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3.卒業式

 家で待ち構えていた母さんに散々冷やかされ、父さんには「まだ早いと思うな、うん。30歳くらいまでゆっくり考えてもいいと思うな。ほら、平均寿命だって延びてるし」などと言われ、真っ赤になった私はお姉ちゃんを睨みつけた。この密告犯め! 可愛い顔して!

 

 お姉ちゃんは私の視線をものともせず、隠し取りしたらしい蒼とのツーショットを両親に見せ、「美男美女のベストカップルです、いえーい!」とか言っちゃってる。贔屓目の恐ろしさをこうして私は何度でも知るのだ。……その写真、あとで携帯に転送してね。

 

 そそくさとお風呂に入って、部屋に閉じこもる。ようやく訪れた無音にホッと肩の力が抜けたところで、メールの着信に気がついた。

 一通は蒼からでした。出迎えと食事への礼とこれからよろしくって内容の文面の最後は、『おやすみ、俺のマシロ』で締めくくられている。うわあ! 照れる!

 だらしなく緩んでしまう口元を引き締め、何度も迷って結局は「長旅で疲れただろうし、ゆっくり休んでね」と送った。あんまり長くてもどうかなって思ったからだけど、これで合ってるのかどうか無性に誰かに確かめたい。恋愛の達人を出来れば希望。

 

 火照った頬を両手ではさみ、深呼吸してからもう一通のメールを開く。


 『良かったな、ボン子』


 たったそれだけの短い文面は紅からだった。

 そして、今まで彼から貰ったどのメールより短いそれは、水沢さんや執事の田宮さんに代筆させたんじゃないと心から信じられた初めての一通だった。

 大好きだったボクメロの紅様のことを思い出す。本物の紅はゲームとは違って、皮肉屋でひねくれてて俺様……は合ってるか。とにかく理想の人とは大きく違ったけど、なんだかんだで優しくて臆病で私のことを本当に好きでいてくれたんだなぁと、その時ようやく納得できた。

 ボン子呼びさえ懐かしい。気を遣わなくて済むように昔の距離感に戻ってやるよ、ってメッセージだよね? ここにきてただの悪口だったら泣ける。


 『ありがとう。紅のおかげです。何もかも、本当にありがとうね』


 精一杯の想いを込めて、メールを打つ。

 送ろうか送るまいかこれまた迷ったけれど、えいっとばかりに送信ボタンを押した。別れなんて一瞬だ。私はそれを嫌というほど知っている。自己満足に過ぎなくても、感謝の気持ちだけは伝えておきたかった。


 紺ちゃんからは、着信履歴が残っていた。紅からなにか聞いたのだろうか。

 蒼とのことを知った紺ちゃんは、どう思うかな。

 しばらく部屋をうろつき、あらゆる受け答えを想像してみたけど、どれが正解かなんて分からなかった。当たり前だよね。ああ、でも嫌われたくない。彼女にだけは、がっかりされたくない。


 『もしもし、ましろちゃん?』


 息をひそめて待っていると、ワンコールで優しい声が耳を打つ。

 紺ちゃんはいつも言ってくれた。私は真白ちゃんの味方だよって。

 だけど、()()()()としてはどうだろう。自分と恋人の仲をダメにした不肖の妹を許してくれる? 私だけが恋人を作るのを。蒼と幸せになるのを。

 今更どうにも出来ないと分かっていても、消えてくれない罪悪感は私の心をさいなんだ。



 「こんばんは」

 『ふふ。こんばんは』


 どう切り出していいものか口籠っていると、紺ちゃんの方から話題を振ってくれた。


 『蒼くん、帰ってきたんだってね。コウから聞いたよ』

 「うん。紺ちゃん、私ね。蒼と付き合うことになった」


 携帯電話を強く耳を押し当て、何一つ聞き漏らすまい、と息を詰める。


 『ましろちゃん……今、幸せ?』


 少し間を置いて、紺ちゃんがおもむろにそんなことを聞いてくる。それがあまりにも真摯な口調だったから、面食らってしまった。

 だけどここは私も真面目に答えなきゃいけない、と強く感じた。


 「うん。すごく、幸せ」

 『――――そっか』


 しばらく押し黙ったあと、紺ちゃんはポツンとそう言った。

 気のせいかもしれないけど、声が震えていて私はどうしていいのか分からなくなった。紺ちゃん、まさか泣いてるの?


