯正教育を受け、卒業が認められれば修道院に入り生涯社会奉仕に従事するという処罰が下された。但し、取調官や面談した修道学院の教師は矯正は極めて困難と判断したため、最も厳しい社会奉仕を行いつつ、矯正教育を受けることになった。
一方、ジュヌーンのいなくなった学院では、暫くはヒロイン症候群についての議論が盛んになり、関係者となったマーレファたちは落ち着かない日々を過ごすことになったが、半年もすると収まり、その後は取り立てて特別なこともなく穏やかで平穏な学院生活を送った。
そして、卒業後は皆がそれぞれの道を進み、マーレファはイブンと無事に結婚した。マーレファのファクル公爵家とイブンのダウク公爵家は良好な関係を築き、王国の安寧に貢献することとなったのである。
今回の王国特殊法
第二章貴族編 第三項 第六百七十八条 異世界転生報告義務
己、もしくは家族に『異世界から転生した』と思われる言動がある場合は然るべき機関に即座に報告する義務を負う。
第二章貴族編 第三項 第六百七十九条 現実不認識
己の生きる環境を異世界の創作物(ゲーム、漫画、小説等)と思い込み、この国の法律や常識を受け入れないことを現実不認識とする。家族や関係機関の指導で改善しない場合は、然るべき機関において教育を施すものとする。
第二章貴族編 第三項 第六百八十条 関係構築拒否
現実不認識により家族や周囲の者を異世界創作物の登場人物と思い込み、創作物の筋書きを避けるために関係構築を拒否することは、貴族としての義務の放棄につながる。家族や関係機関の指導で改善しない場合は、然るべき機関において教育を施すものとする。
第二章貴族編 第三項 第六百八十一条 ヒロイン症候群
現実不認識により己を異世界創作物の主人公と思い込み、創作物の筋書き通りの展開になるよう身分や立場を弁えず行動する者は、社会の常識を弁えず、一般社会に不利益を齎すものである。家族や関係機関の指導で改善しない場合は、然るべき機関において教育を施すものとする。
第二章貴族編 第三項 第六百八十二条 自作自演冤罪
ヒロイン症候群により特定の人物を悪役と見做し、自身の欲望を達成するために自作自演もしくは拡大解釈によって相手を貶める冤罪は、刑法に定める冤罪よりも厳しい裁きの対象となる。
第二章貴族編 第三項 第六百八十三条 不敬罪
ヒロイン症候群により、異世界創作物の登場人物と思い込んだ者に対して、身分の差を弁えぬ行動をすることは、身分制度を理解しながらも己だけは特別に許されるという傲慢の表れである。よって通常の不敬罪よりも厳しい裁きの対象となる。
第二章貴族編 第三項 第六百八十四条 公共の場での断罪茶番劇
公衆の面前において一個人が断罪することは、特殊法監督局をはじめとする法務省・司法省の権限を侵すものである。況してや明確な証拠もなく断罪を行うことは許されざることである。よって、これを行う者は即座に捕縛し、内容の詳細により適切な処罰を下すものとする。