第65話 死体漁りの餓狼
ヴァルハラ地下三十階。
大規模な爆発音と怒号が、土と壁を隔てた地下にまで響き渡って聞こえてくる。今現在地上では天界が戦力を出し惜しみすることなくキメラ殲滅に向けている。
そんな振動でパラパラと埃が降って来る地下への階段を下りる一人の人物がいた。薄暗い階段の中で、その男が羽織るマントは一際黒く、薄ら笑いを浮かべたような模様の仮面が僅かな光を反射して光っていた。 男の名はガロウ。正体不明の謎の怪人、とでも言うべき男。謎の組織の中核を担っており、幾度も達也たちを襲撃した。
ガロウは急ぐでもなく、悠々とした足取りで階段を降りてゆく。
『バーニィとグリウスはうまくやってくれたみたいだね。この分なら楽勝に目的を完遂できるよ』
今回の襲撃は大戦前に天界に打撃を与えるという意味はもちろんある。しかし、魔界側の真の目的ではなく、上はあくまで囮。本命は地下にある。
それ遂行する任をガロウは任され、現在目的の場所に向かって下降している最中なのだ。
『それにしても、酷い所』
手入れや掃除をほとんどされていないのか、階段はあちこちにコケが生えカビ臭い。いくら任務とはいえこんな思いをするのは割に合わないと、仮面の下で顔を歪めた。すると、
『へぇ~…、まだいたんだ』
ガロウはピタリと足を止め、自分の進行方向の階段の下に目をやる。そこには巨大な突撃槍を構えた二人の男が立っている。男達が纏っているものは天界師団の戦闘服ではなく、中世の騎士などが纏う銀色のゴツゴツとした巨大な鎧だ。よく見ると突撃槍もただのものではなく、全体に奇怪な紋様が入っており、見るものが見ればそれが強力な魔術の発動に用いられる魔術式だと言うのが一目で分かる。
『龍巣の守人か。まあ、最深部だしそれくらいの警備レベルじゃないとね』
龍巣の守人。もっとも危険なA級特殊任務を遂行するための特別機動隊。天界師団が兵隊ならば、彼らは近衛兵と例えた方が妥当かもしれない。
その実力は天界師団に収まりきることが出来ないほどで強力で、次期十二使徒候補もこの中から選定されることがほとんどであるほどだ。
ガロウはその二人を軽く見渡し、フンッと鼻を鳴らす。
『それにしても、少し警備を強化するタイミングが遅かったみたいだね。おまけにたった二人だけ。笑っちゃうよ』
ガロウは龍巣の守人をまるで脅威に感じとっていないらしく、むしろ天界側の警備陣形にケチを付ける始末。そのガロウの態度に、龍巣の守人の一人が顔をしかめる。
実際自分達が守護するここまで来た敵であるため彼らは相手が高慢な態度を取るような状況は予想できていたが、問題はこの状況でまだ減らず口を利けることに憤りを感じている。
階段は横幅二メートル強と大して広いわけではなく、現に二人並んでいる時点でかなり窮屈に感じるほどだ。天井も高くなく、せいぜい横幅を少し長くした二メートル五〇センチ程度。そして彼らが構えているのは突きにおいては他の追随を許さない破壊力を持つ突撃槍。
ガロウが地下を目的地にしている以上、それは彼らを通り越さなくてはいけないということだ。ただでさえ戦闘には向かない地形に、唯一の攻撃手段である突きでは最も優勢な武器を持つ自分達に、演技でもなんでもない素の余裕を見せ付けたことに我慢ならなかったのだ。
ガロウは彼らの憤りを感じ取ったのか、愉快に含み笑いをし、
『どうしたの? もしかして怒ったの?』
と、答えが分かりきった質問を平然としてきた。その行動に龍巣の守人はさらに怒りの表情をあらわにし、手にした突撃槍を揺らす。それは『それ以上減らず口を利けば問答無用で突き殺す』という警告だった。もっとも、ここへ侵入してきたという時点でガロウには命をどうこうされても文句を言える立場ではない。ここは天界側の人間でさえゼウスと十二使徒、あとは護衛を任された人物しか入れない場所なのだ。最悪殺されはせずとも、監禁されて薬で情報を吐かされた後、廃人になるまで痛みつけられるのがおちだ。
しかし、ガロウは見るものに嫌悪感しか与えないような含み笑いをやめず、
『なに構えちゃってるの? まさか本気で僕を殺せると思ってるの? 笑わせないでよ、図々しい』
