チキンハート
そんなやりとりを、繰り返しているうちに徐々に試合の時間が近づいてきた。
真は試合前の一人でトレーニングを行ったのだが、軽くスパーリングを行えないのが不満だなと考えた。
そこで、真の頭の中に恐ろしい思いが駆け巡った。
──もしかしたら、俺って弱いんじゃね?
いやいや、そんなはずはない、と真は自分の不安を振り払うように頭を振った。
俺はプロレスラーだ。プロレスラーが弱いはずがない。でも俺は大仁田とかストーカー市川みたいに弱いことで存在感を示すタイプのプロレスラーなのかもしれない。いやいや、今の俺には196cm126kgの肉体がある。弱いわけがない。でも、北尾光司みたいに素材的に恵まれていてもダメダメなプロレスラーもいるし、もしかしたら高田延彦vs北尾光司戦での北尾みたいにほとんど何もできずに人前で公開処刑みたいなマネをされてしまうかもしれない。
そんなことを考えているうちに真の中の不安はどんどん大きくなっていった。
今の俺には腕立て伏せ1000回、腹筋1000回、スクワット1000回、背筋1000回できるほどの体力がある。弱いわけがない。でもウェストテキスト学園中等部で柔道部に在籍していたときは、筋トレは問題なくこなせていたのだけど、乱取りや試合になると一回も勝てなかった。
もしかしたら俺は「とんだ一杯、食わせ者レスラー」なのかもしれない。
真の中で不安はどんどんと大きくなっていった。
──まさか、試合で死んだりしないよな。もしも、もしも、もしも、あり得ないことだけれどももしかして負けたら俺はどうなるんだろう? それに死なないにしても、あれだけシャルロッテたちにカッコつけて大口を叩いたんだ。負けたら俺の面目丸つぶれだ。カッコ悪すぎる。生きていけないかもしれない……。でも、世紀の大一番で負けたプロレスラーの末路ってどうだっただろう。10・9のメインで負けた高田とか、ヒクソンに負けた高田とか、ヒクソンに道場破りに行って負けた安生とか、船木とか、小川直也に負けた橋本真也とか、アレ? 意外と何とかなってるな。でも、古いところでは力道山に負けた木村政彦とか、まあ木村政彦はベストセラーになった本『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか?』で名誉を回復したし、エリオ・グレイシーに勝ったことで再評価されてるし、うーん、そう言えば同時期にゴン格で連載されていた会津泰成が書いた『サトシ』も単行本化されて欲しいなーって何を現実逃避してるんだ。アントニオ猪木に負けたストロング小林も格を落としたし、安生もヒクソンに負けて心が死んだって言ってたし、もしかしたら俺は今非常にヤバい状況に置かれているいるんじゃね? 今日の試合で下手したら死ぬかもしれない。
不安に苛まれた真は急いでシャルロッテのところへ向かった。
「シャルロッテ! 聞きたいことがあるんだけど」
「なんじゃ? デストロイ早乙女よ。妾に答えられることがあるなら、何でも答えるぞ」
「今日行われる試合ってどんなカンジなの?」
「どんなカンジとは、どういう意味じゃ?」
「だから、試合で死んだりとかしないよな?」
「そんなことか。安心せよ、今まで人間軍vs魔王軍対抗戦で死んだ者はおらん」
「本当か? それなら良かった」
真は安堵した。
「お主はプロレスラーなのに、何をそんなことを心配しておるのじゃ。ただ、敗れた者は皆全治数年単位の重症を負っておるがのう。一番怪我が軽い者で眼窩底骨折で一年といったところか。しかし、死ぬ可能性もあるかも知れんのう」
「マジでか」
「マジじゃ」
そんなのまるでデビュー4戦目でいきなり前田日明と対戦を組まれて全治一年の眼窩底骨折を負わされた田村潔司みたいじゃないか。俺は今そんな、立場に立たされているのかと、真は絶望的な気持ちになった。
「そ、それで一応聞いておくけど俺と対戦する“魔風の貴公子”ベルナデッドっていうのは強いのか?」
「ん? まあまあ強いぞ。まあ、プロレスラーに比べたら大したことないがな。今までの人間軍の代表戦士は4人ほどアイツにやられておる」
