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36.バレンタインラプソディ

 トビオを捕獲することには成功したものの、結果的には惨敗だった私たちは、黙り込んだまま寮へと戻った。

 チラついていた雪が本降りになってきたので、どちらからともなく傘をさす。

 すると、広げた傘の分、私と蒼の間には隙間が出来て、それがどうしようもない不安を呼び込んだ。

 寮にたどり着き、玄関の軒先で傘を閉じて、備え付けのビニール袋に入れる。

 周りに誰もいないことを確認し、私を通そうと玄関の扉に手をかけて待ってくれている蒼の胴に、ぎゅっと抱きついた。


「真白……」

「巻き込んでごめんね。ひどい目にあわせて、ごめん!」

「違う、そうじゃない」


 蒼は扉から手を放し、私を両手で抱き返してくれた。


「ちゃんと守れなくてごめん、って俺が言わなきゃ」

「そんなことない!」


 勢いよく首を振り、蒼を見上げる。

 そこにあったのは、強い意思を宿したまっすぐな瞳だった。


「どっかで絵空事みたいに思ってたんだな、たぶん」

「え?」

「真白の話を疑ってたわけじゃないんだ。上手く言えないけど、真白にとってそれが真実ならそれでいい、くらいに思ってた。まさか、本当にあんな化物がいて、真白たちの前世に絡んでたなんて……」


 言いにくそうに何度も言いよどむ蒼に、「分かるよ」と頷いてみせる。

 

 秘密を打ち明けた時、蒼はあまりにもあっけなく全てを受け入れ、更には予想まで立ててみせた。

 あの時は私も興奮してたから気付かなかったけど、蒼は最初から最後まで、現実じゃなく仮定の話をしていたんだな、って今ならよく分かる。


「私も自分のことを全面的に信じてたわけじゃないもん。もうとっくにおかしくなってて、幻覚とか幻聴を本当のことみたいに思ってるのかな、とか。何度も考えたことあるよ」

「……でも、違った。確かに存在してた」

「うん」

「あの化物の契約者は、真白じゃなくて玄田だ。でも玄田を問い詰める手は、使えない」

「うん。紺ちゃんが何も言おうとしないの、ずっと不思議で歯がゆかったけど、当たり前だった。死ぬってなに? こわい……怖いよ! もう絶対、紺ちゃんには何も聞かない!」


 拳を口元に当て、叫び出したい衝動を抑える。

 紺ちゃんは、命綱なしで細い、細いロープの上を渡っていたんだ。

 今までの紺ちゃんとのやり取りを思い返し、心底ゾッとした。発作を起こして倒れるくらいで済んだのは、僥倖だったのか。

 このまま知らずにいたら、先が見えない苛立ちに急き立てられ、紺ちゃんを追い詰めていたかもしれない。私が、花ちゃんを殺していたかもしれない。


「真白、落ち着いて。俺が言いたいのは、今すぐ打てる手はないってこと。あの話は、真白を消耗させる為にわざとしたのかも。玄田が日本に戻ってくるまで、このことはもう考えないで」

「……それでいいのかな」

「それでいい。頼むから、思い詰めないで。約束できる?」


 真剣な表情で顔を覗き込まれ、私は頷いた。

 蒼の言うとおりだ。今の私にできることは、何もない。

 

 ――『今日はこれでオシマイ。ゆっくり考えてね、マシロ』

 

 愛しささえ感じさせる甘ったるい声色が、吐き気を伴い、耳の奥に蘇る。

 出来ることがあるとしたら、きたるべき再対決に向け精神を消耗させないように気をつけることくらい。


「うん、出来る」


 自分に言い聞かせようと声に出して返事をすると、蒼はホッと息をついた。それから身をかがめ、私の目尻にキスを落とす。


「いい子」


 チュッというリップ音のあとすぐ、柔らかいアルトの声が耳元で聞こえた。

 うわあああああ!

 破壊力抜群の囁き声に、膝から崩れ落ちそうになったんだけど、しょうがないよね!? 不意打ち、ずるい!