これでもかと言うくらいの皮肉の、いや、侮辱の一言。
それで、龍巣の守人が行動を起こすための動機は充分だった。
ガロウから見て左に立っていた騎士の一人が突撃槍を構え、一直進にガロウ目掛けて階段を駆け上がる。上りの斜面をまるでその逆の下り坂を全力疾走したような驚異的な速さで駆け上り、突撃槍の照準をガロウの胸部、心臓の位置に固定する。あとは数歩近づいて先端を突き出せば全てが終わる。
そう思っていた瞬間、彼は盛大に階段で転んでしまう。
同時に起こるガロウの憎らしい爆笑。その声にさらに憤慨しながらも、彼は疑問に思った。
いくら頭に血が上っていた攻撃だからといっても彼らはプロだ。地形の読み取りも出来ないほどド素人ではない。上るときにはきちんと階段の段数と歩幅を考慮にいれ、そしてもっとも速く敵の位置にいけるポイントに足を置いて上ってきたはずの彼が転ぶ理由はどこを探しても見当たらない。
そのとき、彼は後ろにいた同僚が震えながら自分の足元を指差していることに気付いた。何事かとそこに目をむけ、彼の思考が一瞬で凍りつく。
そこには、彼が転んだ答えが転がっていた。
そこには、踏み潰された衝撃で歪に歪んだ人間の頭が転がっていた。
「なっ………!!?」
言葉を失い、彼は突撃槍を放り出して後ずさる。彼は一度真っ白になってしまった頭で必死に考えるが、どう考えてもこんな場所にこんなものは転がっていなかった。それによく見ると、転がっていた頭の顔は、この地下階段の最初の方の警備を任されている同僚のものだった。
『そうそう。これいい加減邪魔だったんだよ。だから君らが引き取ってよ』
ガロウはマントから右手を出すと、指を鳴らした。快活な音が石造りの通路全体に反響し響き渡る。
それと同時に、彼らの周りには何十という人間の頭部とそれが欠如している体が出現し、鈍い音を立てて地面に落ちた。
「う、うわぁああ~~~~!!」
転んで膝を突いていた騎士の一人が、雄叫びと共に突撃槍を握って構えなおし、ガロウに向ける。その先端に火球が生成され、直後にオレンジ色の熱線が放射された。しかし、触れたものを一瞬で溶解し蒸発させてしまう超高温の熱線を前に、ガロウは少しも動じない。むしろ向かってきた熱線を払うように素早く腕を振る。
瞬間、飛んできていた熱線がどこかに消えた。ありえない事実に熱線を放った騎士が焦っていると、
『返すよ』
ガロウのその一言で、どこかへ消えてしまっていた熱線が放った騎士の方に向かって再び現れた。悲鳴を上げる暇もなく、彼は辺りに転がっていた死体と共に、熱線の直撃で蒸発して消え失せた。
辺りに焦げ臭い臭いが立ち込める中、残ったのはもう一人の龍巣の守人の騎士とガロウだけだった。
『さて、後は君だけか』
コキコキと首を鳴らし、ガロウは階段を下りて龍巣の守人に近づいてゆく。自分の身の危険でパニックに陥りながら、騎士はいきなり地面の死体に突撃槍を突き立て、そのまま死体を引き裂いた。さらに一つ、また一つと、彼は次々と死体を切り刻んでいく。辺りには錆びた鉄の臭いが充満していく。
一通り、良心の呵責に際悩まされながら死体をを切り刻んだ騎士は血まみれのランスをガロウに向ける。そして、呪文を詠唱し始めた。
「『求めしは戦慄の獣。鮮血の代償と盟約により、荒ぶる獣牙にて全てを引き裂け』!」
突撃槍に施された紋様がこびり付いた血の下から光り、切り裂いた死体の血液がうようよと生き物のように動き出した。それはすぐに狼のような形を作り、一斉にガロウ目掛けて飛び掛ってきた。
『死体漁りの餓狼か。またこの土壇場で結構な悪あがきを』
彼にしては珍しく憎憎しげにそう呟く。言ってるうちに鮮血の獣は牙をむき、ガロウの体を引き裂かんと飛び掛る。
