第56話 『ギルティ・ギア』と『バーディ・ザ・マイティ』 その①
八月二日。午後一時四十五分。
清々しい潮風が吹き抜ける浜辺の車道には、そこだけ空間が隔離されてしまっているかのような重苦しい空気が流れていた。
シン=クロイツ、草薙達也、坪井雄介の三人と、一人の車に乗った青年は互いに睨み合い、まるで三竦みに陥ったように動かない。
「…ククク、フハハハハ……!!」
そんな中、静寂を破ったのは車に乗った青年、駆馬宗太郎だった。車のハンドルを叩いて静かに押し殺すように笑っている。その声はなぜか、二十メートル離れた三人の場所まで鮮明に聞こえてきた。落ち着いたのか、駆馬は俯かせていた顔を上げる。九・〇という視力を持つシンは、前髪に隠れたその目を見たときゾッとした。
その瞳には何の色もなかった。別に眼の黒い部分がなかったとかそういう意味ではない。そこには感情という色がまるでなかった。まるで深い井戸の底を身を乗り出して見ているような完璧な無と引き込まれてしまうような危機感を与えてくる。そしてそんな眼をしながら顔だけは笑っていた。
シンの故郷である天界は、毎回三年おきに魔界との大規模な戦争が行われる。実際、何度もその最前線に出ていたシンは、こんな人物を何度も見てきたから別段恐怖するほどでもない。しかし、偏見に聞こえるかもしれないが、人間界で、しかも平和な国の住人である日本人がこんな眼を出来ることに恐怖していた。
「気をつけろ……。そろそろ仕掛けてくるぞ」
シンは空中から銃を取り出しながら隣にいる二人に言葉をかける。
「分かってるよ」
雄介は展開させていたスカイ・クロラを全て自分の背後に戻し、銃を眼前にある駆馬のステーションワゴンに向ける。
「ちょ……ちょっと、待って………。キ、キツい………」
しかし達也は両手を膝に置いたままゼェーゼェーと切れ切れに息をしている。目標であるステーションワゴンを最初に見つけたのは達也だが、彼は疲れきった体での猛烈ダッシュ。他二人は翼での飛行に瞬間移動。疲労の度合いがまるで違う。こうなってしまうのも無理はない。
「おい、大丈夫か達也……?」
「だ、だい、大丈夫…なんとか………ウゥッ!!」
「おい、何だ今のウゥッて…っておい!! 俺に寄りかかってえづくな!!」
「おま、俺だってずっと走ってきたから……」
達也はとにかく立つのが辛いためシンに寄りかかるが、シンは必死にそれを引き離そうとする。雄介はどうするべきか分からずオタオタしている。今にも戦闘が始まりそうな展開なのに、彼らの行動はものすごく緊張感に欠ける。そんな彼らの姿を見て、駆馬はまた小さく笑い始める。
『君達。一つ聞きたいんだけど』
突然、車のエンジン冷却用のラジエーター部分から、まるでスピーカーのように声が聞こえてきた。三人はその声にやり取りを中断し、再び駆馬に視線を向ける。ラジエーターからはさらに声が聞こえてくる。
『君達はさぁ、もしかして特別な力を持っているのかい? っていうか、そこの真ん中の彼は絶対だよね。羽が生えた人間なんて普通じゃない』
シンは静かに眼を細める。だが、それだけで何もしない。何も言わない。だんまりを決め込むだけだった。
『ふーん……ま、いいけど。っで、君達は僕に何の用かな?』
白々しい、とシンは心の中で唾を吐く。その気持ちを汲み取ってくれたのか達也が、
「馬鹿抜かしてんじゃねぇぞ!! テメェ今まで何やってきたか分かってねぇのか!!」
疲れているはずの体を乗り出し叫ぶ。
『ああ、そのこと。なら心配しなくていい、分かってるから。それと、』
駆馬は一呼吸置き、そして口角を不気味に上げて、
『君達が死んじゃうってこともね』
駆馬はさっきから左手に持っていた金色の車のキーを、今車に刺さっているキーと交換して回す。異変はすぐに起こった。
まず、さっき雄介の銃弾でパンクさせられた車のタイヤがいきなり元通りに膨らんだ。まるでビデオを逆再生しているかのようにタイヤの穴が塞がり、元に戻った。
そして次に起こったのが音だった。
今までは比較的音が少なめのエンジン音が、まるで瓶に爆竹を突っ込んで破裂させた音を何十倍も大きく低くしたような音に変化した。
バババババババババババッ!! と、まるで空気を直接叩きつけるような音が三人の耳から入り、バランス感覚がおかしくさせられる。
「いくよ」
駆馬は呟くと、思い切りアクセルを踏みしめた。車は爆発したかのように後ろに砂を巻き上げ三人に突進していく。
「くるぞ!!」
シンと雄介は一斉に銃を乱射する。しかし、駆馬は鼻で笑うとキーの摘みついているボタンを押す。すると、本来ならフロントガラス側を軸に開くはずのボンネットがバンパー側を軸に開き、壁のようにフロントガラスをガードする。当たった弾丸はボンネットを貫通せず、あろうことかそのほとんどが発射した二人のほうに帰ってきた。
「うわぁあ!!?」
慌てて二人はそれぞれ自分の手段、シンは翼で雄介はスカイ・クロラを使ってその場を離れる。
「だぁあおお!! 危ねぇ!!」
だが、そのとばっちりをモロにくらった人物が一人。さっきは格好よく叫んだ達也だった。元がヘトヘトのフラフラの状態でこの場所に来ていたため、俊敏な動きはあまり期待できない。しかし味方のとばっちりで死んでなるものかと必死に横合いに飛んで身を伏せてそれをしのぐ。
駆馬はその瞬間を見逃していなかった。シンたちが攻撃をやめた時点ですでにボンネットは元に戻っており、それをばっちり見ることが出来た。そして直感で理解する。あの少年がカモだと。
元来、敵の弱いところを付くのはもはや語りつくされた定石だ。達也は今心底衰退している。あれだけを避けるのにあまりにも無駄が多い動きをして息を切らしているのはその証拠だ。
