第60話 天界へ… その②
ヴァルハラ。
北欧神話にて、戦死した優秀な戦士の魂が『ヴァルキリー』と呼ばれる存在に導かれ集められるという神殿。
それはあくまで人間の神話にて登場したものであり、実際はここ、天界の中枢に位置して治安維持と戦時の軍事戦略機関として働く場所だ。その最高面積は東京ドーム四十五個分が楽々入るスペースがあり、しかも余すことなくその中にある機関は全て起動しているのだから驚きだ。
しかし、ここにそれ以上に驚いている四人組みがいた。今上げた大声のせいでまわりにいた鳥が全て飛び立ち、さながらヒッチコックの『鳥』のような現象が起きていた。その飛び立った鳥に驚いて泣き散らす赤ちゃんの母親が『何しさらすんじゃクソガキども』というような目で四人を見る。シンはその視線に脅えながらも、必死に顎が外れるほどまで口を開け広げている四人をなだめる。
「ま、まあ落ち着けって。別にそんなたいそれたことじゃないって」
「お前はそうかもしんないけどな!!」
達也がいい加減叫びすぎて渇いた口を一度閉じ、再び開いてシンへと大声を放つ。
「俺たちにとっちゃ大大大問題だ!! 神様だぞ神様!! どうしよう!! 今から地獄落とされるとか言われたら俺どうやって明日から生きていけばいいんだ!? 絶望一色しかねぇ人生をどう生きてきゃいいんだ!!?」
「あ~……なんか勘違いしてるようだけど、じじいはそういう権限持ってねぇから。っつか、そもそもお前ら色々勘違いしすぎ。言ったろ、ここは『天界』。『天国』じゃない」
天界とは、そもそも『天界人が住む場所』の総称であり、天国とは『善行を行った死者が行くべき道』であり実際はまったくの別物だ。天界はあくまで異世界であり、ここに住んでいる人間も死んでいるわけではない。ただ人界の人間達とは違うだけだ。
天国の存在は死者にしか分からず、結局のところ天界人だろうがそれは人界の人間と同じく宗教じみた認識しかなく、悪いことをする子供への脅し文句で出てくる程度のレベルのものでしかない。
「人界じゃ神様がそういうの決めてるって言うけど、実際のところじじいだって天国の存在なんて分からない。だからそんなもんをじじいが決められるわけが無いんだよ。分かったか?」
その言葉にホッとしたのか、その場にいた四人はフッと安堵の顔になる。こいつらはよほどやましいことがあるのかと、シンは若干心配になる。
「じゃ、まあとりあえず中入るぞ。結構中広いからな、歩いていったら結構時間かかるし」
シンは四人を促して、いくつもあるアーチ状に穴が開いているだけの入り口へと入っていく。四人はよかったね、といった無言の会話を交わしシンの後に付いていった。
ヴァルハラの内部は外観とは違いかなり近代的なデザインのものだった。中に入ってすぐにロビーと思しき場所があり、その中央にはどこかの会社の受付のような半円状のテーブルがありそこに受付嬢らしき二人の女性が座っている。しかし、そのテーブルの向こうは先が見えなくなるほど遠い。観葉植物やらが所々に置かれ、少し先にはエスカレーターやエレベーターが設置されている。初期に建てられた状態から内装を時代に合わせて改築していったため、基礎となる表の外観と同じ石造りの柱だけが妙に今の内装とミスマッチしている。そんな中を、現代風の格好をした老若男女が書類やらノートパソコンやら脇に抱えせかせかと忙しなく動き回っていた。
四人はそんな不思議な光景をキョロキョロ見回しながら先を行くシンについていく。その姿はさながら社会科見学に来た小学生のようだった。
シンはそんな小学生のような高校生を連れ、受付嬢の二人の前に立つ。
「あー、ごめん君達。帰還報告をしたいんだけど、それ系の関係者って今いる? なるべく現在位置から近い奴ね」
シンのフランクな対応に、しばらく普通に受付嬢らしい対応をしていた二人のうちの一人が口を両手で覆って驚いた。