死体漁りの餓狼とは、使用者が提供した血液量に応じて制度・破壊力・精密製が向上する魔術である。本来人が体外に出していい血液の量は決まっている。それだけでも人一人倒すには充分だが、得体の知れないガロウにはそれだけでは足らないと判断し、悪いと思いながらも騎士は死んでいった仲間の血液を使用した。その量まさに三〇リットル。作られた獣の数は十二体と少ないが、その余剰した力を全て制度と精密製にあてがったため、一体一体の戦闘力は一般的に使用した場合の数十倍。さらにガロウの臭いをトレースし、彼を殺すまでは止まらないように設定されているため、この狭い通路ではガロウの死は考えるまでもなく明らかだ。そのはずだった。
突如、ガロウの姿が虚空へ消えた。
「!!?」
声を上げることも出来ず、騎士はその光景に驚いた。正確にはガロウが消えたことではなく、ガロウに襲い掛かった死体漁りの餓狼が一斉に動きを止めたのだ。
本来、瞬間移動の術式を使用して飛んでも、死体漁りの餓狼の射程圏外に逃げない限り獣が動きを止めるのはありえないことだ。それにそもそも、この地下階段全域には瞬間移動術式で侵入できないようにそれを阻害するジャミング電波のような術式が施されており瞬間移動自体使うことは不可能なのだ。あくまで魔術は、だが。
騎士が警戒して突撃槍を構えて辺りを警戒していると、前方の死体漁りの餓狼がガロウを発見して反応した。
「見つけたか! どこだ!」
騎士が敵を見つけて歓喜の声を上げると同時、死体漁りの餓狼 が一斉に彼の方を向いた。
「えっ?」
思わず彼は間抜けな声を出してしまう。いくら姿形は獣でも、所詮あれは魔術で作られたものでしかない。コンピュータがいくら人間より優れていても人間の命令無しでは動けないように、いくら獣の形をしていようがその行動は全て術者によって刻み込まれたプラグラムどおりにしか動けない。謀反を起こすなどもってのほかだ。
しかし現に死体漁りの餓狼は全員彼の方に飛び掛ってきた。混乱の中で、手を振り回していたらたまたま目的のものが手に入ったように、彼は一つの答えを見つける。
自分ではなく、自分のいる方向にいる敵に向かってきているのだとしたら。
そう思った瞬間、彼の視界が大きく右向きに回った。グルグルと世界が回り、回って回って回り続けて止まったとき、すでに彼は意識を手放していた。
首が胴体と切り離されていたのだから。
噴水のように胴体の切り口から吹き出る血の向こうにガロウは立っていた。すでに彼に仕掛けられた死体漁りの餓狼は術者の死亡と共に消滅し、吹き出る鮮血と共に地面に撒き散らかっていた。
ガロウは特に龍巣の守人の死体に興味も向けず、そのまま地下へと歩いてゆく。しばらく歩くと、そこには彼の目指していたゴールがあった。
狭い階段通路から開放されたそこは開けた空間になっており、一辺三十メートルの立方体のような形をしている。しかし広いだけで、そこには今まで通ってきた階段と同じ石造りの景色以外と、階段のある壁のちょうど対面に位置する壁にある巨大な扉以外存在しない。扉はゼウスの間へと続く場所と同じような作りになっている。
『ここに……あれがあるのか』
ガロウは嬉しそうに溢れそうな感情を押さえ込み、ゆっくりと扉に近づく。扉には誰が掛けたのかと思うほど巨大な鎖と南京錠の鍵がかかっていたが、ガロウはそんなことは気にも留めない。
『僕の前じゃ、封印も鍵も無意味さ』
そして右手を一閃した。直後、鎖と南京錠は真っ二つになり、轟音を立てて地面に転がった。
『さあ、ご対面だ』
ガロウはゆっくりと、巨大な扉を押していく。薄く開いていく扉から漏れてくる光が強くなっていくほどに、ガロウは歓喜で体が震えるのを感じた。それは任務を完遂したという喜びからくるものではなく、この扉の向こうにあるものを見て、触って、自由に出来る権利を手に入れられることが嬉しくてたまらなかったのだ。
やがて人一人が通れるほどの大きさに通路が開くと、ガロウは嬉しさでおぼつかなくなっているフラフラとし足取りで、光の中へと姿を消した。
エデン第三十二区。
蝿を模したような姿のキメラが暴れ回るこの地区にはもはや人の影は見当たらない。あるのは大量に地面に散らばった白い骨だけ。それはまるで雪が降り積もったように地面を白く彩っていた。
