第52話 合宿 その⑥
七月二十一日。午後七時三十二分。
「あー、食った食った」
「こら! 行儀悪い!」
昨日とまったく同じリアクションをとっている達也と美樹を、周りのみんなは昨日と同じように笑う。
今日の夕飯は七瀬の手作りの胡麻ダレをかけた豚しゃぶ。美樹作の野菜スープ。早苗作のピラフというメニュー。
「いいだろ。今日は色々疲れた」
「あんた昨日も同じこと言ってたじゃない! いいから起きなさい!」
美樹は達也の両脇に手を回して無理やり起き上がらせる。達也はこれでもかと言うくらいの不快な顔を作ったが、昔から都合が悪くなるとその顔をすることを知っている美樹には一発屋芸人のギャグくらい効き目がない。
「ほら、ちゃんと起きる」
「分ぁったよ。自分で起きるよ」
ズルズルとテーブルの下に突っ込んでいた足を引き戻し、達也は後ろのソファーにもたれるようにして座り直す。
「ん?」
そこでふと、達也はあるものに目がいった。ソファーの脇に何かが置いてある。なんだろうと尺取虫のようにモソモソと、ゆっくりとした動きでそれに近づく。後ろから「またやってる!」という美樹の文句が聞こえてきたが特に気にしなかった。手を伸ばし、それを見える位置まで引っ張ると、それは大きな紙袋だった。よくアメリカのホームドラマなんかでフランスパンの頭が飛び出しているあれで、大きさもそれと同じくらいだ。
「なんだこれ?」
気になって中を見てみると、ビンやら缶がぎっしりと詰まっている。
「うわぁ……」
その中の一つを引っ張り出してみる。大きな一升ビンに貼られたラベルにでかでかと達筆で商品名が書かれていた。それで大体、そのビンの中の透明な液体が何であるかを察する。間違いなく、十中八九、酒である。
「おい、これ誰のだ」
達也は視線を元に戻し、ビンを高々と掲げて全員に見えるようにする。紙袋に入っていたところを見ると、どうやらこれは三好家別荘に釣竿やバイクみたいに置いてあったものじゃないことは想像できる。最近条例が変わって未成年であるここにいる全員はこれを購入することはできないはずだ。
「んにゃ?」
しかし、その答えを教えてくれたのはその奇妙な声だった。
「お~、少年。少年もいける口かい? こっち来て一杯どうだい~♪」
えらく上機嫌な勝音の声で、犯人が分かった。勝音は顔が赤く、いつもトロンとしている目がいつも以上に緩くしまりがない感じになっている。
今まで機会がなくて、そもそも女性へのデリカシー的なものを考えて今まで聞かなかったが、少なくともこの別荘にいる人物達の中で達也たちより年上なのは彼女ら坪井シスターズだ。酒を飲める年齢であっても不思議ではない。
すると、今の会話が聞こえたのか、勝音のすぐ横に座っていた明美が振り向く。その顔は程よく紅潮し、目が若干焦点を定めていない。明らかに彼女も酔っている。
「え、何? 達也君も飲む? うまいよ~これ」
明美の口調はいつものしっかりした感じとは程遠く、呂律も若干回っていない
よく見てみるとリビングのテレビを中心に、いつの間にか宴会場ができていた。さっきまでみんなで食事をしていた思っていたら、わずか十分足らずでこんな事態になっている。
宴会場には坪井シスターズはもちろんのこと、いつの間にか美咲と早苗、そしてシンまでいる。彼女らの周りにはすでに何十本もの一升瓶やビール缶が転がっていた。
「ちょ、ちょっとね、こっち来なさい」
明美はナメクジみたいに肘で体を引きずり、手招きしながら達也に近づいてくる。達也にはその姿がナメクジではなく、獲物を見つけて歓喜している蛇のように見えて怖い。
「い、いや、いいです。俺未成年なんで。みんなもそうだよな」
といって辺りを見回すが、さっきまで周りにいた全員がいつの間にか消えていた。
「え!? なんで!?なして!?」
達也には何が起こっているのか分からないだろうが、何のことはない。さっき達也が紙袋を見つけて引っ張り出す、という簡単な動作は、実はモソモソとゆっくりとした動きで、傍から見れば結構時間がかかっていた行為であり、その間にみんなそれぞれ別の行動を取っていたというだけの話だ。
美樹と七瀬はキッチンに食器を洗いに行っていないし、達也妹はトイレにいっている。
「雄介………!」
