7.柘榴色(le Rouge)【出題後編5】
「アドニス君は押入れを調べてください。雀四郎君は金庫とその周辺です。私は床の間を調べてみます」
西野さんの的確な指示が飛び交う。
「でも、西野さん。押入れを調べろと言われても、この押入れの中には何も入っていませんよ」
何をしたらよいのか分からなかったので、僕は訊ねたのだが、それを聞いた西野さんの反応はふーっと大きなため息だった。
「アドニス君。何も入っていないのは、私も確認しました。そうではなくて、壁板とか天井を押してみて、隠し通路がないかどうかを調べてもらいたいのです」
「なるほど、そういうことですか。分かりました。まかせてください」
押入れと言えば、布団をたくさん収納するために中板があって、二段になっているのが普通な気がするけど、この押入れの中はなんの仕切りもなく、ちょうど人間がひとり立ったまま隠れているのにいかにも都合が良さそうな空間となっていた。僕は注意深く壁を確認していったが、隠し穴のようなものは見つからず、ましてや、壁がくるりと回るどんでん返しのような大掛かりな仕掛けも、施されているなんてとうてい思えなかった。
「西野さん、金庫ですけど、先ほど見つけた玄関の鍵以外には、何も入っていませんし、内壁をひととおり調べてみましたが、隠し扉のような怪しげな仕掛けは確認できませんでした。それと、僕が思うに、この金庫の素材はアルミニウム合金ですね。強度に優れ、なにより軽いのが長所である金属ですが、西野さんの指摘の通り、耐火性には向いていない金庫だと思います」
雀四郎が独自の見解を述べた。
「金庫を動かすことは無理ですか? 壁に埋め込まれているみたいですが」
「そうですね。無理やりに力を込めれば、ミシミシとがたつく程度には動きますが、金庫を引っ張り出そうとすれば、それこそ壁をぶち壊すしか手立てはなさそうですね」
「麒麟丸君。君の親父さんは、体格はどんな人だったんだい」
僕はあることが気になって、麒麟丸に質問した。
「親父は僕よりも背が低いし、スポーツは不得意だったから筋肉もなく、もとから体格はやせていたね」
「そして、病魔に侵されて、さらに身体はやせ細っていた。もしもだよ、その壁に埋め込まれた金庫が、すっぽりと抜けちゃって、金庫のあった場所にぽっかりと秘密の穴が開いたとしたら、親父さんなら、その狭い穴をくぐり抜けることができたんじゃないのかな?」
我ながら突拍子もないアイディアだとは思ったが、それを口外せずにはいられなかった。
「はははっ、平野君。面白いことを言うねえ。でも、見てごらんよ。金庫の外まわりは縦が30センチくらいで、横が50センチくらいしかない。この金庫がまるまるなくなって穴が開いたとして、人間が通過することなどできないよ。それがたとえ病魔でやせ細ったおやじであったとしてもね」
確かに、この中で一番スレンダーな西野さんでさえも、通り抜けるのが無理なことは、ちょっと見ればすぐに分かる。
「西野さんの調査の方は、何か出てきましたか」
床の間を調べていた西野さんの報告も訊いてみる必要がある。
「掛け軸の裏の壁も異常は見られませんし、掛け軸の水墨画となると、正直、子供が描いた水準の駄作に過ぎません」
さっそく西野さんの手厳しい評価が下された。
「たぶん、親父が直に描いた水墨画なのでしょう」
麒麟丸雀四郎が笑いながら答えた。
「絵図の意味はなにかあるのかな」
思わず僕は質問していた。掛け軸の絵柄は、孔雀のような鳥が、真上に向かって神々しく飛び立つ姿が描かれてあった。
「麒麟丸鳳仁氏がこの絵にしたためたのは、朱雀だと思います」
「朱雀ですって?」
「はい、古代中国で南の方角を守っている赤い鳥の姿をした神様です。日本でもよく知られていて、平城京や平安京の南のかなめをなす門の名前が、朱雀門となっていますよね」
西野さんが簡潔に説明した。
「そして、朱雀の絵が示唆する人物は、雀四郎君です」
「麒麟丸君が?」
「そうです。雀四郎君の『雀』の文字が意味するのは、スズメではありません。青龍、白虎、玄武と並んで、四神と称される崇高なる朱雀の『雀』の字です」
「なるほど、長男が青龍の龍太郎。次男が白虎の虎次郎で、三男が玄武の亀三郎、そして、末っ子が朱雀の雀四郎、で四兄弟ということですか……」
僕は初めて麒麟丸雀四郎の名前の由来を理解した。
「たとえ朱雀という勇壮な鳥が背景にあったとしても、雀四郎と呼ばれれば、結局のところ、誰もがスズメを想像してしまうのさ」
麒麟丸自身は、みずからの名前の由来は知っていたけど、それでもその名前に対して不満を抱いているのは変わらない、ということらしかった。
僕たちはこのあとも一時間くらいかけて、建物の中に隠し通路などがないかどうかを、壁を一つ一つ触りながら点検していったが、めぼしいものは何も見つからなかった。
「玄関の扉にも得に細工はなさそうですね。一枚板で出来ているから、かなり高価な一品の気がしますけど、それ以上の異常個所は見つかりません」
西野さんがさじを投げた。
「これ以上探したところで、何も出てきそうにないですしねえ」
僕も万策尽きたように感じていた。
「それにしても、暑いですねえ……」
麒麟丸もついに弱音を吐いた。まあ、無理もないけど、今は真夏で、この建物には空調機はおろか扇風機さえも用意されていないのだ。
「じゃあ、最後に一つ気になることをチェックしてみますか」
西野さんがすまし顔で提案した。
「まだ何かアイディアがあるのですか」
「ええ、外の配電盤です」
「よりによって、配電盤ですか……」