駆馬は乾いた唇を舐め、踏み込んでいるアクセルをさらに強く、折れてしまうのではないかというくらい強く押し込む。
車は轟音を鳴らしながら、今まさに達也に衝突した、はずだった。
車が激突しようとした瞬間、達也は地面を強く蹴って飛び上がり、ボンネットに足を付くとそのまま走る車の上を器用に走り、天井の部分でゴロゴロと受身を取ったあと見事に走り抜ける車の後ろに着地し、そのままバランスを崩しかける。
なっ!? と駆馬は驚きを隠せない顔のまま、こちらも器用にドリフトをして向き直った。後ろにいる華多奈が後部座席から落ちそうになったがそんなこと気にも留めていなかった。
今のは軽く一二〇キロはくだらない速度は出ていた。普通そんな速度の車の上に乗るなど、足を乗せるタイミングと角度を間違えれば足首は完全に粉々になっていてもおかしくはない。
だがそんな荒業を後ろにいる少年、達也はやってのけた。あの疲れきった体で。
まだバランスをうまく取れなくてフラフラしていた達也は、やがてそこで止まり、ゆっくりと向き直った。さっき駆馬を怒鳴りつけたまだ少し青臭さの残る険しい顔のまま、空中からナイフを取り出し構える。その両脇へシンと雄介は降り立ち、同様に構える。
「面白いなぁ……」
駆馬は、まるで探し物が見つかったような緊張が解けたふやけた笑い顔を作り出す。
「初めてかもしれない…狩りでこんなにも興奮するのは」
駆馬はゆっくりと、キーの摘みのボタンへ指をかける。
「本気で行こう……。行くよ、『バスカッシュ』。……モード・破壊巨人………」
そう言って、摘みのボタンを押した。
八月二日。午後一時五十一分。
駆馬が摘みのボタンを押すと、車は金色の光に包まれた。三人は構えは解かなかったものの、その光に思わず眼を覆ってしまう。光は一瞬で止み、三人はすぐにもとの構えを取る。
そこには、さっきまであったステーションワゴンはなく、どこかで見たことがある青いスポーツカーがあった。
三人は知っている。目の前にあったその車こそ、新聞に載っていた犯人の車だったのだ。これから何が起こるのかと、三人は出方を見るため半歩ほど後ろに下がる。その瞬間、
ゴギンッ!! という鈍い音が鳴り響く。
よく見ると車の後方の部分から巨大な鉄の塊が二本飛び出していた。いや、それはよく見ると巨大な手のようにも見える。ギギガガッと、さらに汚い金属の擦れる音と共にその手の先端、指の部分が五本に別れ、完璧な手の形になった。
「これがこいつの能力か!?」
達也は構えるが、しかし一つの不安も出てきた。果たしてこのナイフであの鉄は切れるのだろうか、と。これは確かに特別なものだが、そこまでデタラメな力まで備わっているのかと不安になってくる。だが、今さらシンに言って武器を変えてもらうなんてこと出来るはずもないし、何よりそんな暇は無い。
まったく、今回俺の出番はあるのか、と自嘲気味な笑いを心の中で零しながら、達也は攻撃を仕掛けてくるであろう車から生えた金属の腕を睨む。
「誰がこれで終わりって言った?」
そこで、さっきまでラジエーターを改造したスピーカーから聞こえてきた声が肉声で三人の耳に入ってきた。駆馬はニコニコ笑い、もう一度摘みのボタンを押した。
ガギンッ!! という鈍い音。それで最後の変化が起こった。
車の丁度トランクの部分が下に折れ曲がったのだ。まるでクレーンで尻を持ち上げられているかのように車は後ろに引きずられながら後部が上を向く。
やがてある高さで止まると、今度はバシューッ!! という空気が漏れる音が聞こえる。すると今度はトランクが開き、中からさっき生えた腕のような巨大なサスペンションの付いた脚部が伸びてきた。
三人はその光景に目を疑った。
「何だよ……これ………」
達也は口を開けたまま、一歩後ろに下がってしまう。
「…嘘だろ………」
今まで色々な能力を見てきたシンも、これには驚きを隠せなかった。
「…ガウォーク……?」
雄介も必死に平静を取り戻そうとしているのか冗談を言うが、誰も聞いていないし自分にも効果がなかった。
そうこうしている内に、明らかにトランクの要領に入りきらないはずの脚部はドンドン伸び出ていき、腕が車体を軽く持ち上げ、その隙間に滑るように脚部は入り込み、そして立ち上がった。
高さにして約三メーター。四足歩行の動物の後ろ足のように前ではなく後ろに関節のある脚部。そして不自然なまでに長く、それら全てのバランスを取るスタビライザーの役目も担っている無骨な腕。
「「「巨大ロボーーーーーーーーー!!!?」」」
三人は思わず叫んでいた。男子の永遠の憧れである人が乗り込み操縦する巨大ロボが目の前に、しかも敵という皮肉な形でそこに立っていた。
「ハハハハハハーーー!! すごいだろー、これが僕の『バスカッシュ』さ!」
「そのネタは危険じゃないのーーーーー!?」
雄介が叫んだ瞬間、さっきはスピーカーの役割をしていたラジエーターの網目の部分がはずれ、中から黒光りする三本の金属の筒が出てきた。三本はそれぞれ並列に並び、三人をそれぞれ中心に置くように向いている。
「おい……。あれってまさか………」
「発射♪」
達也が他の二人に問いかける前に、
バババババババババッ!! と筒が、いや、マシンガンの銃口が火を噴く。
「あわぁああああああ!!!」
達也はあっけにとられていて反応が遅れ、無様に地面の上を転がってそれを避ける。シンと雄介も同様だったのか、彼らも翼や瞬間移動を使わず地面を転がって攻撃を回避する。弾丸が当たった地面から、まるで火薬でも仕込んで合ったかのように小さく砂が巻き上がる。三人は、特に体力が消耗状態の達也は必死に逃げ惑う。
