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21.春冬祭(中編)

「残ってるやつ、そろそろ中入れ~。食堂閉まるぞ!」


 玄関の方から聞こえてきた男子寮の寮長さんの大声で、私たちの金縛りは解けた。


「だって。行こっか」


 蒼は、声だけ明るかった。

 あの冷たい人形みたいな表情で、私の手を引いたまま踵を返す。慌てて着いて行きながら、何て言えばいいか目まぐるしく考えた。


「蒼……さっきのって」

「理事長と森川理沙の仲に後から割り込んできたのが、うちの親父って話みたいだな」


 自嘲に満ちた声色で、蒼はハッとひとつ笑う。


「尻軽な母親ってだけでもキツいのに、略奪とかホント勘弁しろよって感じ」

「違うかもだよ。別れた後に、新しい出会いがあってとか――」

「もういい」


 蒼は立ち止まり、空いている方の手でくしゃりと前髪をかきあげた。

 「もう、どうでもいい。いつまでも親離れ出来ないガキのままでいるなんてゴメンだ」と吐き捨て、それから私をみおろす。静か過ぎるくらい静かな瞳で。


「それに今の俺には真白がいる。だろ?」


 急に怖くなった。

 蒼への愛情が揺らいだわけじゃない。そうじゃなくて、私が突然死んだりしたら、蒼はどうなっちゃうんだろうって。縁起でもない想像が脳裏をよぎる。

 絶望する彼を受け止めてくれる保険が欲しい。紅や美登里ちゃんはきっと見捨てないでいてくれるだろうけど、蒼の方が拒絶する可能性だってある。

 前世の記憶がギリギリと喉元を絞り上げてくる。

 あのうっかり死は突然過ぎた。皆、ものすごくビックリしただろうな。散々泣かせてしまったかな。でも時間さえ経てば、また笑えるようになったよね? いつまでも引き摺ったりしなかったよね?

 紺ちゃんの笑顔を思い浮かべ、細長く息を吐き出す。


「私以外にも沢山いるよ。紅だって、美登里ちゃんだって。蒼は素敵だもん。これから新しい出会いだっていっぱいあるよ」


 蒼にも等しく世界は開けている、と言いたかった。

 だって私たちはまだ高校生だ。先の方が長い人生の中で、沢山の人と出会っていく。ソリの合わない苦手な人にへこまされることもあるだろうし、逆に大好きな人と幸せな関係を築くこともあるだろう。

 自分から閉じてしまわないで、と伝えたかった。

 蒼が死んだら、私は泣く。半身を引き裂かれる痛みに、大きすぎる喪失に、のたうち回って泣く。彼を忘れることは一生ない。だけどきっとまたいつかは、誰かを好きになる。


 黙って私を見つめていた蒼は、やがて苦しげに眉を寄せた。


「いらないよ。誰もいらない。真白だけでいい」


 どこまでも平行線なんだ、と思った。

 愛おしさとはまた別のところで、かたくなな蒼に言い知れぬもどかしさと不安を覚える。

 ついさっきまで空を染めていた温かなオレンジと群青のマーブル模様は、いつの間にか真っ暗な闇に塗り替えられていた。




 春冬祭当日がやってきた。

 寮生限定のお祭り、ということになっているけど、寮外の友人用にチケットを貰ってる子も多い。その場合、誰に渡すのか先に申告しなきゃいけないという決まりです。

 音楽の小道のところと、外門の二箇所。寮に繋がる二つの出入り口に係を配置し、入場者のチケットと名簿を照らし合わせてチェックする。不審者が紛れ込むのを防止する為だって。寮は私たち生徒の生活の場でもあるし、変な人が簡単に入って来られるようじゃ怖いよね。


 黄色のスタッフTシャツにジーンズ姿、という揃いの格好の寮生で溢れている食堂。

 ひと目でスタッフだと分かるように、今日は実行委員のOBの皆さんも同じ格好をしている。一緒に朝食を食べていた涼ちゃんに「真白ちゃんのとこは、誰が来るの?」と尋ねられた。


「家族にはチケット送ったよ。後は、美登里ちゃん。涼ちゃんは?」

「うちは来るなら泊まりで来なきゃいけないから、今回はパスだって。クラスの子にもあげてないや。プレミアチケット並に皆欲しがるんだもん。割り当ては4枚しかないし、下手に選んで渡すと後で揉めそうで」

「ええ~、そうなの?」


 初耳だ。

 そもそも、寮生は外部入学生が殆ど。

 持ち上がり組である内部生とはお互い変な対抗意識を持ってるらしい。だから、寮祭に遊びに来る内部生は毎年すごく少ないって聞いていた。

 今年に限って大人気ってこと?

