17.奇妙な声と夏休み
前期試験では全ての科目でA以上の評価を得ることが出来た。
みんなの前では「たまたまだよ~」「大したことないよ~」って謙遜してみせたけど、大したことありまくりだった。見栄っぱりなのもいい加減にしろ。
睡眠は最低限取らなきゃいけない。
となると、隙間時間を徹底的に削るしかない。お風呂も食事もひたすら時短。蒼が寂しがるのを「今だけ! 今だけだから!」と宥め、携帯も封印。
後期もまたこれと同じ、ううんこれ以上の努力をしなくてはいけないのかと思うと、胃がキリキリと痛くなる。次は素直に「極限まで頑張りました」と言おう。
ああ、でもつい! つい言っちゃうんだよなぁ。
憧れてたんだよ、すごい結果残しつつ余裕の態度を見せるってやつに。
努力の甲斐あって『ボクメロ』プレイ中、嫌ってほど耳にした『うちの学院に君は必要ない』っていう例の打ち切りエンディング台詞。あれを生で聞かずに済みました。第一ラウンド、クリアー!
ゲームでは逆光で顔の見えないモブ理事長だったからまだ良かった。
でも本物はトビーだよ? ものすごく厭らしく人の精神を攻撃してくるに決まってる。どうせ退学なら最後に暴れて……いいわけないもんね。自分の将来に十六歳でさよならしたくない。
テストが終わった後はすぐに携帯の封印を解き、蒼に沢山のメールを送った。
すぐに返信がくるもんだから、ちぎれんばかりに振られてる尻尾が目に浮かび、こっちまで嬉しくなる。
『夏休みの約束、覚えてる? 絵里ちゃん達に話したら、大歓迎だって』
『忘れるわけない。楽しみにしてる。中学時代の真白の話、いっぱい聞くつもり』
『今とそんなに変わらないと思うよー。勉強とピアノの練習ばっかしてたから』
『ほんとかなぁ。真白に彼氏がいたって話聞いたら、俺自分がどうなるか分かんないから、打ち明けるなら今のうちだよ?』
『いません!』
ベッドに寝転がり、うふふふふぐふふふふとほくそ笑みながら携帯をいじってたら、耳のすぐ傍で「チッ」という舌打ちが聞こえた。
――まただ
涼ちゃんとお近づきになるきっかけを作った、空耳事件。
実は私、あれからも何度か、空耳ってるんですよ。
周波数の合わないラジオみたいな感じで呟きを拾うことが多いんだけど、今みたいに舌打ちされることもある。呟きも殆どが私に対するダメ出しっぽいニュアンスのものだ。
最初はいちいち怖がって涙目になってたんだけど、最近ではすっかり慣れた。
よく考えたら、わたし、前世持ちじゃないですか。
この世界が前世で遊んだゲーム世界に酷似してるっていう知識まで持ってるじゃないですか。
そう、オカルトの星の元に生まれ直した子なんです。
今更、人外の声が聞こえるオプションが付いてきたって、どうということはない。
だけど、その空耳の君(仮称)がべっちんだとすると、話は変わってくる。
長年可愛がってきたぬいぐるみ君に謀反を起こされた気分になるんですよ、勘弁してください。
携帯を充電スタンドへ戻しに行き、私は改めてべっちんに向き直った。
ふわふわだった毛並みは、年を経て少し擦り切れてる。
中身も心なしか目減りして、やせたおじいさんクマさんみたいになってる。それでもべっちんは私の大切なぬいぐるみだった。小学校にあがってすぐの頃、お店で一目惚れして散々ねだった挙句、父さんが奮発してくれたテディベアだ。
「いま、舌打ちした? ねえ、した?」
べっちんのつぶらな黒い丸ボタンは、キラキラとこちらを見つめ返している。
黙秘権か。
「蒼と仲良くしてる時に限って、なんか言ってくるよね。なんで?」
「……だって、シナリオと……がう」
私は心底びっくりした。
会話が成り立ったのは初めてだったのだ。一方通行だったのに、今、一応会話になってた! なってたよね!?
