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35.真白VSトビオ

 実家には大晦日とお正月の三日間だけ帰り、あとは寮で黙々と課題をこなした。

 大掃除のお手伝いやら初詣やら、久しぶりの実家生活は楽しかったけど、父さんの顔をまっすぐに見られなくて困った。お姉ちゃんは私のつけているイヤリングを見て「クリスマスプレゼントかな? 蒼くんの本気が窺える一品だねぇ~」なんて呟いていたから、勘付かれてしまったかもしれない。

 大切な家族に秘密を持ってでも、蒼を受け入れたかったんだから、多少の後ろめたさはしょうがないよね。後悔はしていない。


 蒼は久しぶりにお正月を日本で過ごす蒼パパに呼ばれ、ずっと家に帰っていた。

 メールは毎日やりとりしてたけど、時々電話もかかってきて、その日蒼は疲れきった声で弱音を吐いた。


 ――『毎日、麗美さんとあいつと三人でいるの、耐えらんない。麗美さんにも俺にも外出禁止令出して、一体何がしたいんだか。今更家族ごっことか、どう考えても手遅れなのに。助けて、真白』

「うわぁ……。で、でも麗美さんは喜んでるんじゃない? 旦那さまがお休みに家にいてくれるの」

 ――『いや、全然。私に構わないで下さいオーラすごい。あれをスルーして普通に話しかけてる親父の心臓、どうなってんのって感じ』

「……それはきついね」

 ――『だろ? 今日なんてあいつ、「島尾さんとは会わないの? 家に呼べばいいのに」とか言い出してさ。麗美さんは「いい加減にしてください」ってキレるし、もう最悪だよ』

「ごめん。ちょっとその修羅場に参入する勇気はないかな」

 ――『うん、俺もすぐに断った。きっとロクでもない話になるに決まってる……はぁ、疲れた。早く真白に会いたい』

「私も。でも、あとちょっとで学校始まるから、頑張って!」

 ――『ありがと。つまんない愚痴、ごめん。真白はこんを詰めすぎるなよ』


 電話を切ったあと、私はしばらく余韻に浸った。

 こういう話を今まで蒼の方から振ってくれたこと、なかったんだよね。距離が近づいたんだなって嬉しくなる。蒼パパの謎の行動は、私にも分かりません。考えても分からないことは、ほっとくに限る。

 ベッドに飛び込み、べっちんを胸に抱き、「早く会いたい、だって! だって!」と叫びながら、ごろごろ転げ回った。……ふう。スッキリした。勉強しよ。


 

 短い中にもいろいろあった冬休みが終わり、学校が始まってすぐ。

 私と蒼は、ついにトビオを目撃した。

 

 授業が終わって、放課後どうする? 練習室、寄ってみる? なんて話をしながら美登里ちゃんと三人で教室を出た時のこと。

 私は何の気なしに、つと視線をあげ、窓の外を眺めた。

 二階の廊下からは、大聖堂の大屋根がちらりと見えるんだけど、なんとその屋根のところに、人がいたんですよ!

 今は、一月。外は雪がちらついているというのに、その人はコートも羽織らずスーツ姿で屋根の端に腰掛け、足をぶらぶらさせていた。

 あまりに現実味に薄い光景に、思わず目を擦る。

 金色の髪と男性だってことしかここからじゃ分からないけど、あんなこと出来そうな人、一人しか思い浮かばない。


「蒼、あれ!」


 蒼の腕を掴んで足を止めさせ、窓の外を指差す。

 美登里ちゃんも不思議そうな表情を浮かべて立ち止まり、同じ方向を見た。


「……嘘だろ」「なあに? 何が見えるの?」


 二人の声は同時に上がった。

 蒼は窓を開け放ち、窓枠に手をつき身を乗り出す。真剣な顔で目を凝らしたかと思うと、唖然とした様子で「理事長?」と呟いた。やっぱりそう見えるよね。


「え? どこ?」


 美登里ちゃんもすぐ隣の窓に張り付いたので「あそこ。ほら、大聖堂の屋根のところ」と指さした。

 ところが彼女は素直に指差す方向を見たものの、すぐに苦笑しながら私を振り返る。


「いやね。からかってるの? 誰もいないじゃない」

「……美登里ちゃんには、見えないの?」


 男は、まだ屋根の上にいる。金の髪が沈みかけの太陽を写し、ところどころ赤く輝いている。

 あんな目立つところに人が座っているのに、それが見えない、なんてことある?