終わった……。そんな強いヤツが相手なのか……。藤波辰爾戦を前に急遽試合をキャンセルして無断で帰国したエル・カネックみたいに敵前逃亡したい。でも、俺は元の世界に戻る方法がわからないし、どうしたものか。そういえば、DEEP2001でやったエル・カネックvs太刀光の総合の試合は面白かったなーっ勝利後のエル・カネックの『俺はアンドレ・ザ・ジャイアントと戦った男だぞ』みたいなセリフはカッコ良かったなーって、また現実逃避をしていると、真は思った。
「どうしたのじゃ? 何か問題でもあるのか?」
シャルロッテが心配そうに真を見ながら言った。
そのプロレスラーに対する期待に満ちた純真な瞳を見ていると、『お腹が痛い』とか言って逃げ出すわけには行かないと思った。
そういえば、Uインター時代の高田延彦がモーリス・スミスとやりたいって言ったら、当時契約を持っていた全日本キックが勝手に『高田延彦vsモーリス・スミス』を発表しちゃってポスターにのせちゃって、当日高田が現れなくてスミスの不戦勝ってことがあったなー、おおらかな時代だったものだと、また真は得意のプロレス現実逃避をした。
「失礼ですが、姫様」
例によってシャルロッテの横に立っていたジョセフィーヌが口をはさんできた。
「なんじゃ? ジョセフィーヌ」
「デストロイ早乙女様はどうやら、今回の試合に対して不安を持っておられるように見受けられます」
真は、心の中を覗きこまれたような気持ちになって、ドキリとした。
「そんなはずはないじゃろう。デストロイ早乙女はプロレスラーじゃぞ。それに昨晩“いつ何時誰の挑戦でも受ける”と堂々と言ったではないか」
「ですが姫様、デストロイ早乙女様の足元が心なしか小刻みに震えているように見受けられますが」
「いや、これは違うし、これは武者震いってやつだし。むしろ早く試合がしたくてウズウズして自分の中に棲んでいる獣が暴れ出そうとしているのを必死に押さえつけているのが、表面化しているだけだし」
真は自分でも何を言っているのかわからないような言い訳を口にしてしまった。
「そうですか。それならば問題ございませんね。私としてはデストロイ早乙女様が敗れて絶望にうちひしがれる姫様のお姿を見てご飯のオカズにするのも一興だと思ったのでございますが、デストロイ早乙女様のお言葉を聞く限りそんな期待は裏切られそうですね」
そう言いながらジョセフィーヌは意地が悪そうに微かに唇を緩めて微笑んだ。それを見ていた真は「うわぁ、この人S気質が強い人だ」と思った。
「もちろんじゃ、ジョセフィーヌ。デストロイ早乙女はプロレスラーじゃぞ、そんな心配はない絶対に負けるなどということなどあろうはずがない」
「……はい」
真は力なく言った。
「どうしたデストロイ早乙女よ。何だか今までのような覇気が感じられんぞ?」
「いや、試合前なので少しナーバスになっているだけだ」
真は力なくそれだけ言った。
アントニオ猪木もアクラム・ペールワンと戦ったときも試合直前までガチだと知らされなくて、嫌々ながらもそれでも戦った。プロレスラーになるということは華々しいだけじゃなく、そういう危険とも常に隣あわせなんだ、そして今の俺はプロレスラーだやる時はやるしかない!
「シャルロッテ」
「なんじゃ?」
「俺の頬を叩いてくれないか」
「なんでそんなことをしなければいかんのじゃ?」
「俺の心に闘魂を注入するためだ」
「何だか意味がわからんが、プロレスラーとはそんな儀式をするものなのか?」
「そうだ。まあ、一部のプロレスラーだけだけどな」
「わかった。それならばやるぞ」
「ああ、思いっきりやってくれ」
パシィ! という音が部屋に響いた。シャルロッテの全力のビンタが真の頬に直撃した。そのビンタは今の真にとって蚊に刺されたほどにも感じてられなかった、大晦日のダウンタウンの笑ってはいけないシリーズの蝶野正洋が月亭方正に食らわせるビンタみたいにリアクションを取るまでもない。だがそのビンタを受けることで、真の心の中にかすかに戦う気持ちが芽生えた。
「ありがとう、シャルロッテ」
真の中で戦う覚悟が決まった。