7.柘榴色(le Rouge)【出題後編3】
「ここに麒麟丸鳳仁さまが記された遺言状がございます。龍太郎さま、ここに書かれた署名が鳳仁さまのものであることを、ご確認いただけないでしょうか」
勝呂氏の呼びかけに、四兄弟の代表として、龍太郎が前へ進み出た。龍太郎は署名を確認すると、「うむ、間違いない」と、一言添えた。
「これにより、この文章が故鳳仁さまによる正真正銘の遺言状であることが確認されたものといたします」
そう告げて、勝呂氏は、横にいるアシスタントの女性から大きなハサミを受け取ると、聴衆たちの目の前で封筒の端を切り開き、中から遺言状と思しき白い紙を取り出した。
「ここから先の文言を拝見するのは、この私めもこの場が初めてでございます。それでは、ご遺言の内容を今から読み上げます」
勝呂氏は、眼鏡にいったん手を掛けると、遺言状を読み始めた。
「親愛なる我が息子たちよ。諸君の中で優秀なる者たちのみが、今この場に会していることであろう。
思えば小生がアルバトロス社を立ち上げて、はや、35年。小さい会社ながらも、常に斬新たるアイディアを駆使し、激動の社会の荒波を順風満帆に乗り越えてきたのは、諸君ら周知のとおりである。そして、この期に及んで小生の希望とは言えば、我がアルバトロス社の更なる発展にほかならない。
知こそ力なり。小生は常にこの教えに従い、それを実行してきた。さて、我が息子たちよ。諸君の中で、小生のあとを継ぎ、アルバトロス社の発展のために余生を差し出さんと申し出る者はいないか。もしいるのであれば、小生は有無を言わさずその者に財産を相続させる用意がある。しかしながら、その者のアルバトロス社に対する忠誠心と、物事の困難を克服していく知的水準が、小生に勝るとも劣らぬ優秀なものでなければならぬことは、言うまでもあるまい。
そこで、ここまでたどり着いた優秀なる息子たちよ。そなたたちにさらなる試練を提供したい。その試練に勝ち抜いた者だけが、小生の会社を引き継ぎ、さらにはまだ分割されておらぬ残りの 九億の財産を受け取る権利を得るのだ。
しかしながら、万が一、その勝者がアルバトロス社を引き継ぐ責任を放棄した場合には、九億の財産すべてをアルバトロス社基金へ送り、長男龍太郎を取り締まり代表に任命することとする。また、勝者がアルバトロス社の存続責任を全面的に引き受けた場合には、九億の財産の使い道は、その勝者の自由とせん」
勝呂氏はここで一息ついて、ピッチャーから水を注いだ。のどが潤されると、勝呂氏は残りの文章の代読を始めた。
「さて、それでは親愛なる我が息子たちに最後の試練を提供しよう。心して聞くがよい。
親愛なる息子たちよ。明日になったらすぐさま、伊豆の天城峠にある我が別荘へ移動せよ。そこの私有地の敷地に全部で四軒の家が建ててある。その四軒は、外壁の色を除き、すべてがまったく同じ構造となっている。
青き家は龍太郎、白き家は虎次郎、黒き家が亀三郎、そして、赤き家が雀四郎の家である。敷地へ入る門は、明日8月16日の正午に勝呂が開錠し、それと同時に息子たちはそれぞれが各自に割り当てられた家を調べることができる。そして、小生の試練に解答できる刻限は、その48時間後の8月18日の正午までとする。なお、その出題文は門の開錠とともに、勝呂より告げられることとなろう。
それでは、親愛なる息子たちよ。今宵はゆっくりと休むがよい」
勝呂氏の代読が終わると、室内はざわざわと異様な雰囲気に包まれた。
「たったのそれだけか。勝呂さん、ほかに何か記されてはいないですか」
長男の龍太郎はあっけに取られていた。
「はっはっはっ、親父も人が悪い。今晩は何もせずに、兄弟仲良く、積もり積もった話を語り合えとでも、言うのですかね。ねえ、兄さん」
亀三郎が茶化すように笑った。
箱根山帝国ホテルの大浴場につかり、豪華な夕食に舌鼓を打ち、僕たちは至福の時にひたっていた。
「さすがは天下の箱根温泉ですね。お肌がつるっつるです」
普段は感情をあまり表にあらわさない西野さんが、べた褒めだったが、それ以上に、西野さんのむんむんとした浴衣姿が、僕たちには刺激的であった。
「同じ構造の家ということは、そこで宝探しでもさせる気ですかね。よーいどん、で」
