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(8)隠居勢復帰の精戦

 約三年ぶりに精戦大会に参加することを決めたミコトだが、流石に数年単位のブランクで優勝は飾れないとは分かっていた。

 そこで、フレムと精戦をやって感を取り戻そうという話になった。


 精戦をするならそれ相応の場所でやることが好ましい。一昨日にフレムがやっていたストリートバトルだと、終わった後の観客の大移動が酷く、何より公共の場を塞ぐことになるのでマナー違反だ。


 過去、いたずらのつもりで自動車専用道路の上で精戦をしたバカがいた。

 その時はネオホログラムの格子で走行中の車はエンストするわ、野次馬が歩道でこぞって囃し立てたり、怒鳴り声を上げたりするわで、終いには道路を横断して人間の乱闘が始まったという。事態の収拾には警察官が大量派遣されたとか。


 それ以降、精戦を道を塞ぐように行った場合は、警察署から十万円以上の罰金が発生するようになった。


 だが召喚士協会は、ただそれだけの対策で精戦による問題行動を防ぎきれないと判断し、行政と手を組んで精戦専用の建物を作ることにした。

 その建物は今は『精霊競技場』別名『フェアリーズバトルジム』と呼ばれている。長いので『フェス場』と召喚士たちはあだ名をつけた。


 そして今、ミコトとフレムはフェス場の前に来ていた。ドーム型の大きな建物の正面玄関には、英語で『精霊競技場』と正式名称が書かれている。

 フレムと共に、高級マンションもびっくりな広いエントランスに入れば、召喚士と観戦に来た人々が中でごった返していた。


「うわぁ、人がいっぱいですね」


 キラキラと目を輝かせてフレムはフェス場内をぐるりと見渡す。


「初めて来たのか?」

「はい。こんな風に豪華な場所ってあまり来たことがなくって」


 ほへーっとロイヤル感漂う紺色の壁とそこに飾られた風景画を眺める。その仕草が微笑ましくて、ミコトは徐に口元を押さえて頬を緩めた。


「あ、カトルさん今笑いましたね」

「まだ笑ってない」

「笑うところでしたね!?」

「そうとも言うな」


 笑いを堪えながらまぜっ返し、ミコトは受付の方へ歩いていった。


 フェス場で精戦を行うための行程は、カラオケボックスと同じだ。使用時間の代わりに精戦の回数を決め、ルームを借りるだけ。

 ただし、借りたルームには観戦者が召喚士の任意で出入りする仕様だ。なお観戦者がルームに一定時間留まった場合は、召喚士に観戦者の払った入場料が配当されるようになっている。


 要するにフェス場は召喚士の稼ぎ場所でもあるのだ。精戦で勝てる召喚士ほど客に人気があるので、連戦連敗の召喚士にしてみればここで稼ぐのは厳しいところだ。


 今回はただの練習なので、ミコトは観戦者が入ってこない鍵付きのルームを借りる。もちろんこちらでは配当金もなく、こちらが出費するだけだ。


 ミコトたちは受付嬢からカードキーを貰って早速ルームの方へと移動し始めた。


 広めの通路を通った先に、十階まで到達するエレベーターと、ガラス張りの扉が十メートル感覚で八つほど設置されている広場に出た。カラオケボックスよりもはるかに規模が大きい。誰かが借りているルームのガラス扉の中は、映画館のように客席が用意され、一番奥に精戦中の召喚士と中継の大画面が表示されている。薄暗いルームの中では、ルームの外でも魔法エフェクトがよく見える。


「召喚士より、観客の方が多いですね」

「ああ。この後暇があったら観てみようか?」

「いいですね!」


 こうも調子が良い返事が来ると、一日をフェス場で潰してしまいそうだ。ミコトは飲まず食わずでもここに入り浸れるが、フレムの場合はそうはいかない。カヅチかラフィール辺りがお昼時に制止をしてくれればいいが。


 今度腕時計を買っておこうと心に決めつつ、ミコトは廊下を突っ切ってエレベーターに向かった。


 ちょうど開いたエレベーターから、ぞろぞろと人が吐き出される。ミコトたちは彼らと入れ替わって乗り込んだが、ほかに乗る人はいなかったようで、広いエレベーターは二人で貸切状態になった。


 ミコトは三階のボタンを押し、再度乗り込む人がいない事を確認しようと広場のほうに顔を出した。


 通路の先に、見覚えのある日本人とイギリス人がいた。こちらに向かってくる彼らとバッチリ目が合い、ミコトは首を引っ込めてエレベーターの閉じるボタンを無言で連打した。


 カタカタカタカタと指先で高速点滅するボタンとは裏腹に、のろのろとエレベーターの扉は閉じていく。もう少しで完全に閉じるというところで、隙間から日本人、もといクラマが、凄みのある笑顔を見せた。


 あ、殺られる。


 本能が勝手に開くボタンを押した。


 エレベーターは忠実に扉を広げ、乗り遅れかけた二人を出迎える。


「やあ、悪いね」


 クラマは爽やかに言ってズカズカと中に入る。遅れてアレクが乗り込んで、エレベーターはようやく動き出した。


 完璧な密室空間に、重力の抵抗がのし掛かる。ミコトは清潔を保った床に視線を落とし、彼らと目を合わせないようにした。


 なんでこういう時に限って親友どもは現れてくるんだ。こちとら合わせる顔もないし合わせたくもないし、関わりたくないんだけど! バレたら俺の人生終わるんだけど!