天界師団の隊員たちの姿もない。このキメラの戦闘力に不本意ながら撤退を余儀なくされ、すでにこの地区の外れの方にまで非難している。しかし撤退途中にこの白い地面の一部にされてしまった隊員が大多数を締め、当初は三師団一五〇人もの大人数だったのが、すでに撤退しきった現時点では三〇人にも満たなかった。
そんな死の街と化した三十二区の大地を歩く一人の男の姿が会った。
男の名はユーリ。最強の名を冠する天界十二使徒第二位の実力者。
彼は悠々と白い地面を踏みしめる。歩くたびに地面に積もった白骨がパキリと乾いた音を響かせるが、彼はそんなことも気にせずキメラへと歩を進める。
「このタイプの敵に二つはもったいないな。一つで充分か……」
独り言をブツブツ呟きながら、ユーリは自身の身分を示す『Ⅱ』の金糸刺繍が施されたローブから左手を突き出す。
すぐに、その手には巨大な弓が出現した。
長さは約一七〇センチとユーリと同じくらいであり、握っている場所以外の両端の部分が薄く広く伸ばして作られているのは、有事の際に剣としての役割を果たすためのものである。
ユーリは歩くペースを変えず、ゆっくりと、手に持った弓を構え、弦を引き絞る。
その時、自分に向けられた不穏な気配に気付いたのか、今まで好き勝手に骨まみれになった町を徘徊していたキメラがユーリの方をゆっくりと向いた。
しかしユーリは慌てない。両手一杯にまで弦を引いたところで、その場で歩みを止める。しかし弦を引いたものの、そこには矢が番えられていない。何の脅威も持たない弓を掲げ、ユーリはじっとキメラを見る。
「さて。悪いが仕事なんでな。お前にはここで消えてもらう」
諭すような口調でユーリが告げるが、当然人語を解さないキメラにはそんな言葉は意味を成さない。ただ巨大な咆哮を上げ、ユーリに襲い掛かってくることが関の山だ。
「ま、動物と会話できるわきゃないわな」
やれやれとため息を吐き、ブーンッという羽音を巻き上げた地面の骨と一緒に撒き散らしながら接近してくるキメラを、ユーリは静かに、哀れむような感情の薄い眼で見つめ、弓を握る手に力を込める。
すると、弓を握るグリップの左手のすぐ上、親指とまっすぐ敵に伸ばした人差し指の間に小さな光の玉が現れる。玉は徐々に形を変え、伸び、数秒の内にそれは光の玉ではなく光の矢へと変貌を遂げた。光の矢をしっかりと弦と一緒に摘み、ユーリは両目をしっかりと開き、狙いを絞る。
キメラが鉤爪が光る巨大な両腕を振り下ろしたまさにその時、ユーリは光の矢を離し、キメラに向けて放った。
轟っ!! と。
まるで戦闘機がトップスピードを出したような轟音を立て、空気を裂きながら光の矢は飛んで行き、数瞬の内にキメラの腹部に巨大な穴を開けていた。
近くで雷でも落ちたかのように響くキメラの低く重い咆哮。そして飛び散る体液。ユーリは津波の如くキメラの体から流れ出た体液を飛散した飛沫ごと翼を使っての無駄のない飛行で避け、キメラに接近していく。
「もう一撃か……。マリアのようにはいかないな……」
自分より戦闘力が上の同僚を羨ましがりながら、ユーリは止めの一撃を放つ弦を引き絞る。そこに現れた光の矢は大きさこそさっきと同じだが、放つ光がさっきとは桁違いに強い。それが、一目でさっきとは威力が違うことを意味していた。
恐らく着弾した瞬間、キメラは跡形もなくなっているだろう。
「さっさと次の地点に行くか」
もうこの戦闘は終わったものと考え、ユーリは弦を持つ右手の放すタイミングを計る。
しかし、彼の後ろ。死角となる場所で一つの脅威が生まれていた。
ユーリが最初に開けた穴から飛び散った体液。
それを避け、今ユーリはキメラよりも若干高い場所で矢を引いている。本来なら重力に逆らわずに地面に落ちていくのが自然の摂理のはずなのに、体液はその場で動きを止めていた。
そして、その形状が変化する。不定形な形からどんどん虫のような形をなしていく。次に、状態が変化する。緑色の気味の悪い液体が、どんどん固体へと変化していく。
最終的にそこにあったのは、体長が五センチほどもある巨大な蝿の大群だった。
虫がもつ独特のテレパシーのようなものなのか、何の号令もなく何千といる蝿の大群が羽音を立てずに高速でユーリに向かって飛翔する。その口はブラシ状ではなく、まるで肉食獣のような獰猛な牙を携えている。
