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6.入学

 あの後、蒼が話してくれたところによると。

 美登里ちゃんとの婚約話を白紙に戻したかった蒼は、お父さんに直談判しに行ったものの、問題を麗美さんに丸投げされてしまったらしい。だけど蒼が麗美さんを説得する前に、彼女の方が先に動いて私と接触した、という経緯だったんだって。

 二人で出かけたことを知ったからこそ、早めに手を打とうとしたんだろうな。あと麗美さんの持ってる情報網、すごくない? 私立探偵かなにか雇ってるんじゃなかろうか。

 ポジティブに考えるなら、私の傷が浅いうちに手を引かせようと配慮してくれたのかもしれない。麗美さんの態度はこちらを見下したものじゃなかった。話の内容だって、そりゃそうだよなぁって感じだったし。一介のサラリーマン家庭の娘と、世界的な楽器メーカーの跡取りとの縁組みなんてメリットゼロだもんね。

 

 でもまだ付き合いたてなんだから、そこまで心配しなくても、とは思ってしまった。考えたくないけど、蒼が途中で私に飽きて、別れる可能性だって十分あるのに。


 「本当にごめん。こんな面倒事に巻き込んで。これ以上の迷惑はかけないから、だから」


 そこまでは冷静に話してくれていたのに、蒼は私の顔を見て、急に焦ったような口調で畳み掛けてきた。


 「大丈夫だよ、蒼。落ち着いて」

 「家を捨てるなんて言ったけど、あれはただの取引材料だよ。本気じゃない。俺は真白の負担になるようなことは、絶対にしないから」

 「蒼!」


 苦しげに言葉を吐く彼をそれ以上見ていられず、両手を取ってぎゅっと握り締めた。紺ちゃんの留学で不安になった時、蒼がしてくれたみたいに。チェロを軽々と扱う彼の手は大人の男の人みたいに骨ばってて、そしてすごく冷たかった。

 

 ごめん。ごめんね、蒼。3年前に私がつけた傷は、全然癒えてなんかなかったんだね。


 ――――『寄りかからないで。これ以上、面倒見きれない。私のせいで城山くんの将来が変わっちゃうなんて、そんな重荷を乗せてこないでよ』


 ああ。私はなんて酷いことを。


 「何があっても、ずっと一緒にいるよ。蒼が私をいらないって言うまで、ずっと」

 「そんな日、来ないよ」


 どうにか彼を慰めたくて、とっさに口にした私の言葉に、蒼は唇の端を歪めた。綺麗な瞳が暗く翳る。


 「俺が真白をいらなくなる日なんて、来ない」


 『蒼が私をいらないって言うまでずっと』ではなく、どうして『蒼が大切だからずっと一緒にいたい』って言わなかったんだろう。

 ちゃんと言えば良かった。

 そしたらきっと、蒼をあんなに苦しめずに済んだ。

 


 


 


◇◇◇◇◇◇


~SIDE:紺~



 その日は快晴だった。空は高く晴れ上がり、寮と学院をつなぐ遊歩道の林からは、楽しげな鳥のさえずりが聞こえてくる。

 車を待たせてあるので、長い間ここにいることは出来ない。

 無理を言って立ち寄って貰ったのだ。


 「ねえ、一言くらいワタシにお礼を言ってもいいんじゃない? こうしてマシロの晴れ姿をキミが見られるのは、誰のおかげ?」


 それはそれは嬉しそうに、隣にいる男は私の顔を覗き込んできた。


 「……どうもありがとう」

 「どういたしまして」


 歯ぎしりしたいのを堪え、何とかお礼の言葉を唇から押し出すと、男は破顔して大仰な仕草で腰を折った。


 「姿隠しの術は万全だよ。誰にも見られはしないし、聞かれることもない。さぁ、キミの可愛いマシロに会いに行こう!」


 浮かれた調子の男に手をとられる。

 空気を丸めて固めたみたいなその感触に、全身が怖気立おぞけだった。人間ではないと知っていたけれど、こんな風だとは思ってもみなかった。人智を超えた存在なのだと、その時私は改めて目の前の異形を見せつけられた気分だった。


 「ふふっ。いいね、その顔。コンはとっても可愛い玩具だ。もっと芯まで味わいたいなぁ」

 「お生憎様。まだゲームの途中のはずよ」


 見せつけるように舌なめずりする金髪碧眼の美男子。私の声は震えていなかっただろうか。

 心の奥まで見透かされているとしても、せめて外面だけは抗いたい。腹の底に力を込めて男を睨みつける。


 「まーだそんなことを言ってるの? キミの負けはあの時点で確定したようなものだよってせっかく教えてあげたのに~。留学なんて悪あがきはやめて、ここで彼女たちと思い出作りしたほうが、よっぽどユーイギな時間を過ごせるよ?」