 驚いて聞き返すと、涼ちゃんは「えーっと」と言葉を濁し、チラと蒼の方を窺う。


「紅が来るからか。それにしても、そういう情報回るの早いね」


 物言いたげな涼ちゃんの視線を受け、蒼が口を開く。私はさらに驚いた。

 初耳二回目!


「もしかして、蒼がこ……成田くんにチケットを?」 


 コクリと頷き、蒼は形の良い鼻に皺を寄せた。不本意極まりないって顔。


「言いだしたら聞かないんだよ、あいつ。謹慎中に借り作ったから、返さないわけにもいかないし」

「やっぱり城山くんが招待したんだね。ファンクラブの皆が、それ聞いて私も、私も! になっちゃってさ。すごかったよ」

「したくてしたんじゃないから。……まさか、高野さんも紅のファンクラブに入ってるの?」


 蒼の問いかけに涼ちゃんは何故か身を縮こまらせ、小声で「はい」と答える。


「へえ」


 たったそれだけの相槌に、沢山の意味を込められるのは蒼の特技だと思う。悪い意味で。

 「顔ファンです。ごめんなさい」としょぼくれる涼ちゃんの背中を撫でながら蒼を睨むと、ぷいとそっぽを向かれた。あらら。これはかなりご機嫌斜めだ。

 ただでさえ目立つビジュアルしてる紅。

 ファンクラブのお嬢様方を従えた院長回診! みたいにならなきゃいいけど。


 涼ちゃんは可哀想なほど一生懸命ロールパンを口に押し込み、逃げるように去っていった。

 集合時間に間に合わないからとか何とかもごもご言ってたけど、後からスケジュール表を確認すると予定より1時間も早い。


「蒼?」

「何にも言ってない」

「へえ、って言い方が感じ悪かった!」

「気のせいだろ」


 いつもなら素直に謝ってくる蒼なのに、拗ねた表情を隠そうともしない。

 よっほど昨日のことがショックだったんだ。私は表情を和らげ、蒼の頭を撫でてみた。

 嫌がるかと思ったけど、蒼はふにゃりと頬を緩める。うわ。か、可愛い。


「大好きだよ。私には蒼だけだし、針鼠みたいに警戒しなくても大丈夫」

「……なんで分かるの」

「分かるよ。蒼のことだもん」


 紅が寮祭へ来たがる理由を邪推して、蒼はピリピリしてるんです。

 理事長と森川さんの間に城山恭司さんが割って入って、ってあのどこまで本当だか分からない話を耳にしたせいで余計。

 やきもちですよ。ホントなんなの。私のトキメキのツボを抉り取る勢いでぐりぐり押してきやがる。

 よく考えてみれば、天使みたいに綺麗な少年がトビーだとは限らないんだけどね。……いや、でもそれだと泥沼感が更に増すか。トビーでいいや。


「それに、成田くんは蒼目当てだと思うな」

「は!?」


 ギョっとした蒼に、にんまり笑みを浮かべてみせる。


「からかう気満々で来るってこと」

「……真白も面白がってるだろ」


 朝から疲れた、とぼやく蒼を引き摺るようにして食堂を後にする。急いで準備して持ち場に向かわなきゃ。


 私たちの受け持ちは、午前中の射的の屋台。

 13時から15時までが自由時間で、15時からは劇の準備に入る予定です。

 

 寮の外に出てすぐのところに設けられている円状のステージからは、アップテンポにアレンジしなおしたサティのジムノペディが聞こえてくる。

 第1番には『ゆっくりと苦しみをもって』って意味の副題がついてるのに、楽しげに奏でられるそれは『明るく軽やかに』だ。亜由美先生が聞いたら、卒倒しちゃうかな。それとも「こんなサティもいいわね」って笑うかな。

 この円形ステージでは朝から15時まで、ミニコンサートが繰り広げられることになってる。

 飛び入り参加ももちろんOK。弾きたい人は係りの人が管理してるウェイテングリストに名前と楽器、そして演奏したい曲を書き込む方式です。リストを覗いてみると、すでに沢山の名前が書かれている。