「もしかして、シン……様ですか?」
その反応に、隣にいたもう一人も驚きを隠せない顔をする。
「嘘っ!!? もしかしてあの有名な『黒の執行者』の!?」
「あっ、君達もしかして新任? だったら知らないよね。そう、俺がシン=クロイツ」
その自己紹介に、感極まった二人の受付嬢はただのミーハー女子に戻り、キャーッ!! と歓声を上げる。周りにいた人間の何人かが何事かと振り向くが、シンの姿を見てじゃあしょうがない、見たいな顔で仕事に戻る。
「あー、いいかな? いいからとりあえず帰還報告をしたいんだけど、とりあえず関係者を………」
「あれ? シンじゃないかな」
不意に五人の後ろから聞こえた声に、全員が振り向く。
そこにはありえない光景があった。
「あー、やっぱりシンだったー。久しぶりー!」
そこにいたのは、この夏の季節にモフモフと茶色の毛の付いた膝下までのブーツに、同じように茶色のモフモフの付いた上下のビキニを着て頭に犬の耳の付いたカチューシャを付けた、見た目達也たちと同じぐらいの歳の腰ほどまである銀色の髪の少女だった。
その格好は今にも路上ライブをここで開き出しそうなシンのパンクな格好よりも異質で、道行く人も何事か分からない目でこちらを見ていることから、少なくとも天界でもありえない格好なのだろうということが達也たちにも分かる。
「会ーいたかったー!!」
犬耳銀髪少女は四人を蹴散らし、一心にシンに向かっていくとシンに飛びついた。身長がシンと同じくらいなので飛びついた瞬間、位置的にシンの顔に早苗と同等かそれ以上のボリュームの二つの膨らみが優しく激突する。
「もがっ!?」
驚きそのまま後ろに倒れるシンを、今度は受付のテーブルの角という凶器が襲う。ガスッと擦るような音を後頭部で鳴らし、反射的に少量の涙を零した途端、今度は大理石の床が同じ箇所を襲う。ゴンッ! と、今度は誰が聞いても致命的な音が響く。
「久しぶりー。元気してたー? 私はすごく会いたかったー!!」
顔に至福の膨らみを押し付けられて押し倒されるという健全男子なら昇天しそうなほどのビックリ素敵イベントだが、生憎ながら後頭部にえもいわれぬ激痛がジンジンと襲うシンには、早くどいてもらって一刻も早くぶつけた箇所を押さえたいのが心情だ。それが例え布地の少ないビキニだったとしても例外なく痛む頭を最優先したい。
「ん? どうしたの涙目になって、そんなに嬉しいの?」
んなわけあるか!! というシンの無言の圧力を察したのか、少女は特にその気配に脅えもせず、むしろ渋々といった感じでシンの上からどいた。すかさずシンは上体を起こして傷口を慎重に押さえる。
「あっ、頭打ってたの? ごめんね気付かなくて。って、この人たち誰?」
少女は本気で悪びれた様子も無く謝ると、自分の後ろで今のビックリ素敵イベントを見せ付けられて驚いている男女四人組にやっと気付く。なぜか四人が赤い顔をして驚いているのには気付いていないらしい。おまけに男子の放つ負のオーラにはもっと気付いていない。シンはまだ頭を抑えながら、痛みのせいか、それとも頭をぶつける原因となった少女を恨めしくおもっているのか目つきが若干悪くなりなりながら怒鳴る。
「何やってんだリーネ! おま、その格好何なんだよ!?」
リーネと呼ばれた犬耳少女はシンのほうに向き直り、「エヘへへ」と心底無邪気な笑い顔を向ける。その笑顔に全てを許してあげたくなるような衝動に駆られるが、それは甘すぎるとすぐに思い止まる。
「シンが今日人界から帰ってくるってじじ様に聞いてね、人界の文化を学んでシンが喜びそうな格好に着替えて待ってたの」
リーネは両手を軽く挙げて体を振り、着ている犬娘のコスプレをシンとその周りの皆様に見せ付ける。その偏った知識を認識してしまった哀れさを嘆きながら、とりあえず後ろにいた四人は誰だこいつ、とアイコンタクトを送る。シンは近づいてリーネの肩を掴むと一八〇度体を回転させ、達也たちのほうに向き直させる。
