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5.春休みデートと警告

 春休みも残り僅か。

 憧れの青鸞学院生活を間近に控えたその日、私は蒼と待ち合わせして、買い物へ出かけることになった。


 初デートですよ!

 買い物だろうがなんだろうが、お付き合いしてる異性と2人で出かけるのってデートだよね。合ってるよね?


 何を買いに行くのかといえば、寮生活で使うちょっとした雑貨品。そう、入学と同時に下宿生活に突入することが決まったんです。

 

 一般入試で合格してくる子の中には、当たり前だけど地方出身者もいる。そんな自宅通いが難しい生徒の為に、青鸞には非常に豪華な寮が併設されてるんだって。さすがセレブ校。

 入学案内のパンフレットと共に送られてきたトビーからの手紙には【学院と同じ敷地内にあるので安全かつ便利ですよ】という寮への勧誘文句が並んでいた。

 父さんも母さんも、初めは私を手放すつもりはなかったらしい。十分自宅から通える範囲に、学校はある。

 だけど、青鸞には様々な規則があった。

 

 規則その一。電車通学は許可されていない為、車での送迎必須。

 規則その二。室内楽も取得単位に含まれている為、放課後のグループ練習必須(自宅に音楽室がある生徒が殆ど)


 他にもいろいろ。

 高額な楽器を所有している生徒ばかりなので、混雑が予想される公共機関を利用する子はそもそもいないらしい。父さん達はその話を聞いて、すっかりしょげかえってしまった。車での送迎だって毎日は難しいのに、自宅に音楽室なんて作れるわけがない。

 

 一方、寮の設備は完璧だ。

 女子寮である花桃寮プリマヴェーラホールと男子寮である山茶花寮インヴェルノホールは中央にある共有棟できちんと区切られており、それぞれに住み込みの寮監の先生がいるので、はっちゃけた学生による生活の乱れの心配はなし。もちろんセキュリティ面も保証されている。

 完全個室、かつ防音仕様。

 ピアノ科の特待生である私には、続き部屋まで用意されるんだって。そこには、調律済みのスタインウェイが置いてある、と聞かされ、私の目はキラキラと輝いてしまった。コンサートホール用のグランドピアノで毎日練習できるのは、正直有難いんです。ごめん、アイネ。浮気じゃないんだ。アイネもとってもいい子だよ。

 共有棟には練習室の他、小ホールも3つあって、しかもしっかり栄養計算された朝食と夕食付き。パンフレットの写真で見た分には、お風呂も大きくてすごく綺麗だった。

 問題はお金だけど、寮での諸費用も特待生は軽減されるそうだ。これにはかなりホッとした。

 

 家族と離れるのは確かに淋しいけど、ここでの寮生活ははっきり言って魅力的すぎる。気持ちが全部顔に出ていたのか、父さんの決断は早かった。


 「お前が覚悟を決めたんだから、父さん達も応援しないとな。これだけは言っておくけど、中途半端はだめだよ、真白。3年間、うちには戻らないつもりで頑張りなさい!」


 そう言って激励してくれた父さんの目元は、赤くなっていた。

 無理しちゃって、と後ろで母さんがこぼしたのには気づかない振りで、私もしっかり頷いた。離れていても大事な家族には変わりない。きっと、誇りに思ってもらえるようなピアニストになるから。だから、それまで待っててね。

 


 そんなわけで、期待と不安がちょうど半分ずつの新生活に突入することになった私は、その話を真っ先に蒼に報告した。

 何でも正直に打ち明けて、彼が不安がらないようにしたいというか何というか。蒼と寄り添っていきたいのなら、離れていた年月を埋める為の気遣いが必須な気がしていた。

 

 それで正解だったのかどうかは分からないけど、蒼の反応は早かった。


 「俺も入寮することにしたから」


 話をした次の次の日くらいに電話で告げられ、私は目を丸くした。


 「え? でも蒼は送迎可能だし、おうちに立派な音楽室だってあるじゃない。基本的に自宅通学可能な子は入寮不可のはずじゃ……」

 「んー。そうなんだけど、我が儘抑えられなかった」

 「わがまま?」

 「とにかく、春からは一緒の寮だから。真白がよければ行き帰りのエスコート、俺にさせてくれる?」

 「う、うん」

 「……良かった」


 心底安堵したような、吐息まじりの「よかった」に耳をやられ、私はその場にしゃがみこむ羽目になりました。なんなの、この可愛い生き物は!