といって、再び視線を宴会場に向けると、雄介は穂奈美と文音に捕まり、二人に技をかけられていた。いったいこの短時間にどれだけのハイペースで技をかけたのか、その顔にはもう表情はなく、完全にマグロ状態だった。そして驚くべきことに、よく見てみると美咲たち三人の手にはもう少ししか中身がないコップが握られていた。
「な、何してんスかあんたら!! ま、まさか飲んだんじゃ………!」
その台詞に気づいて美咲が振り向く。
「おー、達也。あんたも飲む?」
その顔は紅潮してはいたが、坪井シスターズと比べると薄紅を刺したように薄っすらとしたもので、テンションの具合もいつもどおりなので酔ってはいないらしい。
「何してんですか!? 酒なんか飲んで、停学モンですよ!」
「別にこんなとこに風紀委員の直松がいるわけじゃないんだし別にいいじゃん。無礼講よ無礼講」
美咲は手をヒラヒラと振ってコップの残りを一気にあおる。そして女子とは思えぬ大きく汚い音のゲップを一つ。まるで反省の色無し。
「あのねぇ~……」
「達也く~~ん!!」
「なぁ!!」
いきなり首を掴まれ、達也は床に押し倒される。犯人はまさかのシンだった。顔は全員の中でもっとも赤くなり、目はもはや焦点を合わせていない。
「こっち来て一緒に飲みましょう~。楽しくておいしいよ~」
「な!? ちょ、お前顔近づけるな! 酒臭い! ホントやめろ!!」
「あら。真司君結構飲んでると思ったのに、その様子じゃ結構強いのね」
「どこが!!」
達也は必死に否定したが、口調はいつも達也や雄介たち以外の人間と接するときとなんら変わっていない。だからシンの『素』を見たことがない人間はそれが分からない。
だが達也は違う。この久我真司という名の実は天界の天使さまがとてつもなくふてぶてしく粗暴な喋り方と態度であることを。だからこそ怖い。いま達也に接してきているシンは今この状態が『素』だからだ。完全に演技と本性が逆になってしまっている。
「だ~!もう! いい加減にしてください!! 未成年に酒なんか飲ませていいと思ってるんですか!!」
その台詞に坪井シスターズの動きがぴたりと止まる。そして、全員がぐるりと首を達也に向ける。
「何を言うか! これはお酒ではない!! お米のジュースだ!!」
「はぁっ!?」
明美は高々と一升瓶を空に掲げ、まるで神の恵みとでも言わんばかりに強調する。そしてその隣の文音も缶ビールを高々と掲げてみせ、
「そうだ!! それでもってこれは小麦粉のジュースだ!!」
「違う!! それ原料麦芽! 原料の元は一緒だけどさ! っていうか主張すんだったらキチンとした知識を述べろよ!!」
もうツッコむのも面倒になってきたのか、いつものフランクな敬語でさえ使わなくなってきた。すると、
ドンッ!!
と、何かを叩きつけるような音が聞こえた。反射的にそっちのほうに目を向けると、いつの間にか早苗が達也の目の前に座っていた。
「ぬおっ!!?」
「…………………………………」
早苗は何も言わずに達也をジッと見る。その姿はいつもの早苗の姿からは想像もできないもので、一升瓶を片手に持ち、他の六人同様顔を赤らめあぐらをかいている。おまけに目は目線が合った瞬間逸らしたくなるほど据わっていた。
「あの~。何か?」
「おい達也」
「!!?」
これは新手のドッキリなのか!? と、達也は半分以上本気で思う。まさかあの早苗が酔ったからといってこんな風に変わってしまうとは誰も想像もしていなかっただろう。
「は、はい」
「これはな、ジュースなんだよ!!」
そしていきなり有無を言わさず、何の前触れもなく達也の頬に張り手が炸裂した。
「いったーーーー!!」
バシーンッ!! と景気のいい音を頬から鳴らして達也は後ろにぶっ倒れる。
「これはぁ~、アヒャヒャ! お酒じゃらくて~、ヒッ! ジュースなんだぁ!!」
達也はその姿に絶句していた。これは悪い夢だ。そうに決まってる。夢だ夢だワーイ! と現実逃避しようとしたが、それを許すまいと倒れた達也にもう一撃ビンタが決まる。
「ブッ!! ちょ、痛い!! ホントやめて先輩!! そうだ!水飲みましょ! それがいい、うん。水飲みましょう、水」
「アヒャヒャ! この味を覚えちゃら~、水なんか飲めるかー!」