「あー、紹介するなみんな。こいつはリーネ=ファネスト。ヴァルハラ所属の魔術師で、それで……えーと、………」
まるで踏ん切りがつかないかのように、シンはそこ先の言葉を言おうとしない。怒られていいわけを考えている子供のように早くこの質問が終わってることを望むシンに変わりリーネが応えた。
「私はシンの専属侍女なんだよ。『めいどさん』って言えばいいのかな?」
「ば……ッ!!?」
こともなげにサラリと言ったリーネを静止させようとしたがすでに遅かった。シンの目の前に立っていた四人はそろってジト目でシンを見ている。わざわざお迎えのためにこんな格好をしていて、この無邪気で何でも言うことを聞いてくれそうな性格がその原因だろう。全員の頭の中に、モザイク処理でもされそうな映像が映し出されていたのは言うまでも無い。
「ちょちょちょ待て! 別に侍女つったってそういうことばっかやらせてるわけじゃねぇよ!! ホントに!!」
「ばっか……?」
「ち、違……っ!!」
「この外道がぁ!!」
言うが早いが達也の本気全開のヤクザキック(ただの中段蹴り)が腰をついていたシンの右頬を的確に捉えて吹っ飛ばした。そのまま吹っ飛ばされたシンは受付テーブルに後頭部をぶつけ、今度は本気で大量の涙が溢れ出した。何の因果か後頭部ばかりをぶつけ、仲間たちには変態のレッテルを貼られ、挙句の果てにはそのうちの一人から何の迷いも躊躇いも無い顔面蹴りをかまされるとなっては本気で生きるのが嫌になってくる。泣きたくなるのはけして悪いことではないと思う。
達也は頭を抱えて(後頭部の痛みのせいと人生に疲れたせいで)いるシンに近づき胸倉を掴んで無理矢理上体だけ立たせる。
「てめぇは何ですかぁ!!? あんないたいけで純情そうな子になにやらかしてんだ、あぁ!! なんだぁ、『イロイロ』しちゃってんのか? 『イロイロ』とかしちゃってんのかコラァ!! お前人間としてやって良いことと悪いことがあるだろ!!」
「アハハハァー!! 殺せ、もう殺せ、俺を殺せぇー!!」
本気でガン泣きしながらシンは笑っていた。もうその姿はヤク漬けになった人間と見られてもおかしくないくらいに人生に疲れているようだった。周りでその光景を見ていた人たちはまさに信じられないものを見るような目で達也とシンを見る。天界では有名人なシンを本気で泣かせながら怒鳴りつける光景はまさにありえないの一言に尽きるのだろう。
「やめてっ!」
リーネは血の涙を流しかねないほど怒っている達也を後ろから羽交い絞めにするように抱きついて止める止める。その豊満な胸が背中に当たって、一瞬達也は怒りを忘れて全神経が背中へと移行した。
「シンは悪くないんだよ!」
若干涙目になりながらリーネは達也にシンの無罪を解く。後ろにいるので達也には顔は見えないが、必死さだけは伝わってきた。少々やりすぎたなと反省し、達也は羽交い絞めを解こうと入れていた体の力を抜いた。
「私からもたまに誘うからシンだけが悪いんじゃないの!!」
ガンッ!! という清々しい音がシンの顎から響き渡る。手を使えない達也が開いていた脚で思い切り蹴り上げたのだ。しかし、これはさっきまでのいたいけな少女を襲う容疑者への制裁という名目は消え、ただの未経験者の妬みの一発だったためその一発でやめておいた。草薙達也はそこまで不条理な考えを持った人間ではない。当の蹴られたシンは泣き笑いを続行しながら地面に大の字で寝転んでいた。さっきまでファンのような素振りを見せていた受付嬢たちもその姿に引いている。
「分かったよ。もう何もしないから放してくれ。あと普通の服を着てくれ」
「えっ? この服って人界じゃ普通だって習ったんだけど……」
「どこの誰に教わったか知らないけどとりあえず人界人の俺が言うんだからそれは普通じゃないの」