 蒼の暗示みたいな言葉とキスのおかげで、トビオの実在にそれほど混乱せずに済んだ。

 蒼には助けられてばかりだ。昔は私が面倒みてあげなきゃいけない感じだったのに、すっかり立場は逆転している。

 二人で話し合った結果、紺ちゃんの様子を紅経由でそれとなく聞き出そう、ということになった。

 ただ、ほら。今の紅には親衛隊がついてて、迂闊に私は近づけない。

 蒼と私の付き合いに女子生徒のヘイトを集めないよう、苦心してくれてるのに、それを台無しにするのは駄目だよね。


 というわけで、作戦その一。

 蒼が紅に聞く。


 この作戦は「なんでそんなに紺を気にするの?」という紅のもっともな疑問により、続行不可となった。

 まさかトビオや私達の前世の話をするわけにもいかず、蒼はとっさに言葉に詰まってしまったみたい。その態度がますます怪しく見えたんだろう。

 しまいには「真白と上手くいってないのか?」と見当違いの尋問をされる羽目になったんだとか。


 道理で、紅から意味不明なメールが届いたはずだよ。


 『蒼をもっとちゃんと構ってあげた方がいいんじゃないかな。別にお前らの付き合いに口出すつもりはないけど、ふらふらされると俺も困るから』


 「迷惑だって」とそのメールを蒼にみせると、蒼は苦虫を噛み潰したような顔になった。


 

 仕方ないので、作戦その二。

 私がメールで紅に聞く。


 私と紺ちゃんが仲良しなのも、私が彼女の留学先に手紙を送っていることも紅は知っている。

 なかなか返事がこないからどうしてるか心配で、とぼやく内容のメールを送ると、紅は『分かった。直接真白にメールするように伝えとく』というシンプルな返信をくれた。

 

 ちがう。普通だったらありがたいけど、そうじゃない。

 今度は私が苦虫を噛み潰す番だった。


 そうこうしているうちに迎えたバレンタインデー。

 その日は朝から、学院全体がふわふわと甘酸っぱい空気に満ちていた。

 紅は授業中以外、ほとんど教室にいない。

 紅目当ての女子生徒が、徒党を組んで教室に押しかけてくるからです。クラスメイトに迷惑をかけまいと、紅はあちこち逃げ回ってるみたい。紅のロッカーには、笑えるくらい沢山のチョコが詰め込まれていた。少女漫画みたいな光景だ。

 それもこれも、今日は親衛隊ファンクラブが仕事をしていないから。

 会長の宮路 璃子さん曰く「年に一度の解禁日」らしい。

 紅はマグロか。不憫さに泣けてくる。


 私は週末に実家に戻って手作りしたお菓子を持参し、蒼にプレゼントした。

 蒼も紅の惨状を知っているせいか、浮かない顔をしている。ぎこちない笑顔で「ありがと。すごく嬉しい」と言ってはくれたものの、ぽっかり空いた紅の席をちらちら見ている。

 美登里ちゃんとは友チョコを交換した。

 お昼休み、露草館の食堂で彼女はさっそくラッピングを解き始める。


「可愛い! マカロンね」

「うん。今回、初挑戦だけど味見済みだから、そこそこ美味しいと思うよ」

「楽しみ! コーヒー買ってくるわ。ソウは?」

「俺は帰ってから食べるし、いいや。真白が何か飲みたいなら、まとめて買ってくるけど?」

「私もコーヒー飲みたいし、美登里ちゃんと一緒に行ってくる」


 荷物見ててね、と蒼に頼み、美登里ちゃんと連れ立ってカウンターに並んだ。

 

「それにしても、コウもソウもすごい人気ね」

「うん、ほんと。……ん? 蒼も?」

「ほら、あれ」


 美登里ちゃんが呆れたような眼差しで、くい、と顎をしゃくる。残してきた蒼の周りには、数名の女子生徒が一目でチョコと分かる可愛らしい包みを手に、わらわらと集まっていた。い、いつの間に!


