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49.城山 蒼の選択

 あの怪物の悪趣味さは、俺の想像を遥かに超えていた。

 

 指先から少しずつ薄れ、消えていく真白を、食い入るように見つめる。

 わずかな猶予も与えられず、この世界から引き剥がされていく俺の大切な人。

 

 眉からこめかみにかけての酷い引っかき傷が目に止まる。結局、守ってやれなかった。後悔が鈍い音を立て、胸を軋ませる。

 真白の頬と顎は赤く腫れ、制服はボロボロだ。

 いつもきちんと纏められている艶やかな髪は無残にほつれ、幾筋も白い首に張り付いている。

 そんな悲惨な状態なのに、俺の視線を受け止め、精一杯の笑みを返してくれた彼女は、今までで一番綺麗に見えた。


 玄田がトビオに捕食された時は、最悪を覚悟した。

 真白は、このまま狂ってしまうのだと。絶え間なく吐き出される呪詛の言葉は、トビオだけではなく真白自身にも向けられていたから。

 殴られても蹴られても、必死に抱きしめ名前を呼んだ。目の前で狂気に堕ちていく真白を、諦めることなんて出来なかった。

 もうダメかと思ったのに、真白は次第に抵抗をやめ、視線を定まらせていった。

 不意に俺は、玄田の言葉を思い出した。


 ――『真白ちゃんは、蒼くんがいてくれるから、頑張れるんだよ。きっとすぐに分かるよ』


 あの時は軽く聞き流した台詞が、柔らかな玄田の声を伴い、耳の奥で再生される。


 そうか。

 俺だけじゃなかったのか。


 土壇場になるまで、自分だけの恋なのだと、頑なに思い込んでいた愚かさを真白はきっぱりと否定してくれた。あの状態の真白に俺の声が届いたことが、何よりの証拠だ。

 彼女への想いは、とっくに報われていた。

 真白も、俺を必要としてくれていた。



 玄田を助けなければ、と強烈に思った。


 彼女のお陰で、真白と会えた。

 彼女のお陰で、真白の想いに気づけた。

 

 自分のことは誰にも覚えていてもらわなくていい、ただ、妹が生きて幸せになってくれたらいい、とそれだけを願って必死に生きた玄田の深い愛情に、今更ながら圧倒される。

 

 必ず、彼女を取り戻す。

 決意を固めた俺たちにトビオが持ちかけたゲームは、これ以上なく魅力的に思えた。人ひとりの魂を賭けるのに、対価が10年だなんて安すぎるくらいだ。

 真白は最後まで俺を気遣い、渋っていた。

 真白だって賭けの成否に関わらず、何らかの代償を払わされるとトビオは言ったのに。それなのに彼女は、俺のことばかりを気にした。



 淡い光の粒が、ふわり、と最後に大きく揺れ、掻き消える。

 隣には、もう誰もいない。


 あんな悲惨な光景を目の当たりにしたばかりで、その時の俺の神経は麻痺していたんだと思う。

 たかだか10年くらい耐えられる、と根拠もなく信じた。


 トビオは、紛れもなく悪意の天才だ。

 一番厭らしい方法で人の精神を痛めつけてくる。


 俺の心は、5年持たなかった。


 一番キツかったのは、真白が確かに存在していたというあかしがないこと。

 紅も美登里も、真白と玄田のことを忘れていた。

 まるで最初からこの世界にいないみたいだった。

 

 1年目、ひたすら真白が恋しかった。

 寝ても覚めても、彼女のことを思い出す。新たに始まった大学生活は、ひどく味気なかった。淡々と授業を受け、単位を取る。どこにも真白がいない、という事実の重さに打ちひしがれ、カレンダーを眺めては、過ぎ行く時間の遅さを呪った。


