7.柘榴色(le Rouge)【出題後編6】
「僕はもう少しここに残って調べてみたいですから、どうぞ、お二人で散歩に行くのなら、行ってください」
僕たちの会話に気付いた麒麟丸が即答した。ちょっとだけふてくされているようにも聞こえたが。
「ということは、アドニス君が私のボディガードということですね。じゃあ、出発しましょうか」
「ボディガードって、いったい、どこへ行くつもりなんですか」
僕は慌てて問い返した。
「敵の偵察です。別に談合が禁止されているわけではありませんから、ルール違反にはならないでしょう」
「だとして、どのチームに会いに行くのですか」
「もちろん、へぼ探偵がいるチームに決まっているじゃないですか」
西野さんがさっぱりと答えた。
赤の建物を出るとすぐ、西野さんが僕のシャツをうしろからくいくいと引っ張るから、ついていくと、連れてこられたのは、鉄格子のはまった窓の下だった。西野さんが手を伸ばして、鉄格子が付いているあたりの窓枠を、指でさっと拭うように動かした。
「やっぱりね……。ほら、見てください」
西野さんの人差し指の腹には、黒い煤のようなものが付いていた。
「ホコリですか?」
「いえ、どうやら砂のようですね」
「砂ですか……。それにしては、やけに黒いじゃないですか」
「そうです。黒い砂です」
そう言うと、西野さんは嬉しそうに、ふふふんふんと、例の鼻歌を歌い始めた。僕は背丈があるから、窓枠を直接のぞき込んでみると、鉄格子がはまっている下枠には、ひとすじの西野さんの指のあとが残っていて、さらに、別な格子のつけねにも煤のようなものがいっぱい落ちていた。よく観察してみると、西野さんの指に付いていたのと同じあの『黒い砂』であった。
「かなり落ちていますね。でも、さっきここを確かめた時には、こんなに砂ありましたっけ」
僕の記憶では、先ほど調べた時に、この砂の存在には全く気付かなかった。
「さあ、もしかしたら、さっきは無かったのかもしれませんねえ」
とぼけるように西野さんが答えた。どうやら、なにかしらの解答を用意しているみたいだが、僕にそれを教えてくれる気配はまるでなかった。
雀四郎を象徴する赤の建物がある敷地から、四辻の分かれ道へと戻り、西野さんは向かって左側の辻を選んで、先へ進んでいった。まるで、かつて一度ここを通ったことがあるかのごとくスムーズな選択であった。
「西野さん、あの探偵が調査をしている建物は、本当にこの先にあるんですか」
心配になって僕は訊ねてみた。
「まず間違いないと思います。なぜなら、朱雀が南の方角の守り神で、白虎は西の方角の守り神だからです」
なるほど、たしか探偵は虎次郎の配下に就いていたな……。
そして、木々の合間を伸びる小道を三分ほど歩くと、西野さんの予想通り、白い建物が突如目の前に姿をあらわした。
色が違うだけで、形は赤の建物とそっくり同じように見える。そして、玄関前の同じ場所に白いポストもポツンとたたずんでいた。
「では、敵の本陣正面突破とまいりましょうか」
そうつぶやいて、西野さんはずっと顔を覆い隠している日よけ用のバケットハットを、ちらりとめくり上げた。
麒麟丸兄弟の次男、虎次郎に割り振られた白い建物は、玄関扉のシリンダー錠の鍵穴の右横に、直径15センチほどの丸い穴がポッカリと開いていた。僕たちが近づいていくと、まるで魔法が掛かっていたかのように扉がさっと開いて、中からトレンチコートの探偵が顔を出した。まさにジャストタイミングといったところか……。
「お久しぶりですねえ。へぼ探偵さん」
西野さんがいきなり攻撃的に挨拶を交わした。
「なんだ、お前か……。いったい、何しに来た」
探偵はさほど動じる様子もなく、にやにやと笑っている。
「ちょっと敵陣の様子を視察にまいりました。鳳仁氏のなぞなぞは解けましたか」
「ふふん、まあな。お前さんの方はどうだい」
「ぼちぼちってところでしょうかね」
西野さんと探偵の間で、目線の火花が飛び交った。
「建物に入るために、まさかのドアを壊してしまったのですね。老婆心ながら、一番トリックが仕組まれていそうな、いかにも怪しいアイテムに思えますけど」
西野さんが挑発した。玄関扉に開けられている丸い穴は、ちょうど手がすっぽりと入る大きさだ。
「はははっ、そうかい、俺はここから入るのがド本命と思ったがな。もっとも、あらかじめドアに隠し穴が開いていないかどうかは、事前に確認済みだ。そして、そのようなものは何もなかった。だとすれば、ドアを壊す方が、むやみに壁を破るよりも手掛かりを失う心配がなさそうだと、冷静なる判断を下したわけだ」
「鍵穴のすぐ横に穴を開けて、手を伸ばして内側のサムターンを回し、鍵を開けたんですね」
「ピッキング手口の基本だな。俺の専門分野でねえ」
「それにしても、あの分厚いドアによくこんな穴が開けられましたね」
西野さんがふーっとため息を吐いた。
「倉庫の中に、穴あけドリル刃にも付け替えが可能な電動のこぎりが置いてあったよ。それを使えばた易いものさ」
「ちょっと試してみたいことがあるんで、いいですか?」
そう言って、西野さんは朱雀のキーホルダーが付いた鍵を取り出すと、玄関扉の鍵穴に差し込んで回そうとした。
「回せませんね。どうやら、赤の建物の鍵では、白の建物の玄関を開けることはできない、ということですか」
当てが外れたように、西野さんがボソッとつぶやいた。
「言い換えれば、どの鍵にも合い鍵は存在しない。たとえ、それが同じ構造をした四つの建物のあいだであっても、ということか……。
はははっ。病弱のじいさんにしては、執念とも言うべきこだわりようだな」
探偵が同意してうなずいた。
「ところで摩耶。あんたは今回の一件でスポンサーの四男坊からいくらもらう契約をしているんだい?」
「契約ですって?」
「ああ。なにしろ億単位の遺産相続が掛かった謎解きだ。報酬もそれなりに振舞ってもらわないとな」
「今回の高額なる交通費と宿泊費を雀四郎君から全部出してもらっています。別に報酬が目的ではありません。私たちは正義のために戦うと誓ったのです」
西野さんが大真面目に答えた。
「まさか、ただで働いているというのか?」
探偵の眼が丸くなった。心底驚いたようなリアクションだった。
「だったらどうだ、摩耶。こっちに付かないか?