もしこの大群に襲われれば、通り過ぎただけで骨に変えられてしまうだろう。
この地面に転がる、無数の白骨のように。
「獣はどこまで行っても、所詮人の知能には追いつけないか……」
蝿の大群がまさにユーリのニクを食い千切らんと迫ったとき、ユーリはキメラに向けた弓を振り向きざまに蝿の大群に向ける。
ユーリには初めから分かっていた。どのように来るかまでは分からなかったが、少なくとも攻撃が自分の視覚以外の場所から来ることはすでに予期していた。彼に言わせれば、獣畜生の戦術くらい見抜けないようでは十二使徒の名を語ることなどおこがましいことこの上ない。
そして、体液が蝿という別の生物となったことで現れたその気配が彼の予想を現実に変えた。もっとも、彼の能力ならたとえ気配を消そうが意味はないが。
「俺に手間を掛けさせるんじゃない!!」
怒号と共に弓を硬く握り締め、そして弓から手を放す。瞬間、
地上から伸びた一本の光の柱が、蝿の大群の先頭を焼き払った。
「!?」
ユーリは発射されかかっていた光の矢を瞬時に消し、怪訝そうな顔で弓を一旦下ろす。後ろから奇襲を受けそうになっていたことよりも、ユーリは今起きた出来事の方に驚いた。
何事が起こったのかと下を向くと、そこに一人の少年が立っている。ユーリにはその少年に見覚えがあった。
日系にしてはやけにはっきりとした茶髪の少年。今日、シンが客人として連れてきていた内の一人。
名前は本人からではないが聞いていたのを思い出そうとしたが、奇襲に失敗して今度こそ破れかぶれになったキメラが背を向けていたユーリに襲い掛かる。
「消えろ」
一言、そして一撃。
キメラの方も向かずに、左手を後ろに向け放った一撃は、キメラの体を一撃で粉砕し、体液すらも同時に蒸発させた。
そんな、ユーリにとっては戦闘にもならない行為を、下にいる茶髪少年、坪井雄介は尊敬の眼差しで見つめている。
彼の放つ尊敬の眼差しに、ユーリは少ししかめっ面になり、彼の元に降りていく。まさか自分の元に降りてくるとは思っていなかった雄介は緊張してギクシャクしながら気を付けの体勢になった。
「客人、名前は」
降りて早々、ユーリの口から出た台詞だった。雄介は名前を聞かれ、ギクシャクした口調で答える。
「は、はい! 坪井雄介です」
「坪井雄介か……、憶えておこう。ところで客人」
憶えておくと言った直後に名前で呼ばず、ユーリは厳しい表所で告げる。
「何故こんな場所にいる。そして、何故君がキメラに手を出した」
口調と表情にこそ変化は見られない。しかし、そこに込められていたものは明らかにさっきまでとは違う。静かな、怒りにも近い威圧感。
それに当てられ、雄介は体中に嫌な汗をかいたのが分かった。彼のローブの左胸を彩る金糸刺繍。そこに刻まれた『Ⅱ』の文字が意味することは最強の集団の第二位。
怒りの旨こそ分からないが、その最強を怒らせてしまったことが雄介にも分かった。雄介はもともと嘘が付ける性格ではない。下手なことを言ってさらに怒らせたらどうなるのか……。
そう考えただけで、雄介の口中の唾液は全て乾燥し、口がうまく動かなくなる。それでも、雄介は言葉を発した。
「一つ目は、友達のシン君の故郷が危なかったからと……、二つ目は、あなたが危なかったからで…す……」
終わりに近づくにつれて下がっていくトーンに自分でも情けないと思うが、それでも言い切った自分を雄介は褒めてやりたかった。
ユーリはその言葉を聞いて肩眉をつり上げたが、すぐにさっきの無表情に戻った。
「あんなもの、助けてもらう必要もない。俺たちにとっては戦闘でもなんでもないし、あれは不意をついた内にも入らない」
そして、とユーリは続ける。
「君は客人だ。客人を危険な目にあわせることは我々十二使徒にとって名折れ以外の何者でもない。さっさと帰れ」
そう言って、ユーリはローブの中から一枚の紙を取り出す。そこには出動の際に彼らを転送した魔法陣とまったく同じものが書かれていた。
