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(2)三年ぶりの人間界

 柔らかいもので包まれているような、奇妙な浮遊感があった。

 薄っすらと目を開けると、真っ暗な闇を囲う薄虹色の門の枠が目に入る。


 一瞬自分が門に外にいるのか、それとも内側にいるのか分からなかった。


 寝ぼけ目で後ろを見ると、水平線が視界に映った。逆さ雲と青空、太陽の上に覆いかぶさる大海原には、逆さの体制で器用に飛んでいるカモメがいる。


 ミコトの後ろに『海』が広がっていた。それもかなり遠い場所で。


「ん?」


 声を出した瞬間、浮遊感が一気に強くなり、背面の海へ向かって思いっきり引き寄せられた。


「おおお!?」


 突然のスカイダイビングで肺から声が絞り出された。頰の肉が風圧でブルブル震えて、髪の毛が耳元で擦れた。そしてクッソ寒い。

 門の外は空の上でした、とか笑えない冗談である。しかも着地場所のない海が真下にあるのはただの嫌がらせである。せめて浜辺の近くに門の座標を指定しておけよ。


 ミコトは無理矢理乾燥する目を開けて下を見渡し、着陸できそうな場所を必死で探した。幸い海上に浮かぶ港と、背の高いビル群の銀色の輝きが見えた。

 海に落ちるのは勘弁なので、ミコトは風魔法を起こしてその都市へ落下の軌道を変えた。


 徐々に角度を変えながら近づいていく都市を眺めて、ミコトは内心で首をかしげた。


 なんだか、人間界にそっくりな場所である。精霊界にもこういった広大な海はあるが、近くにこんな都市を作るような種族なんていただろうか。港付近にある巨大な銅像は松明を持った女神っぽいし、都市の奥にある大通りの広告やら会社名などは、精霊が思いつくにはあまりに金銭的思惑が絡んでいて………。


 ミコトははたと息を止め、急いで自分の体に透明化魔法、消音魔法を重ね掛けした。


 精霊は金に興味がない。商業拡大のためにあんな派手な広告なんて作るわけがない。逆にそういったことをするのは人間しか知らない。そこから類推されるのは、ミコトが最も認めたくない真実だった。


「なんで、なんでよりにもよって人間界なんだあああああああああ!!」


 心からの叫びは、決して目の前の現実を掻き消してはくれなかった。

 大量の人間が建物の隙間を流れていき、機械的な四角い箱が滑らかに道路をなぞる。近づけば近づくほどに雑多な音が風に紛れ、否応なく現実を突きつけられていく。

 

 近づきたくない。だからと言って、海の中に落ちても、何が変わるわけでもない。


 ミコトはバクバクとうるさい心臓を宥めながら風魔法を操り、街のビル群の隙間に入って足を地面に向けた。


「うおおっ!」


 途端、ビル風に容赦なく落下の向きを変えられ、路地裏の方に急旋回してしまった。魔法を使う間も無く、ミコトは無様にビルの壁に顔面からぶつかった。

 べしゃっと蛙のように壁に張り付き、ズルズルと地面に落下する。幸い地面は近かったようで、さほど衝撃もなく足から着地できた。


「いってぇ……」


 顔を両手で多いながら、よろよろと立ち上がってカビ臭い路地裏から表へ向かう。


 指の隙間から外を眺めて、ミコトは思わず息を呑んだ。


 無数、混淆、蠢く足音と喧騒を撒き散らす人の往来がすぐ目の前にあった。妖精が着るような、ゆったりした服装や色合いはなく、人工着色料を塗りたくった息苦しい何かが颯爽と歩き去っていく。

