(9)精戦大会
水色一色に浸された空を、下から一直線に切り裂く、白く細い煙。その天辺がパッと大輪の花を咲かせると、腹の底が震える大音響を振り撒いた。
昼間の花火の足元に据え置かれたホールケーキ状の会場内は、大勢の歓声にあふれている。客席は満員御礼。アリーナの中央には精戦専用ステージが設けられ、ホログラムの紙吹雪がこれでもかと視界を埋め尽くす。客席付近の実況席では、司会者の滑舌が絶好を極めて踊っていた。
ニューヨーク州2048年精戦大会。
始まりの合図が青空を彩る。
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精戦はトーナメント方式で行われる。今回の参加者が八十名と多いので、40:40の二ブロックに分けて、各々のブロック内で対戦する。その過程で二十人、十人、五人とブロック内を勝ち進んだ者たち、合計十名が、明日の決勝へ参加する権利を与えられるのだ。
大会開始早々、観客席で暴れまわる人々をモニターで眺めながら、ミコトは控え室でデッキに不備がないことを確認していた。近くの席では同じように大会参加者たちがデッキを睨んで戦略を練っている。
『では第一回戦、早速やっていきましょう!』
モニター内でノリノリの司会者が始まりを告げ、すでにステージに上がっている召喚士たちをネオホログラムの格子が覆っていく。一瞬召喚士たちの姿が掻き消えたかと思えば、ストリートバトルとは比べ物にならないぐらいの完成度で仮想世界のフィールドが構築された。
ミコトの隣に座っていた名も知らぬ青年が、その光景を見て高速で手をすり合わせた。
「ああーボクの出番じゃないのに緊張してきたぁ」
見るからに若いこの青年は、初めて大会に参加するのだろう。見ているだけで伝わる緊張感が、ずっと昔の自分にそっくりだった。
ミコトはそんな微笑ましさで、今やありもしないはずの緊張をほぐしつつ、さり気なく控え室を見渡した。
この控え室内は二十人前後の召喚士がいて、好きな場所に居座って、隣人と適当に屯している。学校の中間テスト前の休憩時間に似た和やかな雰囲気だ。
そんな中、部屋の隅のパイプ椅子に一人で座っている男性がいた。
ボクサーのような逞しい体格とドラマでよく見かける悪役のような面構え。その男性はデッキではなく、テーブル型サモンボードを念入りにチェックしていた。よほどデッキに自信があるのか、イメージトレーニングか。はたまたお気に入りのサモンボードなのか。
そう考えたっきり興味が失せ、ミコトがその男性から顔を逸らそうとした時、チカリとテーブル型サモンボードが妖しく光った気がした。
(なんだ?)
丁度その時、モニターから歓声が上がった。隣で緊張していた青年が、手を振り回して叫んでいる。
「行っけー! そこだー!」
吸い寄せられるようにモニターを見れば、パラディンデーモンとパラディンエルフの一騎討ちが繰り広げられていた。低ランクから精霊を消費するチキン戦法を取っていれば、こういった高ランク同士の一騎討ちはよく見るものだ。
だが画面に映し出された彼らの戦いは、召喚士たちの巧みな操作で生き生きとしており、ボクシング試合に似た熱狂と大迫力を持っていた。悪魔とエルフの超スペクタクルな決闘にミコトも意識が釘付けになる。
「うわなんだ今のパリィ」
「ああ! エルフの剣が飛んでった!」
「拳で殴り始めたぞあのエルフ」
「デーモンの剣が砕けたぁ!」
ミコトと青年が盛り上がっていると、他の召喚士も興味を引かれてぞろぞろと集まって来た。
召喚士の殆どは精戦バカだ。それはもうストリートバトルでセルフ精戦大会を開いてしまうぐらいには、周りに配慮できないバカも大勢いるほどだ。逆に言えばそれだけ熱狂してしまうほど精戦を愛しているのだから、素晴らしい試合なんて見ればどうなるか。