俺は謎解きに成功した際、次男が受け取る遺産の5パーセントをもらうよう契約をしている。つまり、十億を儲けさせた時には、五千万の報酬となるのさ。結構な話じゃないか。
おかげでちっぽけな依頼を全部キャンセルしてここへやって来ている。とどのつまり、手ぶらで所沢へは帰れないというわけだ」
そう言うと、探偵は僕の方へ目を向けた。
「そちらの、お連れさんは?」
「ああ、アドニス君のことですか。私と同じ大学に通うお友達です」
西野さんの紹介に合わせて、僕は軽く頭を下げたが、探偵は僕と目を合わさなかった。
「ところで、堂林凛三郎さん。建物の中へ入れてもらってもいいですか。ここでは日光が当たっていて、美容にすこぶるよろしくないのですけど」
西野さんがさりげなく要求した。
「おお、これはうるわしきレディに気遣いもせず、まことに申し訳なかったなあ」
堂林はあっさりと西野さんと僕を中へ招き入れた。
白い建物の中の構造は、赤い建物とコピーのように全く同じであった。探偵のスポンサーである次男の姿はそこに見えなかった。
「雇い主さんはここにはいらっしゃらないみたいですねえ」
西野さんが皮肉めいたように訊ねると、堂林探偵が鼻で笑った。
「あいつの脳みそはすっからかんさ。謎解きは俺に任せて、連れてきた彼女とテニスにしけこんでいる。それにしても、さすがは天下のアルバトロス社の別荘だな。プールにテニスコートも完備されているみたいだぜ」
相変わらず殺風景な部屋の中だが、床の間の上に見たことがない怪しげな装置がいくつか置かれていた。
「わー、なんですか、この機械たちは……」
西野さんがさっそく興味を示して、装置を一つ手に取った。ピストルのようなトリガーが付いていて、銃口の部分がパラボラアンテナのようなお椀型になっている。
「そいつは超音波発信器だ。壁にわずかでもすき間があれば即座に反応する。隠し穴の探索には最適だな」
堂林が自慢するように答えた。
「ふーん。それで、最新のテクノロジーで調査した結果、この建物には隠し穴がありましたか?」
西野さんが単刀直入に質問した。
「おいおい、そいつは極秘事項だ。なにしろ数千万の大金が掛かった大仕事だからな、簡単には教えられないなあ」
「仕方ないですねえ。じゃあ、この装置はなんですか」
西野さんはあきらめて、別な装置を手に取った。トランシーバーのようなボディから、三本の長さが異なるアンテナが平行に伸ばされている変な装置だ。
「それは高性能の電波検出器だな。盗聴器が仕込まれていた時に、そいつが発する微量な電波をとらえて、盗聴器を見つけ出すための機械だ」
「まさか、こんなところまで来て盗聴の心配をするのですか」
西野さんがポカンと訊ねた。
「だから温室育ちのお嬢さまは困るんだよなあ。これだけの大金が掛かった短期決戦では、いかに相手の情報を熟知するかが肝心なのさ。盗聴器が仕込まれていてもちっともおかしくないし、逆にそれに気付かない方が馬鹿なのさ」
「そんなものですかねえ。ねえ、使ってみていいですか」
西野さんが甘え声で懇願すると、さすがの探偵も断り切れない様子だった。
西野さんは装置のスイッチを入れると、はしゃぎながら僕の方へアンテナを向けてきたが、装置は無反応だった。西野さんはあきらめて、アンテナを適当に壁や天井に向けていると、突然、装置が警告音を発した。
堂林の目つきが一瞬で変わる。堂林はつかつかと西野さんへ近づいて、電波検出器を取り上げると、アンテナを西野さんの方へ向けた。警告音の音量がさらに大きくなった。
堂林は検出器のスイッチを切って、ポケットから手帳を取り出した。なにやらさらさらと書いていたが、やがてその手帳を僕たちに開いて見せた。手帳には殴り書きで文字が書かれてあった。
――俺が指示するまで二人とも口を開くな。マヤ、お前は今、盗聴されている!




