異世界転生(中編)
ジュヌーン・カーブースは転生者だった。
入学式の直後、前世の記憶が甦った。やった、ここ『のみはな』の世界じゃん! あたし、ノーマルヒロインのジュヌーンか! そう思いウキウキと教室に入った。
同じクラスには攻略対象の一人、魔術の天才であるフィリオ・アッラーフがいた。攻略対象らしく美麗な容姿にジュヌーンは見惚れた。早速声をかけようかと思ったが、ゲームでの初接触は入学後三日目の初めての魔術基礎の授業のときだ。ゲームシナリオに合わせてそれまで待つ方がいいだろうと我慢することにした。
それに、この『のみはな』には逆ハーレムルートはない。ジュヌーンの前世の一押しは公爵子息のイブン・ダウクだ。どうせなら彼のルートを進みたい。
『のみはな』は二股判定が厳しいゲームだから、ゲームイベントの中でも恋愛フラグイベント第二段階は一人しか迎えられない。しかも第二段階は他の攻略対象と好感度の差が五十以上ないと発生しない。第二段階を迎えた相手としかハッピーエンドは迎えられないから、実質攻略対象は初期段階で一人に絞るしかない。
ゲームが現実になった世界なのだから、もしかしたら逆ハーレムもいけるかもしれないが、前世のラノベでは転生ヒロインが本来ない逆ハーを目指して破滅する作品も多かった。ここは安全策を取って、イブン一本で行くべきだろう。
ジュヌーンはそう考え、イブンとの出会いイベントまで何もしないことにした。
そして、本来なら翌日に起こる宰相子息アルズとの出会いイベントも大商家子息ヨスとの出会いイベントも、翌々日に起こる騎士団長子息スィンとの出会いイベントもフィリオとのイベントも全てスルーした。
その情報はすぐにメクサラからマーレファと攻略対象に共有され、『狙いはイブン』と判明したのである。勿論、ジュヌーンがゲームシナリオとは無関係ということも考えられたが、油断は出来ない。前世の記憶の有無に関わらず、イブンルートのみが残されている状況となった。
「出会いイベントとやらが今日だったか」
教室で隣り合った席に座るイブンがマーレファに問いかける。
「ええ、確か、入学後十日目だからそのはずですわ。昼休みに食堂で侯爵家の令嬢に無礼を咎められているのをあなたが仲裁するのではなかったかしら」
学院は貴族にとっては社交界の予行演習の場でもあることから、身分による上下関係は確りしている。それに気づいていない貴族になって数か月のヒロインが侯爵令嬢に無礼を働き咎められるのだ。
「私が仲裁する? 侯爵令嬢は理不尽なことを言うのかい?」
「いいえ。ただ言い方が厳しいので。モタカーメル侯爵令嬢のはずですから」
ゲームシナリオを思い出しながらマーレファは答える。出番はそこだけの高位貴族令嬢だが、一応キャラクター名はあった。それがモタカーメル侯爵令嬢だ。
「ああ、王太子殿下の婚約者か。確かにあの方は少しばかり言葉が厳しいね。怠け癖のある殿下を叱ってたらそうなってしまうのも仕方ないけど」
「まぁ、不敬でしてよ」
イブンの言葉にマーレファはクスクスと笑う。イブンは三つ年長の王太子の側近候補だ。年が離れてはいるが幼馴染として親しくしており、卒業後に側近として働く予定になっている。
「モタカーメル侯爵令嬢が言って下さるから側近候補としては助かっているんだ。殿下は彼女にベタ惚れだからね。シナリオだと私が男爵令嬢の味方をするんだね?」
「味方というか、庇うという感じですわ。言い方がきつすぎる、学院なのだからもう少し緩くてもいいんじゃないかと」
「その私は馬鹿なのかい? 学院だからこそ厳しく叱って、社交界に出たときに失敗しないように学ばなければいけないのに」
「乙女ゲームとはそういうものですのよ。ヒロインにだけ優しい世界です」
王族や貴族が出てくるのに、身分制度が絡むのは都合のいい場面だけだった。身分違いの悲恋要素を引き立てたり、悪役令嬢を断罪するのに攻略対象の身分を利用したり、ヒロインにとって都合の良い、優しい身分制度だ。
「マーレファ、どう思う? 私はシナリオのとおり男爵家の庶子を庇うべきだろうか」
「お心のままになさいませ。メクサラ卿も仰せでしたでしょう。シナリオなど関係なくわたくしたちは自由なのだと」
「そうだね。我が心の赴くままに行動してみるのも悪くはない」
マーレファの返答にイブンは考えの見えない笑みを浮かべるのだった。
(なんで!? どうして!?)
