15★
パタパタと小走りで、もう一人の乱入者が居間に姿を表した。執務補佐のハイネである。
彼は人一倍、身だしなみに気を使う男である。モニカの家の窓拭きをする際にも、皆が動きやすい格好になる中、一人だけタイもジャケットも身につけたまま行うくらいに。
なのに部屋に飛び込んできた彼は髪はぐしゃぐしゃで、タイの位置はズレている。そして、まるで全力疾走したかのように息が荒かった。
実際、ハイネは急いでここへと向かっていた。不測の事態を伝えに来たビドと共に、クラウディオがに置いていかれたためだった。
そんな可哀想なハイネをチラリと見てから、クラウディオはモニカが座っていたソファに音もなく着席する。
大体の状況を察しているハイネは、不平不満を口にすることはせず、クラウディオの背後に立った。
「単刀直入に聞くが、なぜこのような真似をしたか答えろ」
足を組みながら村長に問うたクラウディオの声は、氷のようだった。
漆黒の長い髪よりも、光沢のある領主の威厳を表す衣装よりも、すべてを見透かす深いブルーの瞳が放つ光は、まるで刃のように冴え冴えとしていた。
僅かながらもこの部屋は暖炉に薪がくべてあるから外より温かいというのに、この場で吐く息が白くなっていないことが不思議だと思うほど、恐ろしい冷たさがあった。
「いつからこの村は治外法権となった? それとも、私との取り決めなどさほど重要なことではないと判断したのか?」
クラウディオは感情を乗せない静かな声だというのに、聞く者の肌を凍りつかす凶器ような冷たさだった。
きっとモニカが側にいたなら、恐ろしさのあまり気を失っていたかもしれない。
統治者は2つの顔を持つ。
相手を信頼し、赦しを与える、”善の顔”。
とことん疑い、無慈悲に裁きを与える、”冷徹な顔”。
どちらもクラウディオの本来の姿である。
ただクラウディオは好き好んで後者の顔になるわけではない。
法を守らず理不尽な行いをする者や、弱者をいたぶる者にだけその顔を見せる。
「無言を貫いているようだが、それは言い訳を考えているのか?」
顔面蒼白になって俯く村長とセリオを、クラウディオは容赦なく追い詰める。
「…… 大変申し訳ございません」
やっとひねり出した村長の言葉に、クラウディオは目を細めて口を開いた。
「謝罪をするなら、その前に己が何をしたか答えろ」
すぐさま「ひぃっ」と弱々しい村長の悲鳴が部屋に響く。
だが、それだけだった。
村長はそれ以上の言葉を見つけることができず、カタカタと哀れに震えることしかできない。
セリオに至っては白目を剥いている。わがまま放題で育てられた彼にとって、手っ取り早く逃げるにはこれが最善の方法だった。
けれど、この領地を統治する者を怒らせてしまったのだ。そう簡単に逃げることはできない。
「ハイネ」
「はっ」
長年執務補佐を努めているハイネは、一を聞いて十を知る人間だ。
すぐにクラウディオの求めることを察知して、居間を離れる。
─── 待つこと2分。ハイネは桶を手にして戻ってきた。
そしてクラウディオではなく、セリオの背後に立つと勢いよく桶をひっくり返した。
バシャン。
「……っ、はぁ?! な、何コレ!?冷たいんですけどっ」
桶の中身は、井戸から汲みたての真水である。それを頭から被ったセリオは飛び上がらんばかりに驚いた。
そんなセリオに向かい、クラウディオはにこりと笑みを浮かべる。
「おはよう、セリオ君。そんなに私と村長の話は退屈だったかな?」
クラウディオは、うたた寝をした出来の悪い生徒を咎める教師のような口調であったが、その目は罪人の首を跳ねる執行者のようなそれだった。