いつもの清楚なお嬢様の雰囲気は宇宙の果てに飛んでいったのかと思うくらい皆無で、下品な笑いをしながら何発も、しかも明らかに本気の力で早苗は達也にビンタを喰らわす。もともと格闘技をやっている早苗のビンタは、下手に男と喧嘩して殴られるより数倍痛い。
「ブッ! ちょ、ブッ! ホン…ブッ!! タンマ…ブッ!!」
完全にリンチ状態。達也はマウントを取られ動けず防戦一方。
「アヒャヒャ!……そうだ。達也、お前も飲め!」
「えっ!!?」
やっとビンタが止まったと達也はガードに上げていた腕を下げるが、いきなり口を掴まれてひょっとこみたいな口にされ、早苗は持っていた一升瓶をその口に無理やり突っ込んで瓶を傾げる。
「うごごごごごごごご!!」
ダパダパとすごい勢いで中の日本酒が達也の口へ、喉へ、食道へ、胃へと流れ込んでくる。これはひょっとしてさっきまでラッパ飲みしてたんですか? なら間接キスだ、ヤッホーイ!! なんてことを思う暇もなく、達也の視界はくらみ、次の瞬間には真っ暗になっていた。
結論。一気飲みは本当に危険なのでやめましょう。もちろん、未成年の飲酒も。
七月二十二日。午前二時八分。
「……んぁ……………」
妙な体の火照りを感じ、達也は目が覚めた。
「いってっ! ……つぅ~………」
頭が割れるほど痛い。強引に酒を飲まされたせいでとんだ目にあった。
「しっかし、まぁ……」
達也は辺りを見回す。それはもうすごいことになっていた。
さっきまで飲んでいた坪井シスターズとシン、そしてビンタをかまして笑っていた早苗たちは心底気持ち良さそうに床で寝ていた。それだけならまだいいが、記憶が飛ぶ前にはいなかった美樹や七瀬、はては達也の妹までそこら辺で突っ伏すように寝ていた。まさか家の妹にまで飲ませたんじゃないだろうなと思って駆け寄るが、別に酒臭くもないし、顔も赤くないため、どうやらみんなと騒いで疲れて寝てしまっただけらしい。それを確認して、達也はあることに気づく。
「部長……?」
そこには、美咲の姿だけ見当たらなかった。酒で頭がズキズキするが、記憶が正しいなら確かにここには美咲がいたはずだ。
自分の部屋に行って寝たのかと思っていると、ふいに背中に冷たい風を感じる。後ろを見ると、テラスに続くガラス戸が開いている。
達也は痛む頭を抑えながら、少しふらつく足取りでテラスへと出た。
ウッドパネルが敷き詰められたそのテラスに美咲はいた。床と同じように木製でできた柵に腰掛けながら、美咲は海のほうに傾いている月を眺めていた。
月光に照らされたその顔は、どこか憂いを秘めていて、どこか、いつもの美咲らしくない感じがする。と、そこで美咲が達也のほうに気づく。
「なに。もう起きたの?」
「ええ、頭メッチャクチャ痛いっスけど。ていうか部長よく平気ですね。結構飲んでませんでした?」
「あたしは昔から酒豪の親父に鍛えられてきたからね。あの程度別になんともないわよ」
それはそれでどうなんだろうと、達也は心の中で首をかしげる。
「部長どうしたんスか。眠れないんですか?」
「ううん。ちょっと夜風に当たりにね。さすがに熱くなっちゃったし」
「でも、なんか最初ドキッとしました」
「何でよ?」
「なんか月見てる部長の顔が憂いを秘めてて、そういう女性は綺麗だっていうか……。部長がなんか儚げに見えたって言うか……なんか、いつもの部長らしくないっつうか……」
「フフッ。詩人ねぇ、達也は。もしかして惚れたか? このあたしに?」
「もしかして、彼氏のこと考えてました?」
ほんの、いつもからかわれているお返しのつもりで、噂に聞く彼氏のことを話題に出してみる。
「えっ!?」
しかし、予想外に、美咲は少し顔を俯けて黙ってしまう。これもいつもの美咲らしくない。
「えっ? もしかして、本当にいるんスか? 彼氏」
「…う~ん……彼氏っていうか、友達以上恋人未満っていうか……、まあ、そういうことでいっか……」
「でも、一緒にいるとこなんて見たことないんスけど。別の学校の人ですか?」
「同じよ。月白高校。でもあいつ、今年度の初めから停学くらってね。あんた達は見たことなくて当然よ」
「そう…なんですか……」
達也は、それ以上その話を聞いていいものかどうか若干迷った。その話をするたびに、美咲の顔が悲しそうになっていくように感じたからだ。しかし、美咲はかまわず話を続ける。
「ほんっと、迷惑な奴なのよね。喧嘩で停学くらって心配させるわ、おまけに早苗の大切な人まで巻き添えにしちゃうんだから」