 2年目、どうしても我慢できず、真白の家を訪ねてみた。

 天気のいい休日、ガレージで真白のお父さんは車を洗っていた。挨拶をすると、不思議そうな顔で挨拶を返してくれる。

 「娘さんは……」と尋ねると「花香に用事でしたか」と頬を緩めた。

 のろのろと表札を見る。真白の名前はどこにもなかった。


 3年目、大学へ行くのが億劫になった。

 どこにも出かけたくない。部屋でピアノ曲を聴いている時が、一番心が安らぐ。

 真白の音と違う。そう認識することで、彼女の実在を確かめる。俺には必要な時間なのに、麗美さんが煩く口を挟んでくるようになった。

 「今更、母親が恋しいなんて言わないでね」

 ブチリ、とオーディオの電源を落とした麗美さんが呆れた顔で、壁に凭れて座り込んだ俺を見下ろす。

 母親なんて、俺にはいない。

 ピアノは真白を身近に感じさせてくれるから、だから聴きたいだけだ。


 4年目、それでも何とか自分を奮い立たせ、大学へ再び通い始めた。

 真白と再会した時に、無職じゃ格好つかない。

 真白が本当にいるのなら、きっと彼女は俺のところへ帰ってくる。

 滑稽なことに、真白の実在は疑っても、彼女の気持ちを疑ったことは一度もなかった。

 

 前期試験が終わり、しばらく経ったある日。

 俺の就職と婚約についての話をする為、帰国してきた父親を久しぶりに見て、何かがプツリと切れた。

 

 ――『無理くらい、させてよ』


 ――『その二つで優勝したら、蒼がもれなくついてくるんでしょ? じゃあ、頑張らないと』

 

 ああ。

 真白に会いたい。真白に会いたい。真白に会いたい。

 

 「美登里とは結婚できない」と言い張った俺に、父は「付き合ってる人がいるのなら、一度会わせろ」と言ってきた。笑い出さずにはいられなかった。

 会わせたいよ、俺だって。

 だけど今はここにいないんだ。どこにも、いないんだ。

 父は「お前はおかしい」と断言した。

 「向こうの家との顔合わせを済ませ、婚約を正式なものにする」

 彼は頑として譲らず、俺は決断を余儀なくされた。

 「せめてあと1年待って欲しい」と頼み込み、そのまま外へ出る。当てなんかない。ただ、それ以上彼と同じ空間にいることが耐え難かった。

 

 容赦なく照りつける太陽の下、とぼとぼと歩き続け、気づけば真白と初めて会った歩道橋まで来ていた。

 あの時は高かった手すりが、今ではこんなに低い。

 

 ――『あ、ごめん。誰かに似てる気がして、誰だったかなあって考えてた』


 赤いランドセルを背負い、髪を二つ結びにした女の子が、幻のように浮かんでは消える。

 幻だったのかな。

 本当は真白はいなくて、誰かを愛したくてたまらなかった寂しい俺が生み出した幻影だったのかな。

 

 ぼんやり行き交う車を見下ろしている俺の隣に、ふ、と影が差す。

 さっきまで誰もいなかったそこに、金髪碧眼の美形の男が立っていた。


 彼が誰かを思い出した途端、全身の血が逆流した。


「こんにちは、ソウ」

「……あんた――」


 とっさに言葉の出ない俺をみて、トビオはやれやれと肩を竦めた。


「まさか、そっちの方へ煮詰まっていくとは思ってなかったよ。せっかく大学で新しい出会いを準備してあげてたのに! マシロそっくりの可愛い女の子にうっかり絆されちゃったりさぁ。マシロへの罪悪感との板挟みになったりさぁ。そういうの期待してたのに、なにこれ! ソウの絶望は単調すぎて美味しくない!」


 一方的に文句をまくし立てたあと、目を細めて俺をじろじろ眺める。


「このままほっといて、ミドリと結婚させるのもいいかと思ってたけど、きっとすぐに破綻するだろうし、ダメになっても2人とも何とも思わないだろうし、そんなの全然面白くないから、一度だけチャンスをあげる」

「……チャンス?」

「うん。マシロに一度だけ、会わせてあげようか?」


 悪魔の囁きだと頭では分かっていても、縋らずにはいられなかった。

 会いたい! 会わせてくれ! 