 驚きすぎて、なんて返事をしていいのか分からない。口を開け閉めしてる私の手を握り、蒼はいきなり走り出した。


「悪い、俺ら用事が出来た!」

「ソウ!?」

「ごめんね、美登里ちゃん。また明日!」


 あっけに取られている美登里ちゃんに手を振り、私も大きく足を踏み出す。

 まだちらほら残っている生徒たちの間を縫うようにして駆けながら、「どこに行くの?」と聞いてみる。


「先に理事長室。それから、大聖堂」

「二手に、分かれた方が、よくない?」

「真白を危険に晒したくない」


 蒼のスピードについていくのが精一杯だったから、短く頷き、とにかく走ることに集中した。集中しないと足がもつれて転んじゃいそう。

 途中ですれ違った何人かの先生に「廊下は走るな!」って注意されたけど、それどころじゃないんです。ごめんなさい!


 理事長室にたどり着いた頃には、私はみっともなく息を切らしていた。

 いつも通りの蒼を恨めしげに見遣りながら、なんとか扉をノックする。


「誰かな?」


 中から聞こえてきたのは、確かに理事長の声だった。

 蒼はすばやく扉を開け、びっくり顔のトビーを確認すると、すぐにまた扉を閉めた。

 ピンポンダッシュの変形バージョン?


「いるな。次は大聖堂だ。気づかれないよう、裏手から回ろう」


 蒼は早口で言って、すぐに踵を返す。

 うう。また走るんですね。明日からジョギングを日課に加えようかな。もっと体力と持久力をつけなきゃ、トビオは捕まえられない気がする。


 今度は下足室を通って外に飛び出し、傘立てから自分たちの傘を抜き出し手に握ったまま、いつも通る音楽の小道とは逆方向に走った。

 建物の間を通り抜ける際に垣間見える大聖堂の屋根の上には、まだ男の人が座っている。


「真白、大丈夫?」

「あん、まり、だいじょうぶ、じゃ、ない」


 すっかり上がってしまった息のせいで、返事もろくに出来ない。

 蒼は桔梗館の裏までくるとようやく足をとめ、私の背中をさすってくれた。傘を杖がわりに、背中をまるめて呼吸を整える。


「気づかれたら逃げられるかも。先に確認しよう」


 蒼の提案にこくこく、と頷き、コンクリートの壁からそっと顔を出してみた。

 ああ、だめだ。

 距離はさっきよりうんと近づいたけど、ここからじゃ背中しか見えない。


「どうしよう、蒼」

「大聖堂の屋根なんて、どうやったら登れるのか見当もつかないしな」

「ほんとそれ。どうやってあそこまで行ったんだろう、あの人」

「……ここからなら大声で叫べば、声は届きそうだよな」

「そっか。こっちを向かせて、顔を確認するんだね」


 蒼が頷くのを見届け、私は数歩前へ出て、すぅと大きく息を吸い込んだ。


「そこで、なにしてるんですかぁ!?」


 声楽の授業で習った腹式呼吸で、腹の底から出せる限りの声を絞り出す。

 隣の蒼もたじろぐぐらいの大声に、屋根に座っていた男の人は文字通り飛び上がった。

 ものすごい勢いでこちらを振り返り、きょろきょろと辺りを見回しているその人は、どこからどう見ても、ついさっき在室を確認したばかりの理事長だ。

 

「まじかよ……」


 信じられないといわんばかりの蒼の口調に、激しく同意する。

 錯覚じゃなかった! トビオはちゃんと実在してた!


 上の方ばかり見ていたトビオは、ハッとしたように身を乗り出し、私たちを見下ろした。

 まず私を見て、とてつもなく嫌そうに美しい顔を歪め、それから私の隣の蒼を見て、今度は両手を持ち上げて綺麗な髪をぐしゃぐしゃにかき回した。

 前見た時と同じく、非常にエキセントリックな方です。


「降りてきて下さい。話があるんです!」


 蒼も大きな声で呼びかける。

 そうだよ。聞きたいことは山ほどある。

 

 あなたは一体、誰?

