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4.齟齬の始まり

 春休みに入ってすぐの日曜日。

 私たちは蒼のお宅で集まることになった。音頭をとったのは帰国したばかりの美登里ちゃんだ。学校が始める前に改めて顔合わせしたいらしい。私も皆に会うのは久しぶりだから嬉しいんだけど、蒼の家か……。麗美さんがいたら、ちょっとどころかだいぶ気まずいな。

 婚約者の美登里ちゃんと、彼女の私と蒼。やだ、これ完全に泥沼じゃないですか。


 「外のお店で会うのじゃダメなの?」


 一応食い下がってみたものの、彼女は電話越しでもそれとわかる悪戯めいた笑い声を上げて却下してきた。


 『だめよ、それじゃ面白くないじゃない。叔母さまがいらっしゃればいいのにね。ふふっ。どんな顔なさるかしら』

 「もう、またそんな悪趣味なこと言って」

 『あら、じゃあ悪趣味なのは血筋ね。喧嘩を売ってきたのは向こうが先だもの。蒼はとっても頑固だし、マシロに関しては絶対に譲らないって、いい加減叔母さまも学習しなくちゃ』


 麗美さんは美登里ちゃんのお父さんの妹にあたる人だ。その実の叔母に対し、美登里ちゃんはとっても点が辛い。

 形だけとはいえ蒼に婚約者がいるのは、私としても心穏やかじゃないところなんだけど、家格の釣り合いとかどうしようもないことを持ち出されたら、引くしかないってことも分かる。……嫌だけど。でもこればっかりは、変えられない事実だ。

 困って黙り込んでしまった私に気づき、美登里ちゃんの口調は優しくなった。


 『Don't worry. 私はマシロの味方よ。だって私、ホッとしてるんだもの。ソウが壊れなくて済んで』

 「え? どういう意味?」

 『もう、鈍いわねぇ。ん~、でもそこがいいのかしら? 詳しいことはソウに直接聞いてね。あんまりバラしちゃうと、こっちが酷い目に合わされそうだし』


 にぶいわねえ、という言葉にショックを受けましたよ。ええ。前世ではちょくちょく言われてた台詞だけど、まさか今でも? 自分ではだいぶマシになったと思ってたんだけどなぁ。努力だけではいかんともしがたい壁であったか。


 

 そんなわけで、張り切ったお姉ちゃんによる大改造を経て、今玄関で迎えの車を待ってるわけですが。


 「おはよう、ボン子。今日はえらく可愛いね」


 どうして迎えにきたのが、美登里ちゃんじゃなくて、紅なわけ?

 驚きのあまり、陸にうちあげられた魚みたいに口をパクパクさせている私を強引に車に押し込め、紅は水沢さんに「いいよ。出して」と声をかけた。


 「――気のせいじゃなければ、まだ挨拶も受けてないんだけど」

 「おはようございます!」

 「うん、おはよ」


 全くもって以前のままの紅だ。

 あれ? もしかして私、ひとりでとんでもない勘違いしてたんじゃない?

 紅が自分のことを好きだなんて……うわ! まじか! これは恥ずかしい。恥ずかしすぎる。


 「百面相を眺めてるのも楽しいけど、ちょっと落ち着いて、真白」

 「いや、もうほっといて。だってもう。恥ずかしい~。穴を掘らせてください。お願いします」

 「考えてることは大体分かるから言うけど、勘違いじゃないよ。俺は何の気の迷いか真白が好きだった。そして振られた。で合ってるから」

 「エスパー!?」


 頭を両手で押さえて、バッと紅の方を向く。

 彼はくすくす笑いながら、首を振った。


 「お前がわかりやすいだけ。あと付き合い長いから。……なんなら、好きな子のことなら何でも分かるよ、とでも付け加えておく?」

 

 私が蟹なら、今完全に白い泡を吹いていた。断言できる。


 「まあ、からかうのはこのくらいにしとこうか。蒼に殺されたくないしな」

 「っ! ちょ、も!」

 「迎えは美坂さんに言って、代わってもらったんだ。4人で顔を合わせる前に、二人で話しておきたくて」


 青くなったり赤くなったり忙しい私に構わず、紅は急に真面目な顔つきになった。

 ――ん? 4人?