「くっそ! 一撃でケリを!!」
シンは銃口を今は忌々しい男のロマンに向けて光撃をチャージする。
「駄目だ!よせ!!」
しかし、それを達也は大声で止めた。シンは訳が分からず達也のほうを見る。すると彼の爪先近くに銃弾が当たり、慌てて回避を再開する。
「何でだ!! あんなのとまともにやりあうことなんかできねぇぞ!!」
「違う!そうじゃない!!」
達也は切羽詰った声で言った。
「あそこにはあいつ以外にも人が乗ってる!!」
あっ、と。シンも雄介も思い出した。なぜこの車を追う手がかりを見つけられたのかを。そして、そのとき何がきっかけでこの話が出たのかと。
―――――――名前は麻呂崎華多奈って言うんだけどね。
あのとき美咲は駆馬と誰かがデートをしていると言っていた。つまり、あの車にはまだ敵である駆馬以外にも関係のない人間が乗っているということだ。
「さっき車の上走ったときに後部座席に誰か居たんだ。下手にでかい技使って怪我させたら大変なことになる」
「ホラホラホラーーーーー!!」
シンと達也の会話に割り込むように、そこに車の、今はバスカッシュとも呼ぶべきロボットの右腕が振り下ろされる。ドゴーンッ!! という炸裂音と共に砂が舞い上がり、地面が大きく揺れ、二人は発生した風圧で吹き飛ばされてしまう。
「まだまだ行くぞーーーーー!! ……ん?」
調子が出掛かってきたところで、駆馬は上から影が降りてきたことに気づく。自分は今三メートルの高さにおり、尚且つここは開けた海岸沿いの道だ。自分より高い位置にあるものなどない。最初は鳥かと思ったがそれにしては大きすぎる。気になって上を見上げると、
そこに一人の少年がいた。背中に青く透き通った六枚のひし形の羽を携えた少年、坪井雄介がそこにいた。銃を運転席に座る駆馬に向け、雄介は引き金を引く。弾丸は駆馬向かって飛んでいくが、素早く引き戻したバスカッシュの腕をクロスさせ銃弾を全て弾く。
「お返しだ!!」
駆馬が身を乗り出して叫ぶと、ボンネットが両脇に観音開きのように開いた。そこには蜂の巣のように窪みがいくつもあり、その中には赤い半円状の物体詰まっている。雄介はそのれを見て血の気が引いた。半円ではない。恐らくその下には細長いボディが収まっている。
ミサイルだと、雄介は直感で理解した。
そもそもトランクに収まりきらないほどの大きさの脚部を出してきたり、ラジエーターからマシンガンを取り出す時点ですでに何でもありになっているバスカッシュが今さら何をしても驚きはしない。だが今は状況が違う。そのサプライズが自分に向けられて発動されたとなれば驚かずになどいられない。急いでスカイ・クロラで瞬間移動しようとするが遅かった。
発動しようとした瞬間を見計らったかのように、ボンネットに収められていたミサイルが一斉に発射された。
もう避ける暇など無い。そもそもスカイ・クロラは見た目こそ羽だが、その用途は空を飛ぶためではなく『空間を飛び越える』ためのものだ。空中では何も身動きは取れない。雄介がどうすべきか考えていると、すぐそこまでミサイルが近づき、
その内の一発が、雄介に命中し爆発した。
後続のミサイルもドンドン直撃し空中に爆煙が発生する。形こそ丸いがとても夜空に煌く花火とは程遠いどす黒い煙が主体の爆発。そんな爆煙の中から何かが飛び出した。
雄介だった。
直撃の瞬間、背後のスカイ・クロラを前に展開し直してクロスさせ、簡易的な盾を作り出していたのだ。しかし、あまりに衝撃が強すぎたのか、ミサイル攻撃が止んだと同時に、スカイ・クロラの内の二枚にひびが入り、次の瞬間粉々に砕け散った。
「うぐぅ……!」
それまでしても威力を殺しきれなかったのか、クロスさせて上半身と頭部を守っていた雄介の両腕には重度の火傷が発生していた。
そのまま雄介は爆風に乗って吹き飛ばされ、近くの潮風を町のほうにやらないための防風林の中に突っ込んだ。二回、三回と地面を軽くバウンドし、しばらく地面を滑った後やっと止まった。
「う……くぁ………」
少し離れた場所で、再び炸裂音が鳴り響く。振動が地面を伝わって雄介に戦況を知らせてくれた。だが、今の雄介は腕の火傷の痛みを我慢するのに手一杯だった。歯が砕けるかもしれないほど強く奥歯をかみ締めても、じくじくと蛆が肌を這い回るような感覚と同時に熱を帯びた痛みが走る。
そんな彼を、二つの人影が覗き込んでいた。
少し時間は遡り、八月二日。午後一時四十八分。
「あんの野郎~。ここら辺に来たわよね?」
美咲は岩戸海岸の入り口付近で止まり、辺りをキョロキョロと見回す。もちろんそれは追跡中の達也を探すための行為だが、もう一つ、止まっていることに意味があった。
「み…美咲~………待ってください………」
後ろから疲れ切った声を出しながら早苗が走ってきた。それは走りというより走るフォームで歩いているような感じだ。入り口に近づく彼女を前を、普通に歩くフォームの人が明らかに彼女より速いスピードでその前を横切っていった。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫に、見えます……?」
彼女にしては珍しく皮肉気に言うが、美咲は特に気にしていない。
「ここら辺に来たのは確かなのよね。どうする、疲れたんならそこらの自販機でなんか買ってこようか?」
「いいえ。自分でミネラルウォーター持ってますから」
早苗は入り口の脇にあった自販機に行こうとする美咲を制し、自分のカバンの中から透明な液体の入ったペットボトルを取り出す。この暑さの中走り回ったせいで手に取ったときには冷たさの欠片もなく生ぬるかったが飲めないほどではない。ペットボトルの口を開いた瞬間、
