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破局からすでに、半年が過ぎてようとしていた。梅雨空の下に隠されていた陽射しが、じりじりと肌を焼く季節になっていた。
繭美が弁護士を雇ったという噂を聞いたが、私はその気になれなかった。費用が惜しいのではなく、百パーセント私が正しいのだと、楽観視して。
決裂した第二回めの調停から、およそひと月の「冷却期間」を置いて、先日、第三回めが行われたばかり。家庭裁判所で顔を突き合わせるのではなく、私たちは日にちを変えて、別々に呼び出される。
「奥さんとは、会われましたか」
私は首を振った。あれから一度も会っていないし、電話で話してもいない。しかしなぜかれらは、これから離婚する相手をいつまでも「奥さん」呼ばわりするのか。
調停員は四十代の男と、初老の女の二名。男は不動産鑑定士で、女はもと小学校の校長だという。初日には裁判官らしき者もいたが、手続きなどについて説明しただけで、以降、顔を出さない。あとは書記が黙々と記録をとっているだけの、わびしい話し合いの場となる。
調査官の疑惑は、当然のように、二人の調停員にも感染していた。
「やっぱり女の子には、お母さんがいたほうがよいですからね」
もと小学校校長はそう言って目を細めた。その目は決して笑っておらず、疑わしげに私を凝視していた。
じわじわと、外濠を埋めるように、繭美の伸ばした手が、せまってくるのを感じた。
もともと頭のいい女だ。美大へ進むと決めたときは、周囲に猛反対されたという。県内の国立大学が、現役合格の射程距離内に余裕で入っていた。
「感性を磨けるのは、今しかないじゃない。老後に趣味で絵を描くなんて、まっぴら」
そんな繭美と合コンで知りあい、一方的に恋したのは私だ。
当時の彼女は奔放なところがあり、男友達を何人も引き連れ、映画館をハシゴしては、批評会と称して飲み屋で騒いだ。学生・社会人を問わず、彼女を取り巻く男たちのほとんどが、いわゆるクリエイティブな人種に限られていた。
しがない商科大学生だった私が顧みられる余地など、どこにあるだろう。それでも恋の煩悶が生み出す力で、無理をして画集を買い、美術館に足を運んだ。モネとセザンヌの区別もつかなかった私は、エゴン・シーレについて口を挟める程度にはなっていた。
私が中古の破格値で四百㏄のバイクを買ったとき、乗せてほしいと言いだしたのは、彼女だ。廃墟みたいな展望台で夕日を眺めながら、先に目を閉じたのも。他人の乳房を吸ったのは、あのときが初めてだった。
「バイクに乗せるなんて、卑怯だよね?」
そして数ヶ月後、私は見事にフラれた。胸を掻き毟られるような苦しみから逃れたくて、彼女のサークルからも遠のいた。
ところが社会人になって、一年と半年が過ぎた頃、外回り先で偶然、繭美と再会したのだ。あとは、まるでジェットコースターに乗ったように、結婚まで突き進んだ。
幸福だった。
と、思う。
けれどもそれは私の独りよがりに過ぎなかったことを、今になって思い知らされた。聡明で感受性の強い繭美にとって、私は限りなく重い足枷にほかならなかった。家庭という牢獄に繋ぎとめ、取り返しのつかないほど彼女の心を破壊した。
心の壊れた彼女が今、必要とし、渇望ているのは、もちろん私ではない。夏奈未たった一人だ。娘を取り戻すために、繭美は手段を選ばないだろう。生活に余裕があるわけでもないのに、弁護士を雇い、彼女のほうが被害者だと思い込ませるための、巧みな演技をしてまで……
危機感と焦り。冷房が突然壊れたような汗を浮かべたまま、私は席を立っていた。椅子のきしむ音が、うつろな残響を引きずった。
「これ以上の話し合いは無意味です。合意は不成立とさせてください」
「不調ですか」建築鑑定士と、もと小学校校長は声を揃えた。
「ええ。訴訟の手続きをお願いします」
その日から私は、会社を休むことにした。夏奈未を独り家に残して、自分は遅く帰ってくることには、もう耐えられそうになかった。
常に娘を見張っていなければ。遠くない将来、繭美は必ず「実力行使」に訴えるだろう。確信にも似た、そんな予感にさいなまれて。