案の定、彼らはあっさりと召喚士から観客へ変わり身した。
「うひゃあすっげえ」
「空飛んだぞおい」
「見た!? 今のかかと落とし!」
わいわいと全員で精霊たちのモーションを見ては高く評価し、あるいは野次を飛ばし始める。
モニター内の精霊たちは互いの武器を破損してしまったようで、徒手空拳でファイティングポーズをとっている。もうその光景はストリート○ァイターという別ゲーそのものだった。魔法どころかファンタジーのカケラもないが、これはこれで面白い。
「そこで右ストレートだぁ!」
「ばっかお前足を刈るんだよここで!」
「……おい、うっせーぞ!」
「ダブルラリアット来た!」
「目潰しだ目潰し!」
「やばいマウント取られる!」
「うっひゃあアッパー綺麗に決まったぜぇ!」
「……うるせーんだよおい! 聞いてんのか!」
「あぁエルフが死にかけてる」
「そのまま畳み掛けちまえ!」
「あ! エルフの野郎、直接召喚士を殴りにいったぞ! 汚ねぇ!」
「それはデーモンがやるべきだろ! 外道!」
「ほら、妖精もいたずら好きだからさぁ」
「なーるほど!」
「………おれの話を聞けええええ!」
「「「「あ」」」」
全員が黙り込み、一斉に叫んだ。
「「勝ったあああああ!」」
「「負けたああああぁ!」」
デーモンの召喚士が倒れ、パラディンエルフが高々と拳を上げる。それだけで、控え室内はアリーナと同じぐらいの悲鳴と歓声が上がった。
ミコトは隣で一緒にエルフを応援していた青年とハイタッチを交わす。その後ろで負けを嘆いている、いい年したおっさんたちは肩を抱き合いながら涙を流した。部屋の隅で様子を眺めていたほかの召喚士は、それほど盛り上がらずとも、気持ちはわからんでもないと言わんばかりの呆れた笑顔を浮かべていた。
大歓声と怒号の中、モニターに映されたステージに舞い散る大量の紙吹雪が、勝者のエルフ使いを讃えている。敗者のデーモン使いは悔しげだったが、エルフ使いと笑みと握手を交わし、仲良く観客に手を振りながらステージから去っていった。
それからまもなくアナウンスが流れてくる。
『二試合目の参加者は、スタッフの指示に従って移動してください。三試合目参加者は、第一控え室で準備をお願いします』
一緒にモニターを見ていたアフロの人が反応した。
「おいら移動しないと。おまえら応援頼むぜー」
「おう、勝ってこいよ!」
「負けたらここにいる全員に奢りな!」
「うっひゃあそりゃ勘弁してくれよー」
アフロの人は照れ笑いを見せながら駆け足で控え室から出ていった。
このように敵に塩を送る光景は、地方大会ならではである。もしここが世界王者決定戦だったら塩と一緒に殺意をプレゼントだ。
観戦者になっていた召喚士たちは、満足げな顔でそれぞれの定位置へ戻っていく。また次の試合で盛り上がるシーンがあれば再結集することだろう。再び屯しはじめた彼らは、最初の時よりもグループを大きくして笑い声を増やしていた。
そんな気持ちの良い雰囲気を妨害する者がいた。
「おいおめーら、ここは控え室だ! もっと静かにできねぇのか!」
全員が揃ってキョトンとした顔になった。
怒鳴り声を上げていたのは、先ほどテーブル型サモンボードをいじっていたボクサーばりの男だった。
「こっちは集中してーのにギャーギャー騒ぎやがって! 場所を考えろ場所を!」
唾を飛ばすボクサーもどきに、召喚士の一人がおずおずと手を挙げた。
「あのー、静かな場所でしたら、隣の『クワイエットルーム』っていう控え室がオススメですよ。この部屋は、観戦オッケー、騒いでオッケーの部屋なので」