「えっ!!?」
達也の言葉にリーネはショックを受けたようだが、それでもなぜか彼女からは羞恥なるものを感じない。むしろこれを脱げといわれたことに残念そうな顔をするのだから彼女の感性は自分達とは大きく異なっているのだと達也は思い知らされた。
「そういえば、あなたたちはだぁれ?」
リーネは思い出したようにさっきの自分の問いを思い出す。すっかり忘れていた達也たちもそうだったと自己紹介をする。
「俺は草薙達也だ」
「くさなぎたつや?」
リーネは指を頬に当てて何かを思い出すように考え込む。だが、結局何も思い出せなかったのかすぐに元に戻った。
「僕は坪井雄介。よろしく、リーネちゃん」
「あたしは鷺原美咲」
「三好早苗です。よろしく」
「たつやにゆうすけにみさきにさなえ……。よし、憶えた。これからよろしくだよ!」
子供のように少し舌足らずに全員分の名前をリピートすると、ニカッと満面の笑顔を四人に向けた。顔つきはかなり整っており歳相応なのだが、その笑顔が無邪気すぎてずっと幼く見えてしまう。体だけが以上に育った小学生みたいだなと、四人はリーネにそんなイメージを持った。
その異常成長小学生は今倒れ伏している格好だけロックンローラーを起こすと名前を呼びながら容赦ない連続ビンタで意識を戻そうとしている。
「ほらシン起きて。戻ってきて。泣き止んで」
シンは叩かれながらも笑うのを止めたがまだ意識がはっきりしていないのか呆けた顔になっている。ちなみに泣くのを止めて欲しければその殴っている手の動きを止めたらいいのにと誰もが思ったが口にはしなかった。
「もう、しょうがないなぁ」
リーネは殴る手を止め、ボーッとしたまま涙を流しているパッと見危険なシンの頭を掴むとそそまま自分の胸の中に埋めた。
「「「「!!!?」」」」
その行動に四人が固まる。いくらなんでも白昼堂々人前でそんなことをやるリーネの考えが分からない。今の彼女のエロエロ犬娘コスがその行動の危なさをさらに強調していた。
「落ち着いた?」
「………ん……………」
シンは顔を豊かな膨らみに埋めたまま小さくうなずくと顔を引き抜き、涙を拭う。
「いや、もうなんかホント人生に疲れ切ってさ。本気で泣いたらすっきりした」
「も~う。甘えんぼさんだなぁ」
なにこの馬鹿ップル、見たいな目で見る四人を尻目に、なぜか良い雰囲気になっているシンとリーネの周りにはハートが飛び回っているようにも見える。実際、二人は幼いときからこの関係を築いているのでこうなるのは当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
「人界に行く前の夜もこうして慰めてあげたんだよね」
しかしその幸せそうな雰囲気を、早苗を除いた三人の友人達による蹴りが粉々に打ち砕いた。
ヴァルハラは東京ドームが四十五個難なく入るほどの所有面積を誇る。そのため内部の移動はエスカレーターやエレベーターだけでは間に合わないので、所々に一定のポイントに移動するための移動術式が張ってある。その数各階二〇〇以上。それくらいないとこの建物での移動は困難極まりないものになる。おまけにその広さのせいで迷わずこの建物を歩くには最低三年掛かるとまで言われている。それにしても自分が仕事で使用する機関と、食堂や更衣室、医務室やシャワールームなどの共同機関での間の移動がもっぱらであり、この建物『全域』を迷わず行き来できるのは勤続一〇年のベテランだけしか存在しない。
そんなだだっ広いヴァルハラ一階の廊下を達也たち一同はシンとリーネを先頭に歩いていた。
シンの顔はあれから一発で停止した達也を除いた二人の数発による殴打で所々腫れ上がっていた。さっき理由を説明したので別に悪いことをしたわけでもないのに、ただの妬みでここまでされたのだから理不尽不条理この上ないだろう。
