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繋ぐ者

作者: 蘭学事始

これは23年前、あの大地震があった時、新米看護婦だった私が体験した話です。


地震直後、私が勤務していた病院は、比較的被害が少なかった為、多くの緊急患者が搬送されてきました。


あっという間に院内は怪我人で一杯になり、重症患者を優先して治療する緊急事態でした。


地獄絵図、とはこの事かと、その時初めて知った気がします。


痛みで泣き叫ぶ方もいれば、返事をしなくなった肉親の前で泣き叫ぶ方など……。


そんな時でした、赤ちゃんを抱いて駆け寄って来た、二十代くらいの母親が、必死に私に訴えてきたんです。


「うちの子が、うちの子が息をしていないんです!」


母親と赤ちゃんは、家の下敷きになっていたらしく、自力で脱出したそうです。


その後怪我をしているという事で、この病院に搬送されたそうですが、病院に着いて間もなく、赤ちゃんの意識が無くなったとの事。


院内を奔走している先生を何とか捕まえて事情を説明すると、直ぐに赤ちゃんの処置が行われました。


赤ちゃんの寝かされたベッドの脇で、母親は胸が張り裂けんばかりに、


「お願いします!どうかお願いします!」


と、何度も泣きすがっていました。


しかし、母親のそんな献身的な思いも虚しく、赤ちゃんの意識は戻らず、心音も途絶えてしまいました。


普段なら悔やむ言葉を述べられたのでしょうけど、その時は何分危機的な緊急事態でしたので、先生も軽く会釈するのみで、後のことは私に任せ、直ぐに別の患者の所へ行ってしまいました。


いたたまれない気持ちで一杯の中、私はベッド脇にいる母親を慰めようと、振り返りました。


すると、母親は何を思ったか、静かに眠る赤ちゃんを急に抱き上げたのです。


赤ちゃんとの別れを受け入れられないのでしょう。

ですが、今はそんな場合ではありません。


母親も切り傷による裂傷などで所々出血しており、直ぐに手当が必要だったんです。


私はその母親に、


「お気持ちはお察しします。ですが今は貴女の治療をさせてくだ、」


そこまで言いかけた時です。


突如母親が、柔和な笑みを浮かべたのです。


最初は気でもおかしくなったのかと疑いましたが、母親は、抱き抱えた赤ちゃんに、優しい声で、言い聞かせるように話し始めたのです。


「ごめんね、一緒にいられなくなるけど、ごめんね……お母さんを許してね、お母さんの分も生きて頂戴、愛してるからね……」


一緒にいられなくなる?お母さんの分も生きて……?


何を言ってるんだろう、と私が首を傾げた時でした。


「看護婦さん、この子の事を頼みます。それと、ここに電話してください。そして伝えてください、娘をよろしくお願いします、と、そして今までありがとうございます、私は幸せでした、と」


紙の切れ端を渡されながらそう言われました。

けれど私は、何を言ってるんだろう……そう思いました。


ですがその直後、母親は抱えた赤ちゃんを抱き締め、何やら赤ちゃんの耳元で呟き始めたんです。


それは何か唄の様にも聴こえましたが、日本語ではないため、正確にそれが何の唄なのかは分かりませんでした。


暫くして……。


──ピッ


「えっ?」


心電図の音です。

それも赤ちゃんの心電図。


止まった筈の赤ちゃんに取り付けていた心電図が、突如正常値に戻り、規則的な心音を奏出したのです。


私は無我夢中で先生を呼び戻しに行きました。


先生を連れて先程の親子の元に戻った時、椅子に座っていた母親の様子がおかしい事に気が付きました。


ですが同時に、


「おんぎゃーっ!」


と、母親が抱き締めたままの赤ちゃんから、力強い泣き声が響いたのです。


私は母親を他の看護婦に任せる事にし、先生と一緒に赤ちゃんをベッドへと寝かせ治療に当たりました。


信じられない事に、赤ちゃんは息を吹き返したのです。

まるで何事もなかったかのように。


その事を直ぐに母親に知らせようと、先程の看護婦を訪ねると、


「お母さんは……」


そう言って涙ぐみながら首を振っていました。


そんな有り得ないと、私は直ぐに食い下がったんです。


だって私が見た時は、あの母親は怪我こそしていましたが、意識もハッキリしていて、死に至る様な外傷もなかったんです。


なぜ……。


そう思った時、私の脳裏に、あの母親の一連の言葉が過ぎったんです。


ハッとした私は、急いで外にいる警察官にお願いしました。

緊急の用があるから、ここに繋いで欲しいと。


それは、母親から渡された紙の切れ端、そこには電話番号が書いてあったんです。


院内の電話は混線していてまともに使えません、ですから衛星電話を借りようと思ったんです。


病院関係者の私のお願いもあり、警察は使用を許可してくれました。


急いでそこに電話すると、人当たりの良さそうな、優しそうな男性の声が返ってきました。


私は自分が看護婦である事と、今しがた目の前で起きた事を、その男性にお伝えしました。


何を言ってるんだと言われるかもしれない、けれど、この話を今すぐ伝えなければ、そう思ったんです。


すると男性は、


「やっぱり、そうでしたか……今、妻が目の前にいた気がしたんです……きっとお別れを言いに来たんでしょうね……妻には昔から不思議な力があったから……そうか、あの子のために自分の……」


そこまで言って、男性は嗚咽を漏らしながら泣き始めてしまいました。


その後、男性は赤ちゃんを引取りに直ぐに病院に現れ、奥さんを看取ってくれた事、赤ちゃんを助けてくれた事への感謝を述べた後、奥さんの遺体と共に、病院を去っていきました。


以上が、私が23年前に経験した話です。


ですが、実はちょっとした後日談があるんです。


先月、うちの病院で新人看護士の面接があったんです。


その中に、忘れもしないあの時、23年前の、母親と同じ苗字の女の子を見つけたんです。

直ぐに顔を確認すると、当時のあの母親の面影そっくりだったんです。


面接の際に、私はその子に聞きました。


なぜ看護士になりたいのか?と。


するとその子は、


「私の母はこの病院で、私の命を救い、そして亡くなりました。だから私は、母に救ってもらったこの命で、たくさんの人を救いたいんです。そうすればきっと、母の命は決して無駄てはなかったと、証明できる気がして、」


そこまで話す彼女の目は、今にも泣きそうな程潤んでいましたが、私の方は堪えることができず、面接中に大泣きしてしまうという、病院の婦長として失態をおかしてしまったんです。


本当はこの病院を辞めるつもりでいたのですが、彼女を一人前にするためにも、まだまだ辞めるわけにはいかなくなりました。


私もまだ、あの時の彼女の母親の様に、命を繋いで行きたい、そう思えたから……。




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