「これを使ってヴァルハラまで戻れ。能力を持っているようだが、キメラは一筋縄で勝てる相手じゃない。君なら一分持てば健闘したほうだ」
紙を押し付けるように雄介に渡しそういい残すと、ユーリは彼に背を向けて違う地点にまで飛んでいこうとする。
「僕は帰りません」
その声は、ユーリの後ろではなく前から聞こえてきた。目線を若干下げていたユーリは再び前方を向く。 そこにいたのは、紛れも無く自分の後ろにいるはずだった雄介だった。
ユーリはそれに軽く眉間にしわを寄せる。今まで感情らしい感情を見せ付けてこなかった最強の一角が、自分が素人と決め付けていた相手の気配に気付けなかったことに憤りを感じてしまってでた行為だった。
「あなた」
雄介はその顔を見て、さっきと比べ物にならない量の汗が吹き出た。
だが、その顔は笑っている。例え自分と天地ほどの力量差がある目の前の男を怒らせてでも、彼には曲げたくない信念があった。
「たいしたことありませんね」
言った。決定的な一言。自分で自分に死刑宣告を与えることと同じ一言。
しかし、それでも雄介の口は止まらない。
「僕は確かに頼りない。でも、友達が育ったこの世界を守りたいっていう気持ちは誰にも負けません。どうかあなたの手伝いでもいいですから、僕にも戦わせてください」
しばらく広がる沈黙。それを破ったのは、答えを求められたユーリだった。
「気持ちで変えられるのは自分の力量だけだ。しかし、それも充分な時間を使って鍛錬に励んで始めて手に入れられる。残念だがそれが伴っていない人間を戦場に出すことは出来ない。そして、俺はそんなものの助けなど要らない」
「素人の気配にも気付けなかったあなたがですか?」
その言葉で、その場の空気が凍った。
いま天界は人界と同じ夏。そして戦闘によってさらに気温が上がっているはずだが、雄介を襲ったのは暑さではなく寒さだった。
いま彼が言った一言で、ユーリが放つ何かが変わった。
まるで温度をこの世から全て奪い取るほどの冷たい気配。ユーリが放つ気配が怒り以外の何ものでもないことは明らかだった。
「だから、そんなあなたを僕が手助けします。たいしたことないあなたを」
もう後には引けなかった。
今すぐ泣いて逃げ出したくなるほどの覇気を浴びながらも、雄介は不敵な笑みの仮面を被って虚勢を張り続ける。
これで相手がどう動くか。雄介はただ自分の思い描いたとおりのシナリオを辿ってくれることを願った。
これで相手がむきになって自分を試す目的で戦闘に連れて行く。これが雄介が思い描いたシナリオだ。
しかし、相手が抱いているのは明らかにむきになった怒りではない。殺意を感じさせるほどの冷たい怒り。
相手は十二使徒という最強軍団。そして目の前にいるユーリはその中で二番目に強い存在。雄介がしたことは野球の初心者がプロ野球選手を目の前に自分の方がうまいと言ったような無謀なことでしかない。
雄介は乾く喉を唾で潤し、ゆっくりと鼻で深呼吸する。そしてゆっくりと三回まばたきをして、
目の前にユーリがいないことに気付いた。
「え!?」
雄介は記憶を辿る。確かに二回目のまばたきまでは目の前にいた。そしてちょうど三回目が終わった後に綺麗にいなくなっていた。
たしかに雄介は戦闘の素人だ。しかし、いくら彼でも動く時の初動の動きを見切れないほどではない。それを可能にする方法はただ一つ。雄介自身が持っている力以外の何者でのない。
「大層な口を利くが、やはり君はたいしたことはない」
それは後ろから聞こえてきた。すぐに後ろを振り向こうとするが、それは首筋にあてがわれた巨大な刃で止められる。
よく見るとそれは剣や刀の類ではなく巨大な弓。それの両端部が鋭利に砥がれて出来た代物だった。
「君は今気付けたか? 俺が何をしたのか、その目で見ることが出来たか?」
冷たい刃を首にあて、それと同じくらい冷たい声で、雄介の後ろにいるユーリは問いかける。
雄介はその言葉を聞きながら目に涙を浮かべた。呼吸がどんどん荒くなっていき、汗で着ていたTシャツが水に浸したように濡れる。
怖い。生まれて初めて純粋にそう思わされた。