 視界の両端にはシンメトリーを極めたビル群が立ち並び、白線の引かれたアスファルトでは陽炎が立ち上っている。

 路地前で呆然とするミコトを責めるように、車のクラクションが道路のど真ん中でがなり立てた。


 ニューヨークの大通りは猛暑だった。





「………あっつ」


 歩道の隅で服の襟をつまんでパタパタと揺らしながら、ミコトはげんなりと肩を落とした。


 人間界に来てしまった。

 三年前にいろいろと見切りをつけて精霊界に住むことを決めたというのに、なぜ今更になってこんなところに戻ってきてしまったのか。


「二度と戻らないって決めたのになぁ………」


 一度決めた決心を他人に見事にゆがめられて、ミコトは情けなくも拗ねていた。


 アシェエマの言い分だと、魔方陣の時間制限は二年らしい。つまり二年たてば、無事に精霊界に帰ることができるのだ。だがそうかといって、二年間もこんなところにいるつもりはない。先ほど通ってきた虹色の門をどうにかして見つけ出し、精霊界に帰ろう。そしてアシェエマ共々魔王ヌーヴァスを殴り飛ばしてやろう。


 アシェエマの凶行の理由はヌーヴァスの意思によるものらしいが、具体的なことは全く教えてもらえなかった。そこがかなりの心残りである。


「あ、そういえば紙」


 ここに来る前にアシェエマに押し付けられた紙があったはず。いそいそとポケットを探ってみれば、ぐしゃぐしゃになった紙が出てきた。皺を丁寧に伸ばしながら中身を確認して、唖然とする。


「………真っ白じゃねぇか」


 文字の一つも書かれていない白紙を何度も裏返して、ミコトはため息を吐いた。一応魔力を流してみたり、光にかざして何か浮かび上がってこないかと試してみたが、うんともすんとも言わなかった。

 こんなものを渡して一体何をさせたかったのか。内容が明確ではないのなら契約遂行なんてできるわけもないのだし、ミコトはヌーヴァスの託したことをひとまず置いておくことにした。


 今すぐやるべきことは、状況確認だ。

 ミコトは始めこそ人ごみにおずおずと近づいて行ったが、誰も何も文句を言ってこないとわかるなり、こちらに突っ込んで来る人々を避けながらずかずかと都会の街に繰り出した。


 道路の上を、磁力で動くリニアカーが幾つも走る。歩道脇の自転車用道路にはホバーボードに乗った人が自転車と並走していた。


(しっかし随分様変わりしたよな。店も変わったし、道路のリニアカー率が高くなってる気がするけど)


 磁石の切り替えで走る自動車、いわゆるリニアカーは、確かミコトが精霊界に引っ込む前に販売発表があった。あのときは信じられないぐらい高い値段だったが、今となると一般に普及するぐらいには値下げしたらしい。

 便利な世の中になったなぁと爺臭いことを考えていると、ミコトの影から黒い仔犬のラフィールがぽんと浮かび上がって来た。


『キュイキュイ!』

(んだよ、お前までついて来たのか)

『キューイ!』


 謎の門の吸引力に必死に耐えていた主をたたきこんだ戦犯犬は、全然反省していないどころか嬉しそうに顔を擦り付けてきた。こんなことをされては叱るに叱れず、ミコトは少し乱暴に仔犬の耳の後ろを撫でた。人間界に一人きりでいるよりは、使い魔のこいつがいてくれたほうが何倍もマシである上、素直にうれしい。


『キュウ?』


 つい、とラフィールが鼻先を店の中に向けた。

 彼女が指差す方を見れば、コンビニの壁に掛けられたカレンダーがあり『2047年』と書かれている。

 最後にミコトが人間界にいたのは三年前だが、たったそれだけの間で街は随分発展している。ここが世界有数の大都市だとしてもこの大きな変化は驚くべきことだ。


(三年で何があったんだ。前なんかあんなもんなかったし)


 ミコトは大通りに即した巨大ビルの電子広告を眺めた。前に来た時は広告用の巨大スクリーンがあったのに、今ではそれもすっかり取り払われ、代わりにホログラムが広告映像として立体的に動き回っている。

 ビルの壁に這いずる文字や映像は、はっきり言ってキモい。だと言うのに、その広告に見入る人間はほとんどいない。


(こりゃ俺は田舎者も同然だな)