 「学院に入ったら、たぶんお前は窮地に立たされる。これは自慢でも誇張でもなくて、俺たちはあの学校では特殊な立ち位置にいるんだ。言ってる意味、分かるな」

 「アイドル的ポジションってことだよね。知ってるよ」

 「蒼はお前のことを隠すつもりはさらさらない。昔からあいつは周りに冷たかったから、表立ってそのことに反対してくる子達はいないと思うけど、反感は絶対に買う。加えて、俺がお前と親しくしてたら、どうなるか」

 「火に油だね」

 「そういうこと」


 学院のアイドル2人を侍らせ入学してきた鼻持ちならない外部特待生、なんて肩書き、私には荷が重すぎる。想像しただけで、背筋が震えてしまった。昼ドラ展開は絶対に避けたいです。私をピアノに集中させて、頼むから。


 「お前に被害がいかないように、何とかするつもり。だから」


 紅はそこで一旦言葉を区切り、髪をくしゃりとかきあげた。大きな手で隠れて目元がよく見えない。


 「泣くなよ、真白」

 「どうしてそうなった」


 前後の文章が全く繋がってないですよ、紅さんよ。

 急な俺様発言に、ちょっと私どうしていいか分からない。


 「いいから。嫌なこととか辛いことがあっても、蒼や美坂に言ってちゃんと消化しろ。弱ってるところを俺に見せるな」

 「あ、はい」


 これは暗に、紅に頼るなって言ってる?

 にぶい私に分かったのはそれくらいだったので、素直に頷いておいた。


 「はぁ~」


 何が気に入らなかったのか、紅はとうとう俯いて、特大の溜息を吐き出した。そのままがっくりと項垂れている。おい。相変わらず失礼極まりないな。


 「……お前が弱ってたら、どうあっても俺は動いてしまうから。だから、しゃんとしてろってこと。分かった?」

 「急にデレないで!」

 「にぶいお前が悪い!」


 思わず照れて言い返した私にへそを曲げ、紅はぷいっと顔を背け、窓の方へ向いてしまった。

 そうか。これが言いたかったのか。わざわざ迎えに来てまで。


 「ありがとね。高校に入ったら今言われたこと、気をつけるし、ちゃんとする。紅が思ってくれてるのとは違うかもだけど、私も紅が大事だよ。それはずっと変わらないから」

 「――ああ」

 

 窓の外を眺めながら、それでも紅は頷いてくれた。

 私の脳内では【和解成立】の垂れ幕を掲げたもう一人の私が、満面の笑みで仁王立ちした。


 

 


 

 蒼の家に着くと、玄関の前で待ってくれていたらしい蒼が目に入った。隣に美登里ちゃんもいる。こうして改めてみると、すごく絵になる二人だ。完璧に釣り合いが取れている。

 チクリと痛む胸を抑えた私を見て、紅が鼻で笑った。


 「嫉妬してる場合か。蒼の顔、よく見てみろよ」

 「え? 別にいつも通りだよね」

 「お前にはな」


 詳しく追求しようとしたところで車が停まる。水沢さんにお礼を言って、それから2人の方を見た。

 蒼とは毎日のようにメールしてたし、時には電話で話したりしていたから、「こんにちは」「いらっしゃい」くらいの挨拶。ああ、でもこの家に来るのは何年ぶりだろう。

 最後に来た日のことを思い出しながら、美登里ちゃんに声をかけると、彼女は嬉しそうに飛びついてきた。


 「I missed you so so so much!(とっても会いたかったよ)マシロ!」

 「私も。って電話で先に話したから、再会って感じしないけどね」

 「そうだけど、生身は久しぶりだもん」


 美登里ちゃんは髪色をペールグリーンに戻していた。前より大人びてますます綺麗になっている。小柄な彼女が抱き着いてくると、ちょうど顔が私の胸の部分にあたった。くすぐったくて身をよじる私に気づき、蒼は顔を強ばらせた。

 

 「馴れ馴れしいな。いい加減、離れろよ」

 「いいじゃない。自分ができないからって、八つ当たりしないでよね」


 相変わらず仲は悪いらしい。少しだけホッとして、そんな自分に愕然とした。油断すると、すぐこれだ。独占欲の強い所も、前世から変わらないみたいで嫌になる。


 蒼の案内で私たちは、二階の応接間へと通された。

 お茶を運んできてくれた美恵さんとも再会を喜びあい、その後蒼に促され、4人ともソファーに落ち着く。ここにきて私はようやく、欠けている一人について尋ねることが出来た。


 「紺ちゃんは、遅れてくるの?」

 「は? まさか、聞いてないのか?」


 瀟洒なローテーブルを挟んで向かいに座った紅が、ティーカップを持ち上げたまま動きを止める。美登里ちゃんと蒼もどういうことか、と紅に問いかけた。


 「紺は交換留学が決まってる。その準備で、今ウィーンに行ってるんだ。真白には伝えてあると思ってた」

 「わお! じゃあ、青鸞には在籍だけ?」

 「そうなるのかな。詳しいことは聞かされてないけど、合間には戻ってくるらしい」

 「向こうの師は?」

 「ジャン・レイスネル」

 「すごいな」


 驚きのあまり言葉が出てこない私を置いて、みんなが口々に紺ちゃんの前途を祝福した。ジャン・レイスネルといえば、向こうでも指折りのピアニストだ。そんなすごい人に師事できるなんて、素敵なことに決まってる。決まってるんだけど……。