「さすがにマシロが一緒にいる時は遠慮してるみたいだけど、専攻クラスでも凄かったみたいよ。いまのとこ全部断ってるって言ってたけど、ソウにとっての厄日には違いないわね」

「……初等部から皆のアイドルだそうですから」

「アイドル」


 ハッと鼻で笑って繰り返した美登里ちゃんに、乾いた笑みを返す。

 蒼が浮かない顔してたのは、疲れてたからなのね。

 嫉妬するところなのかもしれないけど、相手があまりにも多すぎて、何だか脱力してしまう。

 放課後、蒼は「ごめん、今日は先に帰る。連絡くれたら、練習終わった頃に迎えにくるから」と先に謝ってきた。期末考査に向けて練習室を押さえてあったので、「気にしないでいいよ」と断った。

 試験前になると、練習室を巡る争奪戦は激しくなる。朝一番じゃないと取れないなんてザラだ。今朝は教室へ行く前に実習棟に行ったから、何とか間に合った。


「そんなに遅くならないうちに帰るし、また夕食の時にね」

「それはだめ。何かあったら嫌だから、絶対連絡いれて」


 いつもなら図書室で勉強しながら待っててくれるんだけど、今日はそれが出来そうにないと踏んだんだろうな。お疲れ様です。


「じゃあ、終わったらメールするね。練習室出たとこの休憩ホールで待ってたらいい?」

「うん。すぐ行くから、動かないで待ってて」


 了解、と手を振って蒼を見送り、私は隣のクラスへ向かった。

 涼ちゃんもテストの課題曲を練習したいと言ってたから、自分の分と一緒に予約しておいたんだ。いつもお世話になってるし、返せる時に返さないと。

 涼ちゃんとも友チョコの交換をしながら、実習棟へ渡る。

 

 「予約ありがとね。助かったよ。チョコも手作りってすごいね! 市販のでごめんよ~」「全然だよ。このお店のケーキ好きだし、チョコも楽しみ」


 キャッキャと盛り上がりながら、予約表にチェックを入れ、当番さんに部屋の鍵をもらう。

 ヴァイオリン専攻の課題曲は、二十四のカプリース 第四番。パガニーニだって。難しそう。


「3度と10度の重音がこれでもか! って出てきて、指つりそうなんだよね。はぁ……頑張ってくる。ピアノ科の課題曲は?」

「ベートヴェンのピアノソナタ。四番の第四楽章だよ」

「ああ、あれか~。真白ちゃんもファイト!」

「おうよ!」


 片手でハイタッチを交わし、それぞれの練習室に入った。

 

 気づけば一時間が経過している。

 少し休憩しよう、と椅子を立ち、締め切っていた窓を開けた。途端に、2月の冷たい空気がぴゅうと髪をなぶる。部屋は暖房が効きすぎていたから、その冷たさが逆に心地よかった。


 窓枠にもたれかかるようにして、外を眺める。

 今日は上の方はわざと見ないようにした。またどっかの建物のてっぺんにトビオがいたら嫌だもん。

 ここから眺められるのなんて、先生たちの駐車場になっているバックスペースくらいなんだけどね。見るとはなしに、下を覗くと、ちょうど裏口から紅が出てくるのが見えた。

 なんというタイミングの良さ!

 

 素早く辺りを見回し、彼しかいないことを確認して「紅!」と声をかける。

 びくっと長身をすくませた紅に、再び悲しくなりました。今日、どれだけ追い回されたの。


 すぐに私に気づいた紅は、目の上に片手でひさしを作り、眩しげにこちらを見上げてくる。

 お疲れ様です、の意味を込めて敬礼ポーズと取ると、紅は苦笑をこぼした。3階にある練習室から一階まで、さほどの距離はない。

 