 どうして私の顔を見て、あんなに驚いたの?

 『今はまだダメ』ってどういう意味?

 あの指で枠を広げる仕草は、なに?

 紺ちゃんが理事長攻略に拘ることと、あなたが理事長そっくりなことに、因果関係はあるの?


「やだね! べーだ!」


 ところがトビオは、私たちに向かってなんと舌を出してきた。

 更にいーっと歯を剥き出しにして、鼻に皺を寄せている。


 ……間違いない。この人は理事長じゃない。


 こんな顔、あの美意識高い系が、死んでもするわけない。


「は? なに、あいつ」


 蒼のポカンとした顔を横目で確認し、ですよね、と深く頷く。ほんと、なにあいつ。


「じゃあ、降りてこなくてもいいから、答えて!」


 今度は私が叫ぶと、トビーは危うい足場なんか全く気にならないというように、すっくと立ち上がった。悲鳴をあげそうになったのはこっちの方だ。落ちるかと思った。


「それは取引?」


 理事長そっくりの声で、問い返される。

 は?

 今度は私が呆れ声を漏らす番だった。

 取引って、なに。どういう意味。わけがわからないことばかりで、次第にむかっ腹が立ってくる。

 全力疾走したのと大声を出したせいで、肺は痛むし、膝はがくがくするし。

 全部あんたのせいじゃないか。

 腹立ちに任せて「そうだ」と答えそうになった私の口を、蒼が慌てて塞いできた。


「仮定の話を思い出して、真白。安易に答えるのは危険だ」


 ……そうだった。

 この人、人間じゃないかもしれないんだ。

 紺ちゃんの取引相手かもしれない人に、簡単に頷いていいとは思えない。

 唇を舐め、ちょっと考えてから首を振る。


「あなたとは今は、何の取引もしない。ただ、聞きたいだけ。あなたが知っていて、私が知らないことを」


 トビオは、私の返答に目を見張り、それから忌々しげに舌打ちした。

 これだけ距離があるのに、舌打ちの音が聞こえたことを疑問に思った次の瞬間。

 トビオは、すぐ目の前にいた。


 突然の出来事に、私も蒼も動けない。

 ただ、ありえない現象に息を飲むことしか出来なかった。


「小賢しいな、ニンゲン風情が。これ以上、苛々させないでよ」


 トビオは、真っ青な瞳を剣呑に光らせた。

 紛れもない怒りがそこにはある。

 知らないうちに一歩後ずさった私の肩を、蒼が庇うように抱き寄せた。


「で? 聞きたいことってなに? 答えられないこともあるけど、それはワタシのせいじゃないから」

「――お前は、一体なんなんだ」


 蒼が代わりに口を開くと、トビオはゆるく首を振った。


「おまけに発言権はないよ。()()