「みて、蒼。クラシックギターの人がアランフェスでエントリーしてるよ。まだトランペットがいないみたいだけど、埋まるといいなぁ」

「本当だ。ペット専攻は寮生にも多いし、埋まるんじゃないか」

「自由時間にタイミング合ったら、聴いていってもいい?」

「いいよ。俺もアランフェス、好きだし」

 

 そうなんだ! 仲間発見、とばかりに私が両手を掲げると、蒼も笑いながら両手を合わせてくれた。

 非日常的なお祭り騒ぎの空気に、すっかり浮かれちゃってる。

 ハイテンションのまま、受け持ちの屋台に到着。

 私たちの後すぐに、山茶花寮インヴェルノの先輩と皆川さんがやってきた。

 皆川 栞さんは同じクラスのトランペット専攻の子。入学式に話しかけたかった、関西出身の女の子だ。彼女は幼馴染だというピアノ科の上代くんといつも一緒に行動してるから、なかなか隙がない。あれからも挨拶程度の関係です。


「今日はよろしく。ヴァイオリン専攻の久保くぼ タクミです。女の子は気軽にタクミ先輩って呼んでね」

 

 久保先輩は会うなり、爽やかかつ非常にチャラく、自己紹介してくれました。

 食堂で何度か見かけたことはあるけど、直接話すのはこれが初めてだ。女子寮にも彼に憧れてる一年生が何人かいたはず。

 なるほどなぁ。優しそうだし、いかにも年上っぽいし。人気あるの分かるな。


「ピアノ科の島尾です」「トランペット専攻の皆川です」「どうも」


 一人だけちゃんと挨拶しない奴が混じってる。


「真白ちゃんに栞ちゃん、だよね? 知ってるよ。可愛い子は声も可愛いって、あれホントなんだね」


 綺麗に蒼を無視し、タクミ先輩は私たちにだけ話しかけた。

 あまりの馴れ馴れしさに、皆川さんは目を見開き、じりじりと後ずさっている。


「タクミ先輩。そういうのいいから、さっさと仕事しよー」


 蒼はそんな先輩の肩を押し、回れ右をさせると、今度はダンボールが積んである裏側へと背中を押していった。


「城山、てめー。ケンヤ脅して持ち場交代させたろ!」

「してない。善意で代わってくれただけ」

「嘘つけ。自分が彼女とイチャつきたいからって、やり口がきたねーんだよ、ハゲろ」

「タクミ先輩の方がヤバいよ?」

「うっせ!」


 弦楽器科のタクミ先輩と蒼は、どうやら知り合いみたい。タクミ先輩も内部生なのかも。

 先輩が屋台の裏に消えたので、皆川さんはホッと息をついていた。上代くん以外の男の人は苦手だったりして。

 こっそり様子を窺っていると、「今日はよろしくお願いします」と声をかけられる。「こちらこそ」如才なく返事をしながら、内心ちょっとガッカリした。

 皆川さんって、仲良しの子には遠慮なく関西弁で話かけるんだよね。……私には丁寧語だったけど。うう。


 四人で景品を並べたり、射的銃の確認をしているうちに、開始時間を迎える。

 会場のあちこちに配線されているスピーカーから、実行委員長の「それでは、第31回春冬祭を始めます。皆さん、どうか楽しんで下さい」という声が流れてきたのを合図に、お祭りが始まった。

 午前中がフリーの寮生やOBの皆さん、そして招待チケットを持ったお客さんが、うちの屋台にも次々と足を運んでくれた。


 「女性は、この線。男性は、この線からうしろに下がって的を狙って下さいね」


 射的銃は全部で4丁。コルク玉は200個用意している。

 景品はお菓子がメイン。一番遠い場所にはクラシックCDやスコア譜が貰える的が置いてある。

 音楽学校って感じの景品だよね。寮祭にかかる費用は予算は決まってるものの全部、学院持ちなんだって。太っ腹!