 ミコトは内心で叫び続け、軽く舌を噛んだ。


 ぽーん、と間抜けな効果音が耳を抜け、扉が開かれる。ミコトはフレムと共にさっさと降りて、目的の部屋の前に来た。


 エレベーターは閉じたが、十メートル離れた位置に親友二人の姿が見える。


 ………おかしいなぁ、隣の部屋の前に、親友たちがいるんだが、なんでだろうなぁ。


 ちらりと向こうを見ると、アレクが何か言いたげにミコトに視線を送っていた。


 無視してカードキーをガラス扉に差し込み、できるだけ不自然じゃないように素早く部屋の中に入る。


 ガラス扉が完全に締まりきり、オートロックが掛かる音がしてミコトはようやく詰めた息を吐いた。


「ぶはぁ! 死ぬかと思った」


 たまさか向こうが隣の部屋を借りただけだろうが、こうもエンカウント率が高いと作為的なものを感じる。


「あの、大丈夫ですか?」


 フレムが心配そうに見上げて来るので、ミコトは乾いた笑いを漏らして手をひらひら振った。


「大丈夫」


 言いながら、暗い部屋の壁に手を伸ばし、ライトのスイッチを探り出した。

 カチッと電気が通り始め、映画が始まる前に似た控えめなライトがつく。部屋の構造は一階で見た部屋と変わらず、観客席がずらりと手前に並び、奥まったところに精戦用のミニステージが設置されていた。


「この雰囲気も久しぶりだな」


 独りごちながら荷物を適当な客席の上に置き、未使用の書物型サモンボードとデッキを取り出す。隣でフレムも同じようなことをしながら、こんな事を聞いていた。


「あの二人は、カトルさんの事を知っているんですか?」

「知っている。けど、今の俺のことは知らないはずだ。見た目が別人だからな」

「そうなんですか?」


 いずれフレムには教えるつもりだったので、今のうちに伝えておこう。


 ミコトは監視カメラに魔法をかけ、別の映像を流した。それから自分の体を覆う認識阻害魔法を指先でなぞり、剥ぎ取る。フレムは露わになったミコトの姿を見て一瞬息を飲んだが、大して驚く事はなく、むしろ納得したように笑った。


「そうですね。名前だけで命を狙われているカトルさんなら、そういう事をしなければ危ないですよね」

「まぁ、そうだな………魔法に関しては驚かないのか」

「兄が使っていましたから」


 そういえばフレムの兄ジュールはカヅチと契約を結んでいたと、精霊本人から聞いた。契約という、魔法を使える条件を兄のジュールが埋めているのだから、フレムが驚かないのも当然だろう。もしかしたら一緒に住んでいた頃、ジュールは日常的に魔法を使っていたのかもしれないと想像する。


 ミコトは認識阻害魔法をかけ直してカトルの姿に戻ると、監視カメラの方の魔法を解いた。


「俺は訳あってあいつらと一緒にいられない。実際の俺は三年前から行方不明だ」

「そこまでして、隠れなければならないことがあったのですか?」

「ああ。さっきの二人にもし見つかったら厄介でさ」


 ぼかすような言い方をすると、フレムは少し悲しそうな表情になった。


「詳しくは話してくれないんですね」

「いつか話すよ。フレムになら話せる気がする。その時はお前の兄の昔話でも聞かせろよ?」


 フレムになら、いずれ不老不死のことも言っていいかもしれない。純粋に兄を探し続ける彼女なら、悪いことは考えないだろう。裏切るような子では、きっとないはずだ。


 ミコトは客席から離れると、フレムに手招きをした。


「ほら、そろそろやろうか」

「カトルさん」

「………ん?」


 若干深刻そうなフレムの口調を聞いて、ミコトの背筋が強張った。恐る恐る振り返って彼女の顔を見てみれば、隠し事に対する軽蔑ではなく、笑顔があった。


「話してくれて、ありがとうございます」

「………ああ。ありがとう」


 赤の他人にそんな顔をしてはいけないと諭したかったが、ミコトは甘んじてその優しさを受け入れた。人間からそういった感情を向けられるのは、本当に久しぶりだったから。


 小さなステージの両端で、サモンボードを構えて向き合う。


 フレムはいつかに見たことのある不敵な笑みを見せた。


「時間は三回戦分ですよね。私が勝ったらお願いを聞いてくれますか?」

「もちろん。一勝でも勝てたらな」

「後で二勝にすれば良かったとか言わないでくださいね」


 強気な発言に合わせるように、ステージに内蔵された機器がサモンボードを感知して起動し始めた。ネオホログラフがステージの縁をなぞって格子を建て、カチコチとパズルのように組み合わさり、景色を全て埋め尽す。