バババババババババババッ!! と、空気を直接叩くような轟音が向こうから聞こえてきた。反射的に二人の意識が聞こえてきた方に向く。
「何? 行ってみましょう、早苗」
言うが早いが、美咲は全速力で音のしたほうに向かっていった。ショートカットするつもりなのか、近くの防風林の中へと入っていく。
「ま、待ってください美咲ー!」
早苗は珍しく飲みながら走るという行儀の悪いことをしながら美咲を追っていった。
その先に、自分達の運命を変える出来事が起こっていることを、二人はまだ知らない。
八月二日。午後一時五十一分。
「ここら辺よね」
真夏の防風林の中は蒸し暑かった。そもそも人が通れるような道など存在していないので、文字通り草根も掻き分けて美咲は音のしたほうに走ってきた。その後ろを、草むら特有の虫の大洗礼を突破しながら早苗が追いつく。
「もうやめましょう。そもそも最初の目的と違ってきてますよ。達也君を追ってきたんじゃないんですか?」
「この件に達也が絡んでる可能性がゼロじゃないわ」
早苗はなんと言う屁理屈を、と思ったが、実際にその考えが間違っていないということには当然ながら気づくわけがない。二人はしばらく歩くと、向こうに海が見えてきた。それと同時に大量の砂煙が舞っていることにも。
「何、これ?」
二人は同時に眉を顰める。入り口付近ではこんな風に砂が巻き上がるような大きな風は吹いていなかった。そもそもこれは砂が風に舞っているというよりも、何かに砂が巻き上げられたようにしか見えない。あまりの風圧で眼を覆うとした二人だが、舞っている砂の中に四つの影が見えた。
そのうちの三つは人の形をして一箇所に固まり、一つは車の形をしている。
そして砂煙が晴れたとき、そこには見知った顔がいくつかあった。
三つ固まっていた人影の内、二人は見間違えようがない。達也と雄介だ。しかし二人ともいつも部室で見かけるような顔ではなく、鋭く険しい顔をしている。もう一人、自分達から見て手前にいる少年はどこかで見たような顔だが見たことがない顔だった。銀髪で金色の眼。明らかに同じ国の人間ではないその容貌をしている。二人はそこでさらに驚くものを見た。
達也はその両手に軍人なんかが使う大型のナイフを握り、雄介にいたっては拳銃をその手に持っている。そして極めつけは銀髪少年。彼も装備は雄介と同じ拳銃だが、眼を見張ったのはその背中。彼の背中には黒い翼が生えていた。
そして向き合う白いステーションワゴン。彼女達はその車にも見覚えがある。少し離れているが運転手の顔が見える。
「駆馬、さん……?」
意味が分からなかった。どうして友人と共にデートに向かったはずの『いい人』が、物騒なものを所持した自分達のよく知る人物と対峙するように立っているのか、むしろ分かれというほうが困難だろう。
すると、いきなり駆馬の乗った車が金色の光に包まれる。驚いて面をくらっていると、光はすぐ止み、そこにはいつの間にかさっきの白のステーションワゴンはなく、代わりに青のスポーツカーがあった。そして乗っているのはさっきまでと同じ駆馬だ。早苗は何かのマジックかと思っているが、美咲はそうではなかった。憶えている。つい三時間ほど前に、あれを見た。正確にはあの車の絵を。
あれは連続通り魔の乗っていた車と同じなのだと美咲は理解した。
すると、スポーツカーはゴギンッ!! と鈍い音を立てる。するとその車体の後ろから巨大な鉄の腕が伸び出てきた。そして後ろのトランク部分が下に折れ曲がり、トランクからは巨大な脚部が伸び、その脚に支えられて、それは立ち上がった。
「「「巨大ロボーーーーーーーーー!!!?」」」
対峙していた三人の驚く声が聞こえてきたが、彼女達にはそんな声は聞こえていない。彼女達にはその程度でこの驚きを表現することは出来なかった。
ありえない。二人の頭を支配していたのはこれだけだろう。
普通に考えて、どこの世界に二足歩行ロボットに変形する車がある。どこの世界に一つ二メートル強ほどの鉄の脚部を収納できるトランクを持つスポーツカーがある。
二人が完全に混乱し始めてきたとき、事態は急に動いた。
ロボットになった車のラジエーター部分からマシンガンのように銃弾が発射された。三人はそれぞれ地面を転がってそれを避ける。銀髪の少年が持っていた銃をロボットに向けると達也が大声でそれを制止していた。その隙に振り下ろされる巨大な鋼腕。二人の間を裂くように振り下ろされたその腕の起こす風圧で、達也と銀髪少年は吹き飛んだ。「「あっ!!」」と思わず声が漏れてしまう。
そのとき、いきなりロボットの上空に雄介が出現した。二人は見ている。さっき雄介はロボットと十メートルほど離れた地面にいた。それがいつの間にか三メートル強はあるロボットの頭上二メートルほどの位置にいたのだ。その背中には青い透き通ったひし形の羽が六枚あった。
だが突如、ロボットの、車のときはボンネットの位置だった場所から何かが一斉に発射された。それをミサイルだと一目で分かったのは、マンガなどでも同じみな丸い半円状の頭に細いボディだったからだろう。
二人が呆気に採られていると、そのうちの一発が雄介に直撃し、爆発した。
「雄介ーーーーー!!」
思わず美咲は叫んだが、続々と雄介のいた位置に突っ込んでは爆発する後続のミサイルにその声はかき消される。空中で丸い形になってもうもうと立ち込めている爆煙。その中から何かが弾かれたように飛び出し、二人の元に飛んできた。
「何!?」
慌てて美咲は早苗と共に後ろに何歩か下がる。地面に二度、三度と叩きつけられるようにバウンドし、飛んできたのは雄介だった。
「雄介!!」
「雄介君!!」
二人は慌てて雄介に駆け寄る。
「う……くぁ………」
「雄介………!」