 「本当にそれでいいの?」とか「麗美さん達は反対しなかったの?」とか、聞きたかったことも全部吹っ飛んでしまった。蒼がいいなら、もう何だっていいじゃないか。


 それからお互いに入寮案内の冊子を見ながら、とりとめのないお喋りに興じてたんだけど、途中で引越しの荷物の話になったんだよね。

 寮の自室にはミニキッチンがついてて、そこでお茶を入れたりできるらしい。じゃあ食器なんかも持っていかなきゃだね、って話から、雑貨屋さん行きたいなって私がぽろりとこぼした一言を、蒼は拾ってくれた。


 「一緒に買いに行く?」

 「え、いいの? 自分のおこずかいで買えるくらいのカップとかお皿とか、あとミニタオルとか、そういう細々しいものを色々みて買うつもりなんだけど」


 半日かけて沢山のお店をはしごする、いわゆる女子のお買い物に蒼を付き合わせるのは気が引けた。随分昔に買い物に付き合わせた時は、紅も蒼もうんざりしてなかったっけ。

 いつもだったら紺ちゃんを誘うところなんだけど、彼女は日本にいないし、美登里ちゃんにはまだ入寮の話もしていない。


 「いいよ。荷物持ちくらい出来る」

 「そんな、蒼に荷物持たせるなんて悪いよ。それに私の買い物ってけっこう時間かかるし」

 「分かってる。俺、ちゃんと待てるよ」


 だめ? と心細そうな声でお願いされて、断れる人がいようか。いや、いまい。

 3年経ってもワンコな蒼は健在でした。大人びて素敵になった分、たちが悪くなったような気がする……。前途が不安です。


 

 そして当日。

 先に用事があるという蒼の希望で、お昼に駅前で待ち合わせになった。午前中がっつりピアノに触ってこられたので、私もご機嫌だ。

 

 黒いジャケットを羽織った蒼は、道行く人の注目を浴びまくっていた。あ、しまった。そういう綺麗めな格好で来るんなら、私も合わせるんだった。沢山歩けるように、ジーンズとフラットシューズで来ちゃったよ。


 「ごめんね、待たせた?」

 「いや、大丈夫。行こうか」


 私を見つけた途端、柔らかな表情に変わった蒼に手をひかれ、駅前広場から移動する。


 「私ももっと大人っぽい格好してくれば良かったな」


 さりげなく繋がれた手にドキドキしながら、場つなぎにそんなことを口にすると、何故か蒼は眉根を寄せた。


 「そんなことない。真白は今日もすごく可愛いよ。――朝イチで人と会わなきゃいけなかったから、羽織ってきただけ。次は俺もカジュアルな格好で来るね」

 

 誰と会ってたか、聞いてもいいのかな。

 それとも、追求するべきじゃない?


 『彼女』としてどこまでなら許されるのか、さっぱり分からなかった私は、もごもご口ごもって蒼を見つめ返した。うーん。聞かない方がいいかな。あー、でも気になる!


 「なに、どうしたの?」


 優しく問い返してくれた蒼に背中を押され、思い切って聞いてみることにした。


 「誰と会ってたのかなって」

 「ああ。父親。今、日本に帰ってきてるみたいで」


 そっけない口調で短く答えた後すぐに、蒼はふにゃりと笑った。嬉しくて堪らないといわんばかりの笑顔だ。


 「気にしてくれたんだ」

 「そ、そりゃあ、気になるよ」

 「そっか」


 繋いだ手をきゅっと握り直した蒼は、まっすぐ前に向き直った。こちら側から見える彼の耳は真っ赤に染まってて、それがまた可愛いやら照れるやら。

 なんとも言えない甘酸っぱい空気を漂わせ、お昼ご飯を食べる予定のカフェレストランに着くまで、私たちはお互い無言のままでした。


 

 あんまり遅くなっても家の人を心配させるから、と蒼はまだ日が明るいうちに家まで送り届けてくれた。


 「ピアノの練習だってあるだろ?」

 「うん、でも午前中も出来たし、大丈夫。あ、荷物! ごめんね、結局こんなに沢山持たせちゃって」


 あーでもない、こーでもないと迷う私に苛立つ様子もなく、蒼は終始楽しげに買い物に付き合ってくれた。途中、休憩で立ち寄ったケーキ屋さんでは、お互いのケーキを半分交換したりもした。

 3年のブランクがあったなんて思えない程すんなりと、私たちは昔のように仲良く過ごすことが出来て、そのことに私は感激していた。


 「母さん、まだ帰ってきてないみたい。そうだ、まだ時間あるなら寄っていく?」


 小学生の頃、蒼はしょっちゅう家に来ていた。まるで避難所シェルターみたいだったよね。リビングのソファーで寛いでいた小さい彼を思い出し、心が温かくなる。


 「うーん。家の人が誰もいないなら、やめとく」

 「ん?」


 なんで?