 瞬間、一斉に仮想世界が映しだされる。


 青紫の星空から夜の帳が落ち、辺り一面が鏡のような水面に包まれる。地平線の境目が、月明かりで淡く輝いた。


 足元から生まれた水の波紋から、ぽたん、と天の川が姿を現す。さらさらと、東の月に招かれたように水鏡がさざめき、フィールドの端では煌めく粒子を舞わせながら建物がせり上がった。屋根から轟々と滝を流すそれは、純白の教会であった。


「天界の湖か」


 レアなフィールドを引き当ててミコトは思わずほくそ笑む。


 鐘の音が降り注ぎ、微睡むような光を湛える『10』のカウントダウンが、ゆっくりと水上へ降りてきた。水面がさざめいて靴底をくすぐり、穏やかな風が前髪を撫でる。


「綺麗なフィールドですね」


 ウユニ塩湖の夜空に似た光景の中で、フレムは深く感嘆していた。ミコトは哀愁にも似た感情でフレムに頷いた。


 これは既視感だろうか。それにしては、決定的に何かが欠けているという強迫観念を抱く。

 つきん、と眼球の奥に鋭い痛みが走った。


 ミコトは雑念を振り払うために軽く肩を解し、不器用に書物を広げて精戦の準備を始めた。サモンボードに備え付けられた箱からコンタクトを取り出し、両目に装着する。すると視界の左上に『HP:100』と『COST:100』のバーが表示された。

 次いでサモンボードが光り出し、COSTの下にデッキ内のカード名がずらりと並んだ。ミコトは書物型をいじってその並びを見やすい形に設定し、最初に出す精霊を心の中に決めておく。


 準備が整い、星を模したカウントも5秒を切った。


 3、2、1。


『BATTLE!』


 重々しい鐘の音が合図を出し、ミコトは書物のページに手を置いた。


「ゴドラチェフの弟子『カトレア』『チッチトット』『ナイトデーモン』召喚」


 書物型の最大召喚上限を生かし、目の前に二つ、奥に一つの召喚陣を設置する。


 書物型サモンボードは召喚の長い演出が終わるまで精霊を動かせないが、事前に指示は出せる。ミコトはイメージで早速指示を送った。


(チッチトット、デーモンナイト、護衛)


 ファンタジー的演出が終わるなり、手前二つの召喚陣から、一メートル前後の小柄なピクシーと、無骨な鎧の悪魔が現れる。完全にポリゴンが構成されると、二体はミコトの前に踏み出して防御体制をとった。


(カトレア、攻撃)


 遅れて、フィールド中央付近に設置した召喚陣から怪しげな魔女が現れ、口早に呪文を唱えた。


『フレアボム』


 カトレアの握る身の丈ほどの杖の先端で、火球が形成される。長い金髪をはためかせ、カトレアは大振りにフレアボムを投げた。


 一方フレムの方は、そろそろ杖型サモンボード特有の詠唱が終わるところだった。


「――――我らを救いたまえ 『エンジェルナイト』『エンジェルマジシャン』!」


 ストリートバトルでお目にかかった二体の精霊がフレムの左右に顕現する。揃いの鎧を着こんだ天使の騎士と魔術師は、亜麻色の髪をたなびかせる少女によく似合っていた。


 飛来する『フレアボム』に対し、エンジェルナイトはフレムの杖に導かれるまま盾を構えて余裕たっぷりに防いだ。それと同時にエンジェルマジシャンが詠唱し、胸元のネックレスから光を発する。


『天使の守り』


 それは瞬く間にフレムの周囲を覆い、半透明のバリアを形成した。一度だけ召喚士への直接攻撃を防ぐ魔法だ。


 エンジェルナイトの盾、さらに防御魔法とは、攻めるのが難しい。少し様子見をしてみようか。

 ミコトは書物型のページを指で弾き、チッチトットに攻撃命令を出し、カトレアにもう一発魔法を打たせた。


 その間に書物の側面にあるゲージを見て『召喚ディレイ時間』を確認する。


 サモンボードには、それぞれ連続召喚ができないようにクール時間が設けられている。杖型だけは詠唱があるため免除されているが、逆に書物型は三体の同時召喚のハンデとして10秒間精霊を召喚できない。


 ミコトのディレイ時間は残り6秒。ノンストップバトルでは悠長なことこの上ない。


 案の定、その隙間時間をフレムは狙ってきた。


 カトレアの炎とチッチトットの風魔法がフレムへ殺到する中、エンジェルマジシャンは滑らかな指先を持ち上げ、足元の水面から水槍を掬い上げた。その数六つ。

 精霊の使う魔法の数は召喚士のイメージに依存する。一般的には四つが限界だが、フレムはなかなか想像力が豊からしい。


「行って!」

『アクアスピアー』


 フレムの掛け声と共に、エンジェルマジシャンの周囲から水の槍が不規則に打ち出される。魔法精度も速度も並のそれではない。


 ミコトは喉からひきつった悲鳴を上げながら迫り来る水槍から逃れるため、ナイトデーモンの盾に身を隠した。


 ゴシャ! グシャア! と立て続けに水が弾け、飛沫が降り注ぐ。

 実際には濡れていないと分かっていても、五感刺激機能が優秀すぎてミコトは思わず髪を搔きあげてしまう。


 デーモンの盾の後ろからフレムの様子を伺うと、前線でチッチトットが風魔法でエンジェルナイトにちょっかいを出しているところだった。薄黄緑色の風エフェクトが獣の唸り声をあげてエンジェルナイトを押し込んでいくが、決定打となりえる攻撃ができていない。