 「ごめん、私。わたし」

 『聞いて、真白ちゃん、違うから』


 軽いパニックに陥りそうになった私を、紺ちゃんの柔らかな声が押し留めた。やはりその声は涙に濡れている。泣かせてしまった。いつも気丈な彼女を私が。


 『トモのことを気にしてるなら、本当にそれは関係ないの。ただ、私はもう真白ちゃんの傍にはいられないと思う』

 「え……なんで」

 『ボクメロのリメイク版のこと、話したでしょう? 蒼ルートのサポート役は私じゃない。美登里ちゃんだって。それに……っううっ』


 ゆっくりとした口調で慎重に話していた紺ちゃんは、急に呻いて、無言になってしまった。慌てて呼びかけても、何の音もしない。さすがにおかしい。混線? まさか――。

 あの茹だるように暑かった夏の日を思い出し、サッと血の気が引く。

 

 「紺ちゃん! 紺ちゃん!?」


 泣きそうになりながら呼びかけていると、急にプツンと大きな機械音がし、再び人の息遣いが聞こえてきた。


 『ごめんね、大丈夫。……嫌になっちゃうね。規制が多すぎて』

 「なに? 紺ちゃん、一体、何を言ってるの?」


 さっきまでとは立場が逆転していた。泣いているのは私。紺ちゃんは、断線の間に何があったのか落ち着き払った様子に戻っていた。


 『これだけは、誓うね。私が絶対に勝つから。だから、安心して真白ちゃんは自分の好きなようにしていいんだよ。そうよ。それだけのことよ』


 彼女が何を言っているのか、私にはサッパリ分からなかった。

 ただ覚悟だけが伝わってきて、その思い詰めたような口調が怖くて、ただ馬鹿のひとつ覚えのように紺ちゃんの名前を呼んだ。こうなってしまった彼女が口を割ることはないと、私は経験上知ってしまっている。諦めるしかなかったが、本当にそれでいいのか分からなくてそれも怖かった。

 二度目の人生、ままならないことばかりです。ヒロインとは名ばかりで、私はただの登場人物その1なんじゃなかろうか。


 彼女が予言したとおり、この後紺ちゃんは私の生活から消えてしまうんだけど、その時だって私はそれがどういうことなのか分かってはいなかった。


 



 紺ちゃんとのこの電話はずっと、喉奥の抜けない小骨みたいに私の心をチクチク刺した。

 それでも時は容赦なく過ぎていく。人生の節目はとかく忙しい。やらなければいけない雑事に追われているうちに、気づけば卒業式を迎えていた。


 朝起きて一番に、窓を開けて空を見上げる。雲ひとつない快晴だ。空気はひんやりと澄んでいる。学校の桜の蕾は、一段と赤く色んだことだろう。

 今日で多田中学校とも松田先生とも、大好きなみんなともお別れだ。

 スーツを着こんだ両親に「あとでね」と手を振り、自転車を引っ張り出してくる。


 「ましろ、おはっよ~」


 ちょうどいいタイミングで、絵里ちゃんが家の前に到着した。


 「おはよ」


 こうして一緒に登校するのも最後なんだ、と考えただけで早くも涙が出そうだった。すっかり感傷的になっちゃってる。


 「ましろと学校行くのが今日でおしまいなんて、まだ実感出来ないなあ」


 タイミングよく彼女が、本当にしみじみとそんなことを呟くもんだから、「お願いします、やめて下さい」と丁重に頼んだ。キョトンとした顔がまた可愛くて、ああ、絵里ちゃん大きくなったなぁなんて思っちゃって、喉がグッと詰まる。お手上げだ。