美咲は思わず声を止めてしまった。雄介は胴体や頭は辛うじて無事なものの、その両腕は赤く腫れ上がり、所々が爛れた火傷を負っている。
「雄介君、しっかり!!」
思考が止まっていた美咲は早苗の切羽詰った声で我に返る。早苗は雄介に駆け寄り、患部である腕に触れる。
「ああっ!! がぁ、ぁああ!!!」
ほんの少し指先が触れただけで大声をあげのた打ち回る雄介に、早苗は反射的にその手を引っ込めた。
「ハァ………。なっ!? 部長、早苗先輩……どうして、ここに……」
雄介はしばらく痛みを押し殺すように小刻みに震え、呼吸が整ったのと同時に二人の存在に気づく。
「あんた、今何が起きてんの!? 言いなさい!! あれは何、何であんなのと戦ってんの!?」
美咲は雄介の肩を掴み(一瞬腕を掴んで引き上げそうになったが、怪我をしているので慌てて肩にした)、大声で問いただす。
「それは………」
しかし雄介はバツが悪そうに目を逸らした。美咲はその行為に奥歯を噛み締める。
「言いなさい!! これはいつもの興味本位なんかじゃない!! 先輩として、あんた達が危険な目にあってるのを黙ってられないから言ってんの!!」
それはいつもの美咲を知っている雄介からは想像できない顔だったに違いない。いつも部室で他人をからかい、大声で笑っているイメージだけしかなかった。しかしここにいたのは違った。ここにいたのは真剣な眼差しで、本気で自分達を心配して怒っている、そんな雄介が知らない鷺原美咲がいた。
「……………………」
しかし雄介は口をつぐむ。確かにこんな常人なら訳の分からない状況に首を突っ込んでいる自分達を心配してくれるのは嬉しい。だが、言ってしまえばこの訳の分からない危険な状況に巻き込んでしまう。
その時、遠くから巨大な爆発音が聞こえてきた。
八月二日。午後一時五十九分。
「ホラホラホラーーーーー!!!」
駆馬は嬉しそうにはしゃぎ回る。スポーツカーに変形したのと同時に運転席に現れた色とりどりのボタン。その一つの赤いボタンを押す。
するとバスカッシュのヘッドライトから強力なレーザー光線が発射される。
「だぁああああああ!!! どこのマンガの世界から来やがったこのロボットーーーーーーー!!!」
地面を焼いて追尾してくるレーザーを走り回って避けながら達也は叫ぶ。
「こらぁあ!!」
シンは達也に気が行っている隙を突き、バスカッシュの後ろから銃を乱射する。しかし、表面に当たった銃弾は軽くへこみ傷を付けた程度で全て弾かれてしまう。その振動を感知し、バスカッシュはくるりと後ろを向き標的をシンに変えた。
「来いポンコツーーー!!」
「心外だ、なっ!!」
駆馬は何の迷いもなくシンに向けてバスカッシュの鉄の腕を振り下ろす。何百キロをも質量を誇るその腕が、空気を切り裂きながらシンに迫る。しかし直撃の瞬間、シンはタイミングを合わせて飛んできた腕に飛び乗ると、その上を駆け上がり始める。さっき達也がやったごとく鮮やかで無駄のない動きだった。
「させるか!!」
しかし駆馬はハンドルを思い切り左に切る。すると車体が大きく左にぶれ、シンが乗っている左腕が大きくブレ、バランスを崩してしまう。
「なんのぉお!!」
しかし落ちる寸前、武器を銃からナイフに交換し腕の関節部分に思い切り突き刺した。黒っぽい色をしたオイルらしき液体が吹き出るが、それを服に掛からないように右の翼で器用にそれを全部受けた。
「離れろぉ!!」
駆馬はハンドルをぶんぶんと左右に振ると、それと連動してバスカッシュも左右に揺れる。
「おわっ!!」
シンはついに力負けして振り落される。が、その瞬間翼を広げ空中に飛び上がる。
「なろぉ!!」
達也はシンのように飛べないが、同じように脚部の関節部分に思い切りナイフを突き刺す。駆馬は慌ててハンドルを回すと、達也は呆気なく大きく振り回された脚に吹き飛ばされる。
「おおぉおお!!」
脚を大きく振り回したことでバランスが崩れかけているバスカッシュに向かい、シンは翼をはためかせる。
そんなシンに駆馬はにやりと笑うと、さっきのようにスピーカーのシステムを発動する白いボタンを押した。
『さて質問です』
「!?」
シンはこの状況でなぜ駆馬が自分に話しかけてきたのか分からなかった。
『さっき君が浴びた液体はなんでしょうか?』
さっき浴びた液体とは、あの黒っぽい色をしたオイルのことであろうか。
『あれはオイルではありませーん。あれは~……ジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカ……』
駆馬は嬉しそうにドラムロールを口ずさみ、嬉しそうな顔で言う。
『液体火薬でした~♪』
その言葉に、シンは全身から汗を吹き出した。オイルならば別にどうということもなかった。実際、シンは駆馬がこれを狙ってくるのが分かっていた。恐らく銃弾か、もしかしたら火炎放射器か何かで自分の翼に火をつけるんじゃないかとは考えていた。
しかし、火がついた程度ではこの翼はびくともしない。確かに自分の体の一部ではあるが、ここに生える羽はある程度の衝撃や熱に耐える事が可能なのだ。銃弾や火などでは何ともない。
だが爆発は例外だ。いくら熱に耐えられるといっても爆炎の熱と普通の火は比べ物にならない。爆発の衝撃と銃弾の衝撃などは比べるべくもない。
まずい!! とシンはブレーキをかけるが遅かった。すでに駆馬はボタンを押し、ナンバープレートが下に開く。そこからシンの髪と同じく銀色の筒が出てきた。
そして、そこから火炎が発射される。
火炎放射器。もっとも恐れていた武器を出され逃げようとしたが間に合わず、火が右の羽を掠めた。瞬間、
ズドォーーーンッ!!!!!