 チッチトットとともに召喚しておいたミコトの魔女カトレアは、後方で呪文の詠唱のためチッチトットの加勢に行けない状態だった。


 実は精霊のAIにも、サモンボードの召喚制限同様に『クール時間』が与えられている。

 チッチトットのように高ランクであれば、攻撃アクションのクール時間が短く、連続攻撃できる仕様になっている。対してカトレアのように低めのランクの精霊だと、クール時間は3秒と長く、立て続けに攻撃できない。


 お陰で、杖型の使い手が優秀な場合、他のサモンボードは戦いのテンポで劣勢となる。


 この状況を盛り返すにはそれぞれのサモンボードの性能を活かさねばならない。


 書物型なら、例えば。


「『ガーゴイル』『魔王の褒賞』、カトレアに『マナの解放』」


 同時召喚の物量で押し返すか、強化魔法を精霊にかけるかだ。

 『魔王の褒賞』と『マナの解放』はほぼ同じ性能で、この魔法を受けた精霊のランクを二つ底上げする。こう言った強化魔法は各シリーズに準ずる精霊にのみ効果を発揮する仕様だ。


 ミコトによって召喚された『ガーゴイル』が『魔王の褒賞』の魔法陣に飲み込まれ、一秒ほど姿を消した。やがて魔法陣の禍々しい色合いが暴風とともに吹き飛ばされ、ガーゴイルが威厳ある姿となって現れる。


 魔族シリーズ、ランク5『ヘルガーゴイル』。強化前のガーゴイルよりも一層の獰猛さを張り付けて、それはどす黒い顔から奇声を発した。


 そして魔法使いのカトレアの方にも強化魔法の同じ現象が起き、フォームチェンジを遂げる。『マナの解放』の魔法陣の中で、カトレアはゴドラチェフの弟子から、慧眼の魔術師と二つ名を変える。


 カトレアは先ほどよりも深い碧眼の双眸で、冷徹にフレムの天使たちを見据えた。


「アタックだ!」


 チッチトットと、強化されたカトレアが一斉にフレムへ襲いかかる。


 エンジェルナイトを相手していたチッチトットは一度高く舞い上がり、トンボに似た大きな羽を震わせて三つの風の刃を空に浮かべた。

 それに対抗するように再びエンジェルマジシャンが六つの水槍を作り始めるが、その正面ではカトレアが紅の炎を収束させ、間髪入れずに魔法を解き放った。


『バーニングフレア』


 ゴアアアア!!


 フィールドの水面を瞬間的に蒸発させながら、真っ赤な炎がエンジェルマジシャンに殺到した。


 射線上にエンジェルナイトが大きな盾を構えて立ちはだかるが、カトレアの『バーニングフレア』の勢いは凄まじく、彼は軽々と吹き飛ばされた。

 だが、エンジェルナイトの稼いだ時間を無駄にすることなく、エンジェルマジシャンは左の三本槍をチッチトットへ打ち、残り三つの水槍をカトレアへ叩きつけた。


 チッチトットは風の刃で難なくそれを弾くが、カトレアはそうもいかない。しかも彼女は魔法を打ち終わったばかりで、回避する暇もない。


 フレムが可愛らしく笑みを深めた。


「まずは一体です!」

「なんの、まだまだぁ!」


 ミコトはヘルガーゴイルをカトレアの前に移動させ、書物の紙を弾く。


「ヘルガーゴイルのユニークスキル発動『ダークサコーレイン』!」


 ヘルガーゴイルは昆虫と蝙蝠を掛け合わせたような体を回転させ、周囲に禍々しいダークマターをまき散らした。黒い雨は水槍に直撃すると、その殺傷力を無力化し、ただの水蒸気へと霧散させた。


 見ての通り、スキル『ダークサコーレイン』が相手の魔法を無力化したのだ。雨が降っている間は、両者とも魔法が使えなくなる。


 周囲にはカトレアの攻撃の余波で水蒸気が立ち込め、黒い雨と相まって闇の朝霧に包まれているような有様となる。


 書物型サモンボードのの残りクール時間は3秒。


 雨が止んだ。


 冷気を纏う白霧の向こうで、密やかな杖の詠唱が水面を揺らす。


「穢れを知らぬ 憎しみを知らぬ 喜楽の面影は誰がため……我らが絶対神 使えし守護天使に 慈悲を与えん『天使の幼兵』『神の采配』!」


 突風が吹き荒れ、闇霧が夜空にかき消えた。


 星の下で召喚陣とそれに重なる魔法陣が時計のようにクルクルと周り、鮮やかな黄色に染まる。その黄色を突き破ったのは、満面の笑みを浮かべる幼い天使だった。しかしその少女が抱える大剣はどう見ても業物で、ミコトは思わず顔を痙攣らせる。