 分かりやすい疑問符を浮かべていたんだろう。キョトンと首をかしげた私を愛しげに見つめ、蒼はちょっとだけ微笑んだ。


 「悪い狼になるかもだよ、俺」

 「――っ!!」


 驚きと恥ずかしさで、声も出せないでいる私の隣をすりぬけて、蒼は玄関の上がり框に荷物をゆっくりと降ろした。


 「今日はすごく楽しかった。またね、真白」

 「う、うん。こちらこそ、ありがとう」


 びっくりし過ぎて声がひっくり返っちゃったのは勘弁してください。

 パタン、と閉まった玄関の扉を呆けたように見つめたまま、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。







 いいこともあれば悪いこともあるもので、蒼と出かけた次の日。

 私は麗美さんから呼び出しをくらってしまいました。


 家のすぐ近くにある鄙びたファミリーレストランまでやってきた麗美さんは、驚くくらい周りから浮いていた。精一杯の普段着なんだろう。ブラウスにタイトスカートというおとなしめの格好なんだけど、いかんせん物が違う。ブランド品ではない小さなバッグも、とっても上品で洒落ていたし、何よりも麗美さん自体が放つオーラが、上流階級のそれなのだ。


 「お久しぶりね。ごめんなさい、急に」


 私が店に入ってくるのを見ると、スッと立ち上がって席につくまで待ってくれる。


 「いえ。ご無沙汰してます」


 私も頭の中からありったけの常識をかき集め、彼女に恥をかかせないように振舞おうと頑張った。

 ああ、でも変な汗でる! ハンカチ、4枚くらい持ってくれば良かった。


 「真白さんもお忙しいでしょうし、単刀直入に言わせて貰いますね」


 麗美さんは、注文した薄い紅茶が運ばれてくるのを見届けた後、おもむろに口を開いた。


 「蒼とのお付き合いは、高校までにして欲しいの」


 やっぱり、そうきたか。

 どう答えればいいのか迷って、私はそのまま続きを聞く体勢を取った。


 「真白さんは学業にも秀でていらっしゃるから、大人の事情についてもある程度分かっていらっしゃると思うの。うちは歴史ある老舗楽器メーカーで、ネームバリューは世界的にあるけれど、楽器というもの自体、大量生産、大量販売できるものではないわ。制作費に糸目をつけず、常によりよい楽器を創造することに社命をかけているとも言える。私は美坂家からシロヤマに嫁いできた。その結果、美坂グループと結ばれた業務提携もいくつかあるわ――ねえ、真白さん。城山の後継者にあなたは何を提供できるのか、考えてみたことはあって?」


 前もってきちんと考えてから来たのだろう。

 淀みのない口調で、麗美さんは私にじっくり言って聞かせようとしている。


 「考えてみたことは、あります。でも私は、城山の後継者である蒼くんを好きになったわけじゃありません」

 「それも正論ね。若さゆえの一途さは、嫌いじゃないわ。あの子の母親のようにピアノで蒼の隣に立つつもりだと、私には言わないところも」


 麗美さんは、憐れむような眼差しで私をじっくりと眺め直した。


 「若くて、可愛らしくて、真面目で、前途有望で。ねえ、真白さん。あなたにはもっと他の」


 そこまで言いかけて、麗美さんはハッと視線をあげた。

 そしてそのまま、口をつぐんでしまう。

 何が起こったのか分からなくて戸惑った私が、彼女の視線を追って振り返ると、そこには蒼が立っていた。

 ものすごく、怒っている。表情の抜け落ちた蒼は、まるでよく出来た人形のようで、私の知っている蒼とは全然違った。


 「……言ったはずだよな。真白に近づくなって」


 ゆっくりとした足取りでテーブルまでやってきた蒼は、麗美さんの前に手をついた。そのままかがみ込み、脅すように声を低める。


 「あなたが彼女を俺から遠ざけるのなら、俺は家を捨てる」

 「――そんなこと、恭司さんが許すはずない」

 「父には、昨日話したよ」

 「あら、ずいぶん手回しがいいのね。……彼はなんと?」

 「『母さんを納得させられたら、私はどちらでも構わない』そうだ」


 私はあっけに取られたまま、おろおろと二人のやり取りを見守ることしか出来なかった。

 修羅場じゃあ。皆のもの、出あえ~、出あえ~。ブォーブォーと法螺貝が鳴り響くのが聞こえる。なんなの、この状況。誰か、助けて。白目を剥いて現実逃避しそうになった私を引き戻したのは、悲しげな麗美さんの表情だった。


 それは、あまりにも分かりやすい変化だった。取り繕った城山家の嫁としての外面が剥がれ、深く傷ついた一人の女性の顔が垣間見える。

 蒼も驚いたのか、わずかに身体を引き起こした。


 「ふふっ。母さんを、ね。それはどちらのことを言ってるのかしら」


 麗美さんは独り言のように呟くと、私に暇を告げ、そのまま立ち去ってしまった。


 「――なんだよ、あれ。なんであの人が、あんな顔するんだ」

 「――ごめん、私にも、さっぱり」


 ひとけのないファミレスの中、ポツンと残された私と蒼は、お互いの動揺から立ち直るまでの間、じっとそこに佇んでいた。


 

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