凶悪で、強大で、巨大な爆発音が鳴り響く。そこで、何かが舞っていた。
それは黒い羽。そして爆風に乗って、何かがグチャリとした音を立てて地面に叩きつけられる。それは赤黒く瑞々しい肉。そして、その持ち主の右の肩から吹き出る赤い、紅い鮮血。
「あ……………」
その光景はまるでスローモーションのようにゆっくりと、確実に達也の脳に刻み込まれていく。達也の感覚ではたっぷり五分ほど、現実ではコンマ何秒かの時間の後、
「う、ぁあぁああああああああああ!!!!!」
シンの絶叫が辺りに響き渡る。
「シンっ!!!」
達也は逆さまに地面に落下してくるシンをギリギリのところでキャッチした。受けとめた右手に、何か生暖かい感触がした。ぶよぶよとした感触は恐らく今重傷を負った右の肩口だろう。
「シン!!」
「う…ぁ……、俺は、いいから……」
「ハッハーーー!!」
シンを抱えている達也の下に、駆馬は何の遠慮もなしに走って行く。ズシンッズシンッと、一歩を踏み出すたびに不自然に地面が振動する。
「はぁ~! 今までで一番充実した狩りだったよ。ありがとう!!」
駆馬の声には皮肉がなく、本当に爽やかに自分達に礼を言うその声に、達也は気が狂いそうなほの怒りを感じる。だが、感じたところでどうにもならない。今の距離なら自分が攻撃を仕掛けたところで駆馬は迷わず手負いで動けなくなったシンを踏み潰すだろう。しかしかといって達也自身もシンを抱えて逃げることは出来ても、途中で踏み潰されるだろう。
完璧な八方塞。駆馬はバスカッシュの腕を思い切り後ろに引き、
「バイバイ♪」
振り下ろす。
「「!!」」
思わず二人は目を瞑った。しかし、いつまでたっても重い衝撃はやってこない。
『?』と不思議に思って達也が眼を開ける。
そこにあったのは、巨大な鋼鉄の腕の前に立ち塞がる一人の人影。
両手を広げ、守るように立ち塞がる人影。 ハーフパンツにTシャツという姿を見て、達也は一瞬雄介がそこにいるのかと思ったが、確か雄介は上はランニングを着ていたはずだと思い出す。
よく見ると、その人影の髪は雄介とは違い黒色だった。そして長さも肩より少し長いくらいあり、流れるように綺麗で美しい。そこで達也はそこに立っているのが誰だが気づく。
「ぶ……ちょう……?」
まるで怒っている親の顔色を伺うように、恐る恐るといった口調。人影は、美咲はその声に応えるように振り向いた。
「ったく。見てらんないわね、あんた達は」
美咲は笑っていた。あとほんの少しで、目の前にある巨大な質量に肉塊に変えられていたかも知れないのに。それでも、優しい笑顔でそこにいた。
「そこの銀髪の彼、真司君なんでしょ。雄介から聞いたわ」
「雄介から…って………」
達也はさっき雄介が吹き飛ばされた防風林のほうを見る。そこには暴れる早苗を必死に抑える雄介の姿があった。
「危険だからやめろって早苗は言ったんだけどさ、雄介から話全部聞いたら、なんか居ても立ってもいられなくなっちゃって」
美咲はゆっくりと、目の前を覆うように存在する巨大な鉄の塊を見据える。それを合図にしたように、バスカッシュの腕は引き戻される。
「やあ。君は確か鷺原美咲さん。どうしたの? 君も彼らの仲間かい?」
駆馬は止めを刺そうとしたのを中断されたのでいささか不機嫌気味に質問する。しかし美咲はそんな駆馬のことなど見ていない。視線の先はその隣、助手席に座る一人の少女。
「華多奈………」
美咲は小さく呟いた。華多奈は助手席で尋常でない長さのシートベルトで体を縛られぐったりとしていた。
『実は今日、デートなんだ』
――――――そう言った彼女の顔は、とても嬉しそうだった。
『なんで駆馬さんが悪い人だって決め付けるのよ!!』
――――――そう言った彼女の顔は、とても怒っていた。
『じゃあね、みんな。また今度』
――――――そう言った彼女の顔は、誰にでも幸福を与えてくれるほど朗らかなものだった。
「あんた、華多奈に何したの………」
「ん? 何もしてないよ。今から何かするんだ。見ちゃいけないもの、僕が犯人足りうる証拠を見ちゃったから」
駆馬は本当になんでもないことのようにサラリと言う。
「あんた、その子がどんな顔であんたとのデートのこと話してたと思う……。どんな顔であんたのことを酷く言ったわたし達を怒ったと思う……。どんな顔であんたと会うことを楽しみにしていたと思う……」
美咲は震える声で言葉をひりだす。怒っているような、悲しいような、苦しいような。そんなどれとも取れるような声だった。
「知らないよ」
しかし、駆馬はそれを一言で断じた。その言葉に美咲は歯をむき出して怒りをあらわにする。
「僕だって、こんなことしたくなかった」
しかし、駆馬が次に発した言葉に、その表情が一瞬で消える。
「だってそうだろう。あんな笑顔が素敵で、あんな可愛くて、あんな優しい子……、誰が好き好んで殺そうと思う?」
駆馬は寂しそうに、苦しそうに言葉をつむぐ。
