もう一人の李さん
―気になる=好きになるとは限らねー。
オレの名はエリン。10年生(高校1年生)。……っつても本名じゃないけどな。だってオレ台湾人だし。本名は内緒。中国語名じゃカナダ人は覚えられないし発音できないだろーから英語名使ってんの。オレってやっさしーい!ま、ここにいるアジア人は大抵そうしてるけど。国は捨てた。誇りも捨てた。本名も捨てたようなもんだ。これからカナダで生きていく。台湾人っていうと韓国人より真面目なイメージがあるけどオレは違う。そこまで真面目に勉強してない。授業なんて単位さえもらえれば評価はどうでもいいだろ?だからって合格ラインすれすれはイヤだから最低限の勉強はするけど。人生楽しくい生きよーぜ。オレみたいな台湾人は少数だけどちゃんといるんだぜ?
「あら。おはようエリン」
丸顔の女の子が挨拶してくれた。レイチェル・リーだ。オレの好きな女の子。台湾人の真面目なほう。背中まで伸びた髪を一つに結んでいる。服は地味。ぽっちゃりでかわいいってわけじゃないけど話が合うから好き。この程度なら落とせそうだし。高望みはいかん、いかん。
「おっはよー!レイチェル。歴史の宿題やったー?」
「やったわよ。あなたと違って」
レイチェルは軽く受け流した。いつものことだ。オレはロッカーを開けるレイチェルに話しかけ続ける。
「うっつさせてー♪」
「ダ~メ!自分でやりなさい」
まるで先生みたいな話し方だ。レイチェルが教科書を取り出したのを見計らってオレはおどけてみせた。
「うっそだよーん!オレもちゃんとやった」
「もう。エリンったら!」
二人で笑った。そう。これ。これぞ青春!あとは付き合えると最高なんだけどそうはいかないんだよなー。真面目グループは恋愛よりも勉強を取るから。あと親も反対するんだよね。いいじゃんちょっとくらい。青春は短いのに。
***
今日は歴史の授業が昼休みをはさんで二時間ある。昼休みにオレはレイチェルを口説いた。レイチェルの三人の女友達の前で。
「ねっ。いいじゃん。オレたち付き合うよ」
オレはロッカーを背にしたレイチェルに片手で迫る。レイチェルの女友達は楽しそうにオレたちを見てる。
「でも~……」
レイチェルも半ばノリ気だ。でもなかなか落ちない。
「頼むからさ~。レイチェルもオレのこと好きだろ?」
彼女を攻めていたら後ろから足音が聞こえた。……変だな。気配はないのに。振り向きかけたら横を女の子がスッと通り過ぎた。うおっ!?
「……」
黄色い肌。黒髪。アジア人だ。幽霊かと思った……。女の子はオレたちを前にしても顔色を変えなかった。それどころか見向きもしない。挨拶もなし。レイチェルとレイチェルの友達も挨拶しようとしなかった。あの女の子……歴史の授業がいっしょだったはずだ。たしか名前はリナ。……ってそんなことどうでもいい!オレは気を取り直してレイチェルを口説こうとしたらベルが鳴ってしまった。
「あ。クラスに戻らなくちゃ。行きましょ」
「またね~。レイチェル。エリン」
「またね~」
レイチェルの友達は去った。オレもしぶしぶレイチェルと歴史のクラスに戻った。リナもいるクラスへ。
あのリナという女の子は謎だ。オレはリナが英語以外の言語をしゃべるところを見たことがない。レイチェルや他の台湾人の女子と絡まない。歴史のクラスではカナダ生まれの台湾人と大人しいカナダ人とちょっと遊んでる感じのカナダ人の女の子たちとつるんでいる。でもカナダ人っぽくない。韓国人のジョーデンのように幼いときにカナダに来たとかカナダで生まれたわけではなさそうだ。…………オレにはわかる。あいつはオレやレイチェルと同じ香りがする。ありゃあ小学校高学年とか中学生に移住してきたクチだ。オレは中学1年生のとき家族とカナダに移住した。今は高校1年生。半年前まで別の学校に通ってた。ハーフムーン・セコンデリー・スクールには転校したばっかり。まだこの学校の台湾人は全て把握してない。
リナ。ラストネームは不明。服は派手かと思えば地味なときもある。たぶん台湾人。韓国人って顔じゃない。中国人でもない。目ぇ細くないし。ぶっちゃけレイチェルよりきれい。顔整ってる。あまり笑わない。お堅いと思ったらそうでもない。ある日リナが先生に宿題を提出したときのことだ。先生がリナの手書きの小論文を見てリナに話しかけた。
「リナ。名前書くの忘れてるわよ。左上にお願いね」