「シナリオ? シナリオって、ボクメロのゲーム進行のこと?」
返事なし。
「蒼ルートが気に入らないって言いたいのかな。そうなの? べっちん。べっちんも理事長派?」
返事なし。
「とにかく、私の気持ちは変わらないから。べっちんが反対しても、絶対蒼のこと諦めないから」
「……はぁ」
ため息か! 今の完全に溜息だったよね、何なの。
せっかくの夏休みにケチをつけられたくないし、寮に置いていこうかなぁ。
絵里ちゃんたちと遊ぶ約束もしてるし、蒼の家で音を合わせる約束もしてる。家に帰るのだってすごく楽しみ。
それに後期が始まってすぐには寮祭もあるからね。ワクワクが目白押しで、正直ふわふわと浮ついちゃってます。お願いだから水をささないで、べっちん。
それともあれかな。気を抜いて足元を掬われるな、って警告かな。
もしそうなら、べっちんは悪くない。むしろ主人想いの――。
「大好きだよ、べっちん!」
「――なんなの、このこ」
ぎゅっと抱きしめると、今度ははっきりと聞こえた。
すごく若い男の人の声。気のせいか理事長に似てて、私は思わずべっちんを放り投げた。
そして、今日は家へ戻る日。
「じゃあ、また8月だね。10日から寮祭の準備始まるみたいだよ」
「うん、9日の夕方には戻ってくるつもり。涼ちゃん、良い夏休みを!」
「真白も!」
涼ちゃんとは寮の玄関先で別れた。
三年生にとっては最後のお祭り行事だからか、皆すごく張り切ってて、実家に帰らず残る人たちも結構いる。私たち一年生は、そんな先輩たちのお手伝い程度のことしか出来ないけど、それでも初めての寮祭だからかなりテンション上がってます。涼ちゃんもそうみたい。
綿あめでしょ。ヨーヨー釣りにカキ氷。
寮内は開放しないから、文化祭定番のお化け屋敷や喫茶店はやらないんだって。メインは出店中心の模擬店と、それから音楽劇。
去年は『真夏の夜の夢』を上演したらしい。
なんとメンデルスゾーンの作曲した劇付随音楽付きで!
必要なのは管に弦でしょ。あとはティンパニ。そしてソプラノにメゾソプラノの女声合唱。
全部、学内で調達出来ちゃうもんね。衣装や舞台道具は、付属大学のオペラ研究会から一式まるまる借りてきたそうだ。臨時の野外ステージの設営は毎年、寮生とOBで頑張るんだって。
陽が傾いてくる夕暮れ時、煌々と照らされる野外ステージの上で演じられる、まさに一夜の夢物語。
なんという豪華な出し物ですか! めちゃくちゃ見たかったです!
外門から少し離れたところにある簡易パーキングに車を停め、父さんは待っていた。
私の姿を見つけると、破顔して大きく手を振ってくれる。私も嬉しくなって、道路の反対側からぶんぶん手を振り返した。
家にも着替えはあるし、小さなボストン一つで里帰り。
夏休みの課題と楽譜一式が詰まってるから、見た目よりはうんと重いんだけどね。
「おかえり、ましろ!」
「おかえりなさい」
久しぶりの我が家に着き、玄関を開けると、そこで待ち構えていたらしい母さんと花香お姉ちゃんに盛大に出迎えられた。
ただいま~、と大きな声で宣言して、靴を脱ぎ捨て母さん達に飛びつく。
ぎゅうっとサンドイッチの具みたいに抱き締めてもらった途端、2人の服から家の柔軟剤の香りがした。
そうそう、この匂い。帰ってきたんだなって実感しちゃう。
「ねえ、ねえ。ましろの今日の予定は?」
花香お姉ちゃんは私にぴったりくっついたまま、リビングまで移動してきた。エアコンから出てくる風が上気した頬を冷やしてくれる。
「んーと。ピアノの練習してから、勉強します。夕方になったら手伝いに降りてくるね」
「ぶれない!」
花香お姉ちゃんは不満そうに唇を尖らせた。
「蒼くんとの予定は?」
「あるよ」
「あるの!?」
「そりゃね~」
「やだ、真白ってば! 大胆!」
何を想像したのか、お姉ちゃんはうりゃうりゃと私の脇腹を小突いてくる。
「アリバイ必要なら、任せてね」