 即答し懇願する俺を見て、トビオはにんまりほくそ笑んだ。


「素直な子は好きだな~。そんなキミには、もう一つオマケしてあげよう」

「おまけ?」


 子供みたいにトビオの言葉を繰り返す俺の頭の中は、真白に会えるという希望への歓喜で埋め尽くされていた。他には何も考えられない。


「うん、オマケ」


 トビオは俺の顔を覗き込み、ゆっくりと口を開いた。


「マシロの向こうでの高校生活を見てみたくない?」

「見たい!」

「だよねぇ。じゃあ、マシロがマンホールに落ちる半年前に飛ばしてあげるね」

「……は?」

「キミの存在自体まだ知らない昔のマシロを存分に眺めておいで」


 トビオの言葉に、胸がじくじくと痛み始める。


「おや? いい味になってきた。……そっか! もっといいこと思いついた!」


 トビオはこれ以上ないほど優しい声で、囁いた。


「マシロがマンホールに落ちるのを、止めなきゃいい。キミを覚えてないマシロなんて、いらないでしょ? そしたらマシロをこの世界に、キミとマシロが初めて出会った時間に戻してあげる。またみんなで、小学生からやり直せばいい。ソウの記憶は保持されるから、セーブデータを引き継いでの周回プレイってことになる。きっとすっごく楽しいよ! なんてったって、キミには未来が分かるんだから!」


 すぐには飲み込めず、頭の中で噛み砕く。

 もう一度、最初から?

 真白がここに、戻ってくる?


「……そんなことしたら、玄田はどうなる」

「あー、それ聞いちゃう? 残念だけど、ハナカは消える。あの子の魂はかなり磨り減ってて、こっちの世界への転生にはもう耐えられない。だから、賭けの対象から外していいよって言ったんだ。遊べない玩具を持ってても仕方ないしね」


 あの日トビオがあっさり玄田への不干渉を了承した理由が分かり、砂を噛むような気持ちになった。


「玄田だけ、向こうの世界に残すことは出来ないのか?」

「それは無理だよ」


 トビオは悲しげな顔をつくり、首を振った。


「元々この世界自体、ハナカとの契約に基づいて作った世界なんだ。だから、リセットするならカノジョは呼ばなきゃ。呼んだ瞬間、ハナカの魂は消滅するだろうけど、へーきだよ。ソウさえ黙っていればいい」

「それは、どういう――」

「もう~、分かってる癖に! 世界が巻き戻される、リセットされるってことは、マシロの記憶からコンは消えた状態で戻ってくるんだよ? キミさえ黙っていれば、何の問題もナイでしょ」

「それで、あんたに何の得がある?」


 警告色が頭の隅で激しく点灯してるのに、問わずにはいられなかった。

 ぐらぐらと揺れる弱った心に、トビオの残酷な提案が、芳香をくゆらせ染み込んでくる。


「うーん。強いていうなら暇つぶしかなぁ。マシロの大事な人を奪っておいて、ソウがどういう行動に出るか、ワタシには分からないから観察したい。あれから4年待ったけど、今、ものすごくつまらないから、現状を打破したい」


 トビオは嘘がつけない、と言っていた。

 きっと今言ったことは、本音なんだろう。


 俺さえ黙っていれば、真白を取り戻せる。


 色んな失敗をなかったことにして、今度こそ、彼女を大切に――


 

 そして俺は飛ばされた。

 冬までどうやって暮らせばいいかちゃんと聞かなかったせいで、生き延びるのがやっとという悲惨な状況に置かれるとは、夢にも思わなかった。

 真白が恋しすぎて、たぶん、頭がどうかしていた。


 真白の住んでいる住所も分からない。

 分かっているのは、彼女が落ちるマンホールと時間、そして場所だけ。


 ごめん、真白。

 弱くて、ごめん。


 10年くらい、簡単に待てると思ってた。






 

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