今日はお目当てのイブンとの出会いイベントだった。だから、張り切ってゲーム通りの行動をした。
食堂で食事の乗ったトレイを受け取って席を探しているところでモブ令嬢にぶつかって、そこで因縁をつけられた。居丈高で嫌味たっぷりな如何にも悪役モブという感じの女に絡まれているところに、イブンが颯爽と現れた。
そこまではゲーム通りだった。何故かイブンの隣には不仲なはずの婚約者の悪役令嬢もいたけど、この際それはどうでもいい。ゲームだったら、イブンはモブ令嬢を咎めてあたしを庇ってくれるはずだった。なのに、イブンはモブ令嬢に声をかけてモブ令嬢を誘って婚約者と三人でどこかに行ってしまった。あたしには何も声をかけずに! 可笑しいじゃない!!
ここがゲーム世界だと信じているジュヌーンはほんの少し前の出来事が信じられなかった。出会いイベントで失敗してしまったのだろうか。いや、出会いイベントに失敗はないはずだと、ぐるぐると思考が迷走する。
「ふぅん……なんだか不満そうだね。これはやっぱりシナリオを知っているのかな」
「そのようですわね。まぁ、残りの二人もそうでしたから、最後の一人がそうでない確率の方が低いでしょうし」
シナリオ通りに進まなかったことに混乱している様子のジュヌーンにイブンとマーレファは彼女もまたゲーム知識ありなのだと確信する。尤も、これから彼女がどうするのかはまだ判断がつかない。イブン狙いでゲームシナリオを進めようとするのか、それとも出会いイベント失敗として諦めるのか。諦めてこの世界の普通の男爵令嬢として生きていくならこのまま放置しても問題はない。
「暫くは様子見だね」
聊かうんざりとした表情でイブンは言う。初めて『ヒロイン』を目にして、その傲慢かつ物欲しそうな下卑た表情に嫌悪感を持った。この世界が自分だけが幸せになるためのものだと思い込んでいる品性が顔に表れているのだろう。
「いくつかイベント失敗して、それで現実と知れば良し。無理にゲームに寄せようとして行動すれば監督局の出番ですわね」
周囲にも当人にも被害の少ない出来るだけ早い段階で現実と思い知ってほしいと願うマーレファだった。
しかし、マーレファの願いは叶わなかった。どうやらジュヌーンはお花畑乙女ゲーム脳もしくはお花畑ラノベ脳らしく、現実とゲーム世界の区別がついていないようだった。もしくは区別することを無意識に拒否しているのか。
ジュヌーンはしつこくゲームイベントを起こそうとした。だが、全てイブンに無視されて終わる。そもそも男爵家の娘が公爵家子息に声をかける時点で不敬として処罰されても仕方がない。なので、そのたびに学院の教師や連絡を受けた実家から叱責を受けているのに、全く効果がない。
それどころか、マーレファが権力を使って嫌がらせをしているんだと思い込む始末である。クラスメイトにも散々そう愚痴を言っていることを同じクラスにいるフィリオから報告され、マーレファもイブンも呆れるしかない。
なお、ジュヌーンのクラスは下位貴族しかおらず、しかも頭の中にお花畑を展開している者が多いらしく、ジュヌーンの話を信じている者もいる。フィリオら一部のまともな生徒が窘め諫めても全く効果がないらしい。
「ファクル公爵令嬢は一度もカーブース男爵令嬢と言葉を交わしたことないですよね? というか、ダウク卿も彼女に声をかけたことないですよね? なのになんで自分がダウク卿の寵愛を受けてるとか妄言出来るんですか。怖い」
報告を聞いた攻略対象であったアルズ(宰相子息)は常識の通じないジュヌーンの言動に対して恐怖を感じているようで震えている。
「もう、これはそろそろ捕縛でいいんじゃないですか。明らかに特殊法案件でしょう。現実不認識とヒロイン症候群の条項に当て嵌まってますよ」
ジュヌーンの執着によりイブンとマーレファが危険に晒される可能性を鑑みたスィン(騎士団長子息)は、自ら進んで学院内では二人の護衛をしている。女性騎士志望の彼の婚約者も主にマーレファの護衛として行動を共にすることが多くなった。
ただ、特殊法監督局としては五十年ぶりの転生案件のため、周知のためにも出来るだけジュヌーンには派手にやらかしてもらい、見せしめとしたいらしい。既に現時点でジュヌーンが裁かれることは決まっている。いつでも捕縛は出来るのだが、今捕縛しても話題性に乏しい。現時点でのジュヌーンは時折不思議な言動を取る身の程知らず、という程度だ。もう少し転生案件であることを示す人目があるところでのやらかしが欲しいというのが監督局の言い分だった。
「そろそろ学内舞踏会がございますわよね。イブン様のルートですと、そこでイベントがございますわ」