「確かに僕は世間で言う殺人犯だよ。人を何人も殺した。けど、僕だって人間だ。恋だってするし、愛する人が出来たりもする。それが彼女だった」
駆馬のあまりにも予想外の言葉に、そこにいる全員が聞き入ってしまった。
「本当は今日一回会ってそれで終わりにするつもりだった。好きだけど、僕みたいな人間と一緒にいられるはずがない。一回会って、話をして、遊んで。たった一度だけ……、それだけで良かった。だけど見ちゃったから。見られたくないものを見てしまったから。だから仕方ないんだ」
だから殺すんだ。狩りではなく殺すんだ、と。駆馬は言った。
「あんたに人を愛する資格なんてない」
美咲は小さく零すように言った。駆馬は美咲を見る。
「なにが好きになったよ。何が愛する人よ。その愛する人間を殺そうとしてんのはどこの大馬鹿よ!! 愛する人の気持ちを踏みにじってんのはどこの大馬鹿よ!! 本気で好きになったんなら、罪を償えばいいじゃない。嫌われるって分かってるけど、怖がられるって分かってるけど、それでも好きになったならバレたって自分の気持ち伝えればいいじゃない!! それを、自分が犯人だってバレたら迷わず殺すなんて。何が人間よ……、何が恋よ……」
キッ、と。美咲はその眼光で殺すほどに駆馬を睨みつける。駆馬は美咲が言葉をつむぐたびに脅えたような顔になっていった。恐らく自分でも分かっていて無理やり押し込んでいた感情が、美咲が今言おうとしている言葉ではみ出し、彼の心を侵食し始めている。
「あんたは人間じゃない……ただの怪物じゃない!!」
「―――――――――――――ッ!!?!?!?!!」
駆馬の中で、何かが壊れた。
自分でも分かっていた。人を殺すことがいけないことだと、この年で分からないはずなどない。それでも殺してしまうのは、自分にこんな感情を抱かせた原因を作った父親だと、こんな常人離れした能力だと思っていた。
だが結局、それらはただ自分の罪への言い訳。自分の本質を見えなくしていただけだ。
止めようと思えばいつでも止められたはずなのに、それをしなかったのは紛れもなく自分。
彼の皮一枚剥がした下にあるその本質は、
怪物。
「あ、あぅうああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
絶叫が辺りにこだまする。さっきシンが上げた絶叫とはまた違う。この絶叫は痛みだけではない。自分の心の痛み、悲しみ、絶望、狂気。それらを無理やりに纏め上げたような絶叫。
「ぁあああぁああああああぁぁああああぁぁぁぁぁあ!!!」
駆馬は一気にアクセルを踏み込み、バスカッシュの変形を解くボタンを押す。
ダンッ!! と巨大な脚で地面を蹴ったバスカッシュはなぜか後ろに飛びのく。それと同時に空中で元のスポーツカーの形に戻り、後輪が高速で回転する。踏み潰すのではない。轢き殺す気なのだ。
「あああぁああアアああああぁぁぁぁあああ!!!」
狂気の声をあげ、駆馬の車は地面に向かって落下する。地面にタイヤが触れれば、その時点で爆発したかのように車は達也たちのほうに突っ込んでくるだろう。
だが、美咲は逃げようとしない。まっすぐ駆馬に視線を向けたままだ。
「部長、速く逃げてください!! 言いたくはありませんけど、部長には何も出来ません!!」
「じゃあ、あんた達にどうにかできる?」
美咲は声を荒げず、優しくそう言った。達也たちは何もいえない。シンを引きずってでも逃げれるかも知れないが、あの速度で走り回る車にはすぐ追いつかれてしまうだろうし、横に飛んで避けるなんてことも一度出来るかどうかだ。結局逃げられない。
「あたしはね。どうにもならないことにぶち当たっても、やってみることにしてんの」
美咲は今の状況とは似合わないほど普通の声でそう言った。
「奇跡とか、そういうのも信じてるけど、結局はあたしの性格が大きく出てんのよね。だってやらなきゃ始まらないでしょ」
美咲はもう一度達也たちのほうを見た。
「だって、始まりもせずに終わっちゃうなんて、最悪じゃない?」
ゴガッ!! と、駆馬の車が地面を捉えた。ギュアアアアアアア!! と轟音を上げ、しばらくその場に後部が左右に揺れたが、次の瞬間、弾丸のような速度で飛び出す。
美咲は再び視線を前に戻し、駆馬を見据えた。駆馬は車の中で何かを叫んでいるがタイヤの音で聞こえては来ない。
絶対にどくものか、と。美咲は強く地面を捉える。
結局、自分が轢かれたら次は後ろの二人も轢かれて終わる。だが後悔はしない。何かをやって終われるから。何もしないんじゃなく、何かをやって出来た結果だから、と。何もせずに無情に突きつけられた結末じゃないからと、美咲は強く立ち塞がり、強く思う。
どうしてそこまでするんだ。理由なんてないのに、と、きっと後ろの二人は思うかもしれない。だが、そんな彼らに、美咲はこういってやるだろう。
あたしはあんたらの部長でしょう!