他の感情が全て霞んでしまい、まるでそれに飲み込まれるように一つの大きな恐怖の感情に変わる。他の事が考えられず、ただただいつ訪れるか分からない死への恐怖に押しつぶされる。
気付くと、雄介は自分がいつぞやの極寒の大地に放り出されたときのように震えていることに気付く。必死に感情を殺そうとしても出来ない。
だが、
「ぼ、僕は…それでも…たた、戦いま…す……」
それでも、彼の信念は変わらなかった。その言葉に、さっきまでの調子付いた勢いは感じられない。泣きぐじゃり、いじめられっ子の強がり程度にしか聞こえない雄介の言葉にユーリは、
「……プッ! ハハハハハハハハッ!!!」
突然腹を抱えて笑い出した。
雄介は涙目のまま何が起こったのか分からずポカンとしている。
ユーリは今まで纏っていた重い空気を全部どこかに捨ててしまったような屈託のない、心からの笑顔で笑っていた。
「いや、シンが選んだ奴だからどんな奴だと思っていたが、君は本当に面白いな。頼りないくせにその心根にある芯は決して折れない、純粋無垢のそれだ」
「……あの………、怒ってたんじゃ、ないんですか?」
「ん? 冗談」
死体の山を一瞬で作り上げそうなあれほどの殺気を冗談で出していたと言い切り、それを向けられていた雄介は力なくヘナヘナと地面に膝をついた。
「い…生きてて良かった」
「ハハハッ。君は本当に面白いな」
ユーリは雄介の手を持って立ち上がらせて軽く笑う。本当にこれがさっきと同一人物なのか疑ってしまうくらいの変わりっぷりだ。
「すまないな。俺は誰かの意思を尊重するタイプなんだが、さすがに実力が伴わないものや面白半分の意思で戦闘に赴くものは止めないといけないからな。でも、君は合格だ。その心意気は賞賛に値するぞ」
何十年と戦闘の最前線にいた人物だからこそ、そう思うのは当たり前だろう。そう言ったものたちが目の前で何人も死んでいったのを、ユーリは見た目からは想像も出来ないほど永い時の中でずっと見てきたのだ。
だからこそ、確かめる必要があった。それが驕りやその場に感情に流されただけのことかどうかを。それが自分の意思であるかどうかということを。
ニッコリと完璧な笑顔を見せ、ユーリは雄介の肩に力強く手を置いた。少し痛いと感じたが、それを今言うのは野暮だろうと雄介はそれを言わないでおいた。
「さて、もたもたしてる暇は無い。そろそろ次の場所に行こう」
ユーリは翼を広げ、次の場所に飛んでいこうとする。が、ふと動きを止め、下にいる雄介に、
「ついて来れるかい?」
と、優しく微笑みを返した。
固く冷たいイメージを最初に持っていたユーリが、いまは柔らかく温かいイメージに変わり、雄介はホッとし、
「はい!!」
力強く答え、スカイ・クロラで瞬時にユーリの隣に移動する。が、
「おわわぁ!!」
スカイ・クロラは見た目は羽だが飛行能力を持たないため、雄介は地上一〇メートルから地面に盛大に落下する。
その手を、ユーリは間一髪のところで掴んだ。
「君は本当に面白い」
ユーリは重いものを持つように両手で雄介をぶら下げながら猛スピードで飛んでいく。
風に煽られ、どこかに引っかかったビニールゴミのようにぶらぶらと揺れる雄介は、一つ大事なことを聞くのを忘れていたのに気付く。
「そういえば、あなたの名前は?」
「ん? 今さらかい」
ユーリは呆れたように息を吐き、そして、いいかいと前置きをして、
「俺の名前はユーリ・ガブリエル・インフニス。よろしく、雄介」
飛びながら下を向き、もう一度雄介に笑顔を見せたあと、ユーリは倍以上にスピードを上げて次の現場に向かった。
到着した後、雄介があまりの速さによる酸欠と揺さぶられたショックで脳震盪を起こして放心状態になっていたのは、それから五分後のことだった。
みなさんお久しぶりです。そしてすいませんでした!!
あれから執筆作業を行おうとした直後に体調を崩してしまい書くことが出来ず、ついでに夏休みの宿題を片付けるために時間を割き、結局更新がここまで遅くなってしまいました。
今後気をつけますので、どうか見捨てずに応援してください。お願いします!
質問・感想何でも受け付けています。それでは、また次回。