リーネはあれからすぐにエロエロ犬娘コスから普段着にしているという青のミニスカートに黒のハイソックスとブラウンのブーツ、ピンクのブラウスを着ていた。ブラウスはまるで振袖の袖の部分を移植したような作りとなっており、彼女の手は完全に隠れてさっきから顔を見せていない。
「ねぇ、リーネちゃんとシン君の髪って地毛なの。それともペアルックとか?」
さっきから前方を歩いているシンが腫れた顔を抑えながら怒りのプレッシャーをかけるため、耐え切れなくなった軟弱者の雄介が話題を振る。
「ううん。シンは地毛だけど、私のは五歳まで栗色だったんだよ」
「ってことは染めてるの?」
しかしこの質問にリーネはううん、と首を横に振る。必然的に会話を聞いていた四人が首を傾げている。
「私は魔術師として結構特別な体らしくてね、精霊契約の儀のときにウンディーネが契約精霊になったからその影響。だから染めてるんじゃないんだよ」
「さっきから気なってたんだけど、その精霊契約の儀って何? なんかさっきの会話でも出てた気がするんだけど」
そこで美咲が雄介に変わって質問する。天界に来てからなにやら新しい単語が増えて覚えるのも手一杯になっている。
「精霊契約の儀っていうのは、四大精霊の『サラマンダー』『ウンディーネ』『シルフ』『ノーム』の四属性を司る精霊と契約することでその精霊の属性を使えるようになるの。普通は一人に一つの精霊との契約をするんだけど、他には複数の精霊と同時契約できたりする人もいるの。エニキスさんなんか四大精霊全部と契約してるんだから。まあ、魔術を使うときには絶対に必要なものかな」
精霊契約の儀は、天界の人間ならば誰でも行う伝統のようなものだ。大抵は小学校に上がる六歳のときから、魔術師を目指すものかその筋の家庭に生まれたものはそのもっと前に行う。それぞれ契約した精霊の魔術が自身の得意属性となり、別に契約できなかった精霊の属性魔術が使用できなくなるわけではない。
リーネは自分が特別だという自慢も出来たためか、嬉しそうに手で髪をいじる。そのとき、達也と雄介は同時にある疑問を頭に浮かべた。顔を見合わせてその旨を確認しあうと、代表して達也がリーネに聞く。
「なあ、今魔術を使うときには絶対に必要なことだって言ったよな。それしなくても魔術って使えるもんじゃねぇの?」
達也の問いにリーネはポカンとした表情を四人に向け次の瞬間に愉快に笑い出した。そのとき、シンが少し早足になって全体から少し距離を置いた。
「それはそうだけどね。一応魔術は使えるよ。でも魔術って言うのは『叡智によって常識を歪める『術』』だからね、体におっきい負荷がかかるの。それを精霊の力で和らげるのが精霊契約の儀なの。多分、人界の魔術師さんたちもしてるんじゃないかな?」
達也と雄介の顔が若干強張った。話に聞き入っていたせいで、どんどん本隊から距離を離していくシンにはまるで気付いていない。
「ちなみに…契約してない人間が魔術使うとどうなるの?」
これにもリーネは快活に笑って答えてくれる。
「使いたいの? でも止めといた方が良いよ。負荷って肉体的に来るものじゃなく不幸とか目に見えないような特殊なエネルギーとしてくるから。術式の階級にもよるけど、あんまり溜めすぎると脳の回線が焼ききれたり体がいきなりグチャグチャになったりしちゃうんだって。過去の例で実際にあるらしいよ。でもまあ、一千年くらい前の………」
リーネが説明を終える前に、男子二人はいつの間にか廊下を全力疾走している前方のシンを追いかけていた。
「てめぇコラァーーー!!!」
「よくもーーー!!!」
鬼の形相になって追いかける二人が負傷しているシンに追いつくのは時間の問題だった。すぐに達也の飛び蹴りで動きを封じられ、今度こそ容赦の無い制裁が開催される。
「コラァ! てめぇ!!」
