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夕闇が迫ろうとしていた。雨に重く浸された校庭で、もの悲しげに蝉が鳴いていた。廊下ですれ違う子供は、一人もいなかった。
事務室では、担任が一人で待っていた。電灯が少ないのか、みょうに暗く感じる部屋で、かれの白い顔がぼぅっと浮き上がって見えた。
「すぐに再生できます」
座れとも何とも言わず、硬い声でそう告げた。私の到着を待つ間、かれが一人で背負っていた恐怖の痕跡が、表情にありありと出ていた。
かれはマウスに触れ、ノートパソコンのモニターを表示させた。動画ソフトに不鮮明なモノクロの映像が映し出された。この小学校の正門らしい。門柱の一部と、路上駐車の車が映っているだけの状態で、一時停止されていた。
もう一度、担任は私に目を向けた。いいですか? と、無言で促すかのように。私もまた黙ったまま、首を縦に振った。マウスのクリック音が、背中を刺すように響いた。
しばらくは、とくに変わった様子はなかった。白くデジタル表示されている時刻は、十二時四十五分からスタートした。見知らぬ通行人が恨めしげに空を見上げ、畳んでいた傘を広げたりした。
およそ五分後に、異変は起きた。
画面にちらちらとノイズが走り始め、急に日が暮れたように、暗くなってゆく。間もなくスノーノイズに覆い尽くされて、時刻以外は何も見えなくなったかと。十五秒くらいで、かろうじてものの形が見分けられる程度の、映像が回復した。
「ここは……?」
場面が変わったように、さっきまでの風景とは異なる気がした。
まるで無数の貼り紙を剥がした跡のある、ガラスの内側から撮っているようで、向かい側に古いアパートらしい建物と、みょうに大きなコンクリートの給水塔が見えた。
見えているような、気がした。
二人が横切ったのは、ほんの一瞬だった。
女はぼろぼろの傘でほとんど顔を覆っていた。まるで強風に逆らって歩くように、腰を不自然なくの字に曲げ、ここだけ早送りしたのかと疑われるほど、素早く通り過ぎた。
女に手を引かれているのは、夏奈未に違いなかった。裸足のまま、うつむいた顔を濡れた髪が覆っていた。
二人が画面から消えたあと、またスノーノイズに覆われ、次にあらわれたのは、正門の映像。路上駐車の車は、すでにいなくなっていた。
「もう一度、見せてもらえますか」
眉根を寄せたまま、担任はうなずくと、奇怪な映像を巻き戻し、再生した。
「停めて」
かれもそのつもりだったのだろう。私の声と同時に、一時停止ボタンがクリックされた。ぼろぼろの傘。それは今朝、夏奈未を車に乗せたとき、向かい側の歩道で見たものと同じだった。腐肉をこびりつかせたような、骨と骨の隙間から、こちらを睨みつけている目が覗いた。
憎悪をみなぎらせた、繭美の目が。
「あっ」
私は覚えず声を漏らしたのは、けれど、夏奈未に視線を移したときだった。画面に顔を近寄せ、担任を振り返ると、かれの白い顔は凍りついたようにこわばっていた。
「夏奈未は、いつもこれを学校に持ち込んでいたのですか」
「まさか。こんなものを持っていたら、たちまちクラスじゅう大騒ぎになりますよ」
もう一度、私は画面にぐっと顔を近寄せた。何度も何度も、稲妻のような戦慄に背中を貫かれながら……夏奈未の、繭美と繋がれていないほうの手には、あのドレスを着た骸骨人形が抱かれていた。
抱かれていた?
いや、人形はおのれの意志を持つかのように、少女の二の腕に逆さにしがみついていた。しがみついているようにしか、見えなかった。
防犯カメラの映像をメモリーにコピーしてもらうと、小学校を飛び出した。どんよりと曇ったまま、空は闇に覆われていた。その足で再び警察署へ乗りつけ、証拠を提出して夏奈未の保護を求めた。
例によって、うんざりするほど待たされた挙げ句、いかにも気乗りしないふうの担当者の顔を見たとき、私は絶望感にうちひしがれた。
「この時間ですからねえ。裁判所とは連絡がとれませんが、さいわい、あなたたちを担当していた調査官がつかまりましたよ。彼女の話では、奥さんに保護されてるのなら、心配ないだろうと」
「私に断りなく連れ去ったんですよ。間違いなく誘拐行為じじゃないですか」
「まあ、このてのトラブルはよくあることですから。頭に血が上る気持ちは、わからないでもないですが。奥さんか娘さんから連絡があるまで、待たれてみては……」
かれの言葉が耳に入らなくなり、私は席を立っていた。