 「なぁに、マシロ。焦っちゃった?」


 茶目っ気たっぷりに話をふってきた美登里ちゃんに、私はゆるく首を振るのが精一杯だった。


 「ううん。ただ……ただすごく急で」

 「ああ、俺もそれは驚いた。だけど、紺自身がすごく乗り気だったから、家族はみんな応援してる。二度と会えないってわけじゃない。そんな顔するな」

 「そうよ、マシロ。飼い主に捨てられた犬みたいな顔しちゃって」

 「美登里、少し黙れよ」

 

 隣に座っている蒼が、励ますように手を握ってくれた。気づかないうちに、すっかり冷え切っていた指がじんわり温かくなる。

 私も大丈夫、というようにそっとその手を握り返した。


 「じゃあ、青鸞に入っても紺ちゃんはいないんだね」


 口に出した途端、言いようのない不安に襲われる。


 紺ちゃんはずっと、高等部の学内コンクールで優勝することを目標にしてたはず。うん、そう。確か、そうしなきゃいけないって言ってた。留学先からその時期に戻ってきて、コンクールに出ればクリアなのかな。紺ちゃんが言ってた蒼ルート、というのは何? サポートキャラは美登里ちゃん。じゃあ、私が蒼と付き合ったことで、紺ちゃんの留学が決まってしまった、とか――それは流石に考えすぎだよね?


 「他にも外部入学の子は沢山いるわ。私もそうだし。何も心配いらないわよ、マシロ」

 「入学のしおりにも大抵のことは載ってるはずだけど、そうだな――」


 私がじっと考え込んだことで、違う心配をさせてしまったらしい。

 

 青鸞のカリキュラムについて、紅と蒼が交互に教えてくれた。

 たとえば、授業のコマは自分で選ぶこと。進級するのに必要な単位を計算して、必須科目以外の授業は自分で選択するらしい。ピアノ科の私だったら、五教科・実技(副科を含む)が必須。

 音楽史・聴音・音楽理論などのソルフェージュは3年間を通じて必要な単位数を取ればいい。体育なんかも、完全に選択科目だ。副科については、亜由美先生からのアドバイス通り、声楽を選択しようと思っていた。蒼達はピアノを選ぶらしい。

 もう一つ普通の高校と違うのは、部活動がないこと。

 授業によっては上級生と同じクラスになることもあるせいか、上下関係は全くと言っていい程厳しくないんだって。


 なるほどね。

 ふんふんと美登里ちゃんと2人、頷いて聞いているうちに、少しずつ不安は薄れてきた。

 私は紺ちゃんを信じてる。それは何があっても揺るぎようがない。この世界でただ一人の同胞。そしてかけがえのない姉なのだ。

 きっと留学のことだって、それを教えてくれなかったことだって、何か理由があるんだと私には信じられた。


  

 「評価や進級はどうなってるの?」


 優雅な仕草で紅茶を飲み終えた美登里ちゃんが質問をする。

 あ、それなら私も知ってる!


 「青鸞の評価は全部で8段階だよ。AプラスからDまである中で、Cを三つ以上の科目で取れば留年決定で、Dは一つでアウトなの」


 中等部まではのんびりしたものなのに、一般入試を受け入れる高等部からは一気に厳しくなるのだそう。やる気満々で難関入試を突破し乗り込んでくる一般生徒に、一部の持ち上がり組は戦々恐々としてるのが現状なのだとか。

 特待生の説明でそれを知った時、一度だけ見に行ったクリスマスコンサートを思い出した私は溜飲を下げてスッキリした。

 適当に音楽をやってる子達が振い落されて、真剣に取り組んでる子だけが上を目指せるなんて、最高な環境じゃないですか。

 まあ、その後すぐに【特待生はどの教科でもA以上を取ることが望ましい】って付け加えられたのには少し腰がひけたけどね。今以上に頑張らなきゃ。まずは学習計画を綿密に立てて……。ふふふ。やりがいありそう。


 「分かってはいたけど、厳しいわね。一緒に頑張ろうね、マシロ」

 「うん!」

 「そういう話になると、急に獰猛になるよな、お前」

 「えっ。そんなことないよ」

 「いや、目が狩りしてる最中の野生動物みたいだった、今」


 なにそれ。実際に見たことあるんかい!……ありそうで怖いな。アフリカ旅行とかで。

 呆れ顔になった紅にしかめつらを返し、救いを求めて蒼の方をみるとニッコリ微笑まれた。うっ。無邪気な笑顔、眩しい。


 「そんなこと、ないよね?」


 小声で確認を取ってみる。

 蒼はちょっとだけ目を細め、


 「そんなところも可愛いよ」


 と仰ってくれました。

 心からの言葉だろうけど! そこは否定して欲しかった!


 「――なに、あの愛しくてたまらないって目つき。あれ、本当にソウ?」

 「美坂さんとは気が合いそうだな」


 美登里ちゃんと紅はテーブルの下で力強く握手を交わし、友情を成立させていた。


 


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