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夕食は外でとることにして、私たちはそのまま街に出た。
骨格標本の身長は三十センチに満たない。腰骨が広いので女性なのかもしれない。いわゆる「リカちゃん人形」と、ほぼ同じサイズである。
手足の関節は細い針金で綴じ合わされているが、けっこう固いのである程度、ポーズが固定できる。台座は背骨を軽く挟むタイプであり、そのため標本に余計なジョイントはない。
これを買ったとき、おそらく店長であろう玩具店の男は、明らかに混乱していた。値段がわからず、その場の思いつきで定めたのが、はっきりと見透かされた。箱もなかったので、あり合わせのボール箱があてがわれた。そもそもこんなものが、自身の店に置かれていたこと自体、不思議がっている様子だった。
頭蓋の中がきちんと空洞になっているし、素人目に見ても医学的にかなり精密な模型と思われる。玩具屋の店主がつけた値段は、破格値だったことになる。
ねっとりと暮れなずむ街を、私たちは「お人形」の服を探してさまよった。
無知な私は、着せ替え人形が子供の玩具というカテゴリーを抜け出し、「ホビー」として確立されていることを、まったく知らずにいた。素材も精度も実物と変わらないような衣装を扱う、「ドール」専門店まであるなどとは。
深紅の、薔薇の花弁のようなドレスも、そこで購うことができた。夏奈未が無言で指差したのが、人形の衣装にしては、かなり割高なそれだったのだ。
マンションにたどり着くのを待ちかねたように、夏奈未は大仰なゴシック調の包みを手にしたまま、自室に籠もった。これほどモノに執着する娘を見るのは初めてであり、ただ後悔に似た、言い知れぬ困惑だけが私の胸をもたれさせた。
それは彼女がこのまま二度と部屋から出てこないのではないかという、奇怪な予感を伴っていた。今すぐドアをこじ開けたい衝動をようやく抑え、私は彼女の部屋へ向かった。無意識に、足音を忍ばせて。
……寒かったでしょう、お洋服を買ってもらったの。
……奇麗なお洋服、きっと似合うわ。
……私がお洋服を着せてあげる。
かすかに震えている、自身に気づいた。震えが伝わるのが怖くて、ドアに耳を押し当てられずにいた。これほどたくさんの言葉を、夏奈未が発するのを聴くのは、まったく初めてだった。
信じがたいことだが、言葉の合間には、笑い声さえ聴きとれた。
初めて聴く娘の笑い声は、ひどく淫らな感じがした。
どれくらい経ったのかわからない。声が聴こえなくなるのを見計らって、私はなるべく静かにノックした。
「夏奈未、ちょっといいか」
ばたばたと、慌てて何かを隠すような音が、私を心底震え上がらせた。あのもの静かな少女が、これほど大きな音を出している姿など、想像を絶していたから。
間もなくドアが開かれ、怪訝そうな瞳が私を見上げた。
無遠慮に覗きこむと、「お人形」はベッドの上に姿勢よく座っていた。長袖であり、スカートは踝まで達していた。そのうえ靴と靴下を履かされているので、一見、アンティークな少女人形が座っているようである。
ただ、豊富なレースに縁取られた赤いボンネットの下と、両手とが、剥き出しの骸骨であることを除けば。
ドアを支える娘の手に、力が込められていることに、間もなく気づいた。懸命に、私を部屋へ入れまいとしているのだ。何かが目の前で音もなく崩れてゆく。それをなす術もなく見ているような絶望感に浸されながら、私は娘を失いたくない一心で、語りかけていた。
「隠さなくてもいいんだよ。夏奈未が気に入ったのなら、お父さんは何も言わないから。居間に持ってきてもいいし、新しい服が欲しくなったら、また買ってあげよう。きっと、お母さんに似たんだね」
余計な一言を付け足したことを、ひどく後悔した。けれども彼女は気にしたふうもなく、逆に警戒を緩めるように、力を抜くのがわかった。見る間に瞳にみなぎる歓喜の輝きを、私は呆然と眺めた。
学生時代の繭美の部屋に、私は一度だけ招かれたことがある。そのレイアウトは、異様さを極めていた。
屋根裏部屋を想わせる、斜めに傾いだ天井。壁紙、カーテン、ベッドカバーなどは深紅で統一され、調度はすべて黒。昼間でもカーテンを閉めきり、真っ赤なランプシェードの間接照明だけを、ぼんやりと灯していた。
「本当は蝋燭が理想なんだけど、何時間ももたないからね」
けれども、最も奇異に感じたのは、至る所に並べられた「人形」たちだった。日本の藁人形を派手にしたような恰好で、多くは布製か、毛糸をぐるぐる巻き付けたもの。顔は牙があったり、片方だけ目が飛び出ていたりして、グロテスク。トウモロコシの房のような髪の毛を、だらりと垂らしているものもいた。
ほとんどレプリカだけど、ハイチから取り寄せたものもある。繭美はそう言って、最も不気味な一つを抱いてみせた。
「可愛いでしょ」
胸の部分に赤いハートが縫いつけられ、太い針が刺さっていた。ブードゥーの呪いに用いられる人形だと、そのときまで知らなかった。