 「私は、諦めてない」


 頑固だなぁ、もう! と男はふくれてみせたけど、それがポーズであることはすぐに分かった。

 私を惑わせ、好みの反応を引き出そうとあの手この手を使ってくるのには慣れている。学院にこのままいたとしても、私と真白ちゃんが一緒にいられないよう別の手を打ってきたはず。

 そう口にすると「おや、案外かしこいね」と目を丸くされた。


 「それはしょうがないよ。サポートキャラはコンじゃないんだから、舞台にいらない子は退場、退場っと。……あ、ほら。マシロたちが出てきたよ。仲良さそうだねぇ。初々しいねぇ」


 大きな両開きの玄関扉が押し開かれ、寮生たちがわらわらと中から出てくる。

 真新しい制服に身を包んだ真白ちゃんは、少し緊張した面持ちで隣に寄り添うように立つ蒼くんを見上げていた。

 何か愛らしいことを口にしたのだろう。蒼くんが優しく彼女の頭を撫でると、くすぐったげに肩をすくめて微笑む。心をまるごと預けたようなあどけない笑みが、彼女の今の幸せを私に伝えてきた。


 ハンカチできつく口元を押さえ、叫びだしたい衝動を必死でやり過ごす。

 真白ちゃんが幸せになるのを、どうして止められる? 

 彼女に兄を好きになれ、などと、どの口で言えるというのか。

 ――絶対に、奪わせない。

 私がピアノで真白ちゃんをねじ伏せれば済む話だ。

 そうすれば、彼女の未来は守られるんだから。


 これまで何度も唱えてきた言葉を、呪文のように繰り返す。まだだ。まだ、負けてない。

 平静を装おうとする私を横目で見て、男は少し離れた場所を指さした。


 「あ、ほら、あそこ。茶色い髪の女の子と背の高い眼鏡の男の子、いるでしょ? 栞ちゃんと慎くんっていうんだよ。本当ならマシロは、あの子たちと今朝知り合って、仲良くなるはずだったんだ。気持ちのいい子達でね。マシロとは一生の付き合いになるはずだったのになぁ」

 「――それは彼女が紅を選んでいればって意味?」

 「うん! キミが紅の妹である以上、そのルートがこの世界に一番受け入れられやすいものだった。祝福と加護があった。でも、マシロが選んだのは青の騎士。ともに破滅へ向かう、茨の道だよ。キミも知っての通りね」


 くふふふ、と子供のような笑い声をあげ、男は真白ちゃんと蒼くんを交互に指さしていく。


 「バッドエーンドは素敵!バッドエーンドは最高!」


 奇妙な節をつけて、とうとう鼻歌まじりに歌い出す始末。ここで取り乱せば、男の思う壷だ。私は拳を握り締め、ひたすら耐えた。


 「でも、ここは現実世界だわ。全部が全部、あなたの思い通りになるわけじゃない」

 「そーだよぉ。ワタシが介入できないことだって沢山ある。未来はいつだって不確定。だから楽しいんじゃないか!」


 あははは。笑い声が哄笑にかわる。


 蒼くんの容姿がとびきり人目をひくせいか、今のところ真白ちゃん達に自分から近づこうとする寮生はいないようだ。集団から少し離れたところを、ポツンと2人で移動していく。


 音楽の小道と呼ばれる遊歩道を抜ければ、そこはもう学院の敷地だ。

 真っ先に目に入る大きな建物――桔梗館エスターテハウスを見て、真白ちゃんは大きく目を見開いている。


 「もっと近くに行こうよ。ここじゃ、キミには声が届かないでしょ?」


 男は私を引き摺り、真白ちゃん達のすぐ後ろに陣取った。

 懐かしく優しい声が、私の耳朶を温かく打つ。


 「あの建物が、講堂だよね?」

 「ああ。桔梗館だっけ」

 「2000人収容って書いてあったよね。学内コンクールとか演奏会もあそこで開催されるんだって。ふぁあ……写真で見るよりやっぱり大きいし、立派だなぁ」

 「あっちの大聖堂とか、真白が好きそうだなって思ってた」

 「バレてたか~。そうなの、すっごく行ってみたいの! 4枚鍵盤のパイプオルガンが設置されてるらしいよ。サン・ミシェル大聖堂にあるパイプオルガンを参考にして造られたんだって。ステンドグラスも圧巻だってパンフレットに載ってたし、クリスマスミサが今から楽しみなんだ」


 弾んだ明るい声につられて、こっちまで微笑んでしまう。

 蒼くんも珍しく、晴れやかな表情で真白ちゃんの隣に並んでいた。


 大講堂の前までいくと、そこにはすでに自宅通学生たちが到着しており、開場を待っている様子だった。地方からの入学者に配慮してか、保護者の式への参列は認められていない。真白ちゃんのご両親はさぞがっかりされたことだろう。

