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二年二組の担任は、安っぽいテレビドラマの新米教師を、そのまま引き写したようだった。ひょろりと背が高く、みょうに色が生白い。電話から十五分で駆けつけた私の剣幕に、怯えたように目をしばたたかせた。
「はっきり言っておいたはずです。娘は明らかに虐待を受けていました。繭美……いえ、妻は夏奈未を取り返したがっている。そのためには、手段を選ばないかもしれないと」
茶を煎れていた事務員が、びくりと振り向くのがわかった。四つ並べた生徒用の机を挟んで、担任は叱られた子供みたいに、ぼさぼさの髪を掻いた。
「ですからまだ、連れ去られたと決まったわけじゃ……」
「じゃあ訊きますけど、これまで夏奈未が一度でも、無断で学校を抜け出したことがありましたか」
五限目が始まったとき、娘の姿は教室になかったという。
給食時間には、確かにいた。昼休みになり、ふらりと教室を出て行く姿が複数のクラスメイトに目撃されていた。けれども、「誰とも遊ばない」彼女の行動としては珍しくないし、事実、とくに気に留める者は誰もいなかった。
昼休みが終わり、「コンペイトウの踊り」が掃除の時間を告げた。夏奈未の持ち場は校庭だったので、雨の日は教室の掃除を手伝う。そのときすでに、彼女の姿はなかったのだ。
「きっと夏奈未ちゃん、独りでお外を掃いてるんだろうって。みんなで噂してました」
学級委員だという、利発そうな女の子がそう証言した。事の重大さがわかっておらず、呼び出された興奮に目を輝かせ、くすくす笑いながら。
「学校を出て行くところを、誰も見ていないのですか」
担任は曖昧に首を振り、助けを求めるように女の子を見た。彼女は演劇的に肩をすくめた。
「まだ学校のどこかにいるんじゃないかしら。だって、ここへ来る途中に調べたんですけど、夏奈未ちゃんの靴も傘も、ちゃんとありましたから」
傘をさしていたにもかかわらず、車に乗り込んだ彼女が、ひどく濡れていたことが思い合わされた。残念ながら、利発な少女の合理的な推理は、きっと百パーセント間違っているだろう。そんな確信めいた予感が、私を思わず立ち上がらせた。
女の子が小さな悲鳴を上げ、担任は狂人を見るような目で、私を見上げていた。
「どうなさいました」
「警察に届けます」
ここから通報するのはやめてくれと、必死にせがまれた。なるほど、サイレンを鳴らしたパトカーが小学校に乗り付けたのでは、非常に外聞がよくない。見かけによらず担任は、私なんかより世間擦れしている。
通用門を出て、「来客者用」駐車場に急ぎ足で向かいながら、舐めるように周囲を見回した。傘を置いてきたことすら忘れていた。高い塀と巨大な鉄格子に囲まれた小学校は、まるで牢獄のようだ。門はぴたりと閉じられ、「関係者以外立入禁止」の札が至る所に貼られていた。
まるで八雲の「耳なし芳一」だ。
これほど厳重な護符に覆い尽くされていても、一人の女の子の失踪すら、防ぐことができない。眉をひそめて、貼り紙の一つを睨みつけたまま、私は思わず足を止めた。
引き返す時間は惜しかったので、濡れながら携帯を夢中で叩いた。
「すぐに防犯カメラを調べてもらえますか?」
交番では心もとないので、警察署に直接乗りつけた。ある程度予想していたことだが、手続きは煩雑を極め、こちらの緊張はまったくと言ってよいほど伝わらなかった。一応受理するが、もう少し待たれてはどうか。万が一、暗くなっても行方がわからないときは、もう一度連絡してくれ、と。
「暗くなってからでは、遅いんです!」
児童相談所の対応も似たり寄ったり。しかもこちらは、家庭裁判所の調査官の息がかかっているぶん、よけい腰が重そうに見えた。妻の携帯へかけてもらったが、電源が切られているという。むろん、新しい番号を私は知らされていない。
やはりいかにも緊張に欠けた調子で、職員は機密に関する事項を、平然と洩らすのだ。
「調査官としては、審判前保全処分の申し立てを検討しているようです。近日中に通知が行くと思いますが」
「もう、それどころじゃないんです。繭美の……妻の住所を教えてもらえませんか」
プライバシー云々といった決まり文句が頭を素通りする間、私はひたすら学校からの連絡を待っていた。事務所を出て、薄暗い、灰色のロビーを呆然と歩いているところで、電話が鳴り始めた。
担任の声は、明らかに震えていた。
「映ってました。夏奈未ちゃんとお母さんが、一緒に……それが、ちょっと……」
「どうしました」
「ちょっと、様子がおかしいんです。とにかく、すぐに来てもらえますか」