 あれはまずい。


 クール時間が終わるなり、ミコトは召喚を始めた。


「『レッサーヴァンパイア』『魔導要塞』『ゴーレム』」


 精霊二体と、防御魔法の魔導要塞を自身の周りに展開する。半透明の城がグラスの底に似た歪みを作り、ミコトを四方の攻撃から完全に守る。


 次にミコトが何か指示を出す前に、天使の幼兵が動いた。


 ズシャアッと水しぶきが上がったかと思えば、呼んだばかりのレッサーヴァンパイアが切り捨てられ、ゴーレムの足がごっそりもがれた。言わずもがな天使の幼兵の一撃である。


「うっそだろお前!」


 レッサーヴァンパイアの真っ赤な破壊エフェクトに塗れながら、ミコトはチッチトットとヘルガーゴイルで幼兵を迎撃する。

 だがその間に足のないゴーレムが天使の幼兵による大剣兜割で爆散してしまった。呼んだ意味が全くない。


「物量じゃ私に勝てませんよ。カトルさん!」

「そうだろうな!」


 ミコトは笑みを深め、ナイトデーモンに護衛を任せてからカトレアの攻撃アクションのイメージを深めた。書物型もイメージが深ければ杖型のように細かな指示を出せるのだ。


(魔法の軌道を迂回させ、フレムの防御魔法を剥ぎ取る!)


 思念指示を受けてカトレアは碧眼を細めると、ミコトのイメージをトレスするように大杖を振りかざし再び魔法を放った。


『バーニングフレア』


 大杖から発射された眩い閃光はエンジェルナイトを吹き飛ばしたような愚直の突進ではなく、錐揉みしながら放物線を描いた。その軌道はエンジェルナイトの盾を避け、フレムの頭上へ降り注いだ。


 ガシャァアン!


 エンジェルマジシャンが張っていたフレムの防御魔法『天使の守り』が破壊される。


「ここだ!」

『バーニングフレア』


 再びの火炎が放たれ、さらに頭上からチッチトットの援護風魔法が牙をむく。風と炎が混ざり合い、巨大な竜巻となって湖にそそり立った。


 巨人の足踏みのごとき竜巻が、あわやフレムに直撃するかのところで、エンジェルナイトがその身を盾とした。


 風と炎の強烈な攻撃にエンジェルナイトは耐えきれず、バーニングフレアが宙に溶けた瞬間に、騎士もポリゴン片となって散った。


 しかしフレムは動揺しない。


「エンジェルマジシャンのユニークスキル発動!」


 フレムが吠えるや否や、エンジェルマジシャンが胸元のペンダントを握りしめて星空に掲げた。


 彼女のユニークスキルは『天使の復讐』。味方の天使が破壊された時、天使に与えたダメージと主人が受けたダメージ分を相手に与えるものだ。


 ユニークスキルを使うのは想定内だ。今が書物型の最大の機能を使う時。


「特殊召喚!」


 バラッと書物型のページが暴れ出し、中からある魔法を呼び出した。


『サコーレイン』


 ガーゴイルが元から所有するユニークスキルが、書物型から飛び出してエンジェルマジシャンへ殺到した。


「あ!」


 悲鳴にも似たフレムの声を突き抜けて、黒い雨はエンジェルマジシャンを蝕むだけでなく、星空に煌めいたペンダントをも飲み込み、ユニークスキルを無効化してしまった。


 書物型サモンボードのもう一つの機能。それは、デッキ内の精霊が生きている限り、ユニークスキルだけを召喚し、使うことができる。

 書物型は10秒という長すぎる召喚ディレイ時間の代わりに、精霊のスキルを各精霊ごとに一度だけ『特殊召喚』できるようになっているのだ。


「そろそろ勘が戻ってきたかな」


 ミコトは手首を軽く振って、精霊たちに指示を出した。


(ナイトデーモン、幼兵を抑えろ。カトレア、チッチトット、ヘルガーゴイルは一斉攻撃)


 ナイトデーモンは今まで戦えなかった鬱憤を晴らすように、力強い踏み込みで幼兵の大剣を弾き飛ばした。


 ランクは天使の幼兵よりナイトデーモンが上だ。しかしフレムのイメージ力相手だと、書物型のAIでは負ける可能性がある。


 ならばこちらもイメージでナイトデーモンを操るしかない。


 ミコトは幼兵と騎士の戦いに集中するため、他の精霊はAI任せにすることにした。流動的な動きから機械的な角張を持って、カトレアとチッチトットがバラバラに魔法を打ち始める。そんな援護射撃の隙間を、ヘルガーゴイルがAIの計算のまま飛びだした。


 フレムも幼兵のイメージに集中し始めたか、エンジェルマジシャンの動きがAIの規則的なものに変わった。


 模範的な戦闘が周囲で繰り広げられる中、召喚士同士の思念指示に操られた剣士たちが今までとは違う生物としての動きへ切り替わる。AIの群れ(偽物)の中に現れた()()()()()が剣を携えて水上で交錯し、衝撃波に水しぶきがはじけ飛ぶ。