 ちょうどいいや。ここから投げよう。


 ちょっと待ってて、と両手を下に何度か動かしてジェスチャーし、スクールバッグから2つの小箱を取り出した。

 母さんとお姉ちゃんから、義理チョコを預かってきてるんです。

 なぜか彼女たちは、毎年紅にチョコをあげてるみたいだった。……お返し目的ではないと思いたい。

 隙を見てロッカーに突っ込めばいいや、と気楽に考えて持ってきたけど、とてもじゃないが入りそうになかったし、隙などなかった。


 窓から箱を見せ「母さんとお姉ちゃんから!」と言うと、紅は納得したように頷いている。

 よし。説明終わり。投げていいな。


 と思ったのは私だけだったみたいで、一つ目の箱を投げると、紅はびっくりしたのか反応が一瞬遅れた。あわや落としそう、というところで、掬い上げるように片手でキャッチする。


 おおー。ナイスキャッチ。

 パチパチと両手を叩いてみせる。

 紅は口を開いたけど、ここで大声を出したら、また見つかると思ったんだろう。

 人差し指で私を指すと、怒ったような足取りで裏口へ戻っていってしまった。


 ……あーあ。もう一個あるのに。


 お姉ちゃんからの分は私が食べて、私がお返しするのでいいかな。

 さすがに開けっ放しで寒くなってきたので、指に気をつけながら窓を閉め、再びピアノに向かった。

 一曲終わらないうちに、練習室の扉が開き、すぐに閉められる。

 入口には、走ってきたせいで前髪がぴょこんと跳ねてる紅が立っていた。


「練習始めてたのか。悪い」

「いいよ、いいよ。ノックする余裕ないの分かるし。誰にも見つからなかった? 直接喋るの、久しぶりだね」

「ああ、……じゃない! お前、食べ物を投げるなよ!」


 わざわざどうしたのかと思えば、どうやらお説教しにきたらしい。


「ごめん。ラッピングしてあるし、いいかな? って」

「よくない。あと、投げるなら投げるって言え」

「言ってなかったっけ」

「言ってない!」

「ごめん、ごめん」


 えへへ、と愛想笑いしながら両手を合わせる。

 ついでとばかりに立ち上がり、譜面台の隣に載せておいたもう一つの箱を「こっちはお姉ちゃんから」と差し出した。


「……ありがとう」


 渋面を作りながらも、律儀にお礼を言って受け取ってる。

 こういうところ、育ちがいいよな~ってしみじみ思う。


「お前からは?」

「ないよ」

「義理も!?」

「私から義理チョコなんて貰ってどうするの」

「……それもそうだな」


 でしょ。はい、論破。

 

「蒼は?」


 改めて部屋を見渡し、不思議そうに聞いてくるので「先に帰ったよ。終わったら迎えに来るって」と説明した。


「そうか。水沢が来るまで休憩させてもらおうかと思ったけど、蒼に悪いから行くわ」

「今の時間だと混んでるだろうし、30分はかかるんじゃない?」


 チラ、と制服の袖をめくって高そうな腕時計を確認すると、紅は「だな」とため息混じりに答える。


「いいよ。練習する音、我慢できるなら休んでって」

「……本当ににいいのか?」

「そんな疲れた顔してる人、寒空に放り出せないでしょ」


 つい、小さい子供に言い聞かせるような口調になってしまう。

 紅は気が抜けたように、コクンと頷くと、壁際に向かい、そこにずるずると背中を預けて座り込んでしまった。脇にバッグと楽器ケースを置き、軽く畳んだコートをその上に載せる。


「制服汚れちゃうよ。パイプ椅子出しなよ」

「ここでいい。いいから、さっさと練習しろ」

「はいはい」


 相変わらずの俺様っぷりに懐かしさを覚えながら、ピアノの前に戻る。

 中盤の音数が多い部分をなめらかにしよう、と反復練習に没頭しているうちに、いつの間にか紅は消えていた。出て行ったのにも気づかないほど集中していたみたい。


 彼が座っていた壁際へ近づき、同じように座ってみる。

 

 あ、ここからだと私が全然見えないんだ。

 だからここが良かったんだね。


 本当は一人になりたかったんだろうな、と納得し、私は蒼に「終わったよ」メールを打つべく、携帯を取り出した。練習室を出てすぐ、自分の犯した失敗に気づく。


 ああ~、せっかく紅と会えたのに!

 紺ちゃんのこと聞くの忘れた!



 



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