終章・襄陽
襄陽に来てから色が消えた。比喩ではなく、本当に、白と黒しか見えなくなった。色彩のない世界で私は生きた。
伯父の黄承彦の家に身を寄せてまもなく、私は実父が亡くなっていたことを知らされ、そのまま黄家の娘になった。悲しみは湧かなかった。どころか何の感情も動かないことに私は驚いた。色と一緒に心も消えていた。蓮池で貂蝉さまが死んだ時、心も死んだのだ。だから私も死人なのだろう。
時々夢を見た。貂蝉さまを手にかけた時の掌の感触、貂蝉さまの恍惚とした表情、耳に残る最期の声、それらに突き動かされるように私は貂蝉さまの傀儡を作り始めた。しかしあの絶世の美女の傀儡など容易くできるものではない。作っても作っても納得のいくものは作れず、部屋から一歩も出ない日が何年も続いた。そのうち黄家の娘は醜女だと噂が立った。
結婚の意思はなかったが、三十歳を過ぎた頃、諸葛亮という年下の書生との縁談が来た。諸葛亮は背ばかり高い、生意気な書生だった。非常に頭の良い男だったが、どこか人としてのバランスを崩しているように見えた。何かが過剰で、何かが欠けていた。諸葛亮の危うさが主君の劉備玄徳殿への思慕からくることに気づいた私は、本能的に危険だと感じた。こういう男には近寄らない方がいい。
諸葛亮は結婚の目的は伯父の人脈と世間体で、夫婦の関係を結ぶつもりはないと言った。無礼である。しかしその無礼さになぜか興味を引かれ、私は偽装結婚を受け入れた。どうせ死人の身なのだ。
私は諸葛亮が思慕する劉備殿に同情した。諸葛亮は何かを得るために何かを捨てる男だ。それが大事なものであっても躊躇いなく。この男に思い込まれたら逃げられなくなるだろう。劉備殿に諸葛亮をまるごと受け入れる器と覚悟がおありなら至上の喜びともなろうが、この男と濃厚な絆を持つことが果たして幸せかどうか。
しかしそれは私の知ったことではない。やがて諸葛亮は劉備殿の絶大な信頼を得、二人の仲は水魚の交わりと称された。劉備殿がよいなら、それでよいのだろう。
諸葛亮が劉備殿の城から戻らなくなると、私は傀儡作りに没頭した。からくりも作った。草庵はたちまち傀儡やからくりで埋め尽くされた。からくりに囲まれていると少しだけ心が落ち着いた。
空っぽの心を空っぽで満たせば、埋められることもあるのだろうか。
――私を手にかけたら、英は、私を忘れないわね。
貂蝉さまは私に忘れてほしくなかったのだろうか。そこにひとすじの愛情を感じるのは間違いだろうか。これが彼女の望んだことだったのかは分からない。でも私は今ようやく貂蝉さまに寄り添えた気がしている。
だから多分幸せなのだろう。
夏の盛り、降るような蝉時雨の中を歩いていると、時折不思議な気分に襲われる。あの頃はまだ、私にも心があった。
(了)