 天使の幼兵は大剣を下から振り上げ、ナイトデーモンを真っ二つにしようとする。それをデーモンは直剣で受け流し、勢いのまま懐へ滑り込み突きを叩き込む。

 しかし幼兵の背が低いため、軽々とデーモンの攻撃は避けられてしまった。


 剣戟の合間にも、フレムの詠唱が途切れ途切れにミコトの鼓膜を揺らす。幼兵を操りながら詠唱しているらしい。


 ならば判断力は常より劣る。


 ミコトは口角を釣り上げ、自ら天使の幼兵の背後に回った。

 召喚士を直接攻撃すれば、形成は有利になる。フレムは自ら近づいてきたミコトに標的を変え、幼兵の大剣をこちらに振り下ろした。


「甘いな」


 書物型から『マジカルシールド』を召喚する。精霊からの攻撃から一度だけ召喚士を守るそれが目の前に出現し、幼兵の大剣を難なく受け止めた。


 ミコトは『マジカルシールド』の破壊と引き換えに静止した大剣を白刃どりの要領で挟み込み、精霊の動きを止める。


「え、ちょっと!?」


 敵の精霊に触れているが、ミコトのヒットポイントは減っていない。一見異常現象っぽい仕様を垣間見てフレムが驚きの声を上げた。

 精戦の攻撃判定は厳密であり、攻撃アクションではない時は精霊に触れることができる。逆に攻撃中は精霊に触れることはできず、召喚士の体を透けるが、代わりにヒットポイントを削り痺れるような痛みを与えるのだ。


 今の大剣はマジカルシールドで攻撃判定が消されたため、触ることができる。だから攻撃を無効化した後なら、召喚士でも白刃どりができるのだ。


 剣を掴まれ動けない幼兵の背中はガラ空きだ。そこをナイトデーモンが見逃すはずもなく。


 ズパン! と鋭い斬撃のサウンドエフェクトが響き渡り、天使の幼兵は大剣ごと破壊された。


「それってアリですか!?」

「何言ってんだ。俺の知ってるプロの召喚士はみんなやってるぞ」


 召喚士学校卒業生なら日常茶飯事な技だが、フレムは初めて見たらしい。


 ミコトはナイトデーモンに攻撃指示を出しながらフレムに向き直る。


 フレムの前では、精霊の大乱闘が巻き起こっていた。

 いつのまに召喚したのか『エンジェルガードナー』がチッチトットの風魔法を片っ端から撃ち落とし、その脇でフレムの『アイスラビット』がミコトのヘルガーゴイルと一騎討ちをしている。


 エンジェルマジシャンは多少負傷していたが、カトレアと水と炎の打ち合いを延々と繰り広げていた。


「これじゃいつまで経っても終わりそうにないな」


 楽しげにそうぼやいてみると、フレムはふふんと不敵に笑い、さらなる詠唱を始めた。


「黄昏にまみえる虹 破滅を手招く無数の腕 地べたを這いずる嘲弄の喝采 真西の赤 創世の時 神の享楽に終わりなし」


 おっと、このゴッテゴテで喧しい詠唱はまさか。


「おいで。ランク10……終末の道化師『ロキ』!」


 甲高い笛の音色が響き渡る。


 真下の水面はより夜空の紫紺を色濃く染めながらも、頭上の星空は時空を逆流し、赤々とした夕暮れを水平線から浮かび上がる。


 水に月、空に太陽が同居する黄昏時。


 そこへ場違いなほどギラギラした真っ青な召喚陣が、夜の水面に刻まれる。昼夜の同居する矛盾しきった世界で、精霊たちの魔法が花火のように水鏡を彩った。


 その賑やかさに呼ばれたように、水の青い召喚陣から、仮面を被った三本ツノのピエロが飛び出す。縞々、斑ら、水玉の服装をした、性別も不確定なその精霊は、観客に挨拶をするように紳士的なお辞儀をした。


 芝居掛かったピエロの指先が、パチンと音を鳴らす。


 刹那、敵味方全ての精霊が風船のように膨らみ、拍手のように弾けた。コミカルでグロテスクな精霊の破片が、紙吹雪となって、ピエロ『ロキ』を歓迎する。


 ランク10の精霊は、召喚されるだけで一つの効果をフィールドにもたらす。ロキであれば『フィールドのリセット』。今までの戦略をなかったことにし、召喚士の前から護衛の精霊を跡形もなく消し去ってしまう。

 今のミコトは、実質無防備の状態だった。


「カトルさん。これで終わらせてあげますよ」


 幼さに見合わぬ蠱惑的な表情でフレムは告げる。

 対してミコトは、子供のように笑ってしまうのを止められなかった。


「ふふ、あははは! ロキとか初めて見た! 超レアカードだろそれ!」


 フレムは一瞬呆気にとられたが、言葉を理解したようですぐに無邪気に手をぶんぶん振った。


「はい! 私が初めて買った神話シリーズのカードに入っていた自慢の子なんです!」

「マジ!? 運いいなぁ! 俺なんか昨日、ようやく初めてランク10の精霊をゲットしたんだぜ?」

「そうなんですか! じゃあ……カトルさん!」

「ああ、分かってるって!」


 期待する眼差しを送るフレムに大きく頷き、書物型サモンボードの最後のページを開く。


「来たれ『フレアドラゴン』!」


 ズドン!