ちょっと肩すかしを食らったような気がした。配電盤なんか調べたところで何か出て来るようには思えない。
「おかしいとは思いませんでしたか。あの配電盤の中には、遮断器が三つも付いていました。こんな小さな建物のためにです」
「そう言われてみると、たしかにおかしいですね」
麒麟丸が同意した。こうなると、僕も流れに従わなければならなさそうだ。
「じゃあ、調べてみましょうか」
西野さんと僕が外へ出て、部屋の中に麒麟丸が残った。
「じゃあ、アドニス君。今は三つのブレーカーが全部上の状態になっています。あなたがブレーカーを指ではじいて下へおろしてください」
「そんな大事な任務、西野さんの手でしなくていいんですか」
みずからの手でやらせてもらえることは光栄だが、一応気になって、僕は西野さんに訊ねてみた。
「私はそんな危険なことはしません。万が一、感電しちゃったらどうするんですか」
西野さんはあっさり答えた。
「じゃあ、始めますよ。一番左のブレーカーを落としてみますね」
そう言って、僕は一番左のスイッチを指ではじいて下へおろした。
「あっ、電灯が消えました」
部屋の中から、麒麟丸の声がした。西野さんは建物の中に入る際に北の壁に開けた穴のところにたたずんで、建物の外と中を同時に監視している。
「アドニス君、今のブレーカーのスイッチをもう一度上へ戻してください」
「はい、分かりました」
僕は指示通りに、今下へおろした一番左のブレーカーを上へあげた。
「ああ、電灯が点きましたよ」
麒麟丸の声がした。
「じゃあ、次は真ん中のブレーカーで同じことをしてみてください」
言われた通りに真ん中のスイッチを落としてみた。すると、真ん中のブレーカーもおろした時には、建物の電気が落ちることが分かった。右のスイッチも全く同じだった。
「この三つのブレーカーの一つ一つがそれぞれこの建物の電気を落とせるようになっていますね」
「全部が直列につながっているということですね……」
西野さんが考え込んだ。
「でも、だとしたら、いったいどうして一つだけにしなかったんですかねえ」
僕は率直に感想を述べた。こんなことなら、わざわざブレーカーを三つも用意する必要性は何もない。もう一つ、僕は気付いたことがあった。些細なことだが、ブレーカーが落ちて、建物に電気が遮断されると、何かとても静かになったように感じられたのだ。逆に言えば、建物に電気が流れている時には、うぃーんと何かがかすかに振動しているような雑音が聞こえてくる。まあ、配電盤から建物の中に電気が供給されるのだから、その時に生じるなんらかの雑音だろうと推測はされるのだが。
「アドニス君、スイッチが三つあるということは、全部で上げ下ろしのパターンは八通りが考えられます。その八通りを片っ端から試してみてください」
西野さんが言うのは、三つのブレーカーを左からA、B、Cと名付けて、スイッチAが上の状態を『A』と表し、下になっている状態の時には何も書かないことにすると、スイッチの上げ下ろしのパターンは、『 』、『A』、『B』、『C』、『AB』、『BC』、『CA』、『ABC』 の八通りがあるということだ。そして、現時点では、『ABC』と『BC』、『CA』、『AB』の四つの状態が確認されていることになる。
僕は左と真ん中のスイッチを両方おろしてみた。すなわち、『C』の状態を作ってみたのだが、その時には建物の中の電気は落ちていた。つづけて、『A』と『B』の状態も調べてみたが、いずれも建物の中の電気は落ちていた。最後に三つのスイッチをぜんぶ下へおろしてみた。すなわち『 』の状態の確認である。すると、予想外のことが起こったのだ!
「ああ、電灯が点きましたよ」
三つのスイッチをぜんぶ下へおろした瞬間、部屋の中の麒麟丸から電灯が点灯したとの声が聞こえた。と、その後で、麒麟丸の叫び声が響き渡った。
「西野さん。ふすまが……、ふすまが閉じてしまいました!」
中をのぞき込むと、麒麟丸が腰を抜かしたように座り込んでいた。
「電灯が点いた瞬間に、ふすまが動き出したんです。最初は開いていたんですが、電灯が灯った瞬間に、ふすまが勝手に動き出して、部屋が閉ざされてしまいました」
「なるほど、このふすまには変な仕掛けが施されていたということですね。配電盤に用意された三つのブレーカーは全部上にあげている時と、全部下におろした時だけ、建物の中の電気が流れるようになっているのですが、全部下におろした時には、同時にふすまが開いていたら、そのふすまを閉めてしまう別な仕掛けが組み込まれているんです」
「だから、ふすまにコロを取り付けて、異常に動かしやすくしていたんですね。わざわざ、この仕掛けのために」
僕が確認をした。
「そんなところですかね」
「でも、ふすまが外から遠隔操作で閉められるからくりがあったところで、この建物に仕組まれた密室の謎が説明できるのでしょうか」
麒麟丸があらたな疑問を口にした。
「たしかに、この仕掛けと密室の謎とは、まだつながりませんね」
西野さんがあっさりと返した。
「さあて、気晴らしに、散歩でもしてきますかね」
西野さんが、いきなり両腕を広げて大きく背伸びをしたかと思うと、妙な提案をしてきた。
「ええっ、制限時間は二日しかないのですよ」
僕は慌てて呼び止めた。
「それは分かっていますけど、これ以上することも思いつきませんし……」
西野さんが甘え声になって言い訳を返す。だからと言って、どこへ散歩に行こうというのか。西野さんの考えていることは相変わらずよく分からない。