 式典の最後に三年生全員の合唱があるんだけど、そこで私は伴奏というお役目を仰せつかってる。

 全校生徒アンド父兄の皆様方、並びに来賓・先生方の前で、号泣しながらピアノを弾く、なんてみっともない羽目に陥りたくないんです。


 教室に入った途端、下級生が飾ってくれたんだろう沢山の紙の花と、黒板の『卒業、おめでとうございます!』という文字が飛びこんできた。

 もはや学校全体が、卒業生を全力で泣かせにかかってるとしか思えない。

 早くも涙腺が刺激され、慌てた私はなんとか気をそらそうと頑張った。全く別のことを考えるのよ、真白。なんでもいいから、早く。


 だけど、頭に浮かんでくるのは楽しかった思い出ばかり。

 小学校の卒業式なんて「通過点、お疲れ~」くらいの勢いだったのに、どうしたことだろう。

 うるうるするのを必死で我慢しているところに、先に登校していた咲和ちゃんがやって来て、いきなり飛びついてきた。


 「卒業おめでとう、ましろ」

 「卒業おめでとう、咲和ちゃん」


 お互いに寿ことほぎ合って、ぎゅっとハグする。


 「あ、俺も、俺も!」


 そんな私達を目敏く見つけ、間に飛び込んでこようとした田崎くんは、他の男子に「気持ちは分かるが落ち着け」と羽交い絞めに止められていた。

 そんな光景のいちいちにも、胸が震える。

 田崎くんのいつもの悪ふざけにも泣きそうになるなんて、末期です。


 とうとう始まった卒業式でも、私の意識は「泣くもんか」というその一点に集中させられた。


 いつもとは違うビシっとしたスーツ姿の松田先生が、右手にはハンカチを握っていたこととか。

 校長先生の餞はなむけの挨拶の語尾が、震えていたこととか。

 父兄席の父さんと母さんが、すでに大泣きしていたこととか。


 あるゆる罠をかいくぐり、ようやく式典の締めくくりに辿りつく。


 「島尾さん、そろそろ移動してくれる?」


 担任の先生がこっそり近くにきて出番を教えてくれたので、列から外れ体育館の前方に設置されてるシロヤマのグランドピアノの元に歩いていった。


 「それでは、最後に私達から皆さんへ歌のプレゼントです。聞いて下さい」


 答辞という大役を見事に果たした前生徒会長・木之瀬くんのアナウンスを合図に、鍵盤に両手を乗せる。


 もらった楽譜はシンプルなものだったので、音楽の先生から許可を得てアレンジを加えさせてもらった。

 冒頭の入りとサビの部分に、かなり盛り上げる方向で音を足し、「ほほう、これはなかなか」と悦に入っていた少し前の自分を、今はグーで殴りたい。

 いつもだったら照れが勝っちゃって、真面目に歌わない一部の男子まで、しっかりと声を出している。女子の中には、すでにボロボロ泣いてる子もいた。

 喉の奥から熱い塊がせり上がってきて、気づけばピアノを弾きながら泣いていた。大粒の涙で視界が曇っても、繰り返し練習を重ねた私の指が鍵盤を外すことはない。


 思うように弾けなくて苦しんだ。

 あまりにも楽しくて、このままずっとピアノの前に座っていたい、と願った。

 そんな一日一日の積み重ねの果てに、私は憧れの青鸞学院に入学することが出来る。


 そしてそれは、どんな時も溢れんばかりの愛で支えてくれた家族や先生や友人たちがいてくれたからこそ、だった。


 いっつも飄々としてる真白が泣いたりするから! と後で散々文句を言われた。

 最後まで泣かないよう我慢する予定だったらしい朋ちゃんと麻子ちゃんは、滂沱の涙を私のせいだと言い張ってる。

 「ま……し……ろ、……の……せ、い……で」という彼女らの言葉は、まるでダイイングメッセージのようでした。怖い。



 卒業式の後は、一端家に帰ってから、みんなで遊ぶ段取りになっている。カラオケに行くんだって。

 木之瀬くんや間島くん、何故か田崎くん達まで来るらしい。他校の彼女はいいのか、と咲和ちゃんが問いただすと「そっちとは明日遊ぶから」としれっと答えた為、他の男子にボコボコにされていた。

 最後まで残念な子……。


 「ましろ、写真撮ろうか」

 「わ~、ありがと!」


 そんな私達を微笑ましく見守っていた父さんに声をかけられ、近くにいた絵里ちゃんとポーズを決めると、「私も!」「あ、俺も!」とどんどん人が集まってくる。


 「おじさんのカメラ、本格的っスね~」


 田崎くんが邪気のない笑顔でそんなことを云うもんだから、最初は彼の耳ピアスに眉をひそめていた父さんもつられて笑顔になっていた。母さんも終始微笑んでいる。

 嬉しそうな両親を目にするのは、いつだって喜びだ。前の人生の私は、そんなこと改めて考えようともしなかった。与えられる愛情もお金も環境も、当たり前だと思っていたからだ。

 貰えるだけ貰って何も返さないまま、彼らを悲しみの底へ置き去りにしたことを、忘れた日はない。


 「あとでね、ましろ」

 「うん、バイバーイ」


 自転車にまたがったまま怜ちゃん達に手を振り、そのまま思いっきりペダルを踏む。隣りに並んだ絵里ちゃんが嬉しそうに声を上げた。


 「よーし! 今日は歌うぞ~」

 「絵里ちゃん、歌上手いもんね。そういえば私、カラオケって初めて行くわ」


 前世では友達としょっちゅう行ってたけど、今の私になってからはピアノ一筋だったもんなあ。


 「そうだっけ!? じゃあ、いっぱい歌ってよ。聞きたい!」

 「ごめん、そもそもカラオケに入ってるような歌を知らない」

 「……ですよね」


 聞くだけでも楽しいよ、としょぼくれてしまった絵里ちゃんを慰め、家の前で一旦別れた。





 「お姉ちゃんが帰ってきたら、夜は外に食べに行こうと思ってるから、あんまり遅くならないでね」


 制服からよそ行きの服に着替え、玄関を出ようとしたところで、母さんに声を掛けられた。


 「うん、分かってる。夕食までにちょっとピアノも触りたいし、適当なところで切り上げてくるね」

 「今日くらい、お休みしたっていいのに」


 母さんは呆れ顔で肩をすくめる。うん、でもね。


 クラシックピアノに限らず、楽器を扱う演奏者は一日だって練習を休むことは出来ない。上達する為ではなく、下手にならない為に。

 そしてそれはきっと、死ぬまで続く。そのことが、私には福音のように思える。

 すごく、すごく幸せなことだ。


 


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