「ごめんなさい!! あの時は仕方なかったんだって!! ホントにゴメーーーーーーン!!」
悲痛な叫び空しく、その制裁は後の三人が止めに入る三十秒間、一時も力を緩めることなく実行された。
第三医務室。
ヴァルハラ一階のG区画に位置する医務室が連なった場所の一室。ここは軍事は活動拠点になるため、戦時に一般の病院では処置しきれないほどの患者が運び込まれても大丈夫なようにG区画全域は全て医務室か共同病室しかない。
その一室に、ベットに腰掛けるシンとその前に跪くリーネの姿があった。
「さ、服脱いで」
リーネの言うとおり、シンは黙って服を脱いだ。
「わぁー、こんなにすごいことになってる……」
服を脱いで出てきたそれに、リーネは感心してるのか、または呆れているのかよく分からない声を出す。その言葉に慌ててシンが良いわけをするように、
「し、仕方ないだろ! 自分じゃうまく出来ないから、誰かにしてもらった方がいいと思って我慢してたんだ」
「………これを見れば一発で我慢してたことが分かるね」
「……ホントは、お前にやって欲しかったんだぞ、コレ……。俺が知る限り、お前が一番うまいんだから……」
「そんなこと言って」
リーネは照れ隠しのようにシンのその部分をそっと撫ぜる。シンは苦しそうに「う……っ!」と小さいうめき声を上げた。
「……でも、嬉しい」
リーネは心の底から嬉しそうに、自身もベッドの上に乗り上げた。
「ねぇ、なんか今のやりとりが全部エロい感じに聞こえたの私だけ?」
「いや、俺もなんかそういうフィルターが掛かって見えます」
そのやりとりを隅のほうの壁に寄りかかりながら見ていた達也と美咲は若干不快そうな顔をしている。
シンは脱いだ上着を横の方に置き、胸の辺りにグルグル巻きになっていた包帯を外す。その包帯には所々に濃く変色した血の跡がついていた。その下から露わになった右の肩甲骨の辺りには痛々しい傷口が覗いている。
この傷は、昨日の駆馬との戦闘で爆破されてしまったシンの翼がある位置だ。今は治療のため、左側しか存在していない翼を少し控えめに広げている。片側だけしか存在しない翼というのもなんともおかしな光景だった。
「早いとこ頼む。帰還報告はじじいに直接することにしても結構時間押してるからな。最短で頼むぞ」
「分かってるって」
リーネは左の二の腕に右手を置いて『合点!!』のポーズをとる。そして一度ぶらりと両手を全て下げると、振袖状の袖を手を使わずに捲り上げる。魔術などではなく高速でバタバタと布を振り捲り上げただけだが、早すぎて何かの魔術でも使ったように全員には見えた。
捲り上げられ現れた両手には、それぞれ五本の金属製のペンのようなものが計十本握られていた。ペンはそれぞれ赤、青、黄色、緑、白の五色に分かれていて、書く側とは反対の部分には同じ色の十字架の装飾がついている。
リーネは右手に青色、左手に緑色のペンを握ると、傷口を中心に魔方陣のようなものを高速で書き込んでいく。
「痛たたたたたたた!!」
「我慢しなさい。男の子でしょ」
リーネは痛がるシンと会話をしながらでも一向に手のスピードが落ちない。しかも両手で同時に書いているのだから、それはすごい以外の言葉では到底表現できそうに無い。
リーネは右と左同時に魔方陣を重ねるように書き込み、最後に陣の右と左に何かよく分からない紋様を描いて終了する。
「さ、できた。じゃあ行くよ」
リーネは優しく包み込むようにシンの傷口に手を当てる。
「『癒しの水。創造の土。傷つきし者に癒しを。失いし者に新たなる恵みを』」
パァッと、十畳ほどある部屋を優しい光が包み込む。光は数秒で止み、見るとシンの背中にはいつもどおりの漆黒の翼が生えていた。
「さっすが。頼りにしてた甲斐があったよ」
「任せてよ。お世話するのが侍女の役目だからね。あ、メイドさんか」