遺言状で語られた謎の家について、少なくとも何か作戦は立てられないかと、僕はさりげなく切り出してみたのだが、
「だとすれば、相当な規模の屋敷が四つも建てられていることになりますね」
麒麟丸雀四郎が首を傾げた。本当に鳳仁翁は僕たちに宝探しをさせるつもりなのだろうか。
「お金持ちが考えることは、よく分かりません」
西野さんはそう言って、その後、話には全然乗ってこなかった。どうやら、作戦会議は早くも崩壊と言ったところだが、いまさらどうこうできる話でもなさそうだし。
そしてその夜は、僕たちには一人一人に小部屋が割り当てられていて、ゆっくりと寝ることができた。
翌朝、八時に食事を済ませた僕たちは、天城峠にある麒麟丸家の別荘へと移動することになった。それぞれの兄弟には高級ワンボックスカーが一台ずつ配車され、僕たちはVIP扱いで現地まで移動することができた。
麒麟丸一族の別荘はひと気が失せた天城の山奥にあり、本館以外に三つの建物があり、驚いたことに、僕たちひとり一人に鍵付きの小部屋が提供された。身支度を済ませた僕たちは、十二時に別荘から少し登山道を登ったところにある、門の前で集合した。集まったのは、立会人の勝呂勝利氏を筆頭に、麒麟丸雀四郎と僕と、西野摩耶さん。麒麟丸亀三郎と、麒麟丸虎次郎とそのお雇い探偵の堂林凛三郎、そして、麒麟丸龍太郎と三名の手下たちであった。
「お集まりのみなさん。定刻となりましたので門を開けせていただきます」
勝呂氏が立ち入り禁止と書かれた鉄門の鍵を開け、敷地内へ一行を誘導した。
「ここから四辻の道に分かれてございます。それぞれの道の先に、ご兄弟のお一人お一人に割り当てられた建物がございます。
ご兄弟のみなさまには、その割り当てられた建物のみを、ご自由にしていただくことが許されております。すなわち、必要に応じて壊していただいてもかまいません。また、そのための小道具も、各場所にご用意させていただきました。
さて、故鳳仁さまの最後の試練なるご出題でございますが、それは『密室の解明』でございます」
「密室だって?」
勝呂氏の『密室』という言葉に反応して、まっ先に龍太郎が叫んだ。それと同時に一行がざわめき出した。
「すると、親父は我々の知的水準を測ろうとする問題を創るために、ご丁寧に四つの殺人を犯したとでも言うのですかね」
亀三郎が茶化すように言った。たしかに、密室と言えばすぐさま思い浮かぶのが、殺人事件という言葉である。
「ご静粛に、みなさま。鳳仁さまのご遺言によれば、建物をお調べになれば、密室という特殊な現象が構築されていることは誰にでも分かるようになっているそうでして、ずばりその密室の謎をいち早く解かれた方に、残りの財産の相続人となっていただくように指示されております」
「なるほど、早い者勝ちだってことか……」
龍太郎がポツリとつぶやいた。
「そして、先ほど、建物を勝手に壊してもかまわないと言われたが、むやみに壊した時には、その密室の謎を解く手がかりも同時に破壊してしまう、といった恐れがあるわけだ……」
堂林凛三郎が、突然くすくすと笑い出した。
「さらに、追加のご指示がございます。ご一同のみなさま、建物入り口の前には、ポストが設置されてございます。そして、そのポストを、まず初めにお調べになってくださいませ。
なんでも、そのポストの中に、密室の謎を解くための重要な鍵が入っている――、とのことでございます。
それでは、みなさまのご無事とご健闘をお祈り申し上げます」
勝呂氏の説明が終わると、僕たちはそれぞれの建物がその先にあるという小道に、めいめいが分かれて進んでいった。
蝉の鳴き声がまだうるさい小道を二分ほど進んだところに、木々が切り開かれて、小さな広場が創られていた。その中央に、壁面が赤く塗られた気味の悪い小屋が一軒たたずんでいた。そして、正面玄関の前には赤いポストが設置されてある。
「これが問題となる謎の建物ですね……」
知こそ力なり、と語る麒麟丸鳳仁翁が、謎解きのためにわざわざ建立した小屋。そして、そこには密室の謎が仕込まれているとのことである。僕たち三人は、その不気味な小屋へ向かって、そろそろと歩みを進めていった。