 右手の人差し指を持ち上げ、軽く横に振る。

 たったそれだけで、蒼はグッと息をつまらせた。何度も咳き込み、苦しげに身体を折り曲げる。ヒューヒューと喉が鳴った。


「蒼!? 蒼!!」


 その場に落ちた蒼のスクールバッグと傘に、血の気が引いた。

 慌てて彼の背中をさすり、抱きしめる。私の腕の中で、蒼は喉元を両手で押さえながら、がくがくと痙攣した。


「なにしたの!? すぐにやめて!」

「それは取引?」

「違う! このままじゃ話が出来ないから言ってるだけ!」

「チッ」


 トビオが人差し指をもう一度振ると、蒼は大きく息を吐き出し、何度も深呼吸を繰り返す。


「大丈夫?」


 泣きそうになりながら蒼の背中を何度も撫でる。

 蒼は小さく頷き、大丈夫だ、とごわごわの声で答え、生理的な涙が滲んだ瞳で見上げてきた。まだ苦しそうで、片膝をつき蹲ったままだ。


 こわい。

 これ以上、ここに居たくない。

 すぐにでも蒼をひっぱって逃げ出したかったけど、脳裏に浮かんだ紺ちゃんの笑顔が、私をその場にとどまらせた。


「あなたはなにもの?」


 みっともなく声が震えてる。っていうか、全身が震えてる。

 じんわり涙まで浮いてきて、格好悪いったらない。だけど目の前にいる人が、ううん、生き物が、何かとてつもない存在に思えて怖かった。


「ある意味なにものでもあるし、ある意味なにものでもない」

「あなたは、人間?」

「まさか。ゾッとする質問はやめてよ」

「じゃあ、あなたは、神様? それとも悪魔?」

「ふっ……ふはははははははっ! 馬鹿みたいな質問! 人間の考えた宗教なんてワタシには何の関わりもない。答えはノーだよ。箱庭のお姫様」


 おかしくてたまらないと言いたげに腹を抱え、大げさなジェスチャーつきで哄笑するトビオを見ているうちに、震えは止まった。

 負けず嫌いの粘着魂に、火がついた瞬間だった。


「なにものでもあり、なにものでもない存在のあなたが、この世界に私を呼んだ?」


 傘の柄を左手に持ち替え、きつく握り締める。傘の先を舗装されていない柔らかな地面に突き刺し、ゆるゆると立ち上がった。

 その場に仁王立ちし、まっすぐトビオを見据える。

 

 私の反応がよほど予想外だったのか、トビオは訝しげに目を眇めた。


「呼んだとはいえない」

「転生させた?」

「転生はさせていない」


 嘘つけ、この野郎! と毒づきたいのをこらえ、アプローチを変えてみる。


「あなたは、玄田 紺を知っている?」

「……知っている」

「竹下 花香を知っている?」

「……知っている」


 全身が総毛立つ。

 花ちゃん――!!


「竹下 花香はあなたと契約を結んだ?」

「……結んだ」

「契約内容は?」

「説明義務はない」

「私をこの世界で生かすことは、契約に入っている?」

「説明義務はない」

「花ちゃんが賭けたものは?」

「説明義務はない」

「理事長の攻略方法ってなに?」

「説明義務はない」

「学内コンクールでの紺ちゃんの優勝は、必須イベントなの?」

「説明義務はない」


 壊れたレコードのように同じ答えしか繰り返さなくなったトビオは、終始私を睨みつけていた。

 目力で人が殺せるとしたら、私は質問の数だけ死んでいたと思う。


「もう次で最後にして。飽きてきた」


 トビオの低い声が発する警告に、後がないことを悟る。

 私はしばらく考えてから、ゆっくりと口を開いた。


「紺ちゃんは、理事長を攻略できなかったら、どうなるの?」


 トビオは、それはそれは嬉しそうに唇の端を持ち上げ、退廃的な笑みを浮かべた。


「どーしよっかなぁ。コンとの間に結んだ契約内容の話だから、今は説明しなくてもいいんだけど、言っておいた方が面白いかなぁ。どう思う?」

「……教えて下さい」

「ふっ。あははは! 悔しそう~。いいね、その顔。屈辱でたわめられてるだけで、心はまだ折れてない。そういうの、大好き!」


 蹲っていた蒼が勢いよく立ち上がり、トビオに向かって行こうとするのを、右腕を広げて制止する。無言のまま彼を見上げ、目を逸らさずに首を振った。


 トビオは蒼のことを「おまけ」と呼んだ。

 きっとまた、酷い目に合わされる。


「そうそう、役立たずの騎士ナイトは引っ込んでてよ。ワタシの相手はこの小娘なんだから」

「教えて下さい」


 トビオの台詞にかぶせるように、もう一度繰り返す。

 ぎりぎりと奥歯を噛み締め、私も負けずに睨み返した。


 トビオはじっと私を見つめ返し、それからおもむろに口を開いた。


「理事長攻略に失敗したら、コンの生と絶望は、ワタシの餌になる」


 ああ。

 やっぱり、そうなんだ。

 花ちゃんは、自分の命を、賭けたんだ――。


「今日はこれでオシマイ。ゆっくり考えてね、マシロ。コンを生かしたければ、どうするのが正解なのか。あ、言っとくけど、コンには守秘義務があるからね。あの子を揺さぶって聞き出そうとしてもムダだよ。万が一全部ゲロっちゃったら、その瞬間、コンは死ぬからねー」


 無邪気な微笑と呪いの言葉を振りまき、トビオは忽然と姿を消した。

 

 あとに残された私と蒼は、それまで彼が立っていた空間を無言で見つめた。






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