 苦笑しながら、ミコトは歩道の柵に寄りかかって田舎者らしく目新しい広告を眺めることにした。


 ホログラム自体はミコトにとって学生時代からの身近な存在だった。ミコトの通っていた日本の学校では、ホログラフィックを使った授業が主体だったのだ。


「みんな元気にしてっかな」


 懐かしのホログラムのお陰で、仲間の顔が瞼の裏にちらつくようになる。記憶の中でも特にはっきりしているのは親友のアレクの顔だった。


 アレクはミコトと同じく海外からの転校生だった。当時は別のクラスだったが、精霊がお互い見えるということで仲良くなった。色々あって険悪になったこともあったが、それも仲直りして、歳をとってもずっと親友のままであると、ミコトもアレクも信じて疑わなかった。

 結局ミコトから手を切って終わってしまったが。


(会いたいけど、こんな状態で、しかも行方不明にしておいたからなぁ)


 ミコトを知る人間が享年を終えるまで最低でも九十年。それまでは知り合いとは会いたくないものだ。半人になった今の状態で知り合いに会えば、不老不死の化け物だと罵られるに決まっている。見知らぬ人間に言われた時でさえ辛かったのに、友人から言われたとなればなお酷いものだろう。


 ただ、友人達が死んだ後で、今回のように人間界に戻る機会は絶対に来ないだろう。今回が友人と会える最後の機会とも言える。


 ミコトは盛大にため息をついて、広告から視線を離そうとした。


 ちょうどその時、広告が華々しい色合いを放って、大音量でノリノリのBGMを鳴らし始めた。思わず視線を広告に固定すると、ホログラム内で『SUMMONS』の文字が踊る。ついでぱっと背景が移り変わり、ミコトがよく知る光景が映し出された。


「――――精戦大会か」


 精戦大会は、文字通り精霊同士を戦わせる大会だ。もちろん召喚する精霊はホログラムで、実体を持っていない。

 その『偽物の精霊』を扱う、所謂『召喚士』は、将棋や囲碁のプロのように、精戦をするだけでお金を稼ぐことができる職業だ。精霊を召喚するという子供受けしやすい職業なこともあって、将来は召喚士を目指す子供も少なくない。


 何を隠そう、ミコトは日本で召喚士の育成に特化した学校に通っていた。

 そこでプロの召喚士になる夢を叶えるためにミコトは努力したわけだが、今では迂闊に目立つわけにもいかず、その夢は叶わず仕舞いである。


 精霊界で隠居する前は、ミコトも大会に出て何度か優勝したこともあった。あの時の喜びは、一時の夢であってもかけがえのない思い出だ。だから、広告に映し出された大会の様子は、懐かしくて仕方ないものだった。


 広告のホログラムの中、円形の舞台の上で二人の召喚士が対峙している。彼らが杖を振り回し、書物を開けば、精霊や魔法が舞台で飛び回る。精霊界の突発的運動会より見劣りするものの、電子機器だけで彼らの姿を十二分に再現できている。画面内よりも、実際にこの目で見れば本物と見紛うだろう。


 そんなホログラムの精霊たちが格好良さげなポージングを取ると、急に安っぽい編集が入って、沢山のご応募をお待ちしていますと締め括り、精戦の広告はあっさりと終わった。


 ミコトは呆けたように別の広告を映し出すホログラムを見つめていたが、やがてポツリと言った。


(俺、ちょっと参加してみようかな)

『………キュイ!?』


 マジで!? みたいなラフィールの声が上がる。それから「やめたほうがいい」という強い意志が伝わってきた。


 しかしミコトはこんなことで精戦を諦める元召喚士ではない。


(見た目なんて魔法で幾らでも誤魔化せるし、不老不死とか怪我しない限りバレないって! それにここ日本じゃないんだぜ? 知り合いが居るわけない!)


 ずっと不貞腐れて人間界にいるよりは、楽しんだ方がいいに決まっている。知り合いがいないなら気兼ねなく参加してもいいだろう。


『………キュゥ』


 後でどうなっても知らない、とラフィールは顔をそむけてしまった。ミコトは不機嫌になったラフィールを宥めるように、わしゃわしゃと撫でくりまわして笑った。


 一度捨てた夢だが、たった二年だけならもう一度だって見てもいいだろう。半ば浮かれた気持ちで、本気でそう思っていた。

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