理由なんてそれだけでいい。たったそれだけあればいい。助けるなんて対それたことが出来なくても、助けようとすることに意味があるのだと、美咲は思う。
奇跡だって、何かをやろうとしなければ永遠に来ないのだと。その意思が、きっと誰かを救うんだと。美咲は彼ら二人に言うだろう。
駆馬の車が、もう眼と鼻の先まで来ていた。さすがに少し怖いな、と美咲は思う。だが、どく気はない。どうせ狂った駆馬は正体を知った自分達を必ず殺すだろう。能力も持たない美咲たちには戦うことも出来ない。だが、自分が最低だと思う人間から逃げ間沿い殺されるなど死んでも嫌だ。どうせ殺されるなら守ってやると、守ろうとしてやると、美咲歯を食いしばり、眼を瞑る。
「美咲!!」
しかし、そんな彼女の前にいきなり何かが現れた。それは黒い髪を振り乱した少女。
「早苗!!?」
美咲は自分を庇うように前に出てきた少女の名前を言う。早苗は美咲を抱きしめるように両手を美咲の体に回す。
「馬鹿っ!やめなさい、あんたも死ぬわよ!!」
「私は、ずっとあなたを見てきたんですよ……」
早苗は静かに自分の胸中を語る。もうほんの僅かしか残されていない時間の中で。その少し向こうで、雄介が地面に這いつくばって何かを叫んでいた。恐らく早苗に手負いの状態で何か技でもかけられたな、と美咲は思う。
「私もあなたと同じです。どれだけ道が塞がっていようが、何もやらずに全てが終わるのなんて耐えられません」
早苗は美咲を抱きしめる腕に力を込める。少し痛いくらいだが、美咲は抵抗しなかった。今早苗を否定してしまえば、それは自分にも当てはまってしまうからだ。
もう駆馬の車はすぐそこまで来ていた。もう四人に衝突するのに何秒もない。そんな中で、美咲は最後に小さく、優しく、
「敵わないわね、あんたには」
微笑んだ。
「そうでしょう。私は最初から最後まで美咲の友達で、天敵ですから」
早苗も、優しく微笑み返した。
刹那、ついに駆馬の車が一番前の早苗に僅か一メートルと迫った。遠くで立ち上がろうとしてしている雄介が大声で何か叫んだ。
「!!」
決意をしても、やはり死ぬのは怖いのか、早苗は強く眼を瞑り、右手を開いて前に出した。
ガシャーーーーーーンッ!!!
壮絶な炸裂音。それは、早苗の体の骨を隅々まで粉々にし、美咲の体中の筋肉を引き裂き、シンと達也の体をバラバラにした音、ではない。
「え……………!?」
そのセリフは、恐らく早苗だけが言うべきものではないだろうが、だが一番その言葉を言うべき状況なのはやはり彼女なのだろう。
炸裂音は早苗の体に車がぶつかって鳴ったものではない。
早苗の突き出した右手に車がぶつかった音だった。
早苗の体には傷一つ無く、逆に突っ込んできた車のフロントに右手が型が出来るほど突き刺さっていた。
「は……ぇえ……………」
錯乱状態だった駆馬も、その一撃で正気を取り戻す。粉々なになった窓ガラスに鞭打ちになった首。体に走るシートベルトに締め付けられた痛み。
普通に考えて時速百キロを軽く超す車の質量全てを受けて人間が無事でいられるはずは無い。その質量は人間の体のあらゆるところを壊し、潰し、砕き、裂く。
しかしそこにいる四人、駆馬を初め、シンに達也、雄介は知っている。普通ではありえないならば、普通以外の力が働いたのだ。
能力。
早苗は驚いた顔で右手をフロント部から引き抜き見る。引き抜くときに多少変形して尖った金属片で傷を負ってはいるが、それ以外は完璧な無傷。試しに腕を回したり曲げたりしてみるが、腕には何の違和感も無ければ痛みも無い。
「く……ああぁあああ!!」
そのとき、何も分からず呆けていた駆馬は我に返った。オートマのギアを変換しほんの数メートルバックし、再びDに切り替えてアクセルを目一杯踏み込む。
右手に意識が集中していたせいで早苗は反応が遅れた。もう右手を突き出している時間は無い。
「………………!!」
今度こそ駄目だと再び強く眼を瞑る。車はもう一度彼らを轢き殺さんと突っ込む。
「―――――――――――――!!」
しかし、今度は炸裂音さえ鳴らなかった。
「えっ!!?」
駆馬は慌ててブレーキを踏む。耳を塞ぎたくなるほど甲高い音を立てて車は急停止した。辺りを見渡すと、そこから五十メートルほど離れた位置に、探していた人物達はいた。
そこには、早苗を抱きしめたまま、シンを抱えた達也の襟首を掴んで息を切らしている美咲がいた。
「え………、何が、起こっ、て?」
美咲は呼吸が整った瞬間、体中にすごく重いものが纏わり付いていることを思い出す。
「きゃああぁあ!!」
実質、三人の人間を抱えたまま美咲は重さに耐え切れず地面に転がった。一番下になった達也が三人分の体重を一身に受けて「ごへっ!!」と体中の空気を吐き出したような声を上げる。
「今のは、いったい………」
さっきの早苗のように美咲は自分の両手を見た。すると、
「きゃっ!!?」
「なんです、か……これ」
突如として、美咲と早苗、二人の両手が光り始めた。
どうもでっす!!
今回から活動報告書き始めました。今度からブログ感覚で他愛のないことをそこに書いていきたいと思います。ぜひご覧ください。
この似たようなことをやっている後書きコーナーですが、一話からやり続けている愛着のため、この部分も続けていきます。「もういいよ!!」と思った皆さん、ごめんなさい。
それでは、また次回。