「え、いや、そういうのはない」
「父さんはショックで倒れちゃうから、内緒だよ!」
「話を聞いて」
まるっきり見当違いの想像しながら、お姉ちゃんはくるくるとステップを踏みながら去っていった。
私たち、まだほっぺにチューしかしてない清い関係なんですけど。
学習計画通り通り、順調に毎日は過ぎていった。
午前中の涼しいうちにピアノを触って、暑くなってきたら近所の図書館で勉強。陽がかげってきたら、またピアノを練習して、お風呂掃除してみんなで夕食。
中学まではそこからまた自室に篭って勉強してたんだけど、家にいられるのは二週間ちょっと。少しでも家族団らんしたくて、食器洗いを手伝った後はリビングで課題をやることにした。
「音、小さくする? 大丈夫?」
勉強するなら二階でやりなさいって注意されるかと思ったのに、父さんはテレビの音量を気にした。
「全然いいよ。ながらで出来るやつしかしないし」
「そうか」
「二人ともそこにいるなら、コーヒーでも飲む?」
台所から聞こえる母さんの声に、隣に座ったお姉ちゃんと一緒に「欲しいー!」と返事をする。
へへ、と顔を見合わせて笑って、それから冷たいアイスカフェオレをごくごく飲む。
冷房の利いたリビングには、野球中継の応援マーチだけが響いている。
父さんはテレビを見ながらビールを飲んで、お姉ちゃんはネイルを塗り始めてて、母さんは台所でまだ何かしてるみたい。
満たされた気持ちで、父さんの首にかかってるタオルを見た。水原酒店。近所の酒屋さんから貰ったやつだ。
何の変哲もない日常が愛おしくてたまらなかった。
どうかこのまま、18を過ぎて、19になって、そして成人式を迎えられますように。
おばさんになって、おばあさんになって、「いろいろあったけど、幸せだったなぁ」って笑って最期を迎えられますように。
ノルマは着々と消化出来ているので、週末は心置きなく出かけることにした。
まず今日は、絵里ちゃんたちとのランチ。
最初はボーリングでもどう? って誘われたんだけど、指を痛める危険性がありそうな遊びは私も蒼も避けてるんだよね。後ろで観戦する分には平気だよって申し出たんだけど、絵里ちゃんは慌てて提案を取り下げた。
「カラオケ……は真白が歌えないし、どうしようね」
「無趣味ですみません」
「じゃあ、ランチ食べて、そこからモール行って遊ばない? プリ撮りたい!」
「ぷり?」
「行けば分かるから」
「いろいろすみません」
先行きに若干の不安を抱えつつ、家を出る。
迎えに来てくれた蒼は、シンプルなTシャツに七分丈の紺のチノパン、そしてスニーカーというとってもカジュアルな格好でした。にじみ出てる高級感は打ち消せてないけどね。そのTシャツだって私が持ってるのと桁がひとつ違うはず。
スタイルいいから何着ても似合うんだよなぁ。
学校指定のジャージだって蒼が着ると一気に垢抜けるんだもん。羨まし過ぎる。
「おはよ、真白。今日も可愛いね」
「おはよう。蒼はいつもと雰囲気違うね」
「変だった?」
「ううん。すごく似合ってる。蒼に似合わない服なんてないんじゃない?」
「いや、普通にあるよ」
苦笑した蒼は、レトロフラワーの半袖ブラウスにショートパンツ、ぺたんこサンダルの私をまじまじと見て、軽く眉をひそめた。
「可愛いけどさ。足、出しすぎじゃない?」
「え、見苦しい!?」
「違う」
蒼は困った表情で、私の足から目を逸らした。
「二人きりの家デートなら大歓迎だけど、外歩く時は気になるよ」
「そ、そういうものですか。……ちなみに、どういうのならいいの?」
「長袖長ズボン?」
「冬パジャマか!」
つい突っ込んでしまう。
「まあ、いっか。誰もやらしい目で見ないように、俺がガードすればいいだけの話だし」
相変わらずの買いかぶり、そしてこの過保護である。
蒼の差し出した手を握り、私は内心でれでれしながら歩き出した。
絵里ちゃんたちに会うのも、蒼と遊べるのもすごく楽しみ!