溜息交じりにマーレファは告げる。学内舞踏会は学院入学後半年となる収穫祭の時期に行われるイベントだ。この少し前に王国の社交シーズンは終わる。つまり、貴族の子女は社交界デビューを済ませているのだが、流石に学院に通う子女は積極的な夜会参加は出来ない。よって経験を積み立ち居振る舞いを練習するために学内で舞踏会が行われるのだ。
「入学後半年ということは、ゲーム開始からも半年。それなりに攻略が進んでいるというわけか。もしかして、ゲームの私はマーレファではなくあの狂人をエスコートするのかい?」
自分のイベントでパーティならば如何にもそれがありそうだとイブンは言う。ゲームの自分と同名の登場人物は随分と愚かだと思いながら。
「いいえ、エスコートはわたくしをしてくださいますわ。ですが、彼女とダンスを二曲続けて踊りますの」
苦笑しつつマーレファは答える。舞踏会でダンスを二曲続けて踊るのは恋人であることを示す行為だ。
これは婚約者であるマーレファにとってはこの上ない侮辱に他ならない。当然、ゲームのマーレファは屈辱に震え、イブンに告げるのだ。
「わたくし、愛人を許容できぬほど狭量ではないつもりですが、流石に婚姻前からそのようになさるのは不快ですわ。愛人は表舞台には出さぬものです。いかがなさいますの」
と。実はゲーム内での二人の婚約は困窮するイブンの実家を助けるためのものだ。イブンとマーレファの婚約はマーレファが上位者という明確な力関係がある。ゆえにゲームのイブンはジュヌーンを伴って舞踏会の会場を出て行く。その後、ジュヌーンに婚約の裏事情を説明し関係解消を告げようとするのだが、ジュヌーンは婚約の事情に憤り、二人で公爵家を立て直そうと励まし奮闘することになる。
尤も現実ではイブンの実家ダウク公爵家は困窮していない。そうなる原因を事前に排除できたからだ。現実の二人の婚約は、原因排除のために共に行動するうちに信頼関係が出来、ほのかな恋情も生まれたことによるものだ。両家の親密な関係を確かなものにするという政略的な面もあるが、ゲームのような政略のみの関係ではない。
「私はマーレファ以外とは踊るつもりはないんだけどなぁ」
デビュタント以来、毎回イブンはマーレファのエスコートをしている。そして、彼女以外とは踊らないことは同年代の貴族子女の間では有名だ。
「ですが、あの女、ダウク卿に踊ってほしいって纏わりつきそうですよね。貴族令嬢のルール無視して」
想像して疲れを感じたらしい口調でアルズに苦笑しつつ、皆が頷く。
王国の舞踏会にはいくつかの暗黙の了解やルールがある。
各家で親しい者を招いてデビュタント前の子供も参加できるパーティやデビュタント前の練習や講習を兼ねたプレ舞踏会では、エスコートの必要はなく、誰とでも何回でも踊ることが出来るし、女性から男性に申し込むことも出来る。
しかし、デビュタント後に参加するパーティや舞踏会は違う。必ずエスコートが必要だし、恋人や婚約者でなければ続けて二曲以上踊ることはないし、舞踏会の最初の一曲と最後の一曲は婚約者や配偶者とでなければ踊らない。また、ダンスを申し込むのは必ず男性であり、女性から申し込むことも強請ることも出来ない。
そういったルールや暗黙の了解をあのジュヌーンが理解しているとも思えないし、仮令知っていても無視するだろうと予想がつく。
「クラスでもそうだけど、あの女自分ルールが多いからなぁ。自分だけに適用される自分のためのルール」
「それって単なる我儘って言わない?」
同じクラスのフィリオが言えば、ヨスが突っ込む。
「でもまぁ、これまでを鑑みればあの狂人が私かマーレファに絡んでくることは間違いないだろうね。学内舞踏会とはいえ、保護者も参加はするんだ。アレの捕縛に踏み切るにはいい機会じゃないかな」
イブンがそう言えば、マーレファも同意するように頷く。
「もういい加減に何とかしてほしいですわ。あの子、これ見よがしにわたくしの前で転んだり、お茶を零したりしますの。そしてまるでわたくしが何かをしたかのように、怯えた顔をして涙を溜めて立ち去りますのよ。言葉に出して突っかかってこないだけ良いのかもしれませんけれど、鬱陶しいことこのうえもありません」
ジュヌーンの奇行は学院で知らぬ者はないため、マーレファが非難されることはない。寧ろ狂人ジュヌーンに目をつけられておいたわしいと同情されている。マーレファに悪い影響はないとはいえ、苛立たしいし鬱陶しい。早々に監督局には決着をつけて欲しいと思う。
二週間後の学内舞踏会、そこで決着をつけるようメクサラと連携を取り、この狂人ジュヌーン劇場を終わらせたいとマーレファたちは願うのだった。




