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(5)フレムの精霊

 朝起きてみると、黄ばんだカーテンから清々しい朝日が差し込んでいるのが見えた。久方の小鳥の鳴き声を聞いて、今更ながらに自分が人間界のボロホテルに泊まっていたことを思い出す。


 たった一晩を越しただけなのだが、ミコトは無性に精霊界の師匠に貸し与えられた自室が恋しくなった。あの部屋にはまだ読みかけの本だってあったし、研究レポートも筆がノッてきたばっかりだというのに、すべて二年後まで持ち越しである。いっそここでノートでも買って続きを書いてみようかと思ったが、詳しい内容をまとめたメモも向こうに置いて行ったままだと気づいたので早々に諦めた。


 ミコトはホームシックと欠伸を口の中でぎりぎりと噛み殺しながら、硬いベッドから降りようと手をついた。


 くしゃ。


 手のひらがベッドの硬いマットレスではなく、繊維質の柔らかいものに触れた。


 寝ぼけ目で見下ろしてみると、そこには丸くなって眠っているフレムがいた。ミコトの手は少女の亜麻色の髪に触れていて、丁度撫でるような感じになっている。


「おぅふ」

『キュイー』


 ミコトの影から飛び出した黒い仔犬がロリコンだーと笑った。


「言いがかりはやめろ」


 目頭を押さえながらミコトは深くため息をつく。


「普通さぁ、知らない男と寝床を一緒にするか? 俺帰り際に「一旦帰って朝にまた来ます」ってこの子から聞いた気がするんだよなぁ」

『キュイ、キュウ!』


 ラフィール曰く、フレムは朝四時に来て、ミコトがなかなか起きないから一緒に寝ちゃっただけらしい。


「それはそれでやばいだろ。こいつの心臓剛毛かよ」

『キュイキュイキューイ』


 ミコトは警戒するほどの存在じゃない、だと。


「どういう意味だそれ」


 使い魔からの遠回しな罵りに声を荒げると、不意に手元の温もりが動き始めた。びっくりして硬直するミコトの手の下で、もぞりとフレムが顔を傾ける。


「………フレスビス様? 誰かいらっしゃるのですか?」


 しまった、とミコトは冷や汗をかいた。精霊が見えない人間からすれば、ミコトとラフィールの会話は奇妙なものに映る。せっかく人間関係をリセットしたのにまた変人扱いされてはたまらないと、ミコトはとりあえずフレムの頭から手を退けて、なんとか声を絞り出した。


「誰もいない。独り言。それより、フレスビス禁止って言っただろ?」


 思いのほか低い声が出てしまった。


「す、すみません、つい」


 フレムは脅されたようにびくりと肩を震わせ、わたわたと身を起こした。その様子を心苦しく思いながらも、これでいいと納得する自分がいる。


 半精霊、そして『ミコト』であることを隠すなら、必要以上にフレムと仲良くなるわけには行かない。しかし昨日のフレムの涙を見た後だと、無理に険悪にするのも忍びないし、フレムの方も、仲が悪くなったからと行って兄の捜索を諦めないだろう。となると、彼女とは長く付き合う未来が容易に想像できるので、それなりの関係を築くべきか。仲良くなりすぎないようにしよう。


 ミコトが今後について頭を働かせていると、フレムは不思議なものを見るかのようにミコトの斜め上を見上げた。


 そこにはラフィールが浮いている。


「気配が……精霊ですか?」


 まさか見えるのかと期待したミコトは、フレムのその言葉で少し肩を落とした。


(まぁ、見えてたら昨日のうちに気づいてたよな)


 精霊が見える人間は滅多にいない。そもそも精霊自体が幽霊のように存在しているのか否かの悪魔の証明状態で、専門家の間でも論争は延々と続いている。過去にはただの幻覚症状、精神疾患だと断言されたことがあるが、フレムはそういった世迷言を気にしている人ではないらしい。


 とりあえずは変人扱いされることはないとわかって、ミコトは小さな深呼吸を繰り返してから口を開いた。


「フレムは精霊の気配が分かるんだな」

「ええ。生まれつきそうでした。長く連れ添っている精霊であれば、声を聞くこともできます。フレスビ……カトル様のことも、幼い頃から共にいる精霊から聞いたのですよ」


 彼女が精霊の存在を信じられるのは体質の関係もあったようだ。なんだか仲良くできそうだなぁと呑気なことを考えつつ、ミコトは彼女の言う連れ添っている精霊に興味を持った。


「その精霊は今どこにいるんだ?」

「実は、ニューヨークに来る時に、バスに置いていかれてしまって」


 ドジっ子かよ。


「そろそろ追いついてくるはずなのですが」


 と言ったそばから、フレムの背後にある壁からぬっと貞子のごとき黒髪の巫女幽霊が出てきた。垂れ下がった黒髪から生白い肌が垣間見え、血走った眼が刃物のごとくミコトに突きつけられる。


 ミコトの喉から情けない悲鳴が上がった。


「ひっ」

「ど、どうしました!?」

『フレム! ようやく見つけたぞ!』


 貞子、もとい巫女姿の精霊が叫ぶと、フレムは後ろを振り返った。


「カヅチ! よかった、どこかで迷子になっちゃったかと」

『何を言う。カードを持つフレムを見失うわけなかろう』


 カヅチと呼ばれた巫女は部屋にずかずかと上がりこむと、フレムを愛しそうに撫でた。しかしその指先はフレムを透けていて、触れられていないことがわかる。フレムのほうも視線はぼんやりとしていて、精霊の姿がまったく見えていない様子だった。