礼を言いながら、シンは翼を収納して上着を羽織る。翼はまるで掃除機に吸い込まれるように根元から背中に入っていき、その跡には特に何事も変化は見られない。どこにでもある普通の背中に戻る。初めて服を脱いで収納しているところを見た達也も他三人も真剣な眼差しでそれを見ていた。
「じゃ、行くか」
それだけ言うと、シンはリーネと共に医務室を出て行く。四人もそれを慌てて追った。
しばらく歩くと、小さなスペースがあり、そこには淡い光を発している直径二メートルほどの魔法陣があった。そこの入り口の教室番号が書いてあるようなプレートには『第八十八転送陣』と書いてある。
「行くぞみんな。中央の方に寄れ」
まるで遠足に引率している先生のようにみんなを集め、シンは近くにあったキーボードのようなもののボタンを押すと、全員から一瞬重力が消える。そして次に重力を感じたときには景色は別のものに変わっていた。
さっきまでいた通路とは異なり、その通路だけヴァルハラの外観と同じ石造りで薄暗い。その先には、樫か何かで出来た巨大で頑丈そうな扉が佇んでいた。
「さ、こっからはもういいぞ。また後でなリーネ」
「えー、嫌だ! 私もいく」
「ダメだって。今から使徒会談が始まるんだから。関係者以外は入れないのは知ってるだろ」
駄々っ子のように体を左右に振るリーネを、しかしまじめな顔でシンは諭す。
「だって………」
「終わったら…、なっ?」
その意味ありげな言葉に、リーネはしばらく考え、そしてパァっと明るい笑顔になる。
「分かった。絶対ね!」
それだけ言うと、リーネは魔法陣の中に入ってそのままどこかに転送していった。
「……終わったら何すんだよ」
「さーって、行くかぁ」
達也の問いをシンは無視し、巨大な扉の前まで歩いていく。
「あっ」
そして不意に立ち止まると、空中から何かを取り出した。それはローブのように黒い布だった。
「これ着てないとは入れないんだよなぁ」
不平気味にそう言うと、シンはそのローブを羽織った。ロングコートのような黒いローブには、ローマ数字で3を表す『Ⅲ』の文字が金糸の刺繍で背中に縫い込まれていた。
シンは扉に近づくとそっと手を触れる。押してもいないのに巨大な扉がその図体と同じ巨大な音を立てて開いていった。
ガコンッ!! と音を立て、扉が全開まで開ききる。中は通路とは打って変わって明るく、そこにはシンのように背中の部分にローマ数字の刺繍がある人間が十人いる。それぞれが『Ⅰ~ⅩⅠⅠ』の数字を背中に背負い、規則正しく両脇に五人ずつ並んでいる。
そしてその先には小さい階段があり、そこには椅子に座った一人の人物がいた。
「あれがさっき言ってたじじい。神様だよ」
その言葉に、四人は緊張で一瞬で喉が干上がった。とてつもないプレッシャー。威嚇されているわけでも、怖いと思わされたわけでもないのに、向かってくるプレッシャーが只者ではないことを認識させる。
「お帰り、シン」
やけに若々しい声で、『じじい』と呼ばれていた神様はシンに声をかける。しかし、シンはその言葉を無視し、眼前の『じじい』の説明を続ける。
「あれが天界を統べる『神』………」
神は両手を広げて座っていた椅子から立つと、シンの後ろにいる四人に向けて声をかける。
「そしてようこそ。人界の方々」
神と呼ばれるその姿は………。
「マキナ=『ゼウス』=エリティッティだ」
白い神父が着るような修道服を改造したような服を着た、見た目十歳くらいの子供だった。
「「「「えええええ~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」」」」
本日二度目のコーラス絶叫は、広い石造りの部屋に余すところなく反響し、消えていった。
どうも。
今回かなり説明が長い回になってしまいました。今回から物語の本筋に入っていくことになりますので、どうぞこれからも楽しみにしていてください。
それでは、また次回。