「えっ?」
それは、もう一つの噂、早苗の彼氏のことだろうか。
「そうよ。あれはあたし達みたいに曖昧な関係じゃなくて、誰がどう見ても立派な恋人同士。正直羨ましいなぁって思ったりもするのよねぇ。知ってる? あたしのなんか俺の女俺の女って、正直いつの時代の人間だって思うようなことばっか言ってくるのよ。そりゃ素直に付き合おうなんていえる分けないでしょうが、そんな恥ずかしい奴と」
美咲は一旦そこで会話を切る。そして、すうっ、と息を吸い込み呟くように言った。
「あんたはさぁ、達也。美樹のことどう思ってるの?」
「えっ!?」
突然の質問に達也は困惑する。今までふざけ半分にこんな質問はされてきたが、こんな風に真剣な面持ちで聞かれたのは初めてだったからだ。
「え……っと、あの……」
達也は口ごもった自分を少し不可解に感じた。なぜだろう。どうしていつもみたいに言い返せないんだろう。ただの幼馴染です、と。ならば他に答えがあるのかと探してみるが、どうにも見つからない。結局出てきた言葉はいつものこの言葉しかなかった。
「あいつは……ただの幼馴染ですよ」
言って、達也はどうにも腑に落ちないでいる自分がいることに気づく。やはり答えを間違えたのかともう一度考えてみるが、やはり答えは出てこない。そう、出てこない。
「そう……」
美咲は、優しくそう答えた。
「達也。あんたは違うと思うけど、よく聞いておきなさい」
「なんですか?」
美咲は改まったように少し顔を引き締める。達也もそれに倣ってか、真剣な顔になった。
「あんたは、大切だと思う人を悲しませたりするんじゃないわよ」
「えっ?」
達也は聞き返したが、美咲は何も言わずまた月を眺め始めた。まるで自分で考えろ、とでもいうように。
「…………………」
やはり、美咲は少し酔っていたんじゃないか、と達也は思う。いつもなら、あんな風に自分のことをペラペラ喋るような人ではないことを知っているから。だが、結局それは美咲にしか分からないことだ。
「………おやすみなさい」
それだけ言うと、達也は家の中に入っていった。
「………おやすみ」
美咲は月を眺めたまま、小さく呟いた。
七月二十七日。午後十二時十九分。
楽しかった合宿はあっという間に終わりを告げ、今日は早く起きて別荘を掃除して出てきたため、電車の車内ではみんな眠っていた。行きのときと同様の、銀の塗装の剥げかけた、彼ら以外に乗客のいない古い型の電車のボックス席に座って。行きと違うのは、あの時の喧騒が今は欠片もないということだけだ。
狭いボックス席で睡魔の誘いに乗りそうになりながら、達也はふと、斜め前方のボックス席を見た。
そこには、隣の美咲の肩に頭を乗せて眠っている美樹の姿があった。
「…………………」
隣にいた美咲の姿を見て、達也はあの晩のことを思い出す。結局、美咲は何が言いたかったのだろうか。だが、今聞き返しても、『えー、そんなこと言ったっけ~?』と言われるのが分かっているし、もし答えてくれたとしても『自分で考えなさい』といわれることも分かっている。
そしてもう一つ。あのとき、質問に答えた自分に感じた違和感。見つからない答え。それも美咲は知っているのだろうか。
「………なんなんだろ…」
だが、やっぱり分からない。しかし、直感的に分かったことが一つだけある。きっとそれは、達也自身が見つけ、理解し、認めなければならないことで、そして、きっと全ての答えは繋がっていることに。
「………ふぁ~……………」
大きくあくびをした途端、ついに睡魔が猛攻撃を仕掛けてきて、達也の意識は眠りの中に落ちていく。眠りの世界へ落ちながら、達也は思う。
きっと、今は必死になっても答えは見つからないだろう。だがいつか、遠くないいつか、それはきっと分かることだと。
そこまで思って、ついに達也は完全に眠りに落ちた。
彼らを乗せた電車はゆっくりと走る。彼らの町へ向けて、ゆっくりと。
どうもです。
今回はなんかいい感じな美咲を書いてみました。部長らしいことを何にもやっていないような彼女ですが、実は誰よりもみんな思ってるいい子なんです。皆さん、これからも美咲を応援よろしくお願いします。もちろん他のみんなも。あとできれば作者も。感想待ってます。
それでは、また次回。