 フィールドの水面の底から凄まじい衝撃走り、フレムとミコトは一瞬体が浮いてバランスを崩しかけた。ミコトが後ろを振り返ると、水面には夜空に咲き誇る花火の召喚陣が、教室一個分の大きさにまで広がっていた。


「なんかやばそう」


 そう口走った瞬間、水面が激しく泡立ち、フィールドごと召喚陣を突き破って溶岩が噴火した。すぐ近くにいたミコトはその熱さと輝きに顔を庇いつつ、小さく感嘆の声を上げる。


 溶岩は黄昏を炙りながら、真紅の鱗を形作る。知性を孕んだ覇者の眼光が結晶化し、唸りを上げる。やがてそれらは湖に黒々とした山を作り上げ、その頂には殆ど真上を見なければならないほどの、偉大なる紅竜を顕現させた。


『グゥゥゥオオオオオアアアアアア!!』


 咆哮が轟き、星空の水面と夕暮れ雲にさざ波を起こす。


 ビリビリと皮膚を叩く大迫力に胸が踊る。


 ミコトはニンマリとしながらフレムへ対峙する。彼女もまた同じような顔であった。


「役者は揃いました。行きますよ!」

「ああ。来い!」


 ランク10同士の精霊の戦いとなると、それ以下のランクの精霊では相手にならないため、文字通り一騎打ちとなる。それにランクが同等なら、互いのイメージの強さが戦いを制す。


 ラストバトルだからこそ、必然的に気合が入ってしまうもので、ミコトたちは互いに凄みのある笑顔を浮かべていた。


 フレアドラゴンは地響きとともに、その体躯に見合わぬ俊敏さでロキへ襲いかかる。紅く燃える鉤爪は、ロキが虚空から召喚する魔道具に阻まれ、攻めあぐねる。巨大な赤腕が振り回されるたび、夜の湖からジュワ! と煙が吐き出され昼空を覆った。


 すると、防戦一方だったロキが突如身を屈め、懐から歪な銃を取り出した。粗末な照準で引き金が引かれ、弾丸はあらぬ場所へ着弾すると見せかけ、光の反射のごとく突然角度を変えた。フレアドラゴンは背後から弾丸に穿たれ、かすかに動きを緩ませる。


 ミコトはこのままでは不利な状況に陥ると判断し、フレアドラゴンのスキル詠唱を始めた。


「燃え盛る王冠の主たる 崇高なる魂よ……」


 ランク10の精霊のユニークスキルを使う場合、どんなサモンボードでも詠唱が必要になる。あまりにも強すぎる彼らの力を制限するためだろうが、これがまた長ったらしい。


「今際の際の篝火に息吹を齎し 豊穣の大地に温もりを与え給え……」

「隻眼への憎悪は数知れず 毒の鎌首を引きちぎり いざ真冬の航海へ出立せん……」


 ミコトの後にフレムの詠が追いかけてきた。彼女も最後の一手を掛けようとしているのだ。


 二人が詠唱を続けている間にも精霊たちの戦いは苛烈を極める。余波で湖が砕け散り、雲に幾重もの亀裂が走った。


 詠唱は佳境を迎える。


 先に詠唱を終えたのは、フレムだった。


「共に終末を迎えよう『ラグナロク』!」


 黄昏が湖に落ちる。内臓が浮くような感覚のせいで、自分たちが空へ落ちているとも思えた。湖に留まっていた夜空の星が、北星を中心に何層もの円を描き、不吉な悲鳴を上げる。


 黄昏が赤く染まりきった瞬間、ミコトのヒットポイントがガリガリとものすごい勢いで削られ始めた。1秒ごとに五つ削られる驚異のスピードだ。


 ミコトはユニークスキルが生み出す無重力の不快感に耐えきり、最後の句を吐き出した。


「嗚呼 焔の化身よ この世に命を齎せ!『アグニ・プラーナ』!」

『グゥオオオオアアアアアアアッッッ!!』


 フレアドラゴンが雄叫びを上げ、湖に四肢の鉤爪を深々と突き立てた。歯車に挟まったように、湖の消えかけた星空が不自然に静止する。


 動揺するロキの真正面で、フレアドラゴンは大樹の如き首を撓めた。食いしばった牙の隙間から炯炯とした光の針が飛び出し、金属を擦り合わすような耳鳴りがフィールドを震わす。


 咆哮か、裂帛か。


 紅竜の顎門から、轟音と焔の奔流が迸った。


 ロキは盾と槍を即座に召喚し、真っ向から挑む。盾は奔流を受け流し、槍は毒々しい橙の破滅魔法を振りかざす。槍は焔を中ほどから貫き巨木の枝分かれを描いた。


 両者の均衡は一瞬だった。


 フレアドラゴンの奔流は盾を融解させ、槍の魔法で身を削りながらも、脆い砂城を砕くようにロキの上半身を刈り取って見せた。


 奔流はさらに突き進み、フレムへと到達する。


 腹に響く轟音と、網膜を焼く閃光。


 それらが消えた頃には、湖はモーセの奇跡のように真っ二つに割れていた。やがて湖は騒々しく溝を埋め合わせ、凪いだように静けさを呼び戻す。波の引いた湖には、頭上の空と同じく星が煌めいていた。