 ミコトは巫女姿の精霊をじっと見つめてから、あっと誰だか思い出した。昨日のフレムのストリートバトルで、形勢逆転に一役買ったあの精霊である。


「花槌ノ巫女か!」

「え?」

『ほう、妾が見えるか人の子。見たところ精霊に近い肉体のようだが、なぜフレムと共におるのじゃ』


 カヅチは深みのある声でミコトの半精霊体質を言い当てると、ふわりと目の前に飛んで来て頰を撫でてきた。ミコトは精霊でもあるため、フレムと違い問題なくカヅチの手に触れられる。精霊に体温はないため、頬のそれは空気が実体を持っているような感触だった。


 カヅチは生白い手でミコトの頰から首筋をなぞると、いきなり首を締めてきた。


『フレムを傷つけたら許さぬぞ。精霊モドキ』

「ぐぇ、ちょ、ギブギブ!」

「カヅチ! フレスビス様に何をしてるの!?」

『フレムは少し黙っておれ! 眠っているフレムの頭をこっそり撫でるなど言語道断じゃ!』

「お前見てたんかい! だから部屋に入ってくるタイミングが良かったんだな!? つかフレムを撫でられたくなかったら見てないで止めに来れば良かっただろうが!」


 怒鳴り返すと万力のようにますます首を締められる。若干苦しい程度だが、不快であることに変わりない。


 カヅチはずいっとミコトに近づいて般若になった。


『寝入っているフレムを起こすことこそ外道の所業なのだ! 貴様は何もわかっとらん!」

「分かるわけないし分かりたくもないわこの貞子!」

『おのれ、妾の容姿まで愚弄するか!』

「いででで! 鼻はやめろ!」


 自分が貶された時の方が明らかにキレている。彼女なりの美的意識はあるようだが、それならそれでぼさぼさの黒髪をどうにかしたらどうだろうか。

 鼻を鋭い爪で摘まれながらミコトが呆れると、その後ろで言い争いを眺めていたラフィールがふっと鼻で笑った。


(このクソ犬、主人の危機を楽しんでやがる!)


 ラフィールの態度で堪忍袋が切れそうになったが、幸い別方面から茶番に終止符が打たれた。


「こらカヅチ! いい加減にして!」


 フレムが眉を釣り上げて怒鳴る。

 するとさっきまで収拾がつかなかったカヅチが急に大人しくなり、首から手を離してフレムの側に正座した。


「フレスビス様は精霊王なのに、そんなことしちゃダメでしょ?」


フレムはカヅチとは逆方向を見て声を荒げた。


『フレムよ。そっちではない。こっちじゃ』


 あらぬ方向だったと気付いて、フレムは顔を真っ赤にし、カヅチの声のした方へ向き直った。

 精霊の姿が見えないのは難儀そうだ。


「と、とにかく、偉い人をいじめちゃダメ!」

『しかし王だからと言って女を好き勝手する男に、フレムを任せとうない』

「その気持ちは嬉しいんだけど……やりすぎだから」

『うむ、すまなんだ』


 やっと終わったか、とミコトが嘆息すると、フレムが申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません、私の精霊が………」

「いやいいよ。慣れてるから」


 なんだこの、娘が学校でやらかして、親御さんが担任に謝罪に来たみたいな。微笑ましくあれどなんとも言えない空気の中、フレムがこほんと咳払いをした。


「それで、フレスビ……カトル様は精霊が見えるのですね」

「ああ」

「では、カトル様の背後にいる気配の方も、精霊ですか?」

「ああ。ラフィールって言う翼の生えた仔犬」

「す、すごい、仔犬のカードがあるんですか? ぜひ見せてください!」

「え、おう」


 まさかの反応に動揺しつつ、ミコトはカードを取り、フレムに差し出した。フレムは『ラフィール』のカードをまじまじと見ると、ぱぁっと目を輝かせた。


「わぁ、初めて見ました。可愛い!」


 そんな台詞を聞いたカヅチが微妙な反応になった。些細な嫉妬を見せるカヅチを、ラフィールが鼻で笑う。ミコトはこの時確かに「量産型がレアカードの自分に勝てる訳ないだろう」という仔犬の主張を聞いた。

 精霊二体の喧嘩が始まる前に、フレムからラフィールのカードを返してもらう。幸いカヅチは口惜しそうにこぶしを握るだけで、ラフィールに襲いかかろうとはしなかった。


 殺伐とした自己紹介(?)も終わったところで、ミコトは立ち上がって出かけるために荷物をまとめた。


「フレム。俺は六日後の精戦大会に出るためにしばらくこの街から動かないけど、お前はどうするんだ?」

「もちろん付いていきます!」

「精戦大会に参加するのか?」

「出ません! フレ……カトル様の勇姿をこの目に焼き付けます!」

「へぇ。じゃあそれまで別行動でも」

「一緒に居ます!」

「えぇ」


 昨日も思ったのだが、なぜ俺にこだわるんだ。

 ミコトはアシェエマにも似た執着をフレムから感じながら、単体行動の願いを込めつつこう告げる。


「……俺ただ観光するだけだからな?」

「一緒に行きます!」


 些細な試みは通じなかった。


「………金は割り勘な」


 ミコトは小さな意趣返しと言わんばかりにそう付け足しておく。出会ったばかりの少女のヒモになる程、ミコトは男前ではない。


 フレムは一瞬頰をヒクつかせたが、「頑張ります!」と宣言した。


(賭けバトルやるぐらいだから、懐が寒いんだろうな)


 あまり高くならないルートで観光めぐりをしよう、とミコトは心に決めた。

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