16★
先日の一件と、ついさっき村長から胸倉を掴まれたせいで、セリオはクラウディオに対して噛みつくような真似はしない。
けれど長年甘やかされてきた彼にとって、冷水を頭から浴びさせられるという行為は、どんな相手とて随分腹が立つものであった。
「…… こういうこと、やって良いんですねぇ。僕が風邪を引いたらどう責任取るんですか?」
ジロリと睨みつけるセリオは怖いもの知らずというより、ただの馬鹿だった。
「やり過ぎだと私を責めているのかい?セリオ君。では、詫びよう。すまなかったね」
クラウディオは「すまなかった」と言いつつも、欠片も思っていない表情だった。
罪人を見る眼つきも、威厳ある冷徹な領主という態度も崩すことをしない。つまり、そう思っていないことを相手がわかっても特に問題が無いと思っているのだ。
「それとセリオ君、あまり動かないでもらおう。ここは私の妻の家だ。汚されるのは不快で仕方がない」
迷い込んで来た野良犬を見る目つきに変わったクラウディオに、カッとなったセリオは「あんたの部下がやったんだろっ」と訴える。
”妻”という単語に反応しなかったところが、実に残念である。クラウディオは敢えてそう言ったというのに。
セリオは、つくづく自分だけが大事な男のようだった。
「口の利き方に気を付けろ」
そう言ったのは、クラウディオではなくハイネだった。
彼はいつの間にか、剣を手にしていた。切っ先はもちろんセリオの首筋に当てられている。
政務補助である彼は、クラウディオの護衛騎士でもある。だが、それを礼を欠く相手に対して、いちいち説明する必要は無い。
「セリオ君、これから大事なことを話すから、良く聞くんだよ」
「…… はい」
蚊が鳴くよりも小さな声で返事をしたセリオに、クラウディオは猛禽類のように目を細めた。
「いいかい、強き者は、弱き者を守る義務がある。力は人を守る為に使わなければならない。己の主張を無理矢理通すために使うものではない。そして、私は弱い相手に対して暴力をふるう者は、この領地には要らないと思っている」
「……っ」
「セリオ君、今すぐここを出て行きたいか? それとも、二度とこのようなことをしないと誓うか? 良く考えてから答えなさい」
領地追放というのは、思っている以上に重い罪である。
他の領地との関所を通る為の手形は発行されることは無いし、追放者にはパン1個と銅貨5枚しか与えられないという決まりがある。
この季節、行き場所を失って彷徨うのは、死刑と同義語だった。
「…… モニカには二度と近づきません。ごめんなさい」
「君が理解のある青年で良かった。……二度目は無い。肝に命じておけ」
「はい」
半泣きになったセリオは断りも無く席を立ち、玄関ホールへと走り出す。
後を追おうとしたハイネをクラウディオは、目だけで留める。
次いで、更に眼光を鋭くして、村長を見た。
「さあて、ラスダット、次はお前の番だな」
既に己の罪を理解している村長ことラスダットは、慈悲を求めるように詫びの言葉を紡ぎながら床に跪いて頭を深く下げた。