 ミコトのヒットポイントの減少は、25で止まっていた。



『WINNER』



 勝者を告げる英文が目の前にポップする。フレムの頭上には全く正反対な文字が揺らめいていた。

 決着がついたのだ。


「………いったたた」


 当初よりかなり離れたところで、頭を摩りながらフレムは体を起こした。フレアドラゴンの攻撃力は相当だったようで、ふらふらと立ち上がっている。


「フレムー。大丈夫かー?」


 呼びかけると、彼女は照れ臭そうに笑った。


「大丈夫です。負けちゃいました」


 はらり、とネオホログラフの破片が落ちる。空を見上げると、星屑のように仮想世界が崩れ落ちていくのが見えた。

 ミコトの背後に控えていたフレアドラゴンは役目を終え、勝鬨を上げて赤く燃え尽きていった。最後の火の粉が水面に落ちる。黄昏は終わり、星空が満ち、全てがネオホログラフとなって溶けていく。


 そんな仮想世界を眺めながら、フレムは口を開いた。


「まさかロキまで出して、負けるとは思いませんでした」

「まぁ、相性が悪かったのかもな」

「どういうことですか?」


 興味津々なフレムに歩み寄りつつ、ミコトはのんびりと口を開く。


「ほら、ロキのユニークスキルって現象系だろ? ああいうのは演出が完璧に終わるまでにヒットポイントを削る使用だから、勝つまでに時間がちょっとかかるんだ。その分演出が終わったら負け確定だけど」


 一つ呼吸を挟んで続ける。


「逆にフレアドラゴンは見ての通り、すぐに攻撃が出てただろ? ロキのユニークスキルじゃ防ぎようがないし、一発で相手の体力を刈り取るから、避ける以外には勝ち目がなかっただろうな」

「なるほど、そうですね。では、最後の方は、ロキのユニークスキルが終わる前にカトルさんが倒す、タイムアタックみたいな状態でしたか」

「だな。ロキのユニークスキルは相手の出方を待つより、さっさと打った方が有利だろう」


 精戦の検討をしている間に、ネオホログラフが完全に取り払われ、元のフェス場の部屋に戻ってきていた。


「カトルさん。まだあと二回残ってますよね。一戦でも勝てば、お願いを聞いてくれるんですよね」

「ああ」

「言質は取りましたよ。今度こそ勝ってみせますからね!」


 フレムが杖型サモンボードを再び構えたことで、ステージが律儀に反応していつものネオホログラフを貼り始めた。ぶっ続けで戦おうとする若さに苦笑しながらも、ミコトは楽しげに書物型サモンボードを広げるのだった。


 …


 ……


 ………


 同じデッキ構成だったからか、それともフレムの執念か、ミコトは最後の最後でフレムに勝ちを譲ってしまった。


「ああ! 馬鹿かよ俺!」


 復活したエンジェルナイトに気を取られ、背後からの水魔法に気づけないとは。おかげで召喚士への直接ダメージ連弾で一気にヒットポイントが消えてしまった。

 初歩的なミスを脳内で吟味しながら、ミコトは仮想世界の草原に胡座をかいた。そこへ追い打ちをかけるように『LOSER』という文字が目の前に出てくる。


 すると、ステージを囲っていたネオホログラフが崩れて、青空から人工的なライトが差し込んで来た。

 幻想的な仮想世界が消える様子はなんとも言えぬ安堵をもたらすもので、この光景が三度目であってもほっとため息が出た。


 カラカラと消えていくネオホログラフの破片の下で、可愛らしく勝利のポーズを決めるフレムに話しかける。


「それでフレムさんや、何をお願いするのかこのジジイに言ってごらん」

「急に年取りましたね」

「更年期障害で負けた気分なんだ、許せ」


 適当なやりとりの後、フレムは微かに首を傾げながら熟考する。考えてなかったのかよ、とおちょくりたくなったが、邪魔するのも悪いと思ってミコトは唇を引き結んだ。


 きっかり20秒後、フレムは一つ頷いて軽い足取りでミコトの目の前まで走ってきた。


 そっと手を差し伸ばした、無邪気な瞳がまっすぐミコトを見つめる。


「私のお願いは………」


 無意識に息を止めて、ミコトは温かな青色に魅入る。


「私には、嘘をつかないでください」


 ………かつて聞いた、些細な約束。白い桜と着物の幻影が、フレムの姿に覆いかぶさった。


 ミコトはゆっくりと瞬きをして妄想を取り払うと、躊躇うことなくフレムの手を取った。


「ああ。その約束、守る自信があるよ」


 笑いかけると、フレムは恥ずかしそうに目を細めた。

 繊細に溶けるネオホログラフの破片は、夜中の粉雪のように美しかった。

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