精戦大会では控え室が二種類用意されるのが通例だ。今いる控え室のようにみんなでわいわいできる部屋と、騒いだ瞬間人型ロボットに放り出されるクワイエットルームとがある。もしうるさいと思ったら、後者の部屋に行けばいいだけなのだ。
召喚士は極端に分けて、大会を楽しみたい派と、真面目に受けたい派で別れる。そんな彼らの諍いを事前に防ぐための部屋分けなのだが。
(もしかしてこの人は大会初心者か? なら知らなくても無理はないが)
とミコトは考えたが、
「このおれにわざわざ隣に行けってかぁ! 馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
ただのバカだった。
なお喚き散らそうとするダルガスを見咎めて、召喚士の一人が壁に備え付けられたスイッチを押した。
ぽん、と間抜けな効果音がして、まもなく控え室に黒スーツを着込んだ人型ロボットが入室した。革靴を軽やかに鳴らして、イケメンロボットが滑らかな音声を発する。
「ご用件をお申し付けください」
召喚士たちは一斉に騒ぐ男性を指差した。男性は目をひん剥いて何事か騒ぎ始める。誰も追加指示をしようとしなかったため、ミコトは代表してイケメンにこう伝えた。
「隣の部屋にお連れして」
人型ロボットは一瞬戸惑ったが、すぐに営業スマイルを取り繕った。腕輪型AIよりも上位のアルゴリズムが与えられているのか、表情の変化がかなり自然である。特に笑顔は女子の歓声を浴びるに十分なクオリティだ。おのれイケメン。
「承りました。皆さま、危険ですので壁際に寄って下さい」
人型ロボットの指示通りぞろぞろと召喚士が避難する。人型ロボットはカメラを内蔵した眼球で、危険範囲から人が脱したことを確認すると、ボクサーばりの男の背後に回り、両脇に手を差し込んでひょいと俵のように肩に担いだ。
男性は急に視点が変わったことに驚いたのか、金魚のようにパクパクし始める。
「んお、な、何が起こっ」
「では失礼いたします」
男性の尻の横でイケメンはにっこり笑って、すたすたとドアへ歩いていく。
「ま、待て! てめー下ろせ!」
「はい」
人型ロボットは律儀に足を止めたが、男性を下ろそうとはしなかった。男性は額に血管を浮かび上がらせてロボットの耳元で怒鳴る。
「下ろせっつってんだよ!」
「承服できません。先に承った命令が優先されます」
「くそが!」
毒吐きながらロボットの背中を叩いても、全く微動だにしない。あのように捕まってしまえば普通の人間ではまず脱出することは不可能である。
男性は下してもらうことを諦めたのか、抱えられた状態のまま控え室の面々を睨みつけた。
「てめーら覚えてろよ。この中で一番強えのはおれ、ダルガスだ! おれと当たる前に、精々泣いて謝る練習をするんだなぁ!」
ダルガスという男性の弁明が終わったので、ミコトはロボットを促した。
「あ、どうぞ連れてって」
「なぁ!? やめろ! せめて下ろせぇ!」
「承服できません」
暴れるダルガスの巨体を物ともせず、人型ロボットは颯爽と控え室から去っていった。
モニターでは第二回戦が中継され始め、控室に平穏が戻ってくる。召喚士たちは何事もなかったかのように雑談しながら、それぞれの定位置に戻っていった。さっきまでの和やかな雰囲気は冷めてしまったものの、また試合を見ればきっと元に戻るだろう。
ミコトはちらりと、閉じられたドアを一瞥する。ダルガスのサモンボードから見えた妖しい光が、今になって気になりだしたのだ。
(あの光、魔法陣に見えたんだが……まぁいいか)
魔法陣は一般に流通するほど知られているものでもないし、扱える人間は少ない。ただの目の錯覚だろうと、ミコトは第二回戦に意識を向けた。