「うわ、なにげにムズい、これ」

「頑張って!」


 グループやカップルで挑戦するお客さんを、手際よく捌いているうちにどんどん時間が経っていく。

 ちょうど一時間くらい経過した頃。

 隣に立っていたタクミ先輩が「うわ、ホントに来やがったよ」と呟いた。

 つられて顔を上げ、思わず二度見してしまう。

 向こうからやって来るのは、あれは――。

 大勢の取り巻きを連れた、夏の制服姿の紅だ。まさかと思ったけど、本当に院長巡回だよ。

 もうね。すごいの、周りからの注目度も。

 紅が歩いてるところだけモーゼの海を割るシーンみたいになってる。笑っちゃうけど、これ本当の話。


「蒼!」


 紅は私たちを見つけると、パッと瞳を明るくした。

 

「お招きありがとう。楽しんでる? 島尾さんと皆川さんも、こんにちは」


 島尾さんだって。ニヤニヤ笑いそうになるのを何とか堪え、「こんにちは」と他人行儀に頭を下げる。栞ちゃんは無言でペコリと会釈した。

 紅の後ろのファンクラブメンバーは私を一瞥し、それから皆川さんへと視線を移し、ひそひそと何事かを囁き始める。ひえ~、なに! 何て言ってるの!

 彼女たちの報告を受けたのは、会長の宮路 璃子さん。鷹揚に頷き、やがてにっこり笑顔になる。

 どうやら無害と判断されたようです。ホッ。


「楽しいよ。せっかく来たんだし、やってく? 通行の邪魔だ。後ろの奴らは散れ」


 蒼の容赦ない一言に「蒼様の仰る通りですわね。では、紅様。離れてお待ちしておりますわ」と宮路さんは答え、ファンクラブメンバーを連れてどこかへ行ってしまった。

 顔色ひとつ変えず笑顔のままだったよ、宮路さん! 打たれ強さハンパない! っていうか、蒼の振る舞いに慣れてるっぽい。

 蒼の尊大な言い方は、『ボクメロ』の俺様キャラを彷彿とさせるもので、またしても不思議な気持ちになった。

 私の前ではでっかいワンコなのに、内部生には違うんだ。


「助かった。サンキュ、蒼」

「お前の為にやったんじゃない。トラブル起こる前に、さっさと帰れば」

「そうだ、そうだ!」

 

 蒼のそっけない言葉に、タクミ先輩が便乗する。


「ひどいな、タクミ先輩。後輩には優しくしましょうよ」


 紅もタクミ先輩とは旧知の仲みたい。とっておきのよそ行きスマイルを発動させてる。


「お前ら、揃いも揃ってその呼び方やめろ。野郎に呼ばれたって、気持ち悪いだけなんだよ」

「分かってますよ。な、蒼」

「ああ。嫌がるから呼んでるんだし」

「そういう時だけ、結託すんな!」


 大体昔からお前らは生意気だった! とプリプリ怒るタクミ先輩に、思わず吹き出してしまう。

 チャラっと格好つけてる時より、私は好きだ。皆川さんもそれは同じだったようでクスクス笑っている。


「もー。笑ってないで助けてよ」


 困りきったタクミ先輩の下がり眉に、蒼や紅まで笑い出し、一気に和やかなムードになった。

 

 ひとしきり笑った後、紅は私から射的銃を受け取り、無造作に銃を持ち上げた。大して狙いも定めずに引き金を引く。

 パン、と乾いた発砲音がしたと思った次の瞬間、コテン、と一番奥のCDが倒れた。

 半袖のTシャツから出てる腕がゾワッと鳥肌を立てる。

 こ、この人本当に何でも出来るんだな!

 倒れたのは、ちまたで大人気の新進ピアニストの新譜CD。難易度高いし、誰も取れないと思ってたのに。いいなぁ。

 紅は仏頂面のタクミ先輩からそれを受け取ると、私と蒼を見比べ、それから蒼の前に手にしたばかりのCDを突き出した。


「もう持ってるやつだった」

「……馬鹿だな」

「悪い。魔が差した」


 紅はほろ苦く笑って、蒼にCDを押し付けると「じゃ、頑張ってね」とひらひら手を振って踵を返す。

 やり取りの意味が分からず怪訝な表情になった私に、蒼は貰ったばかりのCDを押し付けてきた。

 たらい回し、という単語が浮かぶ。このピアニストすっごく上手いのに、もったいない。


「これ、欲しかったんだろ。真白にあげる」

「……え、でも――」

「いいから、貰って」

「えっと、ありがとう?」


 疑問形のお礼を述べた私を見て、蒼は優しく微笑んだ。

 

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