 今年の新入生は全部で80名。

 ピアノ科10名、管楽器科25名、弦楽器科20名、打楽器科5名、声楽科10名、作曲科10名という内訳だ。管楽器科と弦楽器科の中は更に、各楽器専攻に分かれている。クラスはAからCまであり、成績順に振り分けられる決まりだった。中でも成績優秀者を集めたAクラスは特別で、有名な講師はAクラスにしかつかないそうだ。

 真白ちゃんと蒼くんは、戸惑う様子もなくAクラスの列の後ろに並んだ。

 私も在籍上はAクラス。同じ教室でともに学べたかもしれない可能性に想いを馳せ、それから軽く首を振って打ち消した。

 普通に学んでいるだけじゃ、真白ちゃんには勝てない。もっと上手くならなくちゃ、何の為にここまでピアノを頑張ってきたのか分からない。


 「おっはよ~、マシロ。制服すっごく似合ってるね。可愛いっ」

 

 列の間からひょこんと顔を出した美登里ちゃんが、嬉しそうに駆け寄ってくる。


 「おはよう。美登里ちゃんも同じクラスなんだね! ちょっと安心した」

 「私も嬉しいわ。久しぶりの日本で心細かったの。頼りにしてるわね、マシロ」

 「なに企んでるんだよ。あと、真白にべたべたくっつくなって言ってるだろ」

 「男の嫉妬はみっともないって、私も教えてあげたはずよ、ソウ」


 そこから蒼くんと美登里ちゃんの軽い口喧嘩が始まり、真白ちゃんが慌てて止めに入る。相変わらずのじゃれ合いに、ふっと気持ちが緩んだ。

 

 さて、兄はどうしているのか、と視線を彷徨わせれば、列から少し離れたところで例の取り巻き達に囲まれているのが見える。

 中等部の後半くらいから全く相手にしていなかったはずなのに、愛想のいい笑顔を浮かべながらきちんと対応していることに、まず驚いた。

 その中の一人の少女が、蒼くんを目敏くみつけたようだ。周りもそれに気づき、ざわめき始める。

  

 まずい。真白ちゃんを守らなきゃ。


 「ダメだよ。面白いところでしょ。」


 とっさに体が動きそうになったところを、男に抑えられた。


 「それに、今のキミには何も出来やしないよ。透明人間みたいなものなんだから」

 「だけど!」


 男に抗おうとしている間にも、悪意ある視線が蒼くんの隣に立っている新顔の少女に集まっていく。


 「なんなの、あの子」

 「蒼さまが戻られたって噂、本当だったのね。嬉しい!」

 「でも蒼さまと一緒に来るなんて、図々しいよね。誰かあの子のこと知ってる?」

 「外部生みたいだね、赤いリボンだし。それとも初等部にいた? たいして可愛くないから記憶にないだけかも」

 「やだー、聞こえちゃうよ」


 クスクス耳障りな笑い声が内部生の間に広がり、美登里ちゃんの顔つきが険しくなった。

 肝心の真白ちゃんはといえば、「これが、噂の……」と小さな声で呟き、物珍しそうに彼女たちを観察している。全く堪えていない様子に、体中の力が抜けそうになった。

 蒼くんは?

 あ、――やっぱり怒ってる。

 さっきまでの柔らかな表情は跡形もない。彼は氷のように冷たい目で彼女達を見据え、左腕で真白ちゃんを抱き寄せた。

 しっかりと蒼くんに守られた見知らぬ少女に、ファンの子達はますます怒りをかきたてられたみたい。


 一触即発の空気が満ちたタイミングで、動いたのは兄だった。


 「ほら、そんなにジロジロ見るものじゃないよ。事情を知らない人達が驚いてるだろう?」


 真白ちゃんを隠すように立ち位置を変え、甘い微笑みを浮かべながら彼女たちを懐柔しにかかる。


 「だって、紅さま!」

 「蒼にこれ以上嫌われたくないなら、その子には構わない方が賢明だよ。とっても大切な彼女らしいからね。それに、君たちの可愛い顔が知らない子の悪口で歪むのは見たくないな。蒼がいなくて寂しい分は、俺が埋めてあげる。それとも、俺じゃ物足りない?」

 「きゃーーーー!!!!」


 耳が痛くなるほどの嬌声がいっせいに上がる。

 群青ネクタイの男子内部生には馴染みの光景だからだろう、特に何の変化もないが、外部生らは完全に置いてきぼりで、気の毒なほどだ。

 先ほど男が教えてくれた茶色の髪の女の子に至っては「なんや、あれ。さむっ」と完全に引いていた。

 真白ちゃんは、何故か納得したように頷いている。さらには、両手を合わせてこっそり兄の背中を拝み始めた。

 

 私にも理解不能な彼女の行動に、男は腹をかかえて笑った。


 


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