「えっ?……ひゃあっ!?ご、ごめんなさい!」
リナはすっとんきょんな声を上げた。顔にはどうしようと書かれていた。真面目だけど少々抜けてるらしい。友達といるときはあまり話さず聞き手に回っている。暗くはない。でも控えめ。1人でいるときはすました顔してる。本人にそのつもりはないかもしれないけど。きれいだけど好きにはならない。オレはレイチェル一筋だし。
***
二学期の後半が過ぎたころ、授業中だというのに特進クラスの説明会が行われた。真面目に勉強していて成績のいいやつらは人種に関係なくその説明会に参加しに行った。
「行ってくるわね」
「おう」
そう言ってレイチェルは他のアジア人とともにクラスから出た。特進クラスに参加する生徒たちはほとんどアジア人だ。カナダ人はごく一部の真面目なやつらしか特進に行かない。生徒たちを見送ったあと先生は参加リストを改めて確認した。
「あら?」
先生が眉をひそめた。カナダ人の男子生徒がすかさず訊ねた。
「どうしたんですか?」
先生は頭をかいた。
「おかしいわね。もう一人ラストネームがリーの子が参加するはずなんだけど……」
意外な事実にオレは仰天した。気づけば質問していた。
「このクラスにもう一人リーがいるんですか!?」
レイチェルのラストネームはリーだ。漢字で書くと“李”。白人にもリーというラストネームはあるが特進クラスのことだ。この場合リーはアジア人のラストネームと考えるほうが自然だ。中国人と台湾人と韓国人はラストネームが共通している。リーとかチェンとかファンとかラストネームだけ聞いても何人かわからない。オレは後ろを見渡した。このクラスの台湾人はオレを含めて四人いる。韓国人は六人。そのうち五人のアジア人がさっき出ていった。ジョーデンは居残り組だ。いや待てよ…………さっき言った十人以外にももう一人アジア人がいる。キョロキョロ目を泳がした末オレはリナを見た。まさか…………お前かーーーーっ?!
「……?」
オレとリナの目が合った。リナはきょとんとしている。お前か!?お前がもう一人のリーなんだろ!なんとか言えよこら!お前以外にありえねーんだよ!!なんで先生に言わねーの?「先生ごめんなさい。実は私も特進クラスの説明会の参加者です」って!リナを疑いの眼差しで見ていたら先生があっと声を出した。
「きっとナターシャね!風邪で今日お休みなのよ」
「へえ~」
謎が解けて先生は納得した。最初に質問したカナダ人も納得した。オレも納得した。な~んだ。もう一人の李さんってあの韓国人のナターシャのことだったのか~。すっきりしかけたところでオレは重大なことに気づいた。……ちょっと待て。もう一人の李さんが誰だかわかった。だがまだ肝心の謎が解けてない。じゃあリナのラストネームはなんなんだ??さすがにもう一度リナを見るのは気まずくオレは振り返ることができなかった。
***
三週間後。オレはリナのラストネームを意外な形で知ることになる。登校したてで事務室の近くをうろついていたときのことだった。校内の放送で生徒の呼び出しが行われた。
「リナ・キサラギ。リナ・キサラギ。事務室にお越しください」
オレは足を止めた。……へっ?キサラギ?キ・サ・ラ・ギ~~??キサラギってなんじゃそりゃ?日本人!?だとしたらつじつまが合う。台湾人とも韓国人ともつるまないはずだ。……いや、でもあのリナとは限らないし!リナなんてこの学校に二十人くらいいるだろ!たぶん!だいたい日本人ならオレみたいに英語名なんて使わず堂々と本名名乗るだろ!日本語の名前!サチコとかコウスケとか!再び歩き始めたら前触れもなく女の子が横切った。
「……」
リナだ。歴史のクラスメイトのリナ!!
「……はい。……はい。ありがとうございます」
事務員と二言三言交わしたあとリナはなにかの紙を受け取った。そして来た道とは違う道へ行ってしまった。…………今ので確信した。間違いない。あのリナはリナ・キサラギなんだ。オレはぼーっとしながら歩いた。ラストネームも人種もわかったけど謎だ。なんで日本人がカナダにいるんだ?オレは首をかしげた。かといってこれ以上リナの謎を追求するつもりはない。きれいだけど好きになれない。やっぱりオレはレイチェルがいい。リナのことを気にするのはやめた。オレはレイチェルのロッカーに